07/03/2006 にアップした文章です

 

読み始めたのが朝っぱらの歯磨き前で、あとは室内で吸えない煙草をベランダに出るたびに読んでいましたが、あっという間に読み終わってしまいました。ルポルタージュ・ドキュメンタリーの類にしては、事実関係のバックアップが妙に足りない筆致で、少なくとも3年以上の取材を続けたわりには、積算した事実が少ないと感じました。オランダと日本国内を飛び回っているようには思えない内容に仕上がっています。

はっきり言わせていただくと;1500円+税金返せ!

私の知らなかった情報は、SARS(オランダ)の具体的活動内容だけでした。その前進となった団体については、アメリカで遭遇したことがあり、Human Sexualityのクラスでは、アメリカで20年前に作られたという障害者の性についてのビデオも閲覧済です。日本の障害者のさまざまな現在のあり方やその経過(取材開始から執筆終了まで3年ほどの時間が経っている)については、想像に難くない範囲のことが書かれており、アメリカで見聞きしたり読んだものと比べて、遜色の濃いものでした。

さて、私の疑問点だったことと照らし合わせていきます。

1.社会通念としてのSVというボキャブラリーはない

オランダにさえ、このようなボキャブラリーがある、という明示はありませんでした。団体としてはあるし、社会的に存在はしていますが、SARSという団体の障害者性介護には、売春から自慰行為介助も含め、年間延べで、たった2000人(のべという意味をお汲み取りくださいね)しか利用者はいません。オランダの人口がだいたい1600万人、障害者人口は届出をしていない潜在的な人々の数まで把握しません。1971年の時点で大体100万人ほどいたそうですが、30年以上前の資料しか引っ張ってこられませんでした。そもそも、届出が必要な潜在数が多いものは、国連でも統計は取れていないことがわかりました(英語で検索してみた)。このへんももうちょい強化したほうがいいですよね>とは言え、目の前で死んでいく人々やまだまだ埋められている地雷除去などのほうが優先なのは理解します。私の予測としては、「オランダにもセックスボランティアという通念はない」としておきます。今度、オランダ人に聞いてみます。

2.性行為というプライバシー色の強いものを、ライセンスも持たない素人であるボランティアに任せられる人々は、たとえニーズが強いとしても躊躇する人々のほうが圧倒的多数;身障者の性問題は根深いが、身障者が暮らしていくためにすでに受けている医療やセラピー・カウンセリングの中に性問題をすでに盛り込んでいるところばかりである。なぜプロでもない素人がプロと同じ役割ができるのか?

オランダにおいても、それが理由で、のべにしても2000人(リピーターがたくさんいる;たとえば書中のある人物は1ヶ月3回利用しているので、36回。が、のべであると36人と計算される)なので、やはり限られた人口においての制度になっていることがわかる。オランダであっても、プロやプロだった人がボランティアをしているわけではないし、まったくのボランティアは皆無。有料で行い、割引や安価という売りになっている。それがゆえに寄り付かない人々が潜在的人口としていることは、大いに予測できる。

3.ニーズについての査定が難しい;NeedsとWantsは別物

印象的だったのは、「SARSもしょせん売春ですから。ただ、理解があるから長く居てくれる」という書中のオランダ人男性の言葉。彼にしてみれば、NeedsとWantsの境界線は引けていない。日本人の実在の人物のいくつかのケースにおいてもそれは同様。誰もNeedsとWantsの違いには触れていない。著者も同様。

4.障害者が支給額をもらい、その中でやりくりし、違法行為である買春をするのは自分のリスクで自由だが、それを促進するようなことを政府や州機関が推進できるとは考えづらい→モラルの設定問題

オランダでは国から下りる「障害者年金」の他にもらえる助成金制度が成り立っており、それはアメリカや北欧も同様。が、政府が「セックスや性行為の介助のため」という項目を設けることはしていない。オランダの場合も同様で、市から下りる助成金は「手配料」という項目で処理される。ひとつの市で年間5人しかその補助金制度を利用していない、という事実も書いておきます。市役所の係員によると「市民の税金なのに市民の総意を取っていないから」だそうです。これは、システムが機能していないいい例です。死刑制度でも触れましたが、国民や州・市や郡などの税金が、知らないところに使われていることを、国民や市民などが見逃しているということです。

5.セックスニーズだけを切り取ってそれを強くアピールするよりは、生活一般ニーズやフィジカルな身障部分のほうが優先的であるという見解→Bushが大統領だしね・・・。しかもそれさえ手落ちな部分はぼろぼろあるわけだし・・・。

オランダでも当然こちらを国全体として力を入れています。SARSはとても地味な団体で、サービスの提供者は、女性13人、男性3人。サービスは有料で、1時間半で73ユーロ(9500円ほど)です。なので、SARSそのものがNPOのような位置づけであっても、完全なるボランティアではないわけです。むしろ、公共的売春・買春と受け止める人々がいても、それは完全に否定できない。

6.契約書なしでの個室での無償のやりとりは、犯罪や迷惑行為の温床となる、という見方は否めない;性行為という親密度の高い行動をシェアすることにより(たとえ介護であっても)、セラピーと同様のTransference(転移感情)が芽生えることは容易に想像できる。それがゆえに、一般介護とは違い、ストーカーや迷惑行為、逆にボランティアのほうからの迷惑行為は無断での私物管理や脅迫やその他まで発展することはないのか?特に自宅でのセックスボランティアが懸念の中心。その責任は誰がどうやって取っていくのか?

これについては、本書を読んでいただければ、あちこちにこの問題について、障害者本人もサービス提供者本人も触れています。感情があるからこそ人間なのだということを強く掲げ、その最低の権利を充たすだけではなく、愛情や恋情についての危惧はちりばめられています(Transference)。ここでは、ネガティブな問題点について、具体的に経験がある人は登場してきませんでしたが、著者ではないので省いたのかどうかはわかりません。無償ではない、有料サービスのほうが、こういった感情問題はやや低く、割り切りが両者おもにできているな、というのが私の感想でした。

7.ボランティアという定義の見直しを鋭く迫られる題材である;有償・無償のボランティアライン>セックス行為が多少なりとも入るのであればなおさら。自慰介助とはどこまでのラインを指すのか?

この本ひとつの中で、純粋に無償でのサービスをしている人は数えられるほどでした。では、なぜ「ボランティア」という言葉を効果的に使うのか?利益を得ているのであれば、ただの正当化に陥っているだけではないのか?男性が男性の自慰行為を、手を使ってサービスする事実などもありましたが、それは無料でした。無料のボランティアをした主婦は、自身もうつ病になり、「いつ自殺するかわからない」とまで著者に語っています。

8.↑を受けて、ボランティアサービスコードは、誰がどのようにどんな理由で決めていけるのか?

営利団体であれば、政府やその他の管理の下、サービスコードは決められるとは思うのですが(たとえ建前的にであっても)、ボランティアとなると政府認可も下りていない今、誰が決めるのか?という「好き勝手な意見」ばかりが先行しているように思えました。オランダではもう30年以上も続いているサービスであるにも拘わらず、進化していないのはなぜなのか?を考えたほうがいいでしょう。

9.セックス行為をなぜ恋愛や結婚に繋げる方向性を持たないのか?>持っている団体もあるかと思うが、私が調べた限りでは、「セックスボランティア」が協賛・主催している障害者お見合い会や出会い系データベースその他はなかった。性行為だけを進めて、その後に繋がる倖せな恋愛や結婚をスコープに入れないのはなぜなのか?

障害者自身の言葉がありますが、彼らの9割が奇しくも「恋愛や結婚のほうがいいに決まっている」(という含蓄を持った言葉)と語っています。それについての活動を行っている日本の団体の紹介を、著者は1つしていました。その極にいるのが立教大教授で、彼も彼なりにいろいろな試みをしましたが、成功例は少ないことも書かれています。

読後感ですが、性についての教育や保護や福祉や権利を語るのではなく、なぜに生活・性をすべてパッケージングしないのか?がやはり疑問として残りました。性をアピールすることで、濁った雑音が入る危険性のほうが大きい。確かに人目を引きやすいのかもしれませんが、リスクが高すぎます。実際に、この著書でわかるように、セックスボランティア日本流行現象は、本家を誇張しており、事実を歪曲した世論となっています。私が三省堂の辞書の内容について問い合わせをしたことでも証明されたように、日本人全体の「物事を解析する能力」は、まだまだ問われ続けているのです。

はぁ、1,500円返してほしいな・・・・。ブツブツ