07/24/2006 にアップした文章です

 

臨機応変:その時々の場面や状況の変化に応じて、適切な処置を施すこと。

 

私がおかしいのかどうか、パチンコをやっていても、仕事をしていても、メシを食っていても、道を歩いていても、コレが欠落している、あるいは足りない人々が増えているような気がしているわけです。なぜなのか?を今日は考えてみたいと思います。

昔むかし、アン・ルイスが桑名正博と結婚したときの記者会見で、「お子さんは何人くらいほしいですか?」という問いかけに、「現場処理ってことで」と答えており、私はそれ以来、『現場処理』という語彙を頻繁に使うようになっているのです。そのアン・ルイスも紆余曲折があり、SAD(Social Anxiety Disorder;社会不安症)だとかで、LAに住んでいる模様なのかなぁ(コレが私が最後に聞いたときの驚きだったんだけど、ドラマで『ああ無情』が主題歌になっており、リバイバルにびっくらした・・・)。

電気機器・家電・ゲーム・車・携帯などなどの技術発展と暮らし便利に伴い、人々はマニュアルを手に取り、読んだり、知識を得たり、それに従ったりすることが多くなりました。私はコレがかすかに原因のような気がしてならぬのよ・・・。違う?(笑)

レールを敷かれて、A=Aと宣言されて押し付けられてしまったがゆえに、それに従順な子羊のように馴れさせられている構図わかります?いわゆる、マニュアル化された品物やシステムが、牧草地や牧羊犬なわけです。追われたり、囲われたりして、その中に嵌まることが当然としているがゆえに、「危険」からは身を免れるものの、かなり平凡で退屈で冒険のない暮らしになっては行く。ま、羊にとってはモコモコの毛を作ることが商売ですから、それでいいんでしょうが・・・。ジンギスカン流行があったのは知ってるけど、私はあえて食べないからいいの・・・。大昔、8月に従兄弟の誕生会のときはジンギスカンを食べたんだけど、今振り返るに、最後にジンギスカンを食べたのは記憶にない・・・。台湾でさとみちゃんが食べているのを一口もらった記憶はあり、味見で・・・。

私から見ると異様な風景なのが、通勤電車なんだけども、毎朝、きちんとホームに列を作り、順番に乗って詰め詰めの押し寿司状態になっているのを見ると、ベルトコンベアーに乗って火星とかも平然と行っちゃうのかな、というダウトもあり・・・。ちゃんと行き先は選んでるんだよね・・・。あの秩序は日本ならではのすごさだとは思うのだけれども、私はアレにはもう混ざりたくはないです。高校を卒業して何がうれしかったかというと、アレから逃れられたことですから。アレが原因で、OLを一度もやったことがない、という噂すらあります。しかも笑っちゃえるのは、冬になると異様にみんなして、黒かグレーか茶に統一されることで、アメリカの軍隊学校なのか?と思えるほどにみんなユニフォーム化してるわけなのですね。赤いコートなんかを買って毎日着るのは、やっぱり職場的にも評価が下がるんでしょうね・・・。

不思議だ・・・と、やっている本人たちからたまに聞かされるんですが、この先もどうも辞める気は無いらしい。ちょっといわしの学校ちっくでもあり、第三者的見地の私には、不思議で異様で謎を呼ぶ風景です。

そのメンタリティをそのまま日常生活に持っていくがゆえに、マニュアルに従う・周囲の意見になびく、というような現象が多くなり、場面が増え、『臨機応変』能力がますます減っていくように思えてならぬのですよ。

先日書いた John Grisham The Partnerで、私は計画をするのが好きだというのが充分伝わったと思うのですが、現場処理ができないわけではありません。予測をし、人々の行動や考えを読み、さらにパターンABCくらいを考えておくのは楽しい。が、そうではないことも大いにありえるわけです。そのときはどうするのか?これまでのアクシデント経験を考え、自分の知恵を使って、その場を切り抜けるわけです。

小娘の頃、ツーリングをたまにしたのですが、ツーリングはハプニングの連続が多いわけです。雨が降るっていうのがよくあるアクシデントで、読めるはずなのに、天気予報をアテにしすぎると裏切られるわけです。雨宿り場所を探すのもけっこうたいへん。私は一度、牛と未知との遭遇距離で雨宿りをしたことがありますが、湿度が高いところで牛さんたちと狭い空間にいるのって、鼻には攻撃的なのです。で、ガムを取り出して食べたら寄ってこられてしまい、散々な目に遭いました(爆)。こうして人は学ぶのよね・・・・。

飲んで正体不明近くなり、終電がなくなって青梅にいたこともあります。電車は通ってないし、タクシーに乗るお金もなく、工事現場の人たちに気の毒がられて、バンで休ませてもらったこともあり。あー、悪い人たちじゃなくてよかったよ・・・。熱いお茶と自前のお弁当のおにぎりまでくれたんだよ・・・・。

こうしてマニュアルから外れたアクシデントを私はけっこうたくさん経験してきたがゆえに、臨機応変度は高いと思うわけです。が、まだまだなのは、ガールスカウトやらに参加したことがないので、本当の意味でのサバイバル技術はついておらず、そんなことになったら本当に生き延びていけるのか?という疑いの余地はまだまだあります。お金出してもそんなセミナーに参加するのはいいのかもしれませんが、そこでマニュアルを教えられたらどうしよう・・・という苦悶もあります。

読みが深ければ、さらに細かければ、臨機応変を求められても、答えは頭の中のどこかにあることが多いです。が、従順に「これはこうなんだ」と頑ななほどに信じてしまうと、そうでないことにいきなり対応することができずたいへんです。なので、私は計画や読みも諸刃として大好きなのかもしれません。たとえ、計画や読みの中に入っていないとしても、頭の中の引き出しから、関連したものをすーっと抜いてこられるかどうか?これが臨機応変さではないかと思うわけです。

母はすごいのよ、これが・・・。家の中の修繕や修理をいろいろ自分でやるのですが、お風呂場の排水溝の孔部分に吸い込まれていく髪をどうにかしてラクに取りたいらしい。そのため、100円ショップでいろいろな小道具を買ってきては作るわけです。コレが調子いいの、コレじゃダメだのと・・・。あれ、市販化できるくらいのものができあがり、特許を取って何とかメシの種にできないのかしら・・・・。洗濯物干しもすごいですよ、このベランダ。棒やらひもやら網やらいろいろ駆使してあります。見場はあまりいいとは言えませんが、彼女が使うのだから美観はまぁどうでもいいや、と、家事を一切放棄している私が言えた義理ではないことは、重々承知です。

私が思うに、臨機応変な対応ができる場面がたくさんできあがり、そんなタペストリーのほうが、想い出として振り返って笑えることが多くなるのではないかと。私は小娘時代の自分ばかりではなく、昨日や今日自分がしたことをかなり笑えます。予定は未定なのが人生です。起きるまではわからない。確かに信頼できる物事やルール、あるべき姿に囲まれているのは、心地よく安全でしょうが、それじゃーやっぱりつまらない。そもそも、人間ができあがるための細胞分裂がそうです。チャンスに頼っているわけです。仕組みはどうであれ、どの50%がオスから、どの50%がメスから来るのかわからない。だから結果はユニークでとてもおもしろい。

さて、自分の臨機応変度はどうなっているか、ちょっと確認してみてね♪