08/28/2006 にアップした文章です。

 

昔むかし、ものすごく当たった連載マンガで『愛と誠』がありました。その後、実写で映画にもなり、ドラマにもなり、劇中の主人公の名前そのままをもらった女優が出たりして、かなりのブームだったんだな。(早乙女愛;http://news.goo.ne.jp/topics/geino/talent/MW-W93-1268.html しかし、今何やってんだろうな。ひっかかって来ない・・・。

検索してみると、こんなサイトがありました。ストーリーについての分析をしているふうです。他のマンガも題材として取り扱っているので、興味のある方は飛んで時間があるときにじっくり読んでみてください。http://www.asahi-net.or.jp/~AN4S-OKD/private/bun/man042.htm 

さて、

私は子どもの頃、流行をどう捉えていたのか?かなり冷めた子どもではあったのだと思います。マンガを積極的に読まなかったり、TVも父親にチャンネル権があり、自由気ままに選べなかったりしたことが大きな要因かもしれません。さらに、貧乏だったので、流行おもちゃなどは持っておらず(唯一持っていたのが、カラー竹馬。ママレンジやらツイスター、ローラースケート、楽器やボードゲームなどなど何も持っていなかった)、そのおかげで文具や洋服や髪飾り等も同様。情報としての『流行』は知っていたものの、自分が積極的に参加した記憶はないです。

引き合いに出した『愛と誠』にしても、実際のところストーリーの概略だけしか知らず、今読み返してみると、新しい発見が相当あるので、きっと「まったくわかっていない部類」だったのだろうと、今ならばわかります。昨日書いた通り、年代による文化のシェアというのがあり、西さんと私はそれほど共通点がないのだと書きましたが、実際、同年代で同じ場所で育った子どもたちとも、私はいくばくの共通点があったのか?と、厳密に考えると不可思議な気がします。

当然、ガンダムも知らねば、宇宙戦艦ヤマトもロクに知らず・・・。存在だけは知っている程度で、やはりどれを取っても「まったくわかっていない部類」に入るのかと思われます。が、西さんと違うのは、私はちょろっと目にしただけで、興味がたとえないとしても「だいたいの想像や予測がつけられる」というギフトがあるわけです>この言い方っていうのは、Monkで、彼の才能についての自分の言葉が “It’s a gift and a curse” (恵まれた才能だが、呪縛でもある)なもんだから、さっそく使ってみました(笑)。なので、西さんほど朴念仁だと思われずに済んできただけで、実際のところは、朴念仁にちょっとだけ雑学が加えられるほどのシロモノなんでしょう。

目下、家具やいろいろを売っているところで、最終的に大きなものが車なのですが、それらを見つめると思うわけです。私の所有品というのは実にそっけない、と(爆)。西さんもいっしょに選んだものは特に、実用的でそっけない(爆)。おそらく簡単に言ってしまえば、「シンプルで男性的、無機質」。そして、この週末はいろいろな人に家具を見せているのですが、「重い」「でかい」と買い手を逃しています(笑)。やはり持ち家を13年?続けてきた私たちと、アパート暮らしを続けている人々では持ち物の質は違うのでしょう。難しいなぁ。それに、西さんと私が選んだものは、「流行に左右されていないもの」ばかりなので、購入当時は高く思えたものの、中古になっても値段が劇的に下がらないわけです。それも理由で、あるいはそれが第一の理由で人々は私の家具を買わないのかもしれません(爆)。

たとえば私の本棚は、Solid Oakのとてつもなく重いものです。買った当時で、1200ドル(14万くらい)。中古でも半額しか下がらないので、600ドルと言いたいところですが、それでは買い手がつかない。350ドルと言ってもみな躊躇しますね。一生モノの家具の部類なのですが・・・。もうキープしておくしかないかなぁ(笑)。最初に買った家具は、ほぼすべてSolid Oak(つなぎ目のない樫)で統一したので、家具代も相当かかったのです。子どもがいなくてよかった(爆)。

そんなわけで、健康食品ブームなどを見ても、あまり心が動かされないのです。いいものはどんどん取り入れたほうがいいのはわかっているのですが、高価な化粧品や健康食品をイチイチ試しても、どうせ長続きしないし、一生モノに出会える確率はものすごく少ないはず。母がいろいろメモしているのを見たり、やっぱりまたもや続かないのを見ていると、もう手を出す気などもどんどん失せていきます。せいぜい、既存の食品や化粧品の改良版や、食べ方や使い方の工夫などは興味を持って見るようにしていますが、新しい流行には左右されたくない、という、むしろ頑ななまでの自分の中の決まりがあるみたいですな・・・。

栄者必衰: 〔仏〕 世の中は無常であり、勢いの盛んな者もついには必ず衰えほろびるということ。

平家物語からずっと言われ続けていることですが、どうも流行を追いかける人々はこの真理はあまり気にしないらしい。いつか、『変化』について詳細に説明を書きましたが、やはり「無常に甘んじる態度」は私にはとても持てないのです。かと言って、悲観的なわけではなく、むしろ「(自分にとっていい方向に)変化し続けていく世」というのを心の中に描いているくらいです。が、それも計算や分析なしの楽観ではなく、「こうすればこうなるだろう。こうあってほしいと願いつつやろう。感謝しよう」という態度なので、流行には即座に飛びつけないでいるわけです。

会社を始めるに当たって、「販売品目」にたいへん手間取りました。実際、私のセンスがこうであるから、「流行に鈍感」「日本の短い流行スパンについていけない」「流行モノを取り扱うことがいいとは思えない」というのがあったのだと思います。本当に生活の中で便利なもの、心が潤うもの、時間が省けるもの、健康促進に役立つもの、などなど、納得が行かないと選べないことがあり、ちっとも作業が進まず、さとみちゃんやすまいるに任せてしまって、私は開き直っていたことも大いにあります。きれいなもの・かわいいものを全否定するわけではないのですが、もしもある製品やキャラクターに自分がものすごい想い入れを抱いたあと、流行が廃れたあと、自分がどうなってしまうのか、恐ろしいのかもしれません・・・。

昨日のMonkがそうだったのです。8・9年も通っていたセラピストのオフィスでクリーニングをしてくれる女性が殺され、Dr. Krogerは廃業を決意します。そのときのMonkの反応は「うがぁ、私もやるだろな、コレ」というものだったわけです。流行と違って、自分の内面を面倒みてくれる依存相手ですから、さらにダメージはひどいものの、流行品の中にも信奉者がいるではないですか・・・。もう24/7(英語の言い回しで、24時間週7日という意味;四六時中、ずっと、絶え間なく)、心はそれに支配されているような生活ぶりをしている人々。ネットもその一種でしょう。ある時期それについて、日本人は「マイブーム」という表現をしてきましたが、マイルドからシビアな段階があったとしても、心をすっぽり預けてしまう依存対象だったのではないかと推測してしまうわけです。

流行で、いつか衰えゆくものに心を預けることなんぞできません。私ののめりこみ度はでっかい。読書にしても、だからこそ、速く読み終わってしまい、それについて考え込んだりこうしてエッセイを書いてしまったりするわけです(笑)。私はまたゼロから新しいものになじんで暮らしていく気力がないのかもしれません。その分のエナジーを今持っているものの上に積み上げたほうが、ずっと建設的だと思っている保守派なのかもしれない・・・。思想的に、生活ぶり的に、人と違うところで、革新派っぽく思われている私のほうが、ずっとずっと保守的なのかもしれぬ、と思うのでした。

だってねぇ、特にファンでも何でもなかった中森明菜が近藤真彦に捨てられたことだってまだ忘れてないし、彼女の歌の歌詞だって全部憶えてる(爆)。カケラでさえそうなのに、のめりこんだものが衰え消えて行ってしまったら、私はどうにもやるせなくて生きていけないくらいしょげてしまいそうです(爆)。