05/24/2007 にアップした文章です。

 

なんだかたくさんの人々が寄って集っていろいろなことを言ったり書いたりしていたので、なんだか尻込みをしていました。もうちょっと体系的に考えてみようかと思います。いよいよアメリカに行く日が近くなったので、今まで長らくやっていなかった、エッセイの書き溜めをしなければならない、というのがあるので、難しいことを書いてみようかと(笑)。うーん、こういった色気はいかんなぁ・・・。邪心に満ち溢れておる・・・(どうも言葉遣いが時代劇調になっている・爆)。

HP:http://www.kyouiku-saisei.go.jp/ 
メンバー:http://www.kyouiku-saisei.go.jp/pdf/03_iin.pdf

最初からの疑問は、メンバー構成についてまったくわからなかった・・・。東大や立命館などの「権威と経験数」については納得するにしても、イマドキトレンドを網羅していたり、スポーツや芸能系や母代表みたいなメンバーを入れるにしろ、なんだか偏っている・・・。このメンバー全員って、私などからしてみると、国の代表であってほしく、μからの無作為抽出ではなく、あくまでプロの集団であってほしいのだけれども・・・。さらに、そのプロの集団でも、μのほとんどである「平易な言葉できちんと説明されなければしっかり理解まで到達できない」ことをしっかりわかっており、コミュニケーション方法論やその他をしっかり網羅している人でなければ、まったく意味をなさないのではないかと思っているのです。オリンピックに出場したからと、なぜスポーツ界全部の代表者にしちゃうっていう大雑把加減があるのかなぁ、などというのは、私の個人的な疑問ではなく、理屈にも合わないですよね・・・。

ペーパーワークがさらに手落ちなのが、コレ(爆)。設置における説明文の主旨らしいのだけれども、まったく何もなしていない感じ。私の小学校6年のときの学級会の書記のほうが、きちんと要約ができていたと思うのは、気のせいなのかしら?(笑) http://www.kyouiku-saisei.go.jp/pdf/01_secchi.pdf 

これが、第一次報告>http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/kettei/070124gaiyou.pdf 
本文のほうは、目次だけで4ページに渡ります。全体で、28ページ。お時間がある方はぜひどうぞ。本題は7ページくらいから始まります。11・12ページはうさんくさい、国家による洗脳を思わせます。誰がどういう人間になりたいのか、日本人になりたいのか、を国家に決め付けられる謂れなどありません。13~15は教員の質とその制度についての検討です。16~19は教育委員会や学校そのものの存在についての見直しと理想論です。20・21は家庭や地域と子どもや学校との関係の理想の姿。23が企業、24が社会全体として、と理想をかなり並べ立てています。24から27にはそれらの目標に対しての問題点を述べています。

私個人としては、「そもそも押し付けがましいんだよっ!」という態度が受け容れられないので、このプレゼンすべては、特に説得される内容になっていません。

さらに何事も長引いて、特に決定的なことが決まらないのだろうな、という予感を強化するのが、このページ。http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/kaisai.html 総会は1時間半ほどしか費やしておらず、特に意義のある発言は見当たらない(きっぱり言い切ってごめんなさい・・・)。分科会も2時間。週に1回というペースでは行われている分科会ですが、議事内容を見ると、それほど進んで突っ込んだ問題に取り組んできている進歩が見られないように思えて残念です。

いじめ問題に至っては、このわずか2ページの文書ですよ・・・(汗)。あれほどマスコミに取り上げられ、何時間を費やして、どれほど国民のお金を使っているのか知りませんが、莫大なはず・・・。しかも、有識者の中には、そのメンバーになったことでTV出演を増やし、個人収入を増やしている人までいるではないですか・・・(誰って言わなくてもわかってるよね・爆)。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/houkoku/siryou1129.pdf 

この教育再生会議の存在意義は、そもそも何なの?
「手をつけましたよ」という宣言のためだけにあるわけなの?
それとも「内閣のイメージアップ広告キャンペーン」なの?
で、ちょうどぴったんこだったので、NHKの参議院国会中継を見てみたのですが、すんごいのらりくらいじゃねーか・・・(汗)。国民の関心が高まるだのどうのじゃねーよ・・・。自分の持ち時間20分のうちの回りくどい挨拶部分は、最小限に削れないのかよ・・・。などと思うのであった・・・。しかも、あの絶え間ないフラッシュは何なのだ?どうしてあんなにたくさん写真を撮らねばならぬのだ?フィルム代がもったいないだろよ・・・(デジカメにしろ、コストはかかるのだ)。

子どもの人格形成について、どうして国にとやかく言われなければならないのか?を、もう一度問いたいのだけれども、誰が応えてくれる問題でもないのかなと、このエッセイの質を考えると戸惑う・・・。きっとコメント欄で校長センセが応えてくださるでしょう(笑)←依頼心。

国に掌握され、国に指導され、国に管理されねばならぬほど、日本国民は堕落しきっており、勤勉ではなく、生きる意志が目減りしているのか?と、疑問を持たざるを得ないよ・・・。それは私が学んできた、生物学という科学を基にした、社会科学の基礎から外れていることだ。哲学にしろ心理学にしろ社会学にしろ、100歩譲って政治学を含むにしろ、人をコントロールしてやる、という態度に、人はかなりの可能性を以って逆らうものなのだよ。それでも他人を御したいのであれば、たくさんのテクニックを駆使する化かし合いになってくる。それが、国家という正統な団体がやっていいこととは思えないのだ。いや、実際に歴史的にはやってきたから、戦争もあり殺戮もあり、福祉の不充実があり、どんなに富んでも餓死はいまだに起きるのだけれども・・・。

そこの基本がわかっていない人々が、何人雁首を揃えたって、どんな結論になるのかわからん・・・。テクニックの充実?いいでしょう。だったら、私のように抵抗するであろう分子を、かっきりきっちり気持ちよく騙くらかしてほしいよ・・・(これ、スムーズに変換できないからどっかの方言なのね。騙す、ではちょっと力が入らない感じなので)。

これがクリアになって初めて、個々の問題に対しての突っ込みができるのです。教育勅語などもこのところ読み返していますが、福沢諭吉の学問のすすめもどっかで読もうと思い直しています。

ただし、国会答弁の資料を、国会議員も自分のHPにアップデートしたりして、国民が国会中継を見ているかもしれないことをしっかり意識しているのは、昔と違うなぁと感心しました。ロッキードの頃にコレがあったらねぇ、と←古すぎるよっ(爆)。でも、重箱の隅は突かれてるよね・・・。ということは、やはりメンバー選出やシステムに問題があるわけなのよね・・・。ボタンの掛け違えは、自分のカーディガンのおなかのあたりですでに始まっており、襟元まできちんとボタンがはまるかどうか、ダウト・・・。

こうして最後まで苦しむのは、子どもたちで、その子どもだった私は、自力でお金を貯めて、渡米して、学問をある程度修めて抵抗していくしかないわけなのよね・・・。でも、みんなにそれができるわけもなく、ましてややりたいことでもないのだろうから、パワーゲームでは力を持っている人が勝ちになっちゃうんだよねぇ・・・。なんだか、教育問題じゃないところが、やっぱり最初からの間違いなんだろな・・・。