09/27/2006 にアップした文章です。

 

父と美空ひばりが同い年だったことは、大昔のエッセイのほうに書きました。昭和11年生まれで、死んだ年も3年弱しか変わりません。50代の早いほうの部類に入る死です。

http://www.misorahibari.com/intro.html

父が具合が悪いなと自分が感じてからうんと気落ちしたのが、美空ひばりの発病とその死を目撃したことにあります。そのせいで病院に行くことが遅れたと言っても過言ではないのです。最初、1987年美空ひばりが肝炎で入院したので、しかも東京ではなく公演先の九州だったので、父は自分も「元来酒が弱い体質なのに飲み続けていたこと」に対して、不審なほどの恐怖感を覚えるわけです。その2ヶ月以内で鶴田浩二までが亡くなりました。TVで美空ひばりが泣いているところを見て、さらに父はダメージを受けました。私はまだ日本に居て、父ががっくりしている姿をずっと見ていたわけです。

その後、美空ひばりは再起し、東京ドームを満席にする『不死鳥』コンサートをするのを見てから、私はアメリカへと旅立ちました。父は気をよくして、中華料理やで親戚や自分の友だちを集めて送別会をしてもらったのですが、妙なことを言っていました。「俺が生きているうちに故郷に錦を飾ってくれよな」と。

1989年、昭和天皇が崩御され、翌月またもや美空ひばりは九州で入院することになります。退院ではなく転院をし、東京の順天堂に戻ってきます。昭和を象徴した裕仁天皇が亡くなったことも父には大きなダメージでしたが、美空ひばりがまたも倒れたことは、同い年の父には深くどっしりとのしかかったようです。意識不明という発表があったときには、父は目も当てられないほど落胆していたようです。カラオケでは、美空ひばりを偲んでは泣き、泣いては偲ぶという状態だったようです。そして父は美空ひばりを見送ったあと、わずか2年半後にガンで死にました。1992年1月のことです。

大好きだった社会党が与党になったのも見ることができませんでした。が、美空ひばりも見たかったものがたくさんあったことでしょう。

これは父ひとりの例ですが、他にもそんな国民はたくさん居たに違いありません。美空ひばりをナマで見たのは、私は小学校に上がる前の有楽町でした。今のマリオンがあるところです。父が大好きだったので、京王自動車のハイヤーを雇ってくれている朝日新聞社の記者さんに骨を折っていただき、母を連れて行ったのです。私は赤ちゃんに毛が生えた程度だったので「ナマで見た」という記憶すらありません(爆)。私を膝に抱き、父は心から美空ひばりの歌を満喫していたそうです。会場はそんな人々で埋まっていたのだそうです。ハンカチを振ったり、涙をそれで拭いたり、「ひばりちゃんっ!」と叫んだり、まぁ、それは楽しい経験だったそうです。

焼け野原の中から美空ひばりが誕生したことを私が知るのは、そのあと10年後ほどになります。高校生だった私は、中森明菜や山口百恵を否定する父を訝しい目で見て、美空ひばりがいかにすばらしいかを延々と聴く羽目に陥るわけです(笑)。最初は聞きたくもなかった私ですが、「女王」の発祥と歴史ならば聞かなければなりません。そして、途中から父の下手くそで、ただただ熱意だけで語られていく物語を、自分で調べるまでになるわけです。

が、私がファンになったのかどうかは定かではありません。CDなど一枚も持っていなかったし、コンサートに行った記憶もなければ、TVを予約録画したわけでもないのです。私はアメリカに戻り、父の葬儀の前後に美空ひばりをひとしきり聞いたあと、すっかり忘れていたはずでした。アメリカに美空ひばりが流れてはいませんから・・・。

そしてつい最近、9月25日、美空ひばりがパチンコになっちゃったんですよ・・・(アゼン)。『華王美空ひばり』ってやつで、ものすごくきらびやかで雅なのです。京樂産業の製品で、いやー、よく作られてる・・・。当日、まったく気づかなかったのですが、出張前に美容院に行かねばならぬことが判明し、美容院に行く前に気づいたのです。パチンコやさんの前を通るなって(爆)。そして、当然のごとく、その美容院が2時から2時間で終わったあと、『華王美空ひばり』やりましたよ・・・。新台がいかんのは、データがないことです。が、お客さんに来てもらいたいがために、最初の数万回転は出やすくしているという噂もあります。ここのところは、パチンコデザイナー&エンジニアに聞いたわけではないのでわかりません。あくまで噂です。そして、私が選んだ台は、前の人が2回(たぶん確変と当たり)で、650回廻ったところでした。私は1万円投資のあと2回出したのですが(同じく確変と当たり)で、止めることができなくなっており(だってまだ夕方6時にもなっていなかった・・・)、2箱を投入したあと、また2万も入れてしまったんですね・・・。それでも出なかった・・・。閉店時間まであと30分。こんなときに出たら惨めです。10時45分になると「はい、手を止めてください」と言われてしまうことは、2度体験済み。なので、ちんたらゆっくりやっておいて、翌日の朝に行き直しました。へい、戻した上に+5千円でした。

とは言え、パチンコになってしまった美空ひばりをちょっと考えたわけです。父があんなに好きだったひばりちゃんの顔面を玉がバンバン飛ぶ。画面には「美空リーチ」なんてことが展開されてしまう。でもね、出ると「時の流れのように」「愛燦燦」「柔」「真っ赤な太陽」「おまえに惚れた」「人生一路」「お祭りマンボ」がかかるのです。出れば出るほどかかるようになっているので、私は「柔」までしか見ていませんが、玉が出ているあいだに、ふと涙ぐんでしまったことは否めません。「時の流れのように」で、「昭和の激動を生きたひばりさん」などというフレーズがあり、人々をどんなに歌で支えたのかを考えると泣けてきてしまったのです。当然、この台は大人気で、夕方5時半過ぎでは座る席は選べないし、下手をすると座れません。

社員さとみちゃんも『華王美空ひばり』をやって3万勝ちしたのですが(よく考えるとすごい会社だよな・・・)、彼女の感じるものは、私の感じるものとまったく異質なのでしょう。

が、パチンコでひとつ頷ける部分は、アニメのちびっこひばりちゃんが出たときは、プレミアムの大当たりなんだよね(確実性を以って確変になる)。私は記憶力がいい、という利点を生かしており、なぜか美空ひばりの歌もだいたいくまなく歌えることが判明してしまいました。ひばりちゃんがまだひばりちゃんだった頃(小さい頃)の歌も歌えるので、自分でもかなりびっくりしています。

父親と同い年の人をひばりちゃんと呼ぶ私もおかしなものですが、やっぱり美空ひばりはひばりちゃんであり、女王であり、ものすごい人だったと思います。ファンではない、と否定もできませんが、ファンだと言うのもおこがましい人であると思うのです。私にはあれほどの一芸もないし、情熱もない。一徹するひたむきさも彼女の前ではしおれてしまいます。すごいよ、ほんと・・・。パチンコ『華王美空ひばり』をやった方々が、みな、彼女を少しづつでも見習うといいな、と願います。

 

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