07/29/2006にアップした文章です。

 

私の周りには、10代がうんと楽しかったと胸を張って言える人はとても少ないです。限りなくゼロに近いと思います。「振り返ると楽しかったかな」程度の人はたくさんいますが、その楽しさと痛々しさがごっちゃになった気持ちなら、私も同様です。成長するためにつらいことがたくさんあった、というのでしょうか?通らねばならぬ道なので通った、という感じで、100%すべてがつらかった・悲しかった・さみしかったわけではない、という程度です。

それらと比べ、私は今、とても倖せで楽しいですよ。何をやっても楽しい。何を読んでも見ても相当楽しい。

10代には、いつも脂っこい油膜が私の身体や動く範囲を包んでいたような気がしていました。監視され、何をやっても文句を言われ、正しいことは何ひとつできないような気がしており、将来に対しての思慮がうんと欠けていると思い込まれ、「誰にメシを食わしてもらっていると思ってるんだ!?」に罪悪感を覚えつつ感謝し、ひねったねじれた曲がった心は、どうやってもジグザグにしか心の外に出て行かないわけです。素直にいろいろなことを話せない。誰に言うのがイチバンいいのかもわからない。一体今やっていることが将来の何のためになるのかもわからない。押し付けられたことを素直に飲み込むことに対しての反発ばかりが募る。貧乏がつらい。先々まで続くと確信が持てるほどの友情などどこを探しても見つからない。と、まぁ、挙げればキリがありません。10代は本当につらかった。

第二次性徴期を過ぎてから、大人はシリアスになるわけです。私の時代でもそうでしたから、今はもっと早期にやいのやいの攻撃は始まるのでしょう。どんな大人になるのか、とても過干渉してくれ、頼んでもいないのに評価しまくり、ダメだしの嵐です。褒めてくれることはめったになく、褒めてくれても自分が感じていることとは明後日の方向だったりする。私がイヤだと思っていることを褒められても何もうれしくない。

さて、ここで Erik Eriksonの発達段階についての説明がしてあるサイトを貼り付けておきます。

最初の注意書きにも書いてある通り、あるひとつの段階でマスターせねばならないであろう心理的側面を充分培うことにより、人は積み重ねの存在である宿命に従っていきます。充分培うことができねば、生涯が終わるまで、その不足分があるとしたならば、まだまだ模索する態度があるのか、止めてしまうのか、でまた人としての成長は大きく左右されるわけです。事故に遭って脳に損傷ができ、記憶を失ってしまわない限り、人はやはり積み重ねの存在です。自分が身につけたものは、たとえ引越しをしても、つきあう人々をすべて入れ替えても、整形をしても変えることはできません。

この乳幼児期から児童期までにしろ、親がすべてを担ってくれるわけもなく、もともとの生まれ持った気質(temperament)や性格(personality)は環境が個体をどのように扱うかを左右し、影響しあう要因です。たとえば、女の子がどうしても欲しかった親は、男の子が生まれたらどう扱うのか?というささやかな違いもやはり積み重ねれば大きなものになります。さらに、その親に次に女の子が生まれたら、その男の子はどうなるのか?と続いていくものなのです。

そして、かなりのパーセンテージを、親や社会全体、生まれ持って自分がなんともできない先天性に左右されながら、社会性を自分なりに身につけたときに、もっと大きな水槽・井戸・プール・川・海に投げ込まれてしまうわけです。

小学校から中学に上がるとき、公立であれば、いくつかの学区を混ぜるためにまったく同じ顔ぶれになることはありません。公立から私学に行く子であれば、もっとドラマチックに環境は変わることでしょう。第二次性徴期が始まると、男女の差異が顕著になってきて、さらに暮らしづらくなり、勉強も進んできます。制服も着ることになり、部活動などという次元も増えます。習い事をまだ続けていく子もいるでしょう。そんなに若くして、たくさんの小社会を引き受けることになるわけです。すんごい複雑だよ・・・。

そんなことを「すんごく楽しかったよ、10代は」ってやってこられた人たちは、私にとってはスーパーマン&スーパーウーマンです。私はとてもつらかったもんね。つらくて当たり前なんだよ、と言ってくれる人などひとりもいなかった。それもとても悲しかったことです。17歳で精神科に勇気を以って行ったときに初めて教えてもらうのですが、「人生は大人になったらもっとつらくなるよ」と。「ええええ、これ以上つらくなるのかよ・・・」と詐欺に遭ったような気持ちでした。

自我同一性獲得 対 自我同一性拡散 な時期なわけですよ、この10代のほとんどは。小さいので貼り付けてみると; 

私は誰?(Who am I?)という質問に対して、自分は自分である、ということに気づく時期。第2次性徴がきっかけとなる。普通、男の子はポジティブに、女の子はネガティブにとる傾向がある。正確な自己像を発見することによって、自分はこうなりたい、こうである、という自我同一性(アイデンティティ)を獲得する。また、やりたいこと、そのすべてをやることは出来ない、という全能感の否定も起こる。ここで獲得したアイデンティティはその後も随時修正されるため、自我同一性の獲得、そしてその維持は、生涯の課題である。なお、この時期は社会的なさまざまな義務からまだ逃れることができる時期のため、猶予期間(モラトリアム)とも呼ばれる。これに失敗すると、将来に関する展望が開けない等、自我同一性の拡散が起き、問題となる。

↑こんなすごいことをしている時期が楽しいだなんて、当時の私は未熟すぎて言えませんでしたし、感じることすらできませんでした。親になることがある予定の人たち、親である人たち、子どもたちがこんなつらい時期を乗り越えようとしていることを、ぜひぜひわかってあげていただきたいです。

くれぐれも人間は積み重ねの存在です。ここで、このSelf(自己・自我)の基礎をしっかり身につけない限り、たとえば妻になってDVにより殴られ続けても、逃げることはできずずっと殴られ続けていくことになるやもしれません。そのときになって学習しようとしても時間がかかるかもしれず、死んでしまったり、後遺症の残る怪我を受けたりするかもしれません。逆に男性であれば、自己嫌悪に陥りながらも暴力との行ったり来たりを繰り返すことになるかもしれません。自己嫌悪のひどいケースでは自殺になります。

ここで謙虚になれずに現実を見れない人間は、「夢」を口だけで大きく語り、丹念な努力の仕方を獲得せず、簡単に人を利用してでも手に入れるようになるかもしれないわけです。自我同一性の拡散は、人がいずれは死ぬのだということを学び、限りある時間と選択肢の中で、自分に最も適したものを絞り込んでいく時期です。なのに、勉強しろだの、第二路線や第三候補などを勝手に押し付けるのはぜひぜひおやめください。生きづらくなります。この時期、モラトリアムを自分に与えすぎる自我を固定的に持つようになると、ニートになる可能性が増えてくるわけです。次の成長段階に進めない・・・。

10代が本当に楽しかった方はぜひぜひコメントください♪お話を聞かせていただきたいものです。