04/12/2007 にアップした文章です。

 

書く行為というのはすごい!書き言葉を持たない言語は世界にどのくらい残っているか知っていますか?なぜ、「残っている」という表現をするかというと、音声言語が先に発生し、そのあとに書記言語に発達するからです。たとえばこんな文章があります。http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/ro0008.html 言語学を詳しく取ったことがある人ならば、どんどんその灯が先細って居ることをご存知でしょう。かと言って、音声言語を揶揄するものではないので、誤解なさらないでくださいね。

書くという行為は、教育を成された大きな証拠です。獲得せねば身につかないことの代表格。誰に教えられなくてもできるようになる、食べたり飲んだり歩いたりというのとは違うわけです。まず、「読む」が先に来るのですが、絵を描くよりはずっと複雑で時間が掛かります。さて、みなさんはご自分が書けるようになった頃のことを記憶していますか?私は記憶大王なので憶えているのですわ♪←自慢じゃないよなぁ・・・。

母が近所ののんちゃんが幼稚園に上がる前の春休みに、ひらがな・カタカナ・ABCが読み書きできることを知り、たいへんに焦るわけです。4歳なのよね・・・。まだまだノビノビと遊んでいたかったというのに、母は必死になるわけです(笑)。そこで、叔父(父の弟)に頼み、裁縫の型紙の茶色いでかい紙に五十音をひらがなとカタカナで書いてもらいます。そして、壁に張り付け、ものさしで「あいうえお」を教えていったわけです。最初のうちは、まったく興味がないのよ(笑)。外に出て遊びたいわけです。のんちゃんをわざわざ家に呼びつけて、張り合わせたりもするわけですが、ここに私の勝気は生かされず(笑)、やっぱり外で遊びたいわけなのね・・・。そこで役立ったのが、6月の梅雨の日々。外で遊べなくなり、幼稚園でも読み書きができる子たちが数人いることを知った私は、外で遊べないので、躍起となって暇つぶしをするようになるわけです。そうなのよ、私が読み書きができるようになったのは、満4歳と8ヶ月のことなのです。

それからの私は、ただのなぜなぜ坊やになって、母が鬱陶しい!と嘆くほどにしつこかった・・・。そこで、読みが充分にできた私に、書くことを教えるわけです。そうすれば黙ってやるからね(笑)。ほんのわずかなあいだで、書くことも習得するようになり、今度はどこでも書きまくる(笑)。ふすまも障子も字だらけになり、困った母は、「ここに書くのよ」と、トイレに板を張ります。つるつるの板で、クレヨンやチョークで書いたあとに、ちょろっと掃除をすれば何度も書けるという優れモノ。そこで私は、読んだだけの漢字も書いていくようになります。当然、本が充分に買えなかった私の図書館デビューは、幼稚園の本をすべて読みつくし、卒園して、小学校の入学式が始まる前の春休みでした。

小学校に上がってから、私が困ったのは、数字のほう。私は時計が、小学校2年までまともに読めなかったのです(笑)。すごいでしょ?それはそれはすごい劣等感だったことを今も記憶しているのですが、何をどうやっても体得する気がしなかったのは、「時計が読めるようになると時間通りに行動することを約束させられる」ということを、常々両親が言っていたせいです。「カエルが鳴くから帰ろっ♪」が通用しなくなるんだと思うと、どうも消極的になり、いつまでもどこまでも放置しておいたのですね。それまでの私の約束は、「太陽がブランコを漕いでいて見えなくなったら」だとか、「神代植物公園の閉門の曲が鳴ったら」などという、たいへんにアバウトなものだったのです。よかったわね、あの時代。

さて、読み書きを体得した私は、「この世ってすごいな」と小さいながらに思っており、自分の近所のことだけではどうも満足できなくなっていくわけです。そうして、無理無体を承知の上で、どうしても必要だとねだり、百科事典を月賦で買ってもらい、図書館で借りてきた本の内容をさらに深めるために、百科事典を駆使するようになります。勉強はまったくしない子どもだったのだけれども、読むと書くことに関してだけ、調べモノに関してだけは鋭く(笑)、そののち、アメリカに渡るまでは、勉強らしい勉強は一切しないで大人になりました←自慢しちゃいけないよね・・・。

そののち、書道を習うことになるのですが、これは母がまたもや洋裁の先生に影響されたため。そこのお坊ちゃんたちふたりは、のちのち国立・立川というこの近所の学区では一番偏差値の高い高校を狙えるほどになるのですが、せめて彼らの足元に及ぶくらいのことはしたい、と、なぜか母が決めてきてしまったのです。書道はけっこう好きだったせいなのか、中学3年まで続けました。小学校4年からだったので、けっこう長くやったのでしょう。高校の社会の先生が、土曜日を使って教えており、楷書から始めて、行書をやり、その後、草書(参考:http://www18.ocn.ne.jp/~hniiku12/sub2.html)まで進んだのですから、それなりにがんばったのかもしれません。が、がんばった感はほぼなく、墨を磨ることがどうも好きだっただけのような(笑)。どうしても斜めになることがどうも不思議で、何本使ってもどうしても斜めになる。このことと戦いつつ、あっという間に歳月が過ぎたというだけのことだったような・・・(爆)。

ブログごとき、と一刀両断をなさる方も多いのだろうけれども、書く行為というのはなかなかすごい。毎日まいにち、けっこう長めの文章をもう2年くらい続けているのだけれども(Seesaa前は楽天でやっており、そちらのログのほうは、このサイト:http://kikumipastessay.seesaa.net/)、記録としては相当量が残るものなのね。私は書くという行為が苦痛ではないので、小さい頃も日記をつけており、10歳から25歳まで続いたのです。16年くらいの実績があり、やめるときは躊躇したのですが、アメリカに渡ったあと、どうも日本語にこだわりぬいていたら、きっと英語が思うように伸びないだろう、と思い至り、堪えてやめることにしたのです。

そして、気づいたらめちゃくちゃな日本語を書くようになっており、今でもかなり体言止めや結論を先に、という手法が残っており、まともに読める文章が書けるように戻るまで、相当の歳月を要しました。読むことと書くことは違うのよね・・・。読んでいるから大丈夫ってわけではないのは、漢字テストをするとわかるのよーん(笑)。さらに、話せるから、聴けるから大丈夫というわけでもない。やはり書くという行為には、口語ではなく、文語体のノウハウがちゃんと秘められているのだ。ということは、元に戻りますが、書記言語である日本語を母国語に持ち、たいへんにありがたいということになる。

それゆえに、こだわる人はこだわる振り仮名のつけかたがあったり、漢字の使い方があったり、と、読む者である私も、書くことに限らず楽しめるのである。書くときは、自分が書き手になり、それなりに表現について意識していることになり、試されている気もしてしまうわけです。最近は教えるという生業をしているのですが、それには書くことが必須。書くことにより、生徒さんの印象を強烈にし、図解し、記憶を強化するのです。説明もすっきりし、書くことができなかったら、教えることそのものが何倍も難しくなります。

話すことも、通訳として商売にはしているのですが、すべてを一気に記憶できないがため、メモもしょっちゅう使います。がゆえに、書くことができてよかったなぁ、とつくづく思うのです。ありがたいよぉ。しかも、書くことが苦痛でなくてよかった。読むことが苦手ではなくてよかった、と、さらに感謝感激雨アラレなのです。最近、何か書いていますか?私としては、やはりこのブログは出来る限り続けていきたいと思っています。もう二度と書く日本語は失いたくないですしね・・・(汗)。

 

Infant child crawl