07/18/2006 にアップした文章です

 

私はアメリカ市民ではないので、陪審員制度に参加することはできません。が、Court TVを始めとして、たくさんの裁判映画やドラマも見て、弁護士にも話を聞き、経験者談をインタビューする日々はまだまだ続いていきます。

殺人事件を市民が決定するのは、相当なプレッシャーだとしても、交通事故やレイプなど、今の『判例』判決制度に比べれば、市民の今の心情が繁栄されるいい制度が、陪審員制度です。こう思ったのは、サレジオ高校の事件が最初ではありません。私は、「賢くて経験のあるプロに任せておく」という態度は、やはり無責任の一種の形だと思っているのです。司法や実際に繰り広げられている事件を、自分の社会の一部として、あるいはもっとシリアスに考えてモラルの基本として、自分の生活や考え方の一部にしていかねばならない陪審員制度は、雇用時の不便や司法の修習、その他いろいろな乗り越えねばならぬハードルはいくつかあるにしろ、本当に国民の士気を高めるためにもなり、責任ある大人を作っていくのに、大きな一役を買うと思うのです。

Twelve Angry Menは秀作でした。Henry Fonda扮する11人の陪審員に歯向かう男の論理性は、普段の生活にも役立つであろう賢さです。リメイクが作られましたが、リメイクに出た彼は、それが遺作になり、 Geroge C. Scott(http://en.wikipedia.org/wiki/George_C._Scott)は、Julia Robertsの初期の作品であるDying Youngで、ガンと闘病する役をしたCampbell Scottが息子で、多大な影響力を与えました。(http://en.wikipedia.org/wiki/Campbell_Scott)渋い脇役ばかりの俳優でしたが、日本では認知度が足りないな、と思える本当に上手な役者です。

陪審員制度になったとしたならば、法制が設定した期間のMax、最長の懲役や、最高の刑を科することがリーズナブルかどうか、私たちの気持ちが反映されるわけです。さらに、Civil(刑事ではなく民事)になると、被害にあった人々にそれ相応の、現代に必要だとされる金額が換算されます。

つい最近、昔のAV女優がフツーの暮らしをしていたのに、週刊誌だったかに書かれてプライバシーの侵害を訴えたケースがありました。彼女とその弁護士は、2000万を要求したにもかかわらず、認められたお金はたったの160万でした。そんな額では、弁護士代だけでおしまいじゃーないのか・・・??交通事故や健康被害などでは、もっとお粗末です。大黒柱が亡くなっても子どもが亡くなっても、大した保障がされません。だから自衛のために生命保険には入ったほうがいいのですが、そこまでお金にゆとりがある人々ばかりなわけがありません。何のための正義なのか、とクビをかしげることは多いです。

が、当然、冤罪の場合にはたいへんです。12人の陪審員は自分たちが侵した他人の権利と自由について、深く深く考えることになります。後悔してもしきれない類の情念にとりつかれることになります。

こういった責任が持てる国民になるのはたいへんなことです。他人様をイメージだけで決め付けてはいけない。論理性を身につけねばならない。他人の話を聞けなければならない。好き嫌いや気分で物事を左右するようなことはあってはならない。

アメリカでは、Jury Duty(陪審員義務)に出かけて行くのは、みな嫌なことであると口を揃えて言います。仕事を休む権利が生じますが、仕事の内容によっては会社との関係がまずくなったりする可能性も出てきます。たとえば、Scott Peterson(スコット・ピーターソン)の裁判では、12人の本陪審員と3人の補欠陪審員の15人は、ほぼ7ヶ月の拘束をされました。彼らの場合は家に帰ることができたのですが、ホテルに拘束されることもあります。マスコミと話をすると陪審員は即刻クビになります。その事件についての新聞を読んでもいけないし、ニュースを見てもいけないのです。

アメリカでは、陪審員を選ぶスペシャリストの弁護士軍団がいます。タバコ関連の陪審員選びと裁判についての秀作は、John GrishamのRun Away Juryという本で鋭く描かれています。John Grishamはもともと弁護士で、ミシシッピーで働いていました。彼の本はこれまでどれも映画化されており、まだされていないものもいずれされるのではないかと思います。陪審員制度の穴もたくさん描かれていますが、私は彼の作品を読むと、さらに陪審員制度はいいのだ、と確信を持ちます。つい今日も、Partnerを読み終わったのですが、爽快な作品でした。コレは陪審員制度には触れていません。陪審員を選ぶのは、人の心理や傾向を読むことです。人種や生まれや育ち、学歴や好き嫌いの傾向などをできるだけ調べ上げる。検察側にとっては、子ども殺しの陪審員には親であるほうがいいに決まっているわけです。が、容疑者を弁護する側にとっては、子どもがいない大人を選べたほうがいいわけです。もっとバックグラウンドを調べ上げる能力に優れている陪審員スペシャリストになると、友人や親戚などで子どもを失った人がいるかどうかなどまで突き止めますし、どのように失ったのかまで調べます。プライバシー問題と背中合わせになっていますが、弁護士たちがそのプライバシーを公開することはできません。守秘義務が生じているからです。

が、日本のアメリカ司法制度のイメージは、とかく悪いことや怖いことのほうが先行しているような気がします。私には世の中って捨てたもんじゃないんだな、と確認させてくれることのほうがずっと多いです。前出のScott Petersonケースでは、Court TVのコメンテーターの予測に反して、圧倒的にGuilty(有罪)判決が出ました。さらに、会見時の彼らの真摯さ、コミットメントには胸を打たれました。彼らの私生活の犠牲は計り知れないものがあります。その後も、本を出した陪審員はいませんし、インタビューも必要最小限の情報だけしか公開していません。中でも補欠陪審員が陪審員に繰り上がった、派手な髪と服の女性は、判決が出て1年以上、Scott Petersonと文通をしていた、という事実を2ヶ月ほど前に知りました。なぜなのかを説明するに、自分の妻とまだ生まれていない8ヶ月だった子どもを殺せる理由が知りたかったため、ということでした。彼女は今でも現場検証での写真などで悪夢を見てしまい、どうしてもすべてを知りたいのだそうです。が、まだまだ上告しているScott Petersonはあくまで「やっていない」と通しているそうです。

陪審員制度になったら、きちんと国民の義務を果たす自信があるでしょうか?私はあります。導入を検討し、実験的に開始しているところはあると聞いています。が、詳しくサイトを読んでみると、まだあと3年もかかるんですね。その日のために、みんなで冷静な判断力や観察力を養うとしましょう♪クイズがあるのでやってみてください。私は5問全問正解でした。よかったぁ(笑)。

http://www.nichibenren.or.jp/ja/citizen_judge/index.html

この制度になると、弁護士も日々切磋琢磨せねばなりません。社会の進化のために、脳を存分に使わねばならなくなります。あと3年。準備をしてくださいね。