08/17/2006 にアップした文章です。

 

私はこのテキサスの事件は知りませんでした。1994年ですから、私はアメリカに再び帰ってきてアジャストしていたのかもしれません。父の闘病と死と一周忌後しばらくのあいだの世間のことは、あまり理路整然と私の記憶の中に入っていません。その死刑執行が8月17日に行われることになっています。いくつか書き溜めたエッセイがあるのですが、横入りさせることにしました。

http://www.courttv.com/facing_death/richard_hinojosa/interview_ctv.html 原文;Court TVより

説明すると、

1994年5月10日、テキサスはSan Antonio(サンアントニオ;アラモの砦があるところ)で29歳のTerryが行方不明になったという知らせを両親から警察は受けました。部屋の中は荒らされ、モノが盗られ、本人が消えていました。同日の夕方、フリーウェイから漏れたオイルを辿っていくと、そこには草むらに隠された死体があり、胸と背中を11箇所の刺された痕跡が認められました。未だに凶器は発見もされていません。検死の結果、性的暴行を受けており、精子はつきあっている恋人のもの以外にも検出されました。その恋人とは電話で9日の夜11時に話したことが確認されました。隣家に住んでいたRichard Hinojosa (リチャード・ヒノホサ)がすぐに容疑者として浮かび上がりましたが、アリバイが成立し、Terryとの不倫は認めたものの、何事もなく時間が経過しました。

が、その12月、DV容疑で検挙され、そこで採取されたDNAがTerryの体内から検出されたものと合致しました。1995年8月、RichardはFirst Degree Murder(計画性と殺意のあった殺人;死刑対象)で有罪になり、のちに死刑を宣告されました。

12年のあいだ、すべてのアピール(控訴)を使い果たしてきましたが、Richard側の訴えは認められることがなく、死刑は執行されようとしています。問題点は以下の通り;

1.       DNAテストの結果が合致しない時期があったことを弁護側に隠していた>第三者の精子が混ざっていたのか、テスト方法に不備があった疑い。

2.       現場にあった靴のプリント証拠; サイズ7であったが、Richardはサイズ10

3.       その靴のプリントの現物に近いものをRichardが所持していた、元妻の証言は弱かったにも拘わらず、証拠として採用されている

4.       Richardのアリバイ成立を決定的に破る推論がなく、仮定アリバイの証人もいない

それでも死刑は執行されようとしています。すべての控訴で聞き入れられなかったのはなぜなのか?少なくともたくさんの裁判を取り扱ってきたCourt TVでもなぜなのかを言える評論家はおらず、ここにはエキスパートの意見は書いてありません。TVを見ていれば追いかけられたのかもしれません。が、明日と明後日、見ても、Richardが助かる道はただひとつ。Governor(TX知事;Bushもこの職にあり年間で100前後の死刑執行を行っていた)からの恩赦か、執行中止の命令が下る電話1本に賭けられています。そのために弁護士は寝ないで奔走しているのですが、TXのサーキットコートは厳しい。ひっくり返ることは天文学的数字になっています。

日本語で報道されている記事が見つからず、ということは、ここまで詳細に取り上げている記事などあるわけがないと思うのです。が、アメリカの死刑執行は、少なくともこうして自国では報道される。執行予定も公開され、死ねと定められた人間は、自分の最後のSay(言い分・言いたいこと)が公的に発表できるわけです。

まず、ここが日本と違う点です。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4167679876/250-5250580-5149820?v=glance&n=465392 刑務官という立場にいた人が著した日本の現状です。私は成田で目に留まったので買って読みました。映画化されたそうなのですが、私は未見です。ここで言い訳されているのは、スケジュール執行や公開がないのは、「心安らかに死んでもらうため」と書いていますが、実際のところは「システムをスムーズに運ぶため」なのではないのでしょうか?この本は、死刑囚の日常生活やその現状を暴いている部分よりも、日本の法務関係のシステムをかばいつつも、何とかせねばならぬ、ということを訴えている色が濃厚です。立場に立って書いてしまうのは当然のタクティクスですが・・・。

Richardは一歩進んでこう意見しています。もしも死刑が『抑止力』になると言い張るのであれば、抑止するために、ぜひ執行をTV公開すればよい、と。学校に行っている子どもたちが犯罪者にならぬよう、TVでしっかり脳裡に焼きつくように見せたらいいのだ、と。逆説です。Green Peaceやさまざまな大学での調査では、死刑は殺人の抑止力にはまったくなっていません。むしろ、死刑制度がある国のほうが殺人事件は多い結果が得られています。アメリカでも、死刑制度がある州にわざわざ引っ越して殺人をしようという計画的な犯罪者はごく稀です。

さらに、Richardは自分の生い立ちやCherokee Indian(チェロキー)の血について、その知恵について延々と語っています。が、最後まで自分はこの罪を犯していないと通しており、それでも心安らかに死んでいきたいと思うという希望を述べています。彼は、中学1年で学校をやめてしまっています。Dyslexia(学習障害; 文字がきちんと配列して見えない;宮部みゆきの『模倣犯』で犯人にされた青年もこの障害を持っていた)だったことから、刑務所に入ってから読むことができるようになるわけです。それまで彼をなぜ、20年近くも放置していたのか?どうして誰ひとりとしてケアしなかったのか?私にはここにも問題解決の糸口が隠されている気がしてなりません。

そして長年の死刑囚房で残してきた作品がコレです。自分の血、Identityについて深く考えるところがあったこと、それを表現したかったことが伺えます。クリスチャン環境からのプッシュも見えるおもしろいギャラリー群になっています。「死刑囚はみんなコレやるんだよね」と知ったかぶりはしないでください。知らないのでしょうから。彼がコレらを売っていたのかどうかはわかりません。探してみたのですが見つかりませんでした。http://www.courttv.com/facing_death/richard_hinojosa/photo_gallery/index.html?curPhoto=1

100%の確実性はこの世にめったに存在しないものの、人の命をこれほど「考える余地; Reasonable Doubt」がある事件で死刑判決を出して、しかも執行してしまっていいのでしょうか?足の小さい人間が大きな靴を履くことはできるものの、29cmのサイズの人間が25cmの靴を履いて足跡を残すよう、きれいに歩けるわけはないのです。DNAにしても同様です。不正義が行われていたかもしれず、意図的ではないにしろ、何か濁因になる作業が行われてしまったかもしれません。

が、Richardはまだ救われます。公的に自分のSayを言おうとする気持ちがまだあります。ほとんどの死刑囚にはその意志がなかったり、公選弁護士がそれほどの情熱がなく、段取りを避けるのです。ここでもお金のパワーが働いています。

さて、日本の死刑囚たちはどうなのか、と考えてみたことがあるでしょうか?そして、自分は決して人を殺す、あるいは殺したと疑われることはこの先も100%ないと言い切れるでしょうか?

 

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