12/04/2006 にアップした文章です。

 

愛されている実感を、原体験としてひとつも持っていない人はどれくらいいるのだろうか?などと、ふと考えていました。私も木の股から生まれたようなひどくあっさりとしたことを多々言いますが、愛は実感しつつ生きています。愛されているという実感にも、いつも包まれた気分でいます。父は死にましたが、母はそばにいて、家事をしっかりやってくれており、小言もしょっちゅう言い怒られており、「あー、愛だなぁ」などと特にむかっ腹を立てることもなく、愛のほうをより多く感じる、たいへんに都合のいい私であります(笑)。西さんも、しかつめらしい顔をし、無口ではありますが、彼にもいつも愛をもらえている実感があります。

西さんは現在、津本陽の『巨人伝』を通読しているところなのですが、それを読みつつ、南方熊楠と私の相違点をいろいろ感じているのだそうです。ある意味、私はとてもかわいそうな人間で、たいへんに孤独であるということを、西さんがこの世にひとりだけでも知っていてくれるので、私は愛されていると実感できます。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%86%8A%E6%A5%A0 

今日も、TVで嗅覚や味覚のすごい人、についてやっていたのですが、「きくみもコレ取れるんじゃない?」とライセンスがあることについて触れており、番組を試しに見ていたら、かなり楽勝でした。特に動体視力は、スポーツ選手と同じくらいあり、この年齢にして衰えを知らぬ、と、ひとりでキャキャキャキャ歓んでいました(笑)。「うーむ、ホッケー選手はこんなもんじゃないぞ」などと言いながら・・・。さらに記憶力も哀しいといえば哀しい。目下、横溝正史をつらつらと読んでいるのですが、出版社によっては選択がまちまちで、たまに同じものが入るのです。最初の2・3行で読んだものはわかってしまう。もう『人形佐七シリーズ』だけでも、70くらいは読んでいるのですが、漏れがあることがイヤで、違う出版社のものに移動したのです。「重かったのにな」と想いつつ、やはりなんだか悔しい(笑)。江戸川乱歩に至っては、小学校5年までにほぼすべて読み終えてしまっていたのですが、犯人まで憶えている始末・・・。コレじゃ読んでいてもつまらないのです。カラオケに行っても似たようなもので、20年や15年、まったく聴いた記憶がない歌詞でも、たいてい憶えており、しみじみとする深さが違うのかもしれません。出来事などにしてもそうで、私が悲しかったことや恨めしかったことなど、そのへんで、私は「許す-許さない」の感情のハザマでひどく遠回りをしたかもしれないです。

どんな能力があれ、それは一長一短で、特にすごいことでもなければ、うれしいだけのことでもない。西さんはそれを知っており、私のつらさをわかろうとしてくれています。学歴にしても、なぜにこんなに何年も何個も学校に通うのか、理解できない人々のほうが多い。私にはソレでしか、自分を価値ある人間だと思えないでいるようなところがあるのです。かと言って、どこかの企業に入って安住したり、物を買って歓んだりはできない。そんな面倒くさい人間を、ここまで愛してくれようとしている、すでに充分に愛してくれる西さんは、ものすごい人だと思っているのです。10年前のケンカの内容など、記憶されていたらゲンナリな人間のほうがずっと多いことでしょう。私も聖母ではないので、たまに記憶に任せて言ってしまうことがある。それをどうやって西さんが長いあいだかわしてきたのか、と考えると、自分だったら耐えられないと思うのです。

母にしても同じですね。父もそうだし、弟もそうでしょう。長い友人でもそうです。つい最近も弟に、「どうして好かれなくていい、なんて平気で言っちゃうの?」と、真剣に意見されました。会社をやっていく限りにおいて、人に好かれたほうがいいことがたくさんあるに決まっている、というのが、弟の意見でしたが、私は自分のほうが取捨選択することに、なんだか抵抗を感じる、怠惰なやつなのです。特に「愛されたい」とこちらから欲しておらず、愛でていただけるならば受け取る、という淡白なところがあります。「愛されたい」と願ってきた10代が相当につらかったことを、脳細胞がまるごと記憶しているのかもしれません(脳細胞は再生しないので)。

父の膝にほわっと抱かれて爪を切ってもらっていた感覚を、未だにしつこく憶えており、それが映像なだけではなく、肌の感覚もくっついていることが、たいへんに面倒に思えることがあります。小学校のときに、遠足でやたべくんと手を繋いだ感覚も覚えている。英語の集中学校を卒業できたときに、およそ100人の人とHugをしましたが、その感覚、抱き心地の違いも相当に記憶している。つい数週間前に、ふみちゃんの腰や手や肩を揉んだのですが、その柔らかさや固さもかなり生々しく覚えており、なんだか面倒な記憶と感性です。そんな中、愛されたい人を指名することは、なんだか至難すぎる業なのじゃないか?と、10代くらいで諦めてしまったのかもしれません。いや、諦めていないから西さんに出会えたのか?

日本に18年半ぶりに戻ってきて、定住するようになり、本当に醒めた第三者的な目線で、「愛されたい人たちだらけだなぁ」と感じ、自分の10代を思うのです。叶わなかったがゆえに、日本まで脱出し、それでも日本人であることを忘れられず、日本を愛し続け、縁を切れなかった私を思い出してしまいます。

バイトをいくつも掛け持ちし、正社員になろうとしなかったのは、モラトリアムだったからではありません。自分をよくわかっており、団体に属することをなるべく避けたかったためです。己の能力や適正や欲求が、最大限に生かせる場所を見つけたかった、という意味では、モラトリアムだったのかもしれません。が、40歳を過ぎた今でも同じことをやっているということは、いくつも学校を卒業してもまだまだ学校に行き続けたいと願う今では、私はやはりあの当時、モラトリアムに居たとは思えないのです。年金も払い、政治にも参加し、労働もし、とりあえずの基準はクリアしている状態を続けてきた今、それでもやはり学校に戻るためになら、何でもやろうじゃないか、と思えているわけです。

モラトリアム:知的・肉体的には一人前に達していながら、なお社会人としての義務と責任の遂行を猶予されている期間。または、そういう心理状態にとどまっている期間。

ある特定の人に愛されたい、という欲望は、ここのところ、さらにガクンと減りつつあります。むしろ、放っておいてもらいたい、というのが本当で、ならばなぜ、カルチャーセンターの講師などを引き受けたのか?と自問することもあります。面接でのカルチャーセンターの責任者の方が、ご自分やご自分の息子さんにも私の授業なら受けさせたいと言ってくださるくらいに、プレゼンはうまく行きました。生徒さんが集まるか集まらないかは、先生の能力だけではなく、最終的には人柄だとも伺いました。私は、やはりどこかでずっと、自分の人柄には自信を持てないで来たのだろうと思うのです。一過性の、無人に近い、さびれた各駅停車駅でいいかな、と自分のことを思うようになってから、長い年月が過ぎました。それもやはり、自分をわかってきた、ということなのかもしれません。愛されたいと願うことは、止めないにしろ、愛されたいと願いを請う人は限定されてきたように思います。

少なくとも今言えることは、親が私を愛してくれてよかったということです。愛してもらえた実感は、未だに私の肌にまとわりついています。それに、一過性にしろ、誰かに愛された実感というのは、どうやら消えていかないようです。私の記憶力のせいなのか、五感のせいなのか、ずっとずっとこの胸や身体に染み付いて消えません。だから多くを望まず、この先もこの想い出や、現在持っているものだけでも、充分死ぬまで生きていけるよ、と覚悟しつつ、新しい人との新しい愛に出会っても怖がらないようにしなくちゃな、と、思っているところです。来年はどんな年になるだろうってもうワクワクしている私は、やっぱり気が早いのね(笑)。