08/25/2006 にアップした文章です。

 

やりこめる:相手の弱点をついたり、言い負かしたりして相手を黙らせる。

そもそもの意図がこの「やりこめる」ではないことが、私の場合は88%ほどです。なぜ12%はやりこめたいのか?たまにいるじゃんね、知ったかぶってるやつらが飲み屋や仕事で講釈を垂れることが・・・。私はSuzy Homemakerみたいに勝手に推測されたまま黙ってはいないので、間違った講釈垂れには意見しますので、そういうときには「黙ってもらいたい」という願いがこもっています。特に、母の好きなお店がその部類のお客さんが多い。ま、スナックやバーみたいなところはそういうお客さんが多いのかもしれない。だけどねぇ、小さなカウンター席王国で、暴君のようにひどいことばかり言っている人を見ると、酒が一気にまずくなる。さらに、母が萎縮するようでは、彼女がかわいそう。さらに、Debate目的で政治やその他の話をしているときは、相手の論点の論理性が通らないところを突いたり、矛盾を指摘しますから、黙らせることになるのです。鮨やでやるなよ、とよく思われるのですが、マスターが政治話が好きだったりします。なので大丈夫。そういうわけで、私の場合12%ほどは「黙らせるため」に話すことはあります。

どこに行っても難しい話をしているような印象は与えていないですよね?←確認しても返事が返ってこないか(笑)。が、すっとこどっこい、質問攻めにしたり(ほら、日本のカルチャーリサーチです。それに心理学者の卵だから知りたいことは山ほどあるのよ、常に)、黙って原価計算やらMonkishに数を数えていたり、まったく明後日のことを考え込んでいるので、話に夢中になりきれていなかったり、ただただ目の前にある酒やメシのことを考えていたり、といろいろです。

私はどこに行っても知らない人に声を掛けられるし、子どもに見つめられるので、話が途中になってしまうことはよくあり。なので、真剣な話(いや、いつも真剣なんですけどね)で、長引くものは外ではせずに、できるだけ個室や誰かの家でやることにしています。

コレを読んで西さんは苦笑するのだろうと思います。なんたって私がこれまで一番多く「結果的には・・・やりこめちゃったよ」の相手は西さんだからです。まったくそういう意図がないものの、結果がそうなってしまった場合、なかなか言い訳が通らず苦労してしまうところです。「きくみはいつも正しい」;こう言われるのはあまり気分のいいものではありません。なんたって、私はまったく優等生ではありませんから。まるで、自分の不備や欠点や失敗までも正当化する、口先だけの魔術師のようではないですか・・・・・・。

小さい頃は「ああ言えばこう言う子」と親戚中で言われており、「まぁ、よく見れば賢いってことなのかもしれないけど、小ずるくなって欲しくないよね」などと、面と向かって言われてきました。大人っていうのは、こういうボキャブラリーをどんどん植えつけているのをわかってないんだなぁ(笑)。しかも、臨場感があり、自分のこととして取り入れていき、どんどん学んでしまっているわけなのよ・・・。母は手を替え品を替え、「深呼吸してから次のことを言ってごらん」「一歩立ち止まってから言葉を発するんだよ」などといろいろなことを言ってきたのですが、従順だった私はちゃんとそれらを実行していたのです。が、たぶん頭パチパチは子どもの頃からで、「他人のプロセススピードと自分のプロセススピードの違い」をまったく認知できていなかったため、「あー、いくら言ってもわかってないよ、この子」と始末されていたわけです。

うん、私はもともとひねくれていたわけじゃないんだよ?(爆)

あとは、勝負ゴトについても、父親に「負けるとわかってるケンカなら自分から吹っかけるな」だとか、「自分の精一杯を尽くして臨め」などと言われていたので、どうしても始めてしまったからには勝つような構図に持って行ってしまっていたわけです。それにねぇ、「売られたケンカは買え」とも言われていた・・・。「逃げてはいけない」と。なので、子どもレベルのちょっとしたことでも、必ず勝って、頭を上げたまままっすぐを見つめて家に帰って、足を玄関先で洗って、ごはんを食べるかお風呂に入ることが日々の目標だったわけです。かけっこやドッヂボールやゴム段やバレーボールだけじゃなく、そのルールやジャッジについても、付随して起きる子どもレベルの諍いについても、負けてはいけないと思っていたところがあります。

実際、そんなものは、「喩えとしての勝負ゴト」でしかなく、勝負なんかじゃないんだけどね・・・。でもそれがわかるようになるまでには10年ほどの歳月を費やします。

長年こんな試行錯誤を繰り返してきて、他人をやりこめてしまうのは、後味がものすごく悪い。それがわかっているからやりたくはないことなのです。が、「真実や事実」に忠実でありたい気持ちが人一倍強い。私は嘘をつかないことに決めているので、他人に頼まれた秘密は守るとしても、自分のことで嘘をつかないのです。ましてや、ここまででわかっている人類の英知である科学の法則性を曲げるわけにはいきませんし、起きた出来事を観察する側の非・弱点に大甘な目をつぶるわけにも行かないことが、状況によって出てきます。一方を立てるともう片方が立たないこともある。ジレンマです。

たとえば、卑近な例ですが、世の中でしょっちゅうまことしやかに言われていることで、「男の人に料理をしてもらいたいときは、褒め殺すといい」という操作的な処世術ちっくな作戦。私はコレが嫌いです。思っていること以上のことを大げさに言うのは、真実や事実からかけ離れてしまい、余分なうぬぼれや誤解を生みます。しかも、動機が果てしなく他人を操作するため、というのは、私としては不正義なのである。愛情や感謝の気持ちでありのままで褒めればいいわけであり、なぜに褒めまくらねばならぬのか、がわからず・・・。私は他人を褒めることが日常の習慣になっているので、言い忘れて美徳を放置することはありません。忘れると=気がない、ということで、思っていないことを口にするのはたいへん無責任です。作為的で思っていないことを言いまくるのは不誠実です。

その上で考えるに、私が他人をやりこめることが多くなってしまうのは自然な成り行き、法則性があるのかもしれないです。後味が悪いことにつらがっているのは自分のせいではありますが、少なくとも西さんや母はわかってくれていることでしょう。まったくそんなつもりはなかったので「やりこめちゃったよ・・・」なのですが、理解してくれていない人たちにとっては、「やりこめることが目的」「優位に立ちたい愚かモノ」と見られてしまうのは同様に自然な成り行きで、彼らを責めたてるわけにも行きません。

が、私もたまに同胞(はらから)を見つけることがあります。そんなとき、どんなふうに声をかけたらいいのかわからないままで、この気持ちをあまりシェアできないでいます。たぶん、私と同じ理由で「やりこめちゃったよ・・・」なわけでもなく、実際に性格的なところから来ている場合もあることでしょう。正義の塊なのかもしれないです。ちなみに私は正義感が強いように誤解されますが、いわゆる万民の正義と必ずしも同調したものを持っているわけではないので、強いと言われてもとまどいます。亀田選手の世界戦などでも、ヤクザと関わりがある疑惑に対して、特に不快ではないですし・・・。「仁義なき戦いシリーズ」を見てもヤクザを全否定する人たちって多いんだなぁ、とむしろ不思議な気持ちではいます。

結果的にやりこめてしまったあとに思うのは、私や私の意見が正しいことはかなりどうでもいいということ。それによって失われるものも大きく、円滑な人間関係を持てなくなる相手までをもやりこめちゃったことはあります。なので、いつもジレンマを感じながら、どこまで真実や事実を追求することがいいのか、とバランスを取っている日々です。鋭いあなたが感じているのは正解です;そうなのよ、近日中にある人をやりこめてしまうだろう状況を控えています。相当気が重いので、お題にしてしまいました・・・(笑)。