09/01/2006 00:00:00にアップした文章です。

 

このエッセイを毎日書くようになってから、はやくも1年経ちました。HPを先駆けて始めたのは、1999年、7年前のことです。それ以来の空白の6年は、毎日の日課は生活近辺に根ざしており、まとまった文章をこう長く書くことはありませんでした。勉強は別です。しかも課題がバラエティに富んでおり、自分で選ぶ必要性が低いもの、あるいは選択肢の範囲が狭められていたものだったので、今よりは選ぶ作業には時間がかかりませんでした。

1年続けてみて思うのは、「なんだよ、やればできるんじゃん」ということです。

私は小学校4年生の終わり頃から、26歳まで毎日日記をつけていました。飲酒を始めてからは解読不明な文章もたくさんあります(笑)。が、自分に起きたことやそれに伴う気持ちを書きつづけてきたことは、たいへんに役に立ってきたと思うのです。セラピーにも「ジャーナルセラピー」という種類のものがあり、日記だったり絵日記だったり、行動を書きとめておくメモだったりと、毎日の記入形式(あるいは定期的でも毎日ではないもの)があります。このようなセラピー方式があるということは、自分や自分の感情、それを起させる環境要因(事件や人々など)に対峙する時間を、ひと時であっても、定期的に持つことがいかに大切か?という問いかけです。

そういった意味で、私のこのエッセイを根気よく続けてきたことには、誰よりも自分にとってたいへんな意味があります。題材にされた西さんや母などにもきっと意味を持つとは思うのですが、全部読んでいるのかどうか、チェックはしていません。

毎日読むことさえも苦痛な人がほとんどだろうに、なぜに書きつづけているのか?コンピューターデザイナーのMさんに励まされたのですが、近頃の短文・書き捨て・まとまりのない文章が大流行の中、やはり自分のスタイルを守っていくのはいいことなのではないかと、まだ思っているわけです。どんなに綿密に詳細を書いたつもりでも、必ず漏れがあります。この世に完璧なものはほぼありえない。特に人の心や考え方などは穴だらけです。そんなわけで、テーマを決めてエッセイを書いているものの、同じことが何度も何度も、手を替え品を替え話題に上るわけです。言葉を尽くすというのは、そのモーメントにおいてはできることかもしれませんが、実際、時間は刻々と過ぎてゆき、知恵がついたり減ったりしていく中、過去に書いたものをベースにできる証拠の積み重ねがあることは、一重に私の財産です。

こうして公にしているということは、同時に私の考え方の変遷や一貫性などについての、何人もの証人を得ていることになります。裁判などでは日記の信憑性はどう扱うのか?書いてあることと、前後の事件や人々の証言と合わせることになるのだと思います。その合致%で、日記そのものの信憑性を図ることになるのでしょう。こうして、私は自分が試されている負のリスクも侵しているわけです。私が他人に対する名誉毀損や、基盤のない中傷などでページを埋め尽くすことがあれば、いつか誰かに裁判を起されることでしょう。それはどんな人でも同じで、限度問題なのかもしれません。

私がどのように日々暮らしてきたのか、はこの1年のアップダウンはブログに顕れています。振り返って見てみると、あっという間でした。が、日々は焦れて待つ作業が多く、約束を破られたり、軽微に扱われたり、やはりイヤなことも満載でした。が、基本的に楽天的なことは書いてきました。そうでなければやはり生き延びてはいけないからです。悲しみや不幸、ヨロコビや倖せを他人様と比べる愚かなことはしませんが、やはり誰しもアップダウンを持っています。楽天的に努めているのは、やはり自分の思い通りになどならないことのほうがずっと多いからです。

昨日、ハウス&ペットシッターさんが見つかりました。10月1日から来年3月末日まで、私のネコたち6匹と住んでくれる女性が見つかったのです。親戚はみなカリフォルニアに在住している日系人女性で、アイダホの家を引き払い、こちらに引っ越してくるのです。半年あれば、どこに腰を生涯落ち着けるかリサーチができ、ネコは大好きなのでぜひやりたいとのことでした。本当にいい方が見つかったのです。昨日1日で、仕事をしながら、彼女と3往復のメールを交換してしまいました(笑)。愛着のある家具ももう手離す必要はなくなりましたし、ネコたちがさみしい想いをすることがないことが確信に近くなりました。あさみちゃん(前&あと1ヶ月のハウス&ペットシッターさん)は、やはり仕事があるので、ネコたちと遊ぶ時間が取れない日も多かったのです。しかも、同じ大学を卒業していることがわかり、意気投合もし、世界観やその他についてもメールで交換しました。ネコたちはいい代理母を見つけました。獣医さんも1年前から担当を替えて、万全のケアをしてくれます。特に、うどちゃんはこの8月30日、満15歳になり、あと2年が平均寿命までの時間となりました。そのうちの7ヶ月を離れて暮らすのは、身が裂かれる想いですが、がんばって仕事をしないとね。

私は生涯で、二度、大きく人に利用され、裏切られましたが、こうしてまた新しい人に出会うことには躊躇していません。振り子のように跳ね返す力は充分身につけてきたと思っています。こうして自分が書いた1年分のブログをところどころ読み返すと、今現在の自分の決意や方向性は、あまり間違っていないと思えるのですが、1年後はわかりませんね(爆)。

そして何より感謝するのは、西さんと母とかけがえのない友人たちの存在です。彼らがいなければ、私はここまで生き延びてくることができなかったことは動かせない事実です。言葉を尽くすことや、態度に示す感謝はいつもしているつもりですが、今まで離れて暮らしてきた時間のほうが多かったので、足りてはいないことでしょう。今後、7ヶ月連続して日本に住むことになるので、それについての貯金もプラスになるように心がけていきたいと、ブログを読み返して思ったのでした。

毎日続けることでいいことはたくさんあります。ブログの他、西さんと長くいっしょに暮らすことができれば、また運動が再開します。彼は運動をしない人間を高く評価しない傾向があります。これが正しいかどうかは別にして、健康は本当に大切な財産です。がんばって追いついていかないとね♪また私を振り返らずすたすたウォーキングするんだろうなぁ・・・。が、週末に陣場山や高尾山に行くのは初めてになるので、とても楽しみです。

さらに、日々の仕事が黒字となってきちんと反映されるよう、しっかりと仕事を毎日続けます。やはり住んでいる場所が違う弊社では、コミュニケーションロスが多いわけです。それが私が日本1箇所に7ヶ月の長きに渡り滞在することで、大きく改善されます。知的財産がらみの新しいプロジェクトも私の担当ですので、それについても早く体現できるよう、そそくさ動かねばなりません。今回の私のアイディアには、西もたいへん興味を示してくれており、現在初歩から勉強中です。こんなときいつも思うのですが、脳みその中身をコピーしてデータバンクに入れられたらいいのになぁ、と。まぁ、リスクも大きすぎるのですが・・・。が、私はコレは他の弊社のプロジェクトに比べて、花咲く確率はうんと高いと考えています。日本のニーズに沿い、まだ誰もやっていないことで、日本の社会全体をよりよい方向に導くことができるツールになるからです。やはり、モノの売り買いには限界があり、その商品のひとつひとつが本当に社会貢献するものなのか?については、西とも話していたところです。基本理念についての練り直しもしています。

毎日、ささやかではあるが、自分の限界をちょっとだけ超えたところまでやりぬく。コレは大切ではないかと、1年ブログをやり通してきてつくづく感じています。そしてなぜだか私は、長野県の父の実家での井戸水の冷たさを思い出しているところです。ポンプの錆びの音を聴きながら、勢いよく流れ出る井戸水の冷たさは極上でした。冬であっても私はあれが大好きでした。もうなくなってしまいましたが、ブログを続けてきたことは、あれとよく似たSerene(すみやか、平和)な気持ちを私にもたらしてくれています。日々、お題がないって文句言ってるって?(爆)自分との戦いは続くのです・・・。