いい大人になったので、にきびが汚いだとか、わきがの人を差別するようなことはありませんが、この清潔感・衛生感というのは、生活の中での感覚の大きな部分を占める、あるいは基本形に根ざしていると思えるわけです。なぜならば、サバイバルのキーになる「健康」に密接に関連しているわけで・・・。

なので、生活習慣から来ていることも多々あるとは思うのですが、サバイバル本能の欠落とも言える面を持っているのでは?と疑っているわけなのです。

当然、原始人は清潔感が現代人よりはなく、衛生のためにできることは手段も少なかったはずです。だからゆえに寿命が短かったのもあります。医学の進歩だけが寿命に貢献しているわけではないことは、自明ながらもあまり普段考えないことです。シリアスな大腸菌などに侵されて亡くなる人々がいたというニュースを見てからではないと、日々考えることではないのです。

私は喫煙者で飲酒者なので鼻が悪いほうなのでは?と思い込んでいたのですが、まったくそうではなく、かなり匂いに敏感です。今回も飛行機の中での香水と体臭のせいで、機内食は半分近く残しました。食欲が失せてしまうのは、サバイバルにとってはマイナスですが、実際、カロリー過剰の食生活を危惧しているので、「ま、ちょうどいいか」と笑っていたわけです。驚いてしまったのは、カリフォルニアでは経験したことのない「自分の汗の匂いを不快に感じること」を日本で体験したわけです。コレってやはり12・3年ぶりのことでびっくりしました。ケチなわけでもないのですが、質素に育ってきたので、エアコンはギリギリまでつけない、という母に従い、かなり我慢をしていたのです。さらに西さんが台湾から来て、「亜熱帯の人の我慢限度につきあってらんねーよ」とは言いつつも、かなりつきあっていたので、ただ座っているだけ、仕事でPC作業をしているだけなのに、じわじわと汗をかくわけです。というか、西さんにつきあっていたら、滝のように胸元やうなじに汗が流れていたんですが・・・(笑)。で、自分の汗の匂いを本当に久しぶりにかいだのです。1日2・3回シャワーに入る私でも匂いがするのですから(Thank God! 私の体臭はそれほど強くない・・・)、やはり私が電車や狭いお店で不快を感じるのは不思議でも何でもないや・・・と結論づけたわけです。

PTSDで喘いでいた頃、シャワーにさえ入れないほど生きる意志もなく、身体が動かなかったのですが、その頃でさえ、自分の体臭をかいだことはありませんでした。鼻というのは馴化が本当に短い時間でできる優秀な器官なので、そのせいだと思います。わきがの人は自分がわきがだというのに気づけないのもこのせいです。が、日本の梅雨と夏は手ごわいのだ。そんな私に自分の体臭を気づかせてしまうのだから(笑)。

同時に私は口臭にもかなり敏感で、自分が喫煙するのを棚に上げているようなところがあり、そのせいもあり歯磨きをするのだと思います。社員のさとみちゃんも1日3回歯磨き女で、私たちは歯磨き粉の感想などをけっこう詳細にするイヤなやつらです(笑)。西さんも歯磨き男なのはいいのですが、どうしてもチェックしたいらしく、バスルームの鏡にかぶりつきながら歯磨きをするので鏡に飛ぶんだよ、あの白い粒々が・・・。しかも、男の人のわりににバスルーム占有時間が長い・・・。私はトイレに入りながら、シャワーを浴びながら、用事をこなしながら歯ブラシをするし、特にチェックを必要としていないのでバスルーム占有時間はとても短いのです。母も口臭が気になるらしく、歯磨き女と化しました。そんなわけで、私の周囲は「衛生的攻撃者」はとても少ないので感謝しています。

洗濯物も同様で、私は日本に戻っているあいだ、パジャマ代わりにしている部屋着を1日に1回洗う羽目になっていました。ここでは夏は2日に1回、冬は3日に1回だったし、それがニーズに根ざしているものではなく習慣だったのだ、と感謝する羽目になったのです。

掃除や冷蔵庫の整理整頓なども同様です。日本のほうがずっと食べ物が傷むし、カビやその他すごいよ・・・。カリフォルニアはそのせいでものすごい天国なのだ、と改めて思うことになります。せっかく煮だした麦茶も冷蔵庫に入れる前にちゃんと冷まさなければなりません。ベランダに出さずに室内に置いておいて、傷んでしまったことがあり、その時間の短さに驚かされました。ほんの半日ほどの話なのに・・・。私がここで同じことをすることはないのですが(水だしを使っているし、習慣的に麦茶ピッチャーは注いだ直後にまた冷蔵庫に入れる)、そんな事態には至るには時間がもっとかかります。

今回、ハウス&キャットシッターのあさみちゃんに、帰国前に葱をたくさん刻んでタッパーに入れておいたのですが、7週間後、傷んではいましたが、茶色くなっているだけで溶けたり悪臭を放ったりしてはいませんでした。この事実を知っただけでも感謝もんなので、あさみちゃんの衛生感の欠落については言及しないことにしました(笑)。言及しないものの、エッセイのお題にされてしまったわけなので、かなり確信犯な私ではあるのですが・・・(汗)。

そしてさらに思うのです。私が西さんといっしょに暮らせてきたのは、彼の清潔感・衛生感が私と似た幅の範囲に入っていたからではないかと。そして、今までつきあってきた男女のことを思うのです。やはり、私はケバケバな化粧そのものや粋な服飾や持ち物を否定していたわけではなく、やはり清潔感・衛生感に抵抗があったのではないかと。たとえばねぇ、ヘルメットや野球帽を験担ぎのために洗わないなどのことは、かなり微笑ましいし、共感できるので、コレは内容としていいのです。ただ、私がそれを被れと言われたら丁重にお断りしますが(笑)。食べている最中に食べこぼしをするのもいいのです。食べたあとにどーんときれいにすればいいのですから。くちゃくちゃ噛んだまま喋ったりするより攻撃的ではないです。

ひとつ言えるのは、「お風呂は特に好きでも嫌いでもない」から「お風呂は嫌い」の範疇の人たちが苦手だったのは確かです。鼻のせいだけではなく、やはりその人たちは清潔感や衛生感が私の許容範囲から外れていたと、今なら言えるのです。「日本人なんだからお風呂は好きでいてよ」という文化的な話ではなく、コレはやはり清潔感・衛生感が為せるものだったわけです。そして、やはり清潔感や衛生感覚がそれなりにないと、サバイバル能力にも影響するのでは?と思ってしまうわけなのです。見えないはずのばい菌や細菌を、私はマンガちっくに想像してしまうのですもん・・・(笑)。

朝化粧を施して、夜中に飲んで帰ったあとに洗顔しないで眠れてしまう、というのはやはり私の衛生感からいくと、ちょっと生理的本能が欠落しているように思えます。健康を意識しなくても若いから大丈夫、というものではなく、泥酔時は例外としても、やっぱり化粧は落とそうよ・・・。それが募った私は、必要以外はまったく化粧もしなくなっており、ただの怠惰なのですが(笑)。ごはん前に手を洗ったり、冬にうがいをするのも、やはり私の清潔感や衛生感が為せる業だったわけです。親に強制されたわけではないのは、母は意識的にそれらはしません。父はよくやっていましたが、見て覚えたのでしょう。母は料理前に手を念入りに洗っています。

悲しいことに子どもの頃からの習慣で、靴下を履いてスニーカーを履くのではなく、素足でサンダルやつっかけを履いて出かけると、部屋に上がるときにシャワーで足を洗うのも変わっていない習慣でした(爆)。私の行動ってやっぱり単純で読みやすいのかもしれない・・・と思えたわけです。至って本能に根ざして生きているわけなのね・・・・と。