08/30/2006 00:00:00

 

昨日、言葉も「話し言葉」だけではなく、「書き言葉」があり、それについても、雅語や難しい語彙をよく使うのは、ある意味、読み手によっては暴力的になることを書き忘れました。それも大いなる反省の場です。英語をよく使ってしまう私としては、細心の注意を払い訳をつけることにしているのです。ニュアンスがわかる方にはわかっていただきたいと願っているので、英語を使っているところは英語で考えたんだなぁ、と思っていただければ幸いです。

さて、言葉の暴力を受ける側の切なさは、西さんと母をインタビューするか、エッセイをお願いすればいいことなのです(爆)。私というひとりの個人が彼らに向けた言葉の暴力は、貯金して利子までつけたらたいへんなことになります。しかも、利子が複利で、それをくっつけたら・・・と考えると、私は褒めたり感謝を伝えたりすることでマイナスをちゃんとイーブンにできているのか?と不安になります。

が、実際のところは、西さんも母も私に言葉の暴力を使うことがあるので、相殺までは行かぬものの、おそらくイーブンに近いところにある、と信じたいところです・・・。あちゃー、言い訳してるなぁ・・・(汗)。

言葉の暴力の最たるものは、私個人の性格が大きく反映しており、怒鳴られたり泣きつかれたりすることではありません。私個人を憶測のうちに決め付ける類のものです。そこには論理性も証拠もなく、ただのイメージや感情で、私という個人の過去も現在も未来も考えず、ただただ印象で決め付けるもの。

これについてはっきりわかったのは、私が椎間板を2枚失ってからです。脂汗をかいて歩いているというのに、ウォーカーや杖を持っていない限りは、痛みを持った障害者だとはみなされないこと。手術前はそんな調子が7ヶ月も続き、調子のいいときと悪いときに分かれていましたが、述後は2ヶ月ほぼまったく歩けませんでした。トイレに行くのもつらかったので、水を飲むことを控えていたほどです。が、それがのちのち術後の経過を悪くしていることに気づき、いやでも歩くようになったのですが。

私の障害は生まれつき、先天的にDNAに組み込まれているものがひとつあり、それも見たところまったくわかりません。それについても、小さい頃から慮りのない言葉を数多く投げかけられてきました。西さんですら、同居し始めた当初はよく言ったものなのです。今でも、言い合いになると1年に1度くらい爆発的に遠慮のない、私が最も傷つく言葉を言いますが、それは飲酒中なのでどうしたものか、と思っています。それに、1年に1度程度のことであれば、事故ですしね。5%にも満たないわけですから。

西さんに詐欺師呼ばわりされても致し方ないほど太ってしまった現在では、見る影もありませんが、26歳くらいまでの私は、きりっとしたアーモンド目が釣りあがっていました。それを見て「性格のきつい子だ」と決め付けられたことは何度もあります。何かにつけて、冒頭に「きつい性格だから・・・・なんたらかんたら」と言われ続けることは、幼い私にはとてもつらいことでした。「そのように扱われる基準」がそもそも正しくはないからです。本当に性格が強く強情にきつく、反抗的に生まれてきたのかは、今となっては定かではありません。順応するためにそうなってしまったのかもしれないし、そういうところがいくばくかあったものを見事に120%ほど花開かせたのかもしれないわけです。自分の激しさをTame(馴らす)ことができるようになったのは、30過ぎてからですから、ずいぶんと回り道をしたことになります。

それはひょっとすると私が生まれ持ったDNAの為せる業が抗いがたいほど強く、回りが私をどう扱っても同じだったかもしれません。が、私が健やかに、苦労を少しでも少なくして生きていけるようにするためには、やはり私の「激しさ」を24/7で思い起こさせて繰り返してくれなくてもよかったのに・・・と、過ぎたことを思ったりもするわけです。ですので、私は他人について、証拠がない限りは決め付けることはありません。自分が本当にイヤな想いをたくさんしてきたからです。本人の言を最も重要視し、クリアでないところは質問し、理解できているかどうか確認する作業は、会話の中では面倒なことも多いわけです。が、怠らないようにしています。

そして15歳でモデルにならないか?と街中でスカウトされたときにも、私は小遣い稼ぎ以上にそれを活用しようとは、決して思えなくなるわけです。せっせとウィークデーに美容院の撮影現場に行き、まとまった6万から10万ほどのお金をもらって、日々ウェイトレスをして稼いでいました。芸能人にすごさを感じなかったし(いわゆるカリスマですか・・・)、人に自分を切り売りするような仕事がいいとはまったく思えなかったのは、「平凡に暮らしていても、こうして他人から誤解ばかりを受けて悲しくて肩身の狭い想いをするのに、もっと露出してどうなる?」というのがありました。小学校高学年あたりから、ラブレターが来るようになり、デートの誘いがあったりして、さらにその想いは膨らんでいったのだと思います。ひとりが基本的には好き、というのは、子どもの頃からずっと変わらず、今もそれは変わっていません。理解されない誰かといっしょに居るよりは、ひとりでいたほうがずっとずっと充実した時間が送れる、と、それは確信に近いほど信じていますから。

言葉の暴力は、ネガティブなことだけに限らず、「頭がいいからいいわよね」などという褒め言葉の場合もあります。私は幼い頃から、自分を頭が悪い・バカと思ってきた傾向が強く、10代の頃から、好きな男の人のタイプは「頭のいい人」でした。それが第一条件だった。優しいだの強いだの、というありふれた形容詞など、私には必要なく、とにかくバカな私にいろいろ教えてくれることの多い頭のいい人がいいと思ってきたわけです。が、当然、大人になり、自分が頭がよくなればいいのだ、というオプションに気づき、それを邁進しているのですが、選んだ西さんは天才とはいかないまでも、とても頭のいい人でよかったです。

20歳のとき、バイト先で猛烈に求愛してくれた大学生がいて、私は彼の上司という立場でした。契約社員でウェイター・ウェイトレスを採用し、研修し、いっしょに働きながらさらに研修という仕事をしていたのです。彼は職場全体にその想いをアナウンスし、毎日のように道端で咲いている花をプレゼントしてくれ、わずか20mほどの裏口から私の車まで送ってくれ、従業員休憩室では椅子を引いてくれていたわけです。彼のまっすぐすぎる想いにはとてもびっくりしたのですが、彼にも最終的には振られることになります。形としては私が振ったのですが、真実としては、精神的には私が振られたわけです。「大平さんは、どんな世界に行こうとも、誰とつきあっていこうとも、ひとりで立派にやっていける。でも○×は俺じゃないとダメなんだよ。俺が守ってやらないと」と、彼に激しく求愛していた女の子の愛に応えることにしてしまい、私を追いかけるのをやめてしまったわけです(爆)。Hard to get(なかなか捕まらない)ごっこをやるのは、裏目に出ることもあるのでご注意あれ(爆)。

今となってはどうなることでもありませんが、実際のところ、私はひとりで立派にやっていけるような人間ではなく、今も母や西さんやネコたちや友人たちに支えられて生きており、その誰かが欠けてもゾンビのようになってしまうことは明らかです。褒めるつもりで投げかけた言葉でも、暴力だなぁ、と思うことは多々ありました。

ブスやデブやバカなどの罵倒には、私の琴線が触れることはほぼないのです。英語で誰かにJap! Yellow monkey! などと言われても動じたことはありません(爆)。幼い頃に、父と母にさんざんネガティブな含蓄のある言葉を投げかけられて育ったせいなのか、たくましいですね。「子どもを産んだことのない女は一人前じゃない」「掃除嫌いの人間はだらしない」などなど、いろいろ言われても、それほどそれらの言葉に暴力があるとは感じないでいます。言いたい人には言わせておけばいいや、と受け止められるゆとりあり。

最近、誰かの言葉の暴力で傷ついたか?傷ついても傷ついていないように振舞うクセがついていますので、やはり大学生の男の子が当時言った通り、「ひとりで立派に生きていける人」とみなされてしまうのかもしれません。が、傷ついても自分で自分の傷口を癒すことはしっかり身につけました。今の私の課題は、自分が発信側に回らないことです。たとえ、正義や金儲けや愛の名の下であっても、言葉を尽くして傷を創らないよう、努めている日々です。