06/14/2006 にアップした文章です

 

いやー、長かったですね。スターウォーズ、やっと最後まで見ました。私は劇場に最後の Star Wars Episode III; Revenge of the Sithを見に行かなかったので、最近ケーブルでやっと完結しました。とは言っても、アメリカに住んでいたり、日本でもハリウッド映画が好きで最初の1977から追いかけてきた人ほど、待ち時間が長かったわけではありません。私が最初に Star Warsを見たのは、ずっと遅れて1988年のことです。ですから、待ち時間はたったの16年。最長待った方々は、1977年から2005年だから、なんと、28年だよね・・・。

私が宇宙モノが苦手なのは、しばらく続いたのですが、私が渡米して最初に通った英語集中学校は、San Francisco のさらに北、San Rafael という町にありました。George Lucas Ranchまで車でわずか10分。広大な土地で、フリーウェイの出入り口ひとつの名前がそうなっている・・・。そして、彼に興味を持ったことを英語の先生に伝えると、最初に、「あら、このSan Rafaelの町で、George Lucasは、American Graffitiを撮影したのよ」とのコメント。さっそくビデオを借りて見ました。なるほど、Harrison Fordとのつきあいはここからだったのだ、とわかります。

が、それでも私は特に、Star Warsや Star Trekなど、宇宙モノはやはりとことん溺れて好きになることができませんでした。日本モノでも、劇画・アニメ・コミックなど宇宙モノは多いですが、ガセネタがたくさんあるような気がしてならぬのです(笑)。しかも、私は宇宙の果てのことを考えだすと、「死んだらどこに行くんだろう?」という命題が頭から離れず、これは5歳のときに母方の祖母が死んだときから、まったく同じパターンです(笑)。

が、が、私は28年(構想時間も入れたらもっと)を賭けたひとりの人間の下に集まった人々が、彼の才能を信じて作り上げたひとつの芸術に、けっこう泣けました。とりあえず、私には28年も仕事上で誰かがついてきてくれたことはありませんし、現象になるほどのすごい功績に到達するようなことは、今後もないでしょう。しかも、かっこいいのが、後ろの3本を先に出し、その前を説明する3本、という発想は、彼が独自に考え出したものでしょう。その後、映画でも、『羊たちの沈黙』で、Hannibal Lectorシリーズが全部で3本作られ、もう1本が製作予定ですが、真似たものは多くなりました。

見るほうも頭の運動だよね(笑)。特に、キャスティングのズレがあり、誰が誰なのか、組み立てるためにチャートが掲げられているサイトもけっこうあります。「うーん、なるほどなるほど」ってうなれるのはいいよね(笑)。

映画館に行くたびに、Surrounding, Dolby systemに貢献した彼の「潜伏期」にも偉大さを感じますし、CGの発達やアニメの製作技術の進歩にも大きな役割を担っている彼の鬼才を、びっくり目玉で見てしまいます。最近のハリウッド映画のアニメ流行も、George Lucasのおかげが多いのではないだろうか。

私はまったくオタク傾向がないし(飽きっぽい性格傾向はバレてる?笑)、宇宙モノは前記の理由でまだかなりダメなのですが、今回、やっと完結したことに感動し、内容でもかなり哲学的に考え込まされましたね。掲示板でも、ガンダムがうんぬんと言っている人がいるのですが、ここでも「なぜStar Warじゃダメだったのかな?」と思ったりもしたのです(笑)。

純粋なオリジナルというのは、この世にはもうあまり存在せず、おそらく、既存の考え方をどう組み合わせるか、どう意外性を意外でなくし実用化し有効にするか、という時代になってきていると思うのです。いや、たぶん、少しはあるのかもしれない。でも、少なくとも私はそれができる天才ではないことは知っている・・・。そういう意味では、George Lucasは天才だと思います。

さて、私が哲学的に考えたのは、いかに技術が革新的に飛躍しても、凝縮されているのは、「意志」なのだということを、このシリーズ6個はきれいに描いています。1977年からの3本は、Darth Vaderに立ち向かうけなげな戦士を描いており、その人間関係に最後に驚かされます>I am your father….と Darth Vaderが Luke Skywakerに告げる場面は、いろいろなところでパロディに使われていますが、その謎が、後ろ(時間的には前)の3本で丁寧に描かれています。

いろいろな戦闘シーンや活劇のリズム、目新しい登場人物などがいても、結局のところ、凝縮されているのは、心なのだな、というところが、センチメンタルな人間が作っているいいところです。

Padmeと Anakinの秘めたる熱愛の進行・正義と悪の線引き・熟練者と初心者の学習の中でのやり取り・生まれ持った才能などの違い・血を分けた子どもへの想い、などなどテーマはてんこ盛りですが、やはりどれも心を中心としたものです。戦闘シーンや風景でごまかされてわからなかった!とは言わないように(爆)。そこに政治やその他が絡んできますが、結局の根っこのところは、心です。

私が悲しかったのは、最近も思い当たる節がある、「人の心はかなり簡単に影響されてしまうのだな」ということ。Anakinは選ばれた者(The Chosen One)だったはずで、マスターであるObi-Wan Kenobiも変わらぬ愛情を注いできたはずなのに、どうしてあんなに簡単に、逆の側に行っちゃったんだろう・・・と、なぜか泣けて仕方がなかったです。愛するPadmeが子どもを宿しており、将来はきっと倖せだったはずなのに、他人に認められないこと、マスターの称号が今与えられないことが何なのだ?と。私は、24・5歳くらいの頃から、権威など欲しくもなかったので平然とこういうことが言えるのだろうか?この野心やパワーって何なんだろう?とまたも悲しく思ったわけです。

なので、野心に気づかず、さらに自分の才能をことさら強く信じている人には、またもや気をつけないと、などと思ったりもしたわけです←おいおい、結局は自衛なのかよ・・(汗)。いや、私も自分の才能は強く信じているんですが、他人を引きずるほどの才能ではないと、哀しく現実を理解しているので大丈夫です。西さんには、南方熊楠に似て、あまり誰からも理解も評価もされにくいだろう、と言われてます(笑)。あれほど立派な人ではないにしろ、ほんと、理解されづらいのはわかっているので、高飛車にはなれませんや・・・。

私がオタッキーではないから、まだ気になることがあるんですが、1977年からの3作では、Earl JonesがちゃんとDarth Vaderの着ぐるみを着ているんでしょうかね?それとも声だけなのかな?ここのところ、どうやって検索すればいいんでしょうか?(笑)いやね、1977年からの3作よりも、Episode IIIのDarth Vaderは細かったのよ(笑)。あとは、どうして当時、まだAlec Guinnessが生きている頃に、彼の作品三昧をしておかなかったのかなぁ、というちょっとした後悔です。後悔しない性質なのですが、ちょっと自分で楽しみを軽減させたな、と思っています。これからでも見れるんですが、どうして手をつけなかったんだろう・・・。

が、私は1977年からの3本を見直さなくてはなりません。コレでやっとつじつまが合ったので、ちゃんと6本を通して見る日を設けようと思っています。ピザとポップコーンとペプシを用意して♪