05/20/2007 にアップした文章です

 

夕べ、西さんと話していたのですが、「物理的に不可能ということについて」。それは、西さんが今読んでいる本、『阿片戦争』(陳舜臣)で、私がなかなか読み終わらない本が『真田太平記』。西さんは、中国のでかさにやたらめったらと感心しており、さらに、自分が知らなかったアヘン戦争について学んでいる模様。私のほうは、『火の国の城』『編笠十兵衛』に続いて、忍者が出てくるもの。なので、このお題なのです・・・。私たちには子どもがいないので、なんだか漠然とした話をするゆとりがあり、それでも何かディベートちっくになり、不思議な風景かもしれません。

物理的:(1)物理学によって認識したり、されたりするさま。(2)物事を広さ・重さ・時間など、もっぱら数量化できる面からとらえるさま。
不可能:可能でないこと。できないこと。また、そのさま。

昔の人々は、特に誰というわけではなく、現代人よりずっと元気だったように感じるのは、西さんと私だけではないでしょう。乗り物が発達していなかったため、人々は歩くしかなかった。時には駆けた。西さんが読んでいる本には、中国の都や町のあいだの漠然とした距離が書いてあり、本には地図もついているのですが、それを、本格的に地図で調べてみると、ものすごい距離なのだ。とにかく広い。そこを、戦とはいえども、人々は移動したのだから、その移動という大事業に見えることをしたのち、生命を賭けて闘ったのだからすごい。

私が読んでいる『真田太平記』のなかで、イチバンすごいなと思ったのが、加藤清正の移動距離。英語では、Mobility(可動性)といいますが、彼の生まれは、愛知県中村(今の名古屋市中村区のあたり)。ところが、織田信長に命ぜられるまま、豊臣秀吉と同様、全国を駆け巡ります。さらに、太閤が天下を取ったあと、朝鮮の役で第二陣を賜った彼は、中国大陸も移動します。かわいそうなのは、あまりに奥地まで攻め込み食糧が足りなくなり、漆喰の壁をむしりとって水分を摂ったという経験談です。カンラカンラと笑って、「わしはあのおり死ぬかと思うたぞ」などと、文中では言うのですが、壮絶だ・・・。そののちも、生き延びたがゆえに、徳川家康の命ずるまま、熊本に移動し、そこを本国としつつ、江戸と伏見にも城を構えるわけです。その往復回数たるやすごい。さらに、家康に命ぜられるままに、徳川家の城も立てるんですね。加藤清正は当時、最も優れた建築家であったのです。しかも、工事では、自らもろ肌脱ぎになり、人夫たちといっしょに歌いながら働いたということなのです。彼の移動距離はすごい。しかも、そのあいまに、知り合いの大名の封ぜられた地を訪れたり、中村まで戻って金品を与えたりしている・・・。

イマドキのCEOや重役には、ジェット機もあるし、新幹線もありますが、彼らにあったのはせいぜい馬・・・。しかも、サラブレッドじゃないんですもんね・・・。

現代人には不可能と言えるほどの移動だった、という話から、今度は、真田の忍者の話になり、お庭番その他の忍者には、本当にあのような能力があったのか?という話になりました。

たとえば、ぴょんと天井裏まで音も立てず跳ぶことができたのだろうか?これは、大昔の家屋の天井が低いにしろ、人々の身長も今の平均よりは小さかったのでどうなのだろう?という物理的な話になり、「物理的に不可能」というのが、西さんの言。そこで私は、池谷幸雄の筋肉番付の跳び箱23段の話をしたのです(爆)。もちろん、アレには踏み板がありますが、公的にはアレ、3m6cmだそうです。天井まですんなり跳ぶのは、きっと足裏から足裏まで考えると、それくらいなのだろうから、「物理的に可能かどうか」微妙なところ。踏み板もありませんしね・・・。

たとえば整息もそうなのですが、私は子どもの頃から本気で試してみるやつなので、向井佐助やその他、登場人物がやる通りに、練習をしてみたのです。でもねぇ、自分の息の音が大きく聴こえてたまらん(爆)。息で匂いを発し、息で音を発し、息で体温を発しているので、息を整えて無機物のようになることが必要なのだそうです。

そして、なんでも調べてみないと気がすまない私は、こんなサイトを発見。
http://www.syuriken.com/ninja_content/ninja-skills-zyutu3.htm
http://profiska.hp.infoseek.co.jp/ninjya/jyutu.htm こっちのほうがさらに数が多い。

うがぁ、こんなことどれも人間業には思えないんだけどなぁ(笑)。だいたい、足音が出ない歩き方をできないのが、西さん(爆)。寝ていると床が揺れる感じなんだよねぇ。体重は軽いのにどうしてなんだろう?読唇術(Lip Reading)を闇夜にやるなども、しょっちゅう場面として出てくるのですが、やっぱり鳥目だと忍者にはなれないんだろね・・・。しかも、彼らの移動は飛ぶように速い。大阪-上田(長野)を2日ってやっぱりすごすぎる・・・。バスで10時間だから、やっぱり300キロ以上はあるんだろうなぁ。1日150キロって、フルマラソンの3.56倍くらい・・・。だから、1日でフルマラソンを4回やってるような気分なわけよ・・・。そんな体力ってどうなのかしらね・・・。そんなところを素人さんたちに露骨に見せるわけにもいかないだろうから、街道筋は人がいない時間しか通れないだろうから、山道ばかりを選ぶとしたらもっとたいへんだ・・・。というか、昔は山道をちょろっと整備したくらいの道ばかりだったのだろうけれども・・・。

けれども、私はこういった文献を伊達や酔狂で残したとは思えないでいます。もちろん、誇張は多少あるにしろ、教本としての意義があるのであれば、目標として、それに近いものはきっと複数の忍者が達成していたのではないかと推測するのです。

超能力者だってそうじゃないですか・・・。私は自分に超能力がないからという理由で、他人がもしかすると持っているかもしれない力を否定することはありません。自分が持っていないので実感ができなかったり、猜疑心が強い傾向があるとわきまえています。超能力などゼロだとは思えませんが、超すごいテクニックを駆使したマジックとの差がどこなのか?と、詐欺に遭いたくない気分で見ることはあるのでしょう。けれども、実際にサイキックが遺体の場所を言い当てたり、探し物をしっかり見つけたりした現場は、ドキュメンタリーで実際に見ているし、現役あるいはリタイヤした警察官の「信じていなかったけれども信じるようになったよ。彼女についてはね」などという言を聞いているので、超能力者もゼロではないと思っているのです。

なので、忍者の件や、昔の人の移動距離なども、「物理的に不可能」だとは思えないでいます。だって、ガン治療だって、Placebo Effect(プラシボ効果)を使って、自分の免疫力を最大限に引き出して治してしまった人だって、10人や20人ではないですからね・・・。脳というのは、宇宙を内包しているようなすごいものなのですから、きっと私たちが知らない、認めたくもない、すごい能力を秘めているに違いない。哀しい哉、私が凡人なために、それが発揮できないでいるわけです。

せめて、あやかりたいので、ちょっと真剣に歩いてみることにします(笑)。