01/11/2007 にアップした文章です。

 

コレは、校長センセの著書の中にあった、目次の中の小タイトルです。イヤというのは、私もカタカナにしてよく使うのですが、カタカナの場合のイヤは、私にとってはそれほど難易度が高いわけではないのです(笑)。嫌いや苦手とはっきり書かない程度に、安直に使っている場合が多く、イヤにも私がひとりで決めている語感があり、その場で、ネガティブを率直に安直に言うときに、好んで多く使っています。ところが、そこで話の展開を止めている場合、そこには嫌いだとか苦手だという言及をする意図はわざとないのです。が、続けて話をしている場合には、ポジティブかネガティブの展開のための序章となる仕組みなのが、この便利な言葉「イヤ」にあたります。こんな語感を考えたことはあるでしょうか?私は暇なのかしらね・・・(爆)。

いや【嫌・厭】:(1)きらうさま。欲しないさま。(2)不愉快なさま。(3)好ましくないさま。

赤ちゃんの感情は、原情緒説があり、そのふたつが「心地よい-心地悪い」のふたつとされる説が、たいへんに優勢です。私のイヤはその「心地悪い」程度の、「まだまだ派生感情はくっついていないよ」という合図みたいなものです。

対人関係においては、ここから始まるのだということが、おそらく校長センセのおっしゃりたかったことなのでしょう。なんと賢く、語彙選びが上手なことでしょう!(これは英語の感嘆文です・笑)なので、説明のところに、イヤな相手は、1.嫌いな相手 2.苦手な相手 の2つに分類できると解説しておられます。あー、本当になぜゆえ、この本絶版になっちゃったんでしょ・・・。この1.嫌いな相手というのは、ひたすら直感・感情論であるだけに対して、2.苦手な相手というのは、自分側のやりにくさに関係する、というすばらしい解説ですのに。

ここでは、苦手な相手を克服するほうを最初に説いているのですが、私はむしろ直感・感情で左右するほうから手をつけたいと思います。

Schema(心の地図)の引き出し・ファイルキャビネットに入っている情報というのは、「絶対的正解」が詰め込まれているわけではありません。ただ、その個人が持っているたいへんにユニークな分類がされており、この世にふたつとないであろう、という分類がされているだけです。哀しいかな、学習の積み重ねである生命体の頂点にいるヒトは、どうもこのスキーマの価値をたいへんに重宝に使います。

以前、直感について説明したことがありますが、直感もこのスキーマから出ていることは自明です。が、ここで大切なのは、そのスキーマから出てきた直感の信憑性・正当性をわが心に尋ねる用意があるかどうか、なのです。

直感:推理・考察などによらず、感覚的に物事を瞬時に感じとること。

何度も何度も同じ経験をして得たものであっても、沈思し、書きとめ、人に話し(あるいは言いふらし)、推論から、論理を展開して得た結論ではない限り、直感としてこの情報の(中途)結論は、スキーマに大切にしまわれます。だからこそ、校長センセの著書は、「考えることを奨励する」わけです。考えれば、たとえ6歳児であろうとも、そこには己の力に見合った推論→論理→(中途)結論が出るわけです。20歳になっても、40歳になっても、60歳になっても、この習慣さえ持っていれば、結論はいつまで経っても「中途結論」であり、普遍性があるかのような言い切りをしない人間で、学習の余地を残したまま成長していけます。

が、この直感を「正しい」と、なぜか根拠もなく信じ込んでいる個体は、そこでそのことについての沈思や学習を止めているわけです。「もしかすると、Aさんを強烈に嫌いな理由は、きっとあるよ」と考えることは、本当にとても大切なことなのですよ。イメージだけで、ロクに話をすることもなく、セカンドチャンスをお互いに得られぬまま、右と左に袂を分かつ人々は、この世には掃いて捨てるほどいます。「捨てる神あれば、拾う神あり」(世の中はさまざまで、見捨てる人も助けてくれる人もいるものだ。人に見限られたからといって、くよくよすることはないということ)なのも、そういった学習を止めない人たちがいるから成り立つのかもしれません(まぁ、ほんの少しの割合で、「まったく誰をも拒まない」というケースもあるかと思います)。

私は、好き嫌いの感情だけで、人を嫌いになることは皆無です。それは、小さい頃からの癖で、嫌いな理由を父親に報告せねばならなかったからなのだと思うのです。私は、偏食家だったのですよ・・・。貧乏な家で偏食というのは、もう致命的です(爆)。この前の新年会でも弟に言われましたが、「ねーちゃんは、好き嫌いが多いくせに、好きなものがあると取っておいてあとから食べたい癖があるから、いつも食卓で泣きべそだった」と、姪っ子たちに告げ口されました(爆)。父親としては、私の好き嫌いを直すのに必死だったことでしょう。正当な理由がなければ、私は嫌いなものを食べなければならず、そのおかげで、「生きていくのに必要で避けられない食べ物」では、嫌いなものはありません。イカとタコがちょっと面倒くさいですが、あとは、高級品なので、毎日の食卓に上るもので嫌いなものは、さんまのおなかだけです(爆)。小さい頃、貧乏で食べさせられすぎたカボチャやジャガイモなどは、食べられますが、できることなら食べないという積極性を示しています。

まぁ、食から入ったので、人でも相当に鍛えられ、嫌いな人というのは今考えると、めったにいません。この人のここがイヤだと思っても、ソコでなければ充分に愛でることができますし、イヤなことは相手にきちっと伝えてしまうので←これは相手のほうが迷惑かもしれないのだが・・・(爆)。

嫌いな相手の理由、みなさんは言えますか?私は、口も利きたくないほど嫌いな人はいないのです・・・。強いて言えば、人殺しをしようという意図があるだろう人や、詐欺やその他の騙しや暴力をしようとする危険人物以外は、特に避けることはしません。私のザルの目はたいへんに粗いです。

校長センセの回答は、「合わせ方を工夫する」というものでした。詳しく書く文字数が残っていないのが残念です。

かたや、私には苦手な人もたいへんに少なく、守備範囲はとても広いのです。校長センセの著書を読んでいて、私はどんな人が苦手なのだろう?と考えたときに、「いつも心と裏腹なことさえ言う人でなければ、きっと大丈夫」だと思いました(爆)。たまには裏腹でもいいのですが、5割以上裏腹なことを言われたら、きっとダメでしょう・・・。うーん、5割以上だったら「嘘つき」かもしれないか・・・(爆)。そうですね、私は嘘つきが苦手です。

私は、実力が違う人たちともうまくやっていけます。肉体労働をして、箱の向きや書類の向きに必死になって指示をしたことを、ちゃんと聞いている人の横で、まったく速さだけで作業してごめんなさい(爆)。でも、注意されたらちゃんと直しますのでカンベンしてください。肌合いやフィーリングが違う人たちは、かえってめずらしい存在なので、お願いしてでもお近づきになりたいほどです。まぁ、今、まさしく浦島太郎なんでそんな時期です。「ドン引き」って何?とか、この芸能人誰?とか、どうしてみんなあんなバッグ持ってるの?などと質問して困らせた方々ごめんなさい(爆)。

あまり、克服法になっていなかったので、本当に校長センセの著書が読めることが、イチバンいい解決法なのですが・・・。けれども、立ち止まって考えることは、私もくどいほど奨めておきます。