10/03/2006 にアップした文章です

 

日本のTVをさんざんっぱらけなしながらも、けっこう見ています(爆)。昨日は『世にも奇妙な物語』を見て、ネコの物語があったのでうれしかったです。相変わらず、アレはタモリが進行役なのですね・・・。

そして、最近、ほぼ毎週、何の気なしにチャンネルを合わせているのが『オーラの泉』で、どうしてもこの江原啓之という人が気になってしまったので、本まで買ってしまいました。うーむ。どうしてここまで?(爆)知らない物事に関して、自分の意見を出せないサガが影響しているのだと思われます。単行本だったのですが、調布のある書店ではベストセラーの2位になっていました。本の背表紙の裏側には、スピリチュアルガイドのためのカードのようなものがくっついており、信じるものは救われるという気がするおまけもかなり心が傾くものなのかと思います。

ここで、勘のいい方は、私がまたPlacebo Effect(プラシボ効果)について評価していることを、またもや書き出すと思ってらっしゃるでしょう。そうです。やはりどんな物事を見るにしても、信じる見地、スタンスがモノを言います。それは奇しくも、わずかばかりペラペラとめくった江原さんの本にも書いてありました。男女のことで「他人を変えたい」と思うのはおこがましい調に書いてあり、そこには本人が「変われる」と信じる気持ちがなければ、他人であるあなたが変えることは無理、としっかり記されていました。

この法則はとても大切です。スピリチュアリズムではなく、社会科学の法則です。あれ・・・、スピリチュアリズムも心理学の中ではParapsychology, 宗教学や哲学や民俗学などに属すので、やはり社会科学なのでしょう。そういった意味では、統計学についてあまり理解の深くない消費者が、「占いよりいいや」と言いながら、江原さんのスピリチュアリズムに啓蒙しているのは、どこか不思議だったりします。いや、私にとっては、ですが・・・。

いっしょに番組に出演している三輪明弘氏は、派手さに磨きがかかったのですな。私が憶えている20年前は、ステージや舞台で生き生きとしているゲイな方、とみなしていたのですが、こんな側面があったことは露ほども知りませんでした。うらやましい・・・。しかも、言葉遣いが丁寧で、博識だし、歴史やその他に精通しており、民衆にわかりやすく話せることがツボなのですね。ちょっと調べてみると、宮崎駿監督の声優を何本もしていることにも気づきました。著書もすごいんだなぁ。20年の浦島太郎は、どうやってこの地位と番組までたどり着いたのか、想像することしかできません。が、想像できたような気がします。

何度か散りばめて書いているように、私は証明できない死後の世界や、輪廻転生、幽霊や魂について、否定していません。むしろ、あってほしいと願っています。でなければ、父が早逝したことなどあまりに哀れなことが多くなってしまい、生き続けている私のほうがつらい心持になってしまうからです。さらに、それらが「ある」ことについて、たくさんの論証が持て、論拠を数々出すことは可能ですが(信憑性はどうであれ)、「ない」とする人々は、その論拠を論破することしかできず、ゼロを証明することは火の輪くぐりや空中ブランコよりも数百倍難しいです。私にはそんな難易度の高いものにチャレンジする頭もエネルギーもありません。が、証明できないのであれば、「ない」とはっきり言うこともおこがましすぎると思うのです。そう言い切った人たちが過去、私の人生を通り過ぎて行きましたが、やはり自分のわからないことについて、自分の常識だけを貫通しようとするその態度に、私はいつもげんなりしてきて、おつきあいが希薄になったのだと思われます。

私の父方の実家は神主をしており、スピリチュアルなことについて本気で信じている人々ばかりです。その中で、私は醒めた人間で、霊魂が飛んでいるところを見たこともなければ、感じたこともない。予感も予期もしたこともなければ、絶対的畏怖を以って奥津城(神道での墓所のこと)を聖なる地だとみなしてもいません。アメリカ人はお墓を土足で踏めるのですが(墓石を踏むのではなく、土葬してある身体やお棺が置かれてあるだろう場所の上の土を踏む)、私はそれはできぬものの、家を掃除するときより少し敬虔な気持ちになって掃除したり、父や先祖が眠る大切な場所とみなしているだけで、絶対的霊的パワーの宿る場所だとは思っていないのです。

むしろ、霊魂が見られる人にとっては、どこもかしこも霊的浮遊物がゆらゆらしている苦しい場所はどこにでもあり、その密度の違いのように解釈しています。私にとっては、そのような差異がなく、ちょろい人生を送らせていただいているのかもしれない、とありがたく思うこともあり。なぜならば、20代前半に聞いた話では、他人の寿命がわかってしまうある人は、他人の頭の上にろうそくが見えるそうなのです。その色やろうそくの長さや火の勢いで、その人の余命がわかってしまい、とても毎日がつらく、他人に会いたくないそうでした。宮部みゆきの超能力系の小説もたくさん読みましたが、そういった才能を先天的に持って生まれた人たちで、倖せに暮らしている人々は稀です。大昔も、魔女狩りとして、火あぶりや絞首刑になった人たちがたくさんいました。その最も有名な人が、Jesus Christ(イエスキリスト)です。殺されずとも、命を狙われたりつらい人生を歩んだりしている人々はたくさん居り、ダライラマなどスピリチュアリズムは別としても、大きなでっかい人だと私は思っています。

私はそんなふうな選ばれた才能を持っておらず、倖せなのだろう、といつも思いながら生きているわけです。否定などおこがましくてできないし、うらやましいなどと軽口も叩きません。

そんな私が最近、母やさとみちゃんや西さんに漏らすのは、「もしも大枚をはたいても自分の輪廻転生とオーラが見てもらえるなら見てもらってみたい」ということ。江原さんはものすごい売れっ子で、ものすごいお高いんだろうなぁ、と思いながらも、野望くらい抱いてもいいと思っているわけです(笑)。現在では、カウンセリングは休止しており、素人の私などが近寄れる方でもなく・・・。でもねぇ、あの番組を見ているとやってもらいたくなっちゃうでしょ?なので、思わず単行本を買ってしまったのですが、彼が著書の中でおっしゃっていることは、私の意見と妙に重なることばかりなので、私もまんざらスピリチュアリー歪んでいないのだな、とひとりごちているのです。

まだ読み進めていないのは、アレを元にこのエッセイのお題を探そうと画策していることもあるわけで・・・(爆)。倖せすぎると他人に無関心になったり、忙しいと自分のことばかりになるので、やはりああいった警鐘が必要なのかな、と思った次第でもあります。昨日も図書館に行き、森村誠一をてんこもりで借りてきました。読破するとあと50冊くらいあるのかもしれませんが、どんとこい!ってところです。昨日だけで、もう1冊半読んでしまったので、これからは足繁くコマメに図書館に行こうと思います。新幹線の中や図書館が休館中のときに、仕方なく買ってしまった新品の本は、ブックオフというところで売れるそうです。さとみちゃんに教わりました。とくにおせんべのカケラもついていませんし、ラーメンのおつゆがこぼれているわけでもなく、買ってからまだ1週間以内なので、1冊200円くらいにはなるのでは?とのことでした。そして私は思うのです。Monkだったら図書館で借りる本ではなく、やはり新品を買い続けるのだろうな、と。古書などはともかく、彼の場合、新書があるものであれば、きっと新書を買うに違いない・・・。彼の輪廻転生はどんなものなのかも興味ありですが、所詮架空の人物です・・・。

『オーラの泉』に出ているもうひとりの青年を私はほぼ知らないのですが、彼は座ってお話を聞いているだけで仕事になっているというのがまたすごいです。勉強させていただいている上にお金をもらえているいい例。でもなぁ、私も若い頃の仕事はほぼすべてそんな感じだったんだなぁ、と思い当たったりもします。

やっぱり前世やオーラ見てもらいたいなぁ・・・。こう思いつめるとどうでもいい詐欺師に引っかかってしまうので気をつけようと思います(爆)。