05/29/2006 にアップした文章です。

Bruce Wayneは幼いときに、コウモリを大きな恐怖の対象としました。それが、Batmanが生まれるOrigin(起源)です。では、もしかすると、あなたが怖いと思っているものは、あなたが昇華することができるはずの起源なのかもしれない、克服によってより大きく生きることができるかもしれない、と考えてみることは、かなりおもしろいでしょう。

たとえば、Intimacy (親密さ)。心を思い切り開いて、深く心にあることを頭まで持っていき、さらに愛する誰かに話してみる。肉体の親密さとは違います。肉体の親密さも、この心のIntimacyが伴うことで、「究極の愛の表現」となりえます。たいていの人は、コレとまだまだ戦いながら生きているのかもしれません。

たとえば、失敗。失敗をたくさんすることで、Bruceの父親が言ったように、「落ちたら登ることを学ぶ」というチャンスをよりたくさん得ているのかもしれません。が、失敗をしない人には、そのチャンスがなく、怖がってトライをしなかったり、失敗しないように心を砕き、方法を選ぶので、なかなか思ったような結果が得られないのかもしれません。

恐れ: (1)こわいという気持ち。恐怖。 (2)(「虞」とも書く)悪いことが起こるのではないかという心配。懸念。 (3)(「畏れ」とも書く)神仏や年長者に対するつつしみ。はばかり。 

怖い: (1)危害を加えられそうで逃げ出したい感じだ。自分に危険なことが起こりそうで身がすくむ思いだ。 (2)悪い結果が予想されて不安だ。先行きが心配で避けたい。 (3)軽視できない。予想以上に大した力をもっている。

Bruce, Thomas(父)の会話;

Thomas Wayne: The Bats again? またコウモリかい?

[Bruce nods yes] うなずく

Thomas Wayne: You know why they attacked you, don’t you? They were afraid of you. なぜコウモリが襲ってきたかわかるだろ?おまえのことが怖かったからだよ。

Bruce Wayne – age 8: Afraid of me? 僕のことが怖かったから?

Thomas Wayne: All creatures feel fear. すべての生き物は恐怖を感じるんだ。

Bruce Wayne – age 8: Even the scary ones? 怖そうなやつでも?

Thomas Wayne: Especially the scary ones. 特に怖そうなやつが、だよ。

「自分が恐怖を感じるから攻撃に出る」コレは真実なのかどうか?普遍的真実ではないにしろ、真実である確率は高いと思います。人間だけで考えてみましょう。危害を加えられることに心を囚われている個人は、その弱さを露骨に呈することがないよう、生き延びる作戦として怖がっていることを表に出すことをやめようとします(その前段階では、ここまで到達していないので、怯えたように見えることが多いですが・・・)。その表現・見た目に失敗することを恐れ、人に見られないようにすることもよくあります。いじめによる不登校などに顕れるように、外界を遮断することも多いわけです。

が、逆のパターンの引きこもる・現実逃避の反対側にあるのが、恐怖を与える根源を抹消してしまおうという根本的解決。簡単な例では、暗闇が怖い人は、少しでも暗ければ電気をつけて歩くし、高いところが怖い人は一切高いところが存在しないよう生活圏を選びます。他の人間に危害を加えられることを避けることに心を囚われている個人は、人に揉まれて生活することは不可能だと悟った段階で、危害を加えるかもしれない可能性がある人間を攻撃することになります。いわゆる;弱い犬ほどよく吠える、窮鼠猫を噛む、というやつです。

怒りっぽい人やきつい人は、自分が恐怖感を克服できない物事がまだまだたくさんあるのかもしれないです。え?私?(笑)

私の恐怖は何だろう?と考えていくと、恐怖症の一歩手前くらいなのは、閉所です。圧迫されることがたいへんに苦手です。カプセルホテルにはおそらく泊まれないと思います。頻繁に見る夢の中に、土管に隠れなければならない、追っ手が来るから前に突き進まなければならない、というのがあります。映画などでも、ある程度のゆとりがある洞穴や迷路ならばいいのですが、狭い場所での閉じ込めを見ていると息苦しくなってきます。これが昂じると、満員電車や狭い居酒屋恐怖を簡単に体験してしまうことになり、今後の11ヶ月の日本滞在を少し怖く思うことがあります。

もうひとつの恐怖は、Bruce Wayneと同じく、愛する誰かを失くすことで、父のときには1年以上ゾンビ状態でしたから、次回についてはとても不安に思っています。生きていてさえくれれば別れに対しての耐性はあるのですが、そこでぷつんと切れてしまう、これ以上何もできなくなる状態に、私がとり残されてしまうのは脂汗が出てしまう恐怖です。これは誰でも同じことなのだろうと思います。かと言って、不死身になることを望んでいるわけでもなく、耐えられない痛みの横綱ということです。

さらにもうひとつは、少し長いあいだ理解を示して、誠意いっぱいだった人の裏切り。自分の見る目を根底から覆されてしまい、存在意義さえ疑ってしまうので、この痛みもかなり大きなものです。商売や知り合いに何をされてもかまわないのですが、友だちに裏切られるのはものすごい恐怖です。私は騙すほうにいつもいなくて、騙されるほうに回ってしまうのですが、が、ゆえに、これもずっと体験していかねばならぬことだと思うのですが、変化していく世の中で、絶対がない世の中で、絶対に変わらぬ絆を築いたと歓んで毎日暖めていたところで、タイタニックから振り落とされた感じにさせられてしまい、心が凍結してしまい、頭が動かなくなり、ゾンビになります。

が、賢くないのかもしれない私は、誰かに裏切られる前に裏切ることができず、裏切っている事実を知ってもその人を遮断することができず、逆に攻撃することもできない。一度くらいは一切遮断してみたり、攻撃に出るのもいいのかな?と思うのですが・・・。

あ、知り合い程度の無礼はバンバン切りますよ(笑)。心を許してもいない人がズカズカと私の大切な物事を切り崩していくことは許しませんっ(笑)。

Batmanは怖かったコウモリと同化することで、その恐怖を克服しました。私はどうすればいいのか・・・。狭いところを楽しむことが一体できるのかどうかわからないですね。ネコが丸まって寝ているところを見ても、「伸びたほうがラクだよーう」と手足を伸ばしてしまうことがあり、やはり生まれながらにしての快楽が違うのかな、などとひとりごちています。人が死ぬことは避けられず、それについては克服などありえないのでしょうが、次回は1年以上アル中になることなく、何とか事前と事後の対策をしっかりしようと思っています。

人に裏切られることについては、ずっとクールにしていることもなく、もう少しもがいてみてもいいのかな、と思い始めています。恐怖として放置しておくことはやはりよくありません。が、理想的なのは裏切られないことで、受身や能動ということではなく、裏切りそのものが起こらないことなのですが・・・。そのために、私は日々コミュニケーションを怠慢することなく、かといってうざくもなく、と、しっかり作戦を練っているつもりなのですが・・・。人間関係は本当に難しいです。

いつになったら「裏切られてもかまわない」とすっきり思うことができるようになるのでしょう・・・。ふぅ。