08/06/2006にアップした文章です。

 

テレビ朝日で放送している金曜日の夜番組なのですが、2回とも見てしまいました。社員さとみちゃんも見ています。水商売の世界についてのベタなドラマなのですが、根本的な考え方としては概ね共感できてしまう・・・。それは私のバックグラウンドが貧乏だからなのね・・・。

私が料理を25歳近くまでまったく皆無にできなかったことには理由があり、1. 母が冷蔵庫のものを私に自由に練習のために使わせてくれなかった。どうせダメにしてしまうからもったいなかったわけです。 2. 「若くてきれいなうちは家の中で働くよりは外で働いたほうが、ずっと時給がいいから外で働いてこい」と母に言われた。 3. 「やる気になったら料理や洗濯や掃除なんていつでもできる」と母が信じていた。というわけでせっせと働きましたぜ。

主人公のキャバクラのホール係としてバイトを始める男性は、昼間のきちんとした就職を探していたのですが、第二話で昼間は断念しました。父親が保証人になったために莫大な借金があり、昼間の仕事だけでは利子さえ返せないほどの金額に上っているようです。さらに父親は病気で倒れてしまい、入院しておりほぼ眠ったままの状態です。ドラマではICUにいるわけではなく、一般病室にいるのですが、病名もわからず、どのくらいの入院が必要なのかも明らかにはされていません。が、入院費は莫大なものらしいことはストーリーの中での台詞のあちこちで推し量れます。

かたや、キャバクラで働く女の子の中で、毛色が変わった子とされているのが、第二話で明らかにされたのですが、昼間はOLをしていて、夜働いているのですが、父親と母親が借金を残したまま交通事故でいっしょに死んでしまった境遇にあるということ。妹が大学に入学したばかりで学費もあり、彼女は昼間の仕事をすべて辞めてまで夜の世界で稼げるとは思っていない、というのが今の段階です。

どちらにも共通するのが、莫大な借金。お金に対して貪欲なのです。うーん、共感できるなぁ・・・。

私が昼間、OLをしないで留学費用を貯めた理由はここにあり、その延長で今もOLをやろうとはカケラも思えないでいるのかもしれません。重複しますが、私は16歳の誕生日の直前からバイトを開始し、いくつものバイトをいつもやってきました。なぜならば、小娘がゆえに責任の重圧を逃れられ、将来のアテにされず、完全なる消耗品として時間と引き換えに報酬をもらえたからです。時間から時間というのは、いくつもを掛け持ちするのに便利で、ボーナスなどがない代わりに自由だった。鳥のように自由なことはかなり重要度・優先度が高いことです。だからゆえに、お金がたくさん儲かる。

だけどねぇ、当時も、たぶん今も、あまり私のこの考えは賛同されないのですよ・・・。いや、昔よりは今のほうがされているかもしれない・・・。フリーターという言葉が定着したのだからきっと大丈夫なのかもしれない・・・。が、私はいわゆる「フリーター」という友だちはおらず、知り合いもいないや・・・。突撃インタビューをしたいところですが、彼らがフリーターでいる理由は何なのだろう?(と思って検索してみたら、やはり『夢』がキーワードみたいだ;今はお金が必要だし生活しなければならないが、夢が他にあるからお金を得る道を固定化しない、みたいなことらしい)私の場合も『夢』だったのだろうか?私の場合は『夢』ではなく、『計画・プラン』だったのだけれども・・・。着実に実行に移し、大学を辞めて2年半で渡米したので、いわゆる「フリーター状態」はそれだけ。高校生と大学生のときには、おそらく他人から見ると「肩書き=学生」「生活の糧=バイト複数」ってな解釈だったのかな。

私はどうしてもその計画のためにお金が必要だったのでとても貪欲でした。ほんと、「黒い太陽」ばりだったわよ・・・。が、私は身体を売る勇気もなかったし、考えもそこまで至らなかった。むしろ、私が女性パイロットになったときに「黒い過去」として暴かれたらどうしよう・・・などと、たいへんトンチンカンなことを考えていました(爆)。水商売は少しやりましたが、同伴も指名もロクに知りません。3ヶ月でクビになったことは以前のエッセイに書きました。バイクで移動してたから化粧が不完全だったんだよ・・・。セットするために美容院に行くお金をけちったんだよ・・・。ごめん・・・。同伴する時間なんてなかったしさ・・・。

朝早い朝食のウェイトレスのバイトは、20年前で時給1350円から1600円。バブリーだったのかもしれない。が、2時間から3時間という保証では朝の5時半や6時に来る人々はあまり居なくて、私は最年少というパターンが多く、しかも着物のところが多かったので着付けが自分でできないとダメだったのです。が、テラテラのナイロンの着物だったので助かりました。が、今、私は絹の着物の着付け、おそらくできませんよ・・・。もう父が死んだときに着た喪服からこっち、着物は着てませんし・・・。で、ちゃちゃっと2分で髪をバイクで編みこみにしていた状態からアップにするわけです。みっともなくては怒られちゃうわけです。バイク乗りは髪を編みこみにしていないとすごい枝毛になるのよ・・・。髪をなびかせてバイクに乗っている女の子はどうしてあんな無茶ができるんだ?と私はいつも脅威の目で見ていました。私は当時、1日2時間くらいはバイクに乗っていたので、髪は痛めつけていました。

2年半で600万ほど貯まったのですが、お餞別ももらい、渡米前にヨーロッパ旅行もプレゼントしていただき、私はその達成感だけでも、自分で自分が信じられないほどでした。が、渡米してからもケチだったのよ・・・。お金への貪欲は続くのです。それは飛行機学校がガソリン代の高騰で学費の計画に誤差が出たため。1ヶ月は丸々生徒としてフルタイムで授業を受けるのですが、その実感として、「半年で専門学校に行くのは無理」と見切り、授業を半分だけにするわけです。午前中8時から12時までクラスを受け、午後は労働をしました。オンキャンパスのバイトはF-1ビザの学生でも認められており、私は英語学校のキャンパスで働くことになります。現金をもらうのではなく、学費免除という形にしてもらいました。なので、私は6月から7ヶ月間、12月末まで学費は払っておらず、生活費だけしかマイナスにならなかったわけです。

が、呆れるのはまだまだお金に貪欲だったこと・・・。タッパーウェアをまとめ買いをし、和食のお弁当を日本人学生相手にキャンパスで売り始めたし、書道と日本語をアメリカ人の家庭まで行って教えてバイト代+夕食をごちそうになっていました。さらに、朝晩学校にバスで通う女の子たちを送り迎えをし、ガソリン代を捻出していたわけです。

が、西さんいわく、その頃の私がとても好きだったとか・・・。

そして、西さんは起業してからこっち、私の「タフさ」には目を丸くしていつもため息をつきながら驚いています。パチンコに勝つことにも相当驚いていますし・・・。パチンコはまだまだ+です。いつマイナスになるんだろうか?今日もちなみに2万5千円だった・・・(先週末がすごかったんだ。3日で20万以上になってしまった)。回りの人には「セミパチプロ」と言われ始めています・・・。

が、私がそれなりに生きてこれている理由というのは、「生活レベルを極端に上げていないこと」と「お金が入ってくるためにバンバン使うこと」というふたつの法則があると思うのです。お金に貪欲に稼ぐのは、たぶん、身体が動かなくなるまでずっとできると思う・・・。9月に戻ってきたら英会話講師のバイト始めてみます。パチプロのほうが儲かるという噂もあるのですが、会社の将来のためです。がんばります。

「黒い太陽」の直後に、金曜日にはテレビ東京で『怨み屋本舗』というドラマもあるのですが、私はアレもかなり大好きです。なんだよ、日本のTVダメだとか言ってたくせに見てるじゃないか←自嘲。