09/14/2006 にアップした文章です。

 

つまらない性分に生まれてきてさらにそのまま育ってしまったよなぁ、と思うのは、特に贅沢をしなくてもたいへんに楽しいと思えること(爆)。世界の珍味の中で、私が好きなものはふかひれだけ。キャビアもフォアグラトリュフも特にどうでもいい感じ。内臓系のものは和食でも好きではなく、いくらやウニも食べませんしね・・・。これは育ちのせいです。私がまともにお鮨やのカウンターに座ったのは、19歳が初めてでしたから。8歳くらいのときにしゃれで父がちびちびやっているときに隣に座ってじっとしていたことはありますが、あのときも玉子と海老くらいしか食っていなかったような・・・。

それに比べ、母は死ぬ間際もお鮨が食べたいと言います。西さんもいくらやウニは大好きですし、珍味関連はなべて好きです。なので、この前の香港出張のときも、やたらと仕事のことばかりが頭に浮かび、いざ食い物になったら、製造業者さん側の3人にオーダーをしてもらい、与えられたものをたいへんに歓んで食べており、いつもの倍近く食べてたいへんに眠くなり、「観光に行こうよ」と誘われたのですが、お断りする羽目になりました(笑)。上海料理だったのですが、それまで日本では広東や四川や北京料理ばかり食べており、上海料理という細いジャンルのものを目にした記憶はありません。上品なスープ(だし)で本当においしかったのです。

上海料理: 上海料理(しゃんはいりょうり)とは、中華料理の代表的なものの一つ。滬菜。

上海を中心とする江蘇省一帯では、俗に「魚米之郷」と称され、魚介類と農産物が豊富である。上海料理の源流は、寧波や揚州の料理であり、酒、醤油、黒酢などの醸造物がふんだんに使われるため、甘く濃厚な味が特徴。特に小龍包、上海蟹は代表的料理といえる。 Wikipediaより

上海料理は、ネットで調べても、それだけをやっているお店は他の四川や北京や広東よりはずっと狭まります。これまで私も中国飯店などで食べてきたはずなのですが、これが上海料理と意識したことはないのでしょう。特に20歳から24歳までは上海蟹は欠かした冬はないのですし・・・。が、このへんの地域は、日本を始めとする世界中の企業が、今たくさんのオフィスや工場を作っているところです。20年前とは違い、たくさん上海料理を愛する日本人が増えてきたのでしょうね。

でも、やっぱり私はお茶漬けや焼きおにぎりやおそばが好きな悲しい性分です(爆)。中華料理であっても、特に豪勢じゃなくていいのよ・・・・。フランス料理でも特にハトとか仔牛じゃなくていいんだし・・・。フランスパンとチーズで、もう大満足だもんね・・・。こうして私の世界の窓はどうも低い位置にあるような気がしてならぬわけです。しかも狭いんだろうな、と(爆)。

海外旅行をしたとしたら、私はホテルもピンからキリまで一通り経験したいと思う性質(たち)なのですが、貧乏学生であった頃は、やはりホテルを最初に削りました。安全でさえあれば毛布一枚でも冷暖房が行き届かなくてもまったくかまわなかった。次にショッピングを削りました。物欲は昔からなかったのでこれもたいへんに容易いことでした。本だけですね。次に食事が削れてしまうのですよね、私・・・。だから豊かな世界の窓口である文化を見逃してきたかもしれないわけです。うーむ、コレはいかん。

私は多趣味な人間ではないので、フランスに長逗留したときも美術館と町をぶらぶら歩いて寺院や教会に行くほかは、徹底的にTV番組を研究したり、荒物やさん(なんだろう、鍋釜なんかを売っているところ)を見たり、市場に出かけたりしました。お城も一度くらいはポイント押さえで行きましたけれども、街中での大道芸人や苦学生、特に美術関係の学生や売れない芸術家のたむろするカフェに長居するのが好きでした。ふたつだけ贅沢をさせてもらったのは(ちょっとしたパトロンがいたのね、そのとき・笑)、のちにAIDSで亡くなってしまったヘアデザイナーに髪を切ってもらったことと、フランスで一流だと高名だったエステに行ったことです。あとは、本当にぶらぶらと古いリフト(エレベーター)の音がずしずしと軋む部屋でもまったくよかった。

映画 Men in Blackで、物事はスケールなんかじゃない、見たものに囚われるな、というのがよく出てきます。1ではオリオンベルトに隠された宇宙を探すことになっていて、そのオリオンはネコの名前で、ベルトはネコの首輪だったというお笑い草な内容になっていますが、常識を以って見る人間にはなかなかわかりづらいことでした。2でもいろいろなヒントを追いかけていく中、ロッカールームにある異星人の団体が住んでいたりして、スケールではなく、実体なのだということを教えてもらいます。

それでも、ミシュランの三ツ星でごはんが食べられないと損をしたなぁ、わざわざフランスまで来たのに、と思っちゃうんでしょうか・・・。そもそもフォアグラが食べられない私は、マキシムでごはんを食べてもそれほどありがたいとは思いませんでした。血が滴るハトの胸肉を横で食べる芸術家を見て、なんだか興ざめしたものです。私はこんなに贅沢でも強欲でもないところがいかんのかなぁ、などと思いながら・・・。

日本のTVでは格差を如実に顕す細かな現象がしっかり反映されており、食べ物番組などでも、本来ならば庶民的なメニューなのになぜかものすごい高い!すごい!というのがあります。この前は酒蔵の銀座に出出店しているバーで、3000円のおにぎりを出していたのですが、中身がすごかった・・・。渡り蟹の二杯酢・アナゴ・和牛などなど、ものすごい中身が入っていたわけです。塩もお米も海苔もものすごくこだわっており、食べた人たちもおいしいと言っていました。が、アメリカで鮭のおにぎりを決死の気分で作っていた私にとっては、そんなおにぎりは特に食べてみたいとも思えず、このゆとりのなさ・・・・。世界の窓は私にとって小さくて低いものなのだなぁ、と実感したわけです。いや、本当におにぎりは、鮭のおいしいやつで、ぱりぱりの海苔で、適度にしょっぱいのが大好きだわ。

若い頃、すごい旅館に泊まり、ふわふわのお布団を敷いていただいて眠ったことがありますが、アレも今ならばわかる贅沢で、当時はあまりよくわかっていなかったような気がします。お金を出してくださった人、すまん!あの料理の数々も同様で、1泊3万ものすごい料金を払った記憶があるのに、「あのとき食べたアレ、もう一度食べたいね」という具合にはなっていません。

それに比べてシンプルトンな私が旅行先で食べさせてもらった料理で強烈に憶えているのは、親友のハワイの会計士がまだ学生だった頃の広大なテキサスツアーのGalvestonという町に行ったときのこと。Gambo(ガンボ)という名前のスープはそもそも西アフリカだかカリビアンだかが起源のはず。それでも、台風が来ていた観光で食べている町で、その具だくさん(オクラまで入ってるんだよぉ)のスープと手羽と安いワインでの会話が妙にうれしかったのを、強烈に憶えているわけです。話し相手になってくれた女性バーテンダーの名前まで憶えている・・・、Cindy・・・。

さらに、学生のとき、ツーリングをしていて本当にお金をガス代に廻したかったために、ククレカレーをエンジン部位に近づけてガムテープで貼り付けて、飯盒で炊いたごはんで食ったこともあります。片岡義男の小説が流行っていたので、その節約部分を真似したんだよね。納豆とごはんとお味噌汁とお新香だけでごはん食べるのもまったく平気だったし、今もそれは好きなメニューです。そのおかげで世界の窓が広がったのか、それとも狭いままなのか、高い位置にはなくとも風景はたくさん見ることができているのか、それは謎のままです。