05/16/2007 にアップした文章です

なんだかかなり安易に使っている単語にコレがありますが、人がコレを持っているかどうか?というのを、「攻撃的かそうでないか」だったり、「熱意があるかないか」だったりのバロメータにするようです。この使い方は正しいのか?今日はそれを検証してみます。本当に暇なやつだな・・・って!?ぎゃははははは。考えてしまうのよねぇ。私も「野心家」などと言われていた頃があるし、今もきっと聴こえないようには言われているのだろうしね。私は誰かに「野心がある・ない」だとか「野心家」などとは使わないようにしています。

野心:(1)現状よりもさらに高い権力・名誉・財力などを得ようとする心。ひそかにいだいている分をこえた望み。(2)(野の獣が人になれないように)なれ服さないで、害そうとする心。謀反の心。

ちょっと余談なのですが、「やしん」というと響きと発音に大差がなく、どうしてもアイスホッケープレイヤーの選手を思い浮かべてしまうのだ。http://en.wikipedia.org/wiki/Alexei_Yashin ロシア人なのですが、主軸選手で、けっこうかっこいい♪写真はコレだ。あとの数字はわからない人にはチンプンカンブンだと思う(笑)。私にとっては、そこそこいい選手だし、一流だとは思うのだけれども、華がイマイチ足りないのだろうなと思う。しかもこことWikiの体重差がすごい(笑)。NHLのほうを信用しよう・・・。
http://www.nhl.com/nhl/app?page=PlayerDetail&playerId=8458939&service=page 
ついでなので、(私の)Joeの統計も出しておきます。やっぱりすごい数字だよなぁ・・・。ホッケーを見て楽しいのはこのへんの数字を見ることにもあり。日本のサイトってこれくらい充実してるのかな?野球ファンの方、こういう細かい統計があるページください>自分で探すほどの気力がなく、さらにどこのファンというのがないので、どこを探したらいいのかわからず・・・。やっぱり動機とか情熱って大切よね♪
http://www.nhl.com/nhl/app?service=page&page=PlayerDetail&playerId=8451101&tab=crst 

さて、自分についてまず考えてみるに、私には野心があるか?この定義には「など」と書かれているのが曲者で、やはり私には野心はたくさんあります。お金の高ははっきり数字として決まっており、それ以上は欲しないこともわかっていますが、「そのときになってみなけりゃわからんだろ・・・」と疑う人にはそのときに立ち会ってもらうしかないことになります。私は権力や名誉などはこれっぽっちも欲しくはないですが、学校に行き続けても生活していくお金が心配ないだけの高は欲しい。なので商売を始めたわけです。学校に行き続けたいという理由の中のひとつが、やはり「知識欲」という野心であるかもしれず、ところがこの定義と反するのは、「ひそかにいだいている分をこえた望み」というのは当てはまらない。

なぜならば、私は、計画は実行するし(実現できなければ実現できる方向でまた計画を練り直すので、必ず実現する)、有言実行をモットーにしているし、今より確実に知識がついたり、賢くなってゆくのは必然なことなので、野心ではないような気がする・・・。人間は必ず発達していくので、老いて生物的組織の破壊や損壊が起きない限りは、私はずっと成長し続けていくことは確かです。スピードが緩やかになるとは思いますが、24歳を過ぎて渡米してからの勉強のほうが、ずっと濃かった。もちろん、それは遊びながら大人になることに恋焦がれながら、学習の基礎を身につけた子ども時代があってこその積み重ねですが、それをいかように使うか、応用するか、にしっかり至るには、渡米してまた英語をやったり、航空学校に行ったりという経験を経て、さらに大学に通ったことは大きかった。あの年齢であったからこそよかった、と、悔しいからではなく言えることでもあります。

そして、(2)の謀反の心ですが、多少あるかもしれない(笑)。
謀反気:(1)謀反を起こそうとする気持ち。(2)世間や人に対して反抗しがちな気性。
謀反:(1)時の為政者にさからって兵を起こすこと。(2)(「謀叛」と書く)古代、律の八虐の一。国家への反逆をいい、謀反(むへん)・謀大逆(ぼうたいぎやく)に次ぐ第三番目の重罪。

特にアナーキーでもないし、うんと左でも右でもないのです。主義主張をきちんと組織として体現し、誰かと徒党を組むなどということそのものが、すでに私の基本概念から外れているので、商売もうまくいかないのかもしれません(苦笑)。あるパワーを持つ団体とそこに属する個人に対して、私はそっけない第3者でしかあらず、彼らを変えようとか煮たり焼いたりしようなどという明確な気持ちがあるわけではないのです。日本政府にしろ、Bush政権にしろ、完璧であるはずもなく、愚痴や不平や提案はいくらでもできますが、私の職業は「批評家」ではないので、特に政治向きに関してはしたくないぞ、という規律を自分で持っています。やるならば、コミットメントが必要で、私もそこに巻き込まれてしまう気がして、気後れするわけです。

だけれども、世間や人に対して反抗しがち、という気質は生まれもって大きいのでしょう。それは、わざとやっているのではなく、いろいろな軸(昨日の座標についてのエッセイ参照)で正規分布を作ってみても、私はいつもZスコアの+と-の1の中に入ることが少ない。つまり、100%のうちの68%から外れているわけです。32%のどこかにいることが多い。ささやかで重要な違いの場合、これは自分の意志ではなくとも、世間のほうから「あんた抵抗してるわね?」とみなされることになってしまうんだな・・・。たとえば、女の子で育つ段階で、ピンクや赤やオレンジや他のパステルカラーが嫌いだった・・・。濃紺やグリーンやブルーばかりを選び、とうとう傘は黄色(注意信号の色)で、雨靴は買ってもらえなかったという経歴は、以前お話しました。

特に、誰かに対して抵抗しようとしている強い意志を持っているわけではなく、生まれ持ったものに素直に従おうとすると、世間に抵抗することになってしまうので、野心の現れと解釈されると心外ではあります。

しかも、私と違う方法や好みや考えに対して、「害そうとする心」などは持っていないですしね(爆)。他人は他人。私は私。事実はひたすら受け止めるだけであって、変わるも変わらないも本人が決めることです。決断せずに流されるようであれば、意志や動機が伴っていなかったのだろうから、私が私の方法や考えなどを話したときに影響されてしまうのは、きっと必然的に起きていることなのでしょう。なので、いいこと・個人の益になることを語るように、日々心がけるように自分を躾けてきました。そのいいこと・益とは、「たとえ変化するにしろ、現状より学習や成長すること」です。なので、時折、ただのいぢわるで高飛車なやつになることもあるのでしょうが、他人に好かれることは欲していないので、かなりどうでもいいことです。

野心がきっちり見えるようにあり、権力や名誉やお金がほしい人について、特に卑下する気持ちもありません。ただ、「うひー、キリのないたいへんなゲームに参加しちゃってるよなぁ。疲れないのか?」という感想はあります。私はズボラなので、そんな長期戦のキリのない、砕身する日々が続く、他人を巻き込むゲームというのは、とうてい苦手だということがはっきりしており、参加できないわけです。しかも、基本的にひとりが好きなので、権力も名誉も欲しくない(爆)。お金は食べるものや住むところや保険金やその他、必要+ゆとりがあることができれば、それ以上のものは欲しくないですもん。メイドさんとか要らないしね・・・。

さて、みなさまは野心があるのでしょうか?野心という語彙について誤解はしていなかったでしょうか?今、『真田太平記』を読んでいて思うのですが、幸村という人には、徳川政権を阻止して自分が天下を取るという野心はなかったね・・・。ただ、戦という自分を試す土俵で最大限の能力を発揮して、どんなふうに時代に自分が残っていくのか?を見たかっただけの、やんちゃ坊主だったように思える。それは、池波正太郎の術中に嵌まっているからそんなふうに見えるだけで、実際の真田幸村がそういう人物だったどうかはわからず・・・。

しかし、Wantingというのはキリがないので、気をつけねばならぬもんですなぁ。