03/29/2007 にアップした文章です。

ここのところ、新聞や雑誌、電車の中などの広告やTVで、裁判員制度について見かけることが多くなりました。いよいよ、あと2年を切ったこの制度。政府も本格的に流布しようと懸命なのでしょう。セミナーなども行われており、私も3月の頭に行きたかったのですが、横田基地の通訳のバイトが終わっておらず、参加することができませんでした。だんだん、実感が伴ってきているでしょうか?それともまだまだ先のことと考えていますか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%93%A1%E5%88%B6%E5%BA%A6 このように将来的なものなので、事実と踏まえられるものだけを書き記してあります。

http://www.saibanin.courts.go.jp/news/video2.html このように、広く知らせるために映画も作られました。1時間以上この映像を見ることが苦痛な方のほうが多いかもしれません。

http://www.saibanin.courts.go.jp/news/kondan.html まだ間に合う懇談会もあるので、お近くで日時が合う方はぜひぜひ足をお運びください。

http://www.saibanin.courts.go.jp/qa/index.html Q&Aです。よくある質問についてはここに網羅されています。理解するには、いいページになっていると思います。

今日は、問題点について考えてみたいと思っています。

まずは、「強制参加」について。
苦役を課すので憲法違反ではないか?という意見があるようですが、何が苦役なのか、というのが私個人の意見です。会社からは有給がもらえますし、世間も広がりますし、何より法律に参加できるわけで、どうしても参加できない場合には、次回への繰越や違う事件での参加なども考慮されており、まったく苦役には当たらないでしょう。辞退できる条件もいくつか設けられており、どうしても出られない、という人たちには、然るべき理由が伴っていいはずです。ただし、気分が乗らないだとか、どうしても裁く側に廻りたくないなどの言い訳は通用しません。

この「裁く側になりたくない」という人は、名実ともにその言葉を生活で守っているとは、私には到底思えず、刑罰という裁き方ではないにしろ、いつも他人や状況やさまざまな環境の中での出来事を、ジャッジしているはずです。「本人の意思に関係なく、強制的に法律に参加させられる気分」というのは、かなり正当な論理に思えますが、実際は違います。遵守する側として国民の一員になっているわけではなく、法律や法令そのものを作る側としても、常に行動しているはずです。それが、形のある・手応えのあるものになると躊躇するというのは、日ごろの自分の判断について、深く沈思する必要があるようです。事件について出た判決について、飲み屋さんやブログで語ることは辞さないが、責任ある国民として一票とするのができない理由はなぜなのか?ここは考えてみたほうがいいです。

裁判員の安全性と匿名性の確保
アメリカでは、新聞やTVなどに影響されないように、モーテルやホテルなどに缶詰になることもあります。制誓約した揚句に、家に帰ることは許されても、家族や友人、たとえ電話であっても、事件に関与することについての情報を得ることは許されていません。考えが左右されるようなことで、雑音が入るものは、裁判所以外では入れてはいけないことになっています。

映画の見すぎではないかと思うのですが、アメリカの陪審員制度で、実際に有罪判決が下った場合、ひどい復讐を受けることはまずありません。なぜならば、アメリカのほうが殺人事件に対しての罪科は重く、第1級・2級・3級と分かれており、殺人の第1級ともなれば、死刑か終身刑がほとんどです。有罪にしてしまえば、本人からの報復はほぼないことになり、家族にしてもこれまで、小説や映画以外で復讐を遂げたというのは、私は聞いたことがありません。私は、しょっちゅう法医学ファイルや裁判ドキュメンタリーを見ていますが、事故と同じくらいの確率かそれ以下でしか起きないことでしょう。それを、前倒しで心配するのは、どうなのか?

日本の刑罰が軽いからいけないのだ、復讐が怖い、というのであれば、ぜひぜひ、みなさんが裁判員になって重い刑を科し、さらに更正の道について考えてみていただきたいものです。さらに、裁判員の個人情報を開示した人間のほうに、刑罰が加えられることになっており、それでも裁判員に到達するくらいの、ものすごい情熱とものすごい手間暇とお金を掛けたことは、むしろリッパだと思えてしまうのです。私にはそもそも復讐心がゼロに等しいので、こんなふうに考えるのかもしれませんが、復讐って本当にたいへんよ・・・。大事業よ・・・。

顔を出すだけでも怖いという声があるようですが、そういう人たちの中に、ブログやHPなどで個人を特定できるような情報や写真を載せている方がけっこういらっしゃる矛盾も、いくつも見ています。裁判は、ご存知のように、傍聴者にはID提示もありますし、プレス席でも同様で、事前のしっかりした注意があれば、顔についてもそれほど怯えることはないかと思えるのです。

まぁ、それほど偶然や事故が重なるような、すごいすごいラッキーな方がいらっしゃるとしたならば、私としては、今すぐ宝くじ売り場に走ることをオススメします・・・。同じ父親にSIDS(Sudden Infant Death Syndrome:乳幼児突然死)にかかりやすい子どもが生まれる確率や、生涯で3回も火事に遭うような人は、めったにいないということです。

裁判員の秘密保持に関する問題
むしろ、こっちのほうが現実的な懸念でしょう。ひとりひとりが、故意ではないにしろ、誰かのことを話してしまうことは、日常的に起きます。これが殊裁判についてであると問題になります。アメリカでは、裁判官からの指示があり、記者会見に出る・出ないも陪審員の意思ですし、どの程度・何日間・何について、など細かい指示が出ます。それについて、いちいち誓約書を提出することになりますので、よもや刑罰があるような秘密を漏らす人はめったにいません。

不利益な扱いの問題・裁判員相互の問題・裁判員の資質の問題・職務遂行により疾病に陥る恐れ・障害者の参加などの問題については、だからこそ門戸が開くことがいいのです。社会全体で、この裁判員制度が定着し、意見をひとりひとりが持つようになり、判断力がつき、コミュニケーションがしっかり取れるようになることが望ましいのだから、それを問題点だと考えるのはどうなのでしょう?過渡期に当たってしまった裁判員は、少し損した気分になるかもしれません。が、先駆者というのはいつもつらいものなのです。甘んじて受けましょう。

被告人の権利についても問題視されていますが、「あ!近所のおじちゃん・おばちゃん・お兄ちゃん・お姉ちゃん」のような被告人を見ることにより、軽減されることもあるかもしれず、それはわかりません。人々が、「公平な機会」について、差別について考えるいいチャンスです。

長くなりました。もう少し勉強する時間は残っています。私は早く参加したくてたまりませんが、それまでずっと日本に居られるでしょうか?ここが問題です・・・。

 

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