08/07/2006にアップした文章です。

 

私の育った家でも、私が幼い頃は家事の大半は母の仕事でしたが、幼い頃から子どもにも仕事はありました。父の仕事は大工や力仕事だったのですが、父はなぜか洗濯が大好きでした。手もみするのがやたらと好きだったのは、おそらく、彼のObsessive-Compulsive Disorder(強迫観念症)傾向がなせた業でしょう。母がパートに出始めてからは、家事はみんなでシェアするものに変わります。父は焼きうどんやその他も作っていましたし、家事は一切できないわけではなく、「封建制度を敷きたかった名残」のせいで、うれしそうに楽しそうに参加できなかっただけなのではないかと、今想像しているのです。

子どもの頃の仕事は、何度か書いていますが、買い物や布団たたみに洗濯取り込み&たたみ、玄関の掃除や雨戸の開け閉めなど、いろいろ決まっており、それが終わらなければ学校に行かせてもらえなかったり、メシはお預けだったり、お風呂に入れないという罰がありました。特に苦痛ではなく、むしろ歓んでやっていましたが、私は掃除だけは本当に苦手でした。父が細かすぎたせいがあるのかもしれません。今でも掃除は大嫌いです。キリがなさすぎる・・・。が、母が得意なので最低限以外のことは母に任せています。

会社でも月曜日から木曜日の朝は10分ほど簡単に掃除をしてもらっています。小学校のときの掃除当番と同じ精神なのです。自分たちが使う場所は、母に掃除をしてもらうのではなく、自分たちで掃除して当然だということで、仕事前にすることになっています。

さて、主婦というカテゴリーに戸籍を入れてから追い詰められてしまった私ですが、まったく主婦らしいことはしてきた覚えがありません。西さんは家事が苦痛ではないので、土曜日にいっしょに競争方式で掃除をしたり、お皿並べなども含めた夕食の支度の一部をしなければメシにありつけない我が家の家訓があり、「結局自分のこと+αくらいしかしてこなかった」というのが事実です。洗濯はアメリカはラクすぎます。日本の洗濯機の倍ほどの量が、家庭用のものでも入るので、私は週に1回しか洗濯に時間を費やしませんでした。というか・・・、突っ込むだけで費やしてないか・・・(汗)。シーツや枕カバーなどと衣類を分ける程度で、色も特に分ける必要がなく、おしゃれ着なども分ける必要がないワードローブしか持っていなかったので、全自動の洗濯が終わったら乾燥機に移すだけ、という作業しかなかったわけです。乾燥機が終わったらたたむ作業があるのですが、クロゼットが広いため、ハンガーに掛けるものが多く、下着や靴下やTシャツだけをたためばいいだけで、本当にラクで、洗濯モノは家事のカテゴリーには入らなかったかもしれない・・・。ただ、シーツ交換はたいへんでした。カリフォルニアキングサイズのベッドなので、回り込みをしながらのシーツ交換は終わると汗をかいてしまうほどのエクササイズでした。いやね、コレもふたりでやるとラクだし、時間も半分以下だったしな・・・。

一軒家に住んでいるときも、庭は庭師に手入れをしてもらっていたので家事労働はあまりなく、観葉植物なども必要以上に持っていなかったし、カリフォルニアには湿気がないのでそれ用の植物しかなかったせいもあり、特にそれも家事の中に入れるようなことではありませんでした。

ネコのケアは人間の子どものケアに比べれば40分の1くらいの負荷で、特に世話をした気もありません。むしろ、擦り寄ってくる彼らに感謝状か何かを出さねばならぬでしょう。

買い物は私がずぼらなせいで1週間に1回かそれ以上の間隔を空けていたので、そのときはけっこうたいへんですが、きっと日本の専業主婦の方々に怒られることになりそうなので、不満はまったくありません。ネコの砂を買って運ぶのは本当にたいへんでしたが、それは持病の腰痛のせいです。

そうなのですよ。私はみんなが考えるずっと前から「家事をシェアする」にずっと馴染まされてきたので、主婦&母だけが家事をしている状況を見ることそのものが、すでに不可思議なのです。母が内職を卒業してパートに出るようになってからは、料理ができない私も「冷やご飯とウィンナー炒め」だとか「おしんことお茶漬け」という質素な食事ばかりをして、なんとそれでも不自由を感じずに25歳近くまで料理を学ぶことを拒否してきたわけです。母が今でもみんなに自慢するんだよなぁ;おねえちゃん(長女なもんで)は、インスタントラーメンもまともに作れなくて、麺がノビノビになっちゃってたんだよ。ぎゃはははははは。

そのせいなのか、腰はけっこう軽いのです。すぐに立って動くことはできます。掃除がとても嫌いなので、うんときちんと掃除をしなくてもいいように、お風呂場はシャワーを浴びながら掃除しちゃいます。ファイバーグラスなのですが、けっこうせっせとマメに磨いておけば水カビなどもできないので、それでいいのだ。タイルだったらどうしていたんだろう?要らなくなった歯ブラシで磨いていたのか?洗剤をなるべく使わないようにしたいのは、ネコが涼を求めてお風呂場に避難することがあるので、そこにねっころがられて毛に洗剤の残りがついて、毛づくろいをするときに舐めているかと思うとハラハラするわけです。床もそんなわけで洗剤は極力使わず、スチームクリーナーを使うのです(水蒸気だけできれいにする機械があるわけなのよ)。

今、母がボケないようにとバンバン使っていますが、彼女は弟夫婦と孫たちと暮らした時間、ずっとロクに家事をしてこなかったので、勘を取り戻すまでに半年ほどかかったようです。母はもう外で仕事をしていないので、会社の買い物や従業員の食事を作るのが仕事です。なので、仕事をしないやつは食ってはいけない、という掟に従うためにもコレでいいのです。他の家事は極力シェアしています。

西さんの美徳は、「女が家事をやるもの」とはまったく思っていないこと。食事をしていても、食卓の上を片付けてしまうのは西さんです。もっとゆっくり食べたいと思うときがあっても片付け始めるので、ちょっと文句を言いたいときもあるのですが、家事をやってくれるのだからありがたいと思わねば・・・。掃除も同様です。雑巾掛けをちょちょいとするのはまったく苦ではない模様。台湾で一人暮らしをしているときも、洗濯物は日本式で乾燥機がなかったのですが、干したり取り込んだりたたんだりするのも、話しながらちゃちゃっとやっていました。え?私は手伝わなかったのかって?しませんでした(爆)。彼には彼のリズムがあると思ったのと、私にとってはものすごい暑さだったので、バテて体力消耗しまくってたんだよ・・・。

「どうすれば家事をする男になるか?」というのは、世の中の多くの女性の命題なのかと思います。が、残念ながら私にはその模範解答を差し上げることはできません。「必要は発明の母」の論理でいくと私にはまったく必要がなかったからです。よく考えると、父の男兄弟も、母の妹のだんなさまも、みんな家事やるんだよね・・・。なので、たまによそのお宅にお邪魔して、女性だけがクルクル動いているのを見ると、上流家庭のメイドさんがいるのか?と思うほど労働をさせられている気がしてなりません。

私は特にフェミニストではありません。家事をシェアしたほうがいいのは、妻や母が自由になる時間が増えれば、それだけ家族も倖せに他のことをいっしょにやる時間が増えるからと思うからです。家事をシェアしている時間もそのたいへんさを学べば「大半の家事」をしている妻と母に感謝が生まれるし、家事がキリのない24時間モノだということも実感できます。そうすれば、女性がいかに自由を束縛されているのか、本当の意味でわかってくるのではないかと思うわけです。

西さんの出張道具をそろえたことやかばんに詰めたことがない私としては、そのたいへんさは実際のところわかっていないのかもしれません。が、本当に家事は家族みんなでシェアしたほうがいいよ・・・。今日のエッセイはバレバレなようですが、時間が押しているのでポイントよりも私の昔話のほうが多くなってしまいました。失礼いたしました・・・。