11/13/2006 にアップした文章です。

 

昨日のフジTVの北野武がMCのプログラムを、けっこう楽しみにしていたのです。私がネットでチャットに頻繁に顔出ししていた頃、歴史と教育のチャットに行っていたのですが、やはり教育問題にはたいへんに関心があるようです。6時間もあったものの、物理的時間の割には、CMや雑談で中身はぎゅっと少ないものになっていましたが、見てよかったという部分も多かったです。なぜならば、私はやはり浦島太郎なのだ。18年半も祖国から逃げて暮らしており、遠くから気にかけて暮らしていたとはいえ、実際は把握しきれない部分がたくさんあり、「想像」が「事実」とどのくらい近かったのか、確かめる儀式でもあったのです。が、マスコミすべてを信じてはいけません(笑)。社会科学をかじった私としては、そのへんのナイーブさは持っていないつもりです。

数字をどのように見るかの訓練をしない人にとっては、統計は騙されやすいショッキングなものになることがありますが、昨日の数字はいくつか、私にとっても衝撃的なのがありましたよ・・・。給食費未納についての数値は、本当にびっくらしました。昨日のデートDVのインタビューに平然と、若い男の子が、自分が暴力を振るっていることについて、カメラの前で話すのと同様、「給食費を払わない親」として、平然とカメラの前で話すわけです。TV局側の配慮だったのか、本人のリクエストだったのか、顔にはぼかしが入っており、本人だと直接的にわからないようになっていましたが、少なくとも「給食費を払わない理由」について、たいへんな自信があるように見受けられました。

自分が子どもの頃、「大人から教育しなければ日本の社会はよくならない」と考えていたのは、「負け惜しみ要素」が強いと言われていました。特に、父や母は自分の無学や無教養について、私が感情のまま指摘することをたいへんに嫌がり、暴力で抵抗していたほどです。近所のおじさんやおばさん、先生の大半、子どもが目にしたいろいろな組織、どれをとっても、図書館以外は、「大人のほうがずっと教育が必要」と断じて譲らなかったのです。そのせいで、私は10代をとても暗い気分で送りました。バイトを重ね、実際に仕事をし、社会に揉まれるようになってからは、その思いはさらに譲れなくなりました。今も同じ考えです。教育を考えるスクエアというところのチャットでも、同じことを唱えてきました。

大人から教育しろっ!は、きっと生涯変わらぬ考えになっていき、死ぬまで言い続けることになります。

私も大人になってしまいましたが、なってから久しいですが、この言葉を裏切らないよう、日々教育を受けています。学校に行くことだけが教育ではなく、日々謙虚な気持ちで「知らないことがまだまだたくさんある」「自分の意見が正しいわけではない」と、確かめる作業を常に外から受けて行こうとする態度が、基本中の基本です。社会科学をきちんと習ってよかったなと心から思えるのは、こんなところで「終わらない学習」のため、自分の人間形成にも役立っているからです。ダーウィンありがとう♪心理学の大御所たちありがとう♪経済学者ありがとう♪人類学者ありがとう♪数学者に哲学者も本当にありがとう♪

教育:他人に対して、意図的な働きかけを行うことによって、その人間を望ましい方向へ変化させること。広義には、人間形成に作用するすべての精神的影響をいう。その活動が行われる場により、家庭教育・学校教育・社会教育に大別される。

考えるに、私はまだ母にも教育されており、特に掃除や整理整頓についてはまだまだ口うるさく言われます。シャワーを浴びたあとのちょっとした掃除についても文句をたらたら言われており、いくつになってもまだまだ学習の余地はあるのだと、怒る前に数秒の溜めを作って冷静に受け止めています。子どもたちが「キレやすい」と言うのはあまりに簡単すぎるので、私がどういうプロセスで怒るのかを考えるいいチャンスです。西さんは今朝も「電気つけっぱなしなのはどうして?」と言う私に、怒ることもなく、消しに行きました(笑)。

学校教育に再び参加することは、私の起業の動機でもあり、その日がたいへんに待ち遠しい。社会教育も、されているばかりではなく、何かを還元せねばならぬと思っているところです。

さて、給食費。びっくりだよぉ。 http://www.ypp.info/cresarabank/05_money/104.htm  番組でも使っていた千葉県の数字がコレ。TVの前で私は思わず声を出しましたよ・・・。すごい金額で、このまま給食を維持できなくなる。そうなるともっと問題が拡大化したり、違う問題に直面するかもしれない危惧がある・・・。もう理屈がすごすぎるよ・・・。NHKの受信料と同じ感覚だったり、食べ物に関しても国や市町村がかりなのが義務だと思ったり(受ける側にとっては当然の権利)、まずいから払わないだの、こっちから頼んだわけじゃないだの、すんごい理屈だよ・・・。職員が徴収に行っても、口約束だけはするものの払わない。すごい家に住んでいたり、ペットや美容や車や旅行、その他にお金を廻す例も多い(TVだけではなく、ネットでもちょっとめずらしくて読んでしまった・・・)。「いろいろ理屈をこねるならば、お弁当を持たせるくらいの論理一貫性を持たせてみろよ」と思うのだけれども、どうやらただの詭弁らしく、言動は一致しないらしい・・・。親が子どもに「無銭飲食」をさせていることを、正しいと思っているか、悪いと思っていても逃げおおせるのであれば親子ともどもいっしょにやろう、と奨めているわけなのですね。犯罪の温床でしょ?

しかも、けなげな市町村では、朝ごはんまで出しているところもあるというではないですか。子どもが育つには、睡眠と朝ごはんは深い関連性があります。因果関係までは取れないものの(要素が多岐に渡りピンポイントできないがゆえに)、睡眠不足と栄養不足では、体力だけではなく、学力や情緒にも大きな差が出てきます。さらに、昼ごはんも食べさせないことにしようとするのは、嘆かわしい。子どもは宝だよ、未来の担い手だもん。給食費未納の家庭に限って、朝ごはんと睡眠の統計が取れれば、きっとかなり意義のある統計が取れると予測します。親の食生活もついでに取れればたいへんにいい。が、ケーススタディくらいができる範疇でしょう。

生命体は食べるものでできているんですぜ。その食べることに関して、生き延びる重要な要素について、それに関する論理について、考えることができない親は、子どもは持たないでほしいくらいだ。道徳や社会生活や品格以前の問題です。どうしてそんな大人たちが中学を卒業できてしまったのか・・・。それが私の目下の不思議です。自分の身体で、食べ物実験でもしてみてほしいくらいです。当然、感謝の気持ちもなければ、社会倫理も希薄で、自分とそのごくごく廻りの利益だけを考えて行動していることは、容易に予測できます。そんな大人を見て育つ子どもが、どれほど悲運なことか・・・。子どもは親を選べないのだから。

子どもの教育をうんぬん考える前に、大人を先に教育しろっ!と、私はつくづく感じ考えます。他にも救急車をタクシー代わりにしたり、お葬式で死者や親族の許可もないまま、携帯のカメラで死者の顔を撮影したり、学芸会や催しで自分の子どもを主役にお願いしたり、脇役を断る親などが出てきましたが、どれも想像ができる範囲であったとはいえ、とても悲しい気持ちです。こんなひどい状態に慣れることはできないよ・・・。

そこで解決策なのですが、ここがうーんと頭の痛い問題です。それについては、教育をもうちょっと考えたときにまとめて書いてみたいと思います。