日本の英語教育の実態

けっこうな長い期間、英語を教えてきました。まだまだ精進せねばならぬところはあるものの、基本的な態度は大きく間違っていないと自負しています。なぜならば、私の生徒さんたちには、一定の成果が出ており、Precious One English Schoolでは、成果保証制度が導入できるようになっているからです。もしも、成果が上がらなければ、スクールは潰れているところです (・・;) 

 

TOEIC中心に英語力を測る風潮が、長らく日本に根付いていることを知ったのは、2008年です。10年前のことですが、10年経ってもまだまだその悪い風潮は残っています。政界でも経済界でも、少しずつではありますが、このTOEIC神話をどうにかして変えねばならない、という態度を示してきつつあるのに、ニュースにビンカンではない方々は、その真意やバックグラウンドについて、取り残された感もあるのかもしれません。

 

英語教育には2面あります。

 

1.文部科学省が推奨しているもの

2.商業的英語スクールが実践しているもの

 

そして、私はまぎれもなく後者なのですが、教育支援という本質から外れないシステム・料金・レッスン内容にするために、日本に戻ってきて10年、まだまだ試行錯誤しております。そして、限りなく、自分が英語を学んできた立場にいつも立ち戻り、どうにかして、安価で修得期間が短く、同じ行動でいくつものスキルや考え方が身に付き、通いやすいあるいは学びやすい、時間が経ったあとも振り返りやすい、などと、いろいろなことを考えながら、まだまだ進化中です。

 

さて、文科省が推奨している内容は、かたつむりのスピードで進化していることは、みなさん気づいておられると思います。実際には、未だ日本の英語教育はBritish寄りで、実際に世界では、British EnglishがAmerican Englishにどんどん影響されている事実に、寄り添っていないものではあります。Harry Potterの作者:J.K. Rowlingが、映画を作るときに「キャストは全員イギリス人で」としたのには、やはり理由があるのです。Americanを入れないことによって、古いイギリスの文化に根付いたストーリーをしっかりと流布したかったためでしょう。

 

そうなんです、古いんです。日本語を学んでいる外国人の方々がたくさんいらっしゃいますが、彼らも同じ悩みを抱いています。しっかり学ぶと、文語を多く学ぶので、口語での展開・応用がかなり難しい、と。

 

文科省の悶絶はこのへんなのだろうと思います。実際に使えないわけです。読んだり書いたりはできるが、聴いて話すことに関しては、まだまだ課題が残る教え方しかしていないわけです。

 

そこで、国策としてやったことは:

・外国人講師の招聘

・ListeningとSpeakingの強化

・英語教育の小学生までの引き下げ

それに伴い J-SHINEなどのシステムを作る

小学生に英語の成績がつくことを表明

・AO入試に留まらず、2020年から入試に英検・TOEIC・TOEFLにより英語試験の導入、および教科免除

・さらに、2020年からの英語入試問題は、考える力の他、日本人が苦手としてきた分野を強化する

 

ただ、悲しいことにこの成果が上がるのには、気の遠くなるような時間がかかるのです。現に、私のTeensクラスの、小中学生は、帰国子女・インタースクール経験者と、生粋の日本教育システム経験者では、英語力に雲泥の差があります。たとえ部分的な駐在に帯同した数年があるかないかであっても、ここには大きな差が出ます。

 

なぜなのか?

 

英語教育が始まったのは、明治時代ですが、その頃から、本当にかたつむり程度のスピードでしか変わっていないことが最も大きな原因です。時代が変化していることに、行政がついていっていない。もちろん、政治においては、教育を整える以外に手をつけねばならぬことはたくさんあるかもしれません。現に、災害・テロ・DVに関する法律・法令・条令なども、さっぱり追いついていません。

 

であれば、官民の方向性がズレを生じていてもかまわないが、少なくとも「進化」に向けたものであらねば、国民や消費者としては困ったものなのです。

 

現在、官がアテにならないと感じた人々は、商業的英語スクールに対して

・補完として

・メインとして

・両立として

選ぶ選択肢があります。

 

ところが、商業的英語スクールも、「儲けるありき」の傾向が強く、これまで長きにわたり、成果を上げてきてはいません。なぜならば、「いったん集客したら長く集金できたほうがいい」からです。あまりに成果を上げてしまうと辞められてしまうので、また集客せねばならぬからです。

 

1980年以降、30数年の長きに渡り、たくさんの人々が、この英語スクールに行き、実際に話せるようになった人の割合を、もしも統計で取ったらどうなることでしょうか?恐ろしい数字になることは、すでに予見できるのではないでしょうか?

 

もしも、画期的な方法論があれば、もう誰もスクールには通っていないはずなのです。しかも、大人の場合、脳がしっかりと発達しており、一芸に秀でた法則性が助けてくれるはずなので、それほどの時間もかかるはずがないのですが、文科省が与えている義務教育と、その後の高等教育の傾向のため、成人してからの学習も効率が決していいわけではない、という結果が伴っていることが、たいへんな痛手です。

 

NOVA問題もありましたし、その後も、商業的英語スクールは、手を変え品を変え、たくさんの人々からお金を搾取しながらも、成果を出せないままのことが多いように思います。もちろん、統合的な結果は、受講する個人の態度や動機、生活習慣や考え方に依るものが大きいのですが、それでも、レッスン内容やコースやシステムなど、本当に充実したものだったのでしょうか?

 

Precious One English School はたいへんに貧乏なスクールです(笑)。まったく儲かっておりません(きっぱり)。なぜならば、これらを踏まえて、肩書として、ポジションとしては、商業的英語スクールではあるが、目指すものがあって安価にしているからです。だったら、マンションの一室で限られた人々に教えて成果を出せばいいではないか、というご意見も、これまで何度も賜りました。

 

ワタクシ個人の正義感として、やはり商業的英語スクールを部分的に残したとしても、どうしても成果を上げて、みなさまに最短のスクーリング期間で、安価でマスターしていただきたい、という想いがあります。それであれば、どうにかして多くの方々の目に留まるように、と、野望すら抱いてしまうわけです(笑)。

 

英語がマスターできない大きな原因のひとつに、「日本語教育の程度」があります。戦後しばらくは、教育の機会が問題でしたが、現代は教育の場は与えられる保障があります。とはいえ、国語の重要性が語られることがない、商業的英語スクールで、一体何が学べるでしょうか?

 

英語を学ぶみなさんの基本体は、日本語で思考し続けてきた事実からは逃れられません。その充実度を測りながら、一般論化せず、必ず理解までに繋げ、暗記・演習の繰り返しを避けた方法を、どうにかして日本中に「あたりまえ」として流布したいという情熱が、私にはあるわけです。

 

多読・多聴を超えた方法論が求められていると思いませんか?

 

それゆえ、心理学を英語と同じくらいに学んでいただき、自分を日本語で整える時間と並行させながら、英語を学んでいただいております。

 

オンラインでの安価な英会話・カフェレッスンなど、いろいろな形で進化していますが、Nativesから学ぶ英会話には、論理がありません。多読・多聴から抜け切れてはいないわけです。RIZAP方式(マンツーマンで充分すぎるほどケアされ管理される)であっても、多読・多聴を推進しますし、それに「見られている」「支えがある」という心理的な面を加えたものです。

 

実際のところは、お金がない方々は、独学をしておられます。その独学教材も「儲からない限りやらない」「素人があれこれ試行錯誤した結果」が、インターネットに蔓延しており、何が正しくて、何が自分の参考になるのか、まだわからないままの方々が多いのではないでしょうか?

 

ならば、と、Precious One English Schoolでは、

・2年以内に独学体制に必ずなる

英語を生活に取り入れ習慣化するまで

・何が正しくて何がそうではないのかを見極められるようになる

・時間管理ができる

・自分のことを深く知ることができる

・使える英語を目指し、いつも使える環境を整える

 

 

などを実現しようとしています。現在の日本の英語教育の実体とはかけ離れており、「本当にその値段でそんなことができるの?」と、多くの疑念をいただいておりますが、やはり最後には、自分でしか闘えない領域があり、そこをどうカバーしていけばいいのか?を、まだまだ模索中です。生徒さんひとりひとりが、自分の人生をどのように真摯に捉え、英語がどのくらい必要なのかを自問し、そのためにどれくらいの何ができるか、を常に考えていただける1年から2年を提供しようとしております。しかも、できるだけ安価で。

 

とにかく、今、このコラムを読んでいるみなさまの課題は、「一体どのようにすれば使える英語が身に着くのか?」の問いに答えを見出すことです。それらを考えたくないままでは、今後も、たくさんの教材を買って試行錯誤し、たくさんのスクールに通い成果が出ないままで、よしんばある程度使えると思っても、満足がいかないままになると思います。

 

次のコラムは、「TOEIC神話」についてです。1週間に1回程度のアップを予定しております。

 

 

 

日本の英語教育の実態

けっこうな長い期間、英語を教えてきました。まだまだ精進せねばならぬところはあるものの、基本的な態度は大きく間違っていないと自負しています。なぜならば、私の生徒さんたちには、一定の成果が出ており、Precious One English Schoolでは、成果保証制度が導入できるようになっているからです。もしも、成果が上がらなければ、スクールは潰れているところです (・・;) 

 

TOEIC中心に英語力を測る風潮が、長らく日本に根付いていることを知ったのは、2008年です。10年前のことですが、10年経ってもまだまだその悪い風潮は残っています。政界でも経済界でも、少しずつではありますが、このTOEIC神話をどうにかして変えねばならない、という態度を示してきつつあるのに、ニュースにビンカンではない方々は、その真意やバックグラウンドについて、取り残された感もあるのかもしれません。

 

英語教育には2面あります。

 

文部科学省が推奨しているもの

商業的英語スクールが実践しているもの

 

そして、私はまぎれもなく後者なのですが、教育支援という本質から外れないシステム・料金・レッスン内容にするために、日本に戻ってきて10年、まだまだ試行錯誤しております。そして、限りなく、自分が英語を学んできた立場にいつも立ち戻り、どうにかして、安価で修得期間が短く、同じ行動でいくつものスキルや考え方が身に付き、通いやすいあるいは学びやすい、時間が経ったあとも振り返りやすい、などと、いろいろなことを考えながら、まだまだ進化中です。

 

さて、文科省が推奨している内容は、かたつむりのスピードで進化していることは、みなさん気づいておられると思います。実際には、未だ日本の英語教育はBritish寄りで、実際に世界では、British EnglishがAmerican Englishにどんどん影響されている事実に、寄り添っていないものではあります。Harry Potterの作者:J.K. Rowlingが、映画を作るときに「キャストは全員イギリス人で」としたのには、やはり理由があるのです。Americanを入れないことによって、古いイギリスの文化に根付いたストーリーをしっかりと流布したかったためでしょう。

 

そうなんです、古いんです。日本語を学んでいる外国人の方々がたくさんいらっしゃいますが、彼らも同じ悩みを抱いています。しっかり学ぶと、文語を多く学ぶので、口語での展開・応用がかなり難しい、と。

 

文科省の悶絶はこのへんなのだろうと思います。実際に使えないわけです。読んだり書いたりはできるが、聴いて話すことに関しては、まだまだ課題が残る教え方しかしていないわけです。

 

そこで、国策としてやったことは:

  • 外国人講師の招聘
  • ListeningとSpeakingの強化
  • 英語教育の小学生までの引き下げ
  • それに伴い J-SHINEなどのシステムを作る
  • 小学生に英語の成績がつくことを表明
  • AO入試に留まらず、2020年から入試に英検・TOEIC・TOEFLにより英語試験の免除
  • さらに、2020年からの英語入試問題は、考える力の他、日本人が苦手としてきた分野を強化する

 

ただ、悲しいことにこの成果が上がるのには、気の遠くなるような時間がかかるのです。現に、私のTeensクラスの、小中学生は、帰国子女・インタースクール経験者と、生粋の日本教育システム経験者では、英語力に雲泥の差があります。たとえ部分的な駐在に帯同した数年があるかないかであっても、ここには大きな差が出ます。

 

なぜなのか?

 

英語教育が始まったのは、明治時代ですが、その頃から、本当にかたつむり程度のスピードでしか変わっていないことが最も大きな原因です。時代が変化していることに、行政がついていっていない。もちろん、政治においては、教育を整える以外に手をつけねばならぬことはたくさんあるかもしれません。現に、災害・テロ・DVに関する法律・法令・条令なども、さっぱり追いついていません。

 

であれば、官民の方向性がズレを生じていてもかまわないが、少なくとも「進化」に向けたものであらねば、国民や消費者としては困ったものなのです。

 

現在、官がアテにならないと感じた人々は、商業的英語スクールに対して

・補完として

・メインとして

・両立として

選ぶ選択肢があります。

 

ところが、商業的英語スクールも、「儲けるありき」の傾向が強く、これまで長きにわたり、成果を上げてきてはいません。なぜならば、「いったん集客したら長く集金できたほうがいい」からです。あまりに成果を上げてしまうと辞められてしまうので、また集客せねばならぬからです。

 

1980年以降、30数年の長きに渡り、たくさんの人々が、この英語スクールに行き、実際に話せるようになった人の割合を、もしも統計で取ったらどうなることでしょうか?恐ろしい数字になることは、すでに予見できるのではないでしょうか?

 

もしも、画期的な方法論があれば、もう誰もスクールには通っていないはずなのです。しかも、大人の場合、脳がしっかりと発達しており、一芸に秀でた法則性が助けてくれるはずなので、それほどの時間もかかるはずがないのですが、文科省が与えている義務教育と、その後の高等教育の傾向のため、成人してからの学習も効率が決していいわけではない、という結果が伴っていることが、たいへんな痛手です。

 

NOVA問題もありましたし、その後も、商業的英語スクールは、手を変え品を変え、たくさんの人々からお金を搾取しながらも、成果を出せないままのことが多いように思います。もちろん、統合的な結果は、受講する個人の態度や動機、生活習慣や考え方に依るものが大きいのですが、それでも、レッスン内容やコースやシステムなど、本当に充実したものだったのでしょうか?

 

Precious One English School はたいへんに貧乏なスクールです(笑)。まったく儲かっておりません(きっぱり)。なぜならば、これらを踏まえて、肩書として、ポジションとしては、商業的英語スクールではあるが、目指すものがあって安価にしているからです。だったら、マンションの一室で限られた人々に教えて成果を出せばいいではないか、というご意見も、これまで何度も賜りました。

 

ワタクシ個人の正義感として、やはり商業的英語スクールを部分的に残したとしても、どうしても成果を上げて、みなさまに最短のスクーリング期間で、安価でマスターしていただきたい、という想いがあります。それであれば、どうにかして多くの方々の目に留まるように、と、野望すら抱いてしまうわけです(笑)。

 

英語がマスターできない大きな原因のひとつに、「日本語教育の程度」があります。戦後しばらくは、教育の機会が問題でしたが、現代は教育の場は与えられる保障があります。とはいえ、国語の重要性が語られることがない、商業的英語スクールで、一体何が学べるでしょうか?

 

英語を学ぶみなさんの基本体は、日本語で思考し続けてきた事実からは逃れられません。その充実度を測りながら、一般論化せず、必ず理解までに繋げ、暗記・演習の繰り返しを避けた方法を、どうにかして日本中に「あたりまえ」として流布したいという情熱が、私にはあるわけです。

 

多読・多聴を超えた方法論が求められていると思いませんか?

 

それゆえ、心理学を英語と同じくらいに学んでいただき、自分を日本語で整える時間と並行させながら、英語を学んでいただいております。

 

オンラインでの安価な英会話・カフェレッスンなど、いろいろな形で進化していますが、Nativesから学ぶ英会話には、論理がありません。多読・多聴から抜け切れてはいないわけです。RIZAP方式(マンツーマンで充分すぎるほどケアされ管理される)であっても、多読・多聴を推進しますし、それに「見られている」「支えがある」という心理的な面を加えたものです。

 

実際のところは、お金がない方々は、独学をしておられます。その独学教材も「儲からない限りやらない」「素人があれこれ試行錯誤した結果」が、インターネットに蔓延しており、何が正しくて、何が自分の参考になるのか、まだわからないままの方々が多いのではないでしょうか?

 

ならば、と、Precious One English Schoolでは、

  • 2年以内に独学体制に必ずなる
  • 英語を生活に取り入れ習慣化するまで
  • 何が正しくて何がそうではないのかを見極められるようになる
  • 時間管理ができる
  • 自分のことを深く知ることができる
  • 使える英語を目指し、いつも使える環境を整える

など

 

などを実現しようとしています。現在の日本の英語教育の実体とはかけ離れており、「本当にその値段でそんなことができるの?」と、多くの疑念をいただいておりますが、やはり最後には、自分でしか闘えない領域があり、そこをどうカバーしていけばいいのか?を、まだまだ模索中です。生徒さんひとりひとりが、自分の人生をどのように真摯に捉え、英語がどのくらい必要なのかを自問し、そのためにどれくらいの何ができるか、を常に考えていただける1年から2年を提供しようとしております。しかも、できるだけ安価で。

 

とにかく、今、このコラムを読んでいるみなさまの課題は、「一体どのようにすれば使える英語が身に着くのか?」の問いに答えを見出すことです。それらを考えたくないままでは、今後も、たくさんの教材を買って試行錯誤し、たくさんのスクールに通い成果が出ないままで、よしんばある程度使えると思っても、満足がいかないままになると思います。

 

次のコラムは、「TOEIC神話」についてです。1週間に1回程度のアップを予定しております。

 

信じながら待つということ

06/27/2007 にアップした文章です。

 

黙って信じて待つというのは、かなりたいへんなことなのだけれども、小説の中では、その題材はとても多いのである。私は今何を待っているのだろうか?しかも、信じているのだろうか?うん、待っているなぁ・・・。しかも信じているし・・・。気の長いドラマチックな待ち合わせで、10年後や20年後にある場所で、どんなことがあっても待ち合わせをする、というのを、約束したことがあるでしょうか?信じてそれだけの長い時間が待てるかどうか?私は、西さんを待てるかどうか、ちょっと考えてみました。

今、この年齢になり、若いときの焦りがないから、待つことはそれほど苦ではなく、実現する計画や夢のために、努力をしつつ日々を暮らすことも、まったくのところ「当たり前」になってきたので、10代や20代前半くらいのように、ジリジリした気持ちになることは、長い目で見るとないなー、と思っているけふこの頃。

いや、ひとつだけあるな、信じて待っていないこと・・・。最近はパチンコがそうである。なので、やる気が起きないのでしょう。ここのところ変則的な台に3回続けて当たってしまい、統計学がボロ崩れ。なのでとんと足が遠のいていたのです。ところが、昨日、いい方の変則的な台に当たり、11箱。投資が8千円で、47000円も儲かったので、次の台へ。そうしたら、あーた、合計で32箱という快挙。パチンコ生涯(って、まだ2年も経っていないし、帰国したときで時間ができたときだったので、のべで150回も台の前には座っていないことでしょう)で、最高額をゲット。16万の上がりでした♪ちょっと信じがたいことだったので、キツネにつままれてしまいました・・・。これ、酔っ払うと語るんだろうなぁ(笑)。お店の男の子に「本日のイチバンです!」と元気に言われて、何を言っていいのかわからず(笑)。

身分違いの恋や結婚というのが、現代でも多少は残っているのでしょうが、大昔はもっとひどいものでした。すがすがしい結末はなかなか見られず、やっぱり多くの人々は世間に負けてきたのです。山本周五郎の『雨の山吹』という短編は、両親に死なれて、生き延びていくまでにおもらいまでし、生きていくために屋根を求めて置屋に育った芸妓が、小藩の城代家老を継ぐ武士と結ばれるまでを描いたものなのですが、信じながら待つことについて考えさせられたわけです。

「本当に愛しているのならば相手の倖せを心底大事にして、身を引くというのも愛だ」云々ということを、芸妓に懇々と唱える外叔父がおり、真実かもしれないけれども、本当につらい言葉だなぁと、読みながら涙するわけです。ええ、ええ、私はまだまだ毎日泣いており、記録は更新され続けているのですよ。8・9歳くらいからこっち、泣かなかった日は10日くらいしかなく、心の浄化というか、心を整えるためには、私には泣くという行為はたいへんに重要です。小説や映画や大自然で泣くようになってからは、たいへんにラクになったので、惜しまず泣いていますが(笑)。結末を知りたい方はぜひ読んでね♪粋な山本周五郎はぜひぜひ読んでいただきたいです。

こんなことを考えながら、単純な待ち合わせもできない人々について考えてしまったわけです。待ち合わせをするということは、「信じながら待つ」の最も日常化した形なのですが、それも携帯に頼っているのはどうなんでしょうね?と(笑)。いや、確かに行き違いがなくて便利だし、時間の無駄遣いがなくて、ドキドキしてストレスがかからなくていいと思う人たちが多いから、実際に使われているのでしょう。私はこうしたテクノロジーに、たいへんに抵抗するバカモノなので、「信じながら待つ」という醍醐味は、なるべくなら取っておきたい。もちろん逢えないで終わってしまうのはイヤだから、相手に任せることはあるんですが、私は「もしものため」にしか携帯は使わない。私は、以前も書いたのですが、高校1年のときに待ち合わせで3時間待ったすごいやつですから(笑)。電話もない、電信柱の脇で、延々と恋しい男を待ったわけなのよ(笑)。あの3時間には、ふたりの関係が凝縮されており、3時間後には会えたにも関わらず、結局その恋は長続きしませんでした。私があの3時間に考えたことが邪魔になったことは言うまでもありません。「待てたけれども信じ切れなかった」ということなのでしょうね・・・。

別段、私にはなーんの影響もないように見える渡り鳥なのですが、私は渡り鳥の到来をどうも「信じながら待つ」という癖がついており、日本では白鳥の渡りなどをニュースで見ると、予想以上にホッとしていたところがあり、それはどこから来ているのかを考えてみると、父の実家に来ていたツバメから来ていることがわかるわけです。長野の田舎で、開け放しにしていた木造平屋家屋では、祖父と叔父が神主をしており、玄関のすぐ入り口が居間で、その横に台所(下働きや家内のダイニングルームがそこについている)があり、中の間があり、どんつきに奥座敷があり、その横が祖父と祖母の寝間でした。えっと、今になって改築前の家の間取りを考えると、7部屋もあって、トイレとお風呂は外にあったんだ・・・。あ、他に布団部屋のような不思議な狭い間取りの部屋もあった・・・。他にも離れがついており、1階が納屋になっていて、2階には2間の離れがあったのは、昔、養蚕をしていた名残なのでしょう。そこでは、祖父と叔父の考えがあったのかなかったのか、季節が来ると、約束したようにツバメの家族が来るのです。鳥語はわからないから、誰とも約束はしていないのだけれども、ちゃんと来るのよね・・・。しかも、屋内と屋外の両方に巣を作ってあり、誰も気にせず、糞が落ちてもいいようにちゃんと準備をしていたわけです。

ツバメだけではなく、田舎に夏と冬に長期で預けられた恩恵はこんなところにあるんだろうな、と、いまさらながら、遊ぶ場所がない、田舎がない子どもたちを、ちょっと気の毒に思ったりするの・・・。信じながら待つということは、大自然の摂理・営みから学べることなのですが、テクノロジーと便宜を駆使した都会の生活の中では、なかなか難しい。家族いっしょにごはんを食べることすら、確保できないお家も増えているという・・・。私にはちとコレは信じがたく、今でさえ、母にはごはんの時間のために帰宅予定をあらかじめ言っておかないとものすごい怒られる(笑)。作ってくれる人に感謝だよね・・・。母は、そうした私の言葉を信じながら待ってくれており、待たせていることをヨロコビながら応えるというのを日々、まだまだやっているのである。

なので、商売でメールをよこさなかったり、口先だけで信じてほしいような口ぶりで話されると、本当にぞっとするのである。ネットでのおつきあいなんかもそうだな・・・←今のところはないのだけれども・・・。英語教師をやっていても、生徒さんたちの学習の成果を信じながら待っており、それはそれはとても楽しいことなのです。彼女たちが日々がんばっていることは、節穴ではない私には、ジャーナルを見ても、授業中の態度を見ても、歴然としているので、本当にうれしい待ちなのです。

私はイラチですが、こらえ性があることもあり、それを左右するのは、最初のスクリーニングが「自分についてか vs他人についてか」で、自分に関することにはとてもすぐに腹を立てる傾向にあり、自分をやっつけます。距離感により、私以外の人間がそれを阻んでいたりするかどうか?がふたつめのスクリーニング。その人物が「アテにできるかどうか」ということで、無意識のうちに評価してきた人が「信じながら待っている」私に応えてくれないと、どうも腹を立てるのだろうな、と思うのです。

期待はしないと豪語している私なのですが、どうやら、反省したほうがいいらしい(笑)。腹を立てるのは、私が期待しているからで、私がひとりで創造した人物像は、「信じながら待つ」に値しない場合があるから、無意味に怒っているということに気づけないといかん・・・(笑)。まぁ、最近、それほど怒らなくなったんですけれども・・・。あ、ミンチ偽装問題とか、社会問題については怒ってますが、個人的なレベルでは温和なことになっています。

自分が決めて、信じながら待つって醍醐味は、ぜひぜひ日々やってほしいことです。そうして、人間関係は深くなり、織り成される機微が深くなります。あー、ツバメの目を久々に思い出して、ちょっとドキドキ。ネットで写真探そう(笑)。

 

離婚という現象について

06/26/2007 にアップした文章です。

 

 

私は、自他共に認める計略的結婚をしたわけで、まったく自慢できないことなのですが、そこに心が伴っているのだからいいではないか、と言われると、どうもこそばゆいので、いつか安定した小金持ちになったら離婚をするかもしれません。思想としては、結婚はどうしてもしたくなかったのですが、アメリカに住み、経済的に不安定で、人間関係が日本社会を引きずっており、ヴィザに関しても有利だったので、なんとなく同居から結婚に踏み切ったのでした。まぁ、これについては何度も書いてあるのですが、おさらい(笑)。

統計として、やはり離婚は増えたそうですなぁ。年金が離婚後ももらえる制度に切り替わった途端、またもややはり離婚の数字はぐーんと伸びたそうです。ということは、やはり熟年者に離婚が多いわけで、添い遂げた長い時間の中に詰まっていた、行動や言葉のやりとりや、おのおのの意図や目標や夢やその他、本当にいろいろな織りなしを考えこんでしまうところ・・・。

私はよーく結婚というものについて考えたので、今後、離婚という統計学になることが将来的にあったとしても、「結婚ってこんなはずじゃなかった・・・」とは思わないことは折り紙つきです。結婚している今でも、他人様から見ると、かなり変則的だし、平常ではない営みを長年続けているので、まだまだ内田裕也-樹木希林の変則さには及ばないものの、「ん?これをこの枠に嵌めてしまっていいのか?」という統計学にはなると思うのです。離婚する人々はどうなのか?結婚というものをどんなものだと思っているのか?これは、純粋に知りたいことなのだった・・・。

婚姻:結婚すること。夫婦となること。社会的に承認されて、男性が夫として、女性が妻として両性が結合すること
結婚とは>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E5%A9%9A

これを読むと、私の考えはそれほどブレていないことがわかる。社会的経済的結合であり、心の問題は二の次で、心理的なことは各個人に任されているのだけれども、実際は、やっぱりこういった抽象的に過ぎないはずの概念でも、社会的縛りがあって、「こうあるべき」というものにずいぶんと振り回されている感はあり。

私の場合は、割り切りが大きく、体制に負けるもんか!と長らく同居をしていたのだけれども、社会人である西さんとその関係に引きずられたことと、社会人であることを非常に尊ぶ回りの人々(たとえば父が死んだあと長男である弟と住むことになった母だとか、親戚の人々とか、友人とかね・・・)は、やはり「結婚=めでたいこと」と思っていたようで、私がどんなに紙切れに抵抗していたかを知る余地はそれほどなかったようです。

今ですら感じるのは、厚生年金や社会保険や雇用契約などに、日本では「西」という名前を用いないといけないこと。それが社会的な便宜とあっさりと認められれば、私もそれほどつらくはないのですが、たまにつらい(爆)。まぁ、年金問題のように、ここでまた離婚したりいろいろをすると、データを消されてしまうこともあるかもしれないしな・・・(笑)。

特に、お勤めを続けて、キャリアを構築していく女性にとっては、私などよりもっと明暗は分かれるのだろうと予測します。たとえば大企業に入ってしまえた場合(しまえたってなんだかひどい言い方なんだけれども・・・、18だとか22かそこらで人間性や能力や実力をしっかり反映させたものを、他人が受け止めたなどとは、私は思っておらず・・・)、その会社の小社会が生み育くんできた文化に、ひどく左右されてしまうのでしょう。ある会社では、旧姓を通用させて仕事ができるかもしれないし、キャリアと結婚はまったくふたつの別のものと取り扱ってくれるかもしれない。けれども産休や子育てでの都合などはまったく考慮してくれないかもしれない。が、ある会社では、女性は結婚までの手だとみなしているかもしれず、結婚しないでずっと働いている女性には肩身が狭いような、逆差別も起きているところも多いのでしょう。稀でしかないとは思うのですが、結婚しても出産してもまったくなーんの影響もない会社はあるんだろうか?家内工業のようなところではなく、日本人の6割くらいが知っているような大企業で、そんな会社があったら教えてほしい。そもそも、会社が直営したり、委託業者を会社のそばか社内に設置している託児所なども、本当に数えるほどしかないので、おそらくそんな会社はないんじゃないか?というのが、私の予測なのですが、間違っていたほうがうれしいので、知っている方がいたら、ぜひぜひコメント欄に書いてね♪

ボタンの掛け違えではなく、女性の場合は、こんなことどもを考えないと結婚が倖せに繋がるかどうかわからないので、「女のほうが現実的」などと言われてしまうのかもしれない・・・。離婚のときも、経済的要因に大きく左右されるのかもしれない・・・。一夫多妻制・多夫一妻制なども世界には存在するけれども、日本はたまたま長いこと、男性が社会的な優位を占めてきたわけです。なので、どうしても、サバイバルのためには、女性のほうが長いあいだ直面してきた問題は大きい。

なので、熟年者になって離婚を言い渡された男性にも、憐憫は感じるものの、実際のところは、社会的DNAも関連しており、「世の中は決して公平ではない」ということになってしまうわけです。いくら、「肝心なのは自分がどうしたいかだよ」とはいえども、社会に縛り付けられている部分というのも、少なからず背負っているわけで・・・。

そんなこんなをひっくるめて考えてみても、やはり西さんとこれまで17年くらい(もしかするともう19年くらいになるかもしれない・爆)いっしょに生きてきた私は、かなり賢い選択をしたのかもしれないです。離婚という概念は、結婚という概念によって生まれる。∴結婚についての詰めが甘い場合、離婚になる確率は高い。

ところが、女優や政治かやその他、離婚しても強くたくましく生きている女性はけっこう多いのに驚いている人はいないでしょうか?ここで私が強く言いたいのは、彼女たちにはお金があるからだよってこと(爆)。あるいは、言い換えれば、お金に繋がる仕事があるからだよ、ってことかもしれないです。離婚した女性が、子ども連れならばなおさら、お金を持つことは、本当に重要なのだ。資本主義に生きている限りは、福祉大国家に住んでいない限りは、これは最重要項目です。愛や根性やきれいごとで、食べてはいけないので、やっぱりお金が必要です。なので、男性諸氏も、もしも離婚してしまう場合には、豪気にお金を払ってください。お願いします。だから、年金が離婚後も受け取れるとなった今、離婚が多いわけなんだよね。証拠になっちゃってる・・・。だから、結婚するときも、経済的安定や、経済効果の高い男性を選ぶ女性のことも、ぜひぜひ大目に見てやってほしいと思うんだよね・・・。

あ、男性も離婚したらそりゃつらいと思うの。だから、やっぱり結婚についての概念を、しっかり考えておかなかったツケを払ったあと、ケアをしてくれる友人やシュミや仕事など、しっかり頼ってほしいです。

今日は、山本周五郎の中でも異色な、時代劇ミステリーのような『五辯の椿』という本を読んだので、余計にそう感じるのかもしれないです。べん、って読めなかったでしょ?(笑)自分が母親が遊びたい放題をしてできた不義の子だと知った17・8歳だった商家の娘が、実は血の繋がりなどなかった実直一筋だった父親が労咳(結核)で死んだため、その復讐をするために人殺しを決行し、そのたびに父親が好きだった椿の花びらを置いていくわけです。その母親が遊んだ相手の男たちが、どれだけの女性を泣かしたか知れません、というのが伝わってきたせいかもしれないです。メインテーマは、そんなことではなく、法で裁けない罪に対してどう捉えるか?ということだし、それについて市井の人々はどう生き延びていくのか?ということなのですが・・・。

結婚とは?というのは、正解がないからこそ、それぞれがしっかり考えたほうがいいことなのでしょう。離婚という統計学になってしまうかもしれない我が身ですが、私はそれでも悲しまないようにしますから大丈夫です♪

 

 

ロマンチックなことが言えないあなたへ

06/25/2007 にアップした文章です。

 

私もそうそう甘ったるいことや気障(キザ)なことが言えない性質なんですが、不思議なことに、英語なら言えるんだよなぁ(爆)。文化的違いでどうにかごまかしているという風情がなきにしもあらずなのですが、日常的にかなり甘-いことやキザなことが言えるようになっている自分に気づくのは、英語のとき。日本語では、歌詞であれば歌える程度?やはり私はベースが日本人なのよね・・・。

今日は、教材の歌を探していたのです。フリーダウンロードのサイトを探していたのですが、みんなmp3用になっており、私の生徒さんたちは5・60代の方もいるので、PCを自在に使えるわけでもなく、iPodを持っているわけでもなく、どうしようかと・・・。最初は、映画Love Affairの挿入歌であるI will を探していたのですが、ない・・・。そこで、日本には渡ってきていないかもしれないのだけれども、カントリーソングなんだけれどもとてもいい歌詞なI Swearを探したのです。

ちなみにこれがクリップと歌詞>私はカントリーミュージックを敬遠していたところがあったのですが、8年目くらいにそのふてぶてしい先入観は棄てましたね。日本の演歌と同じスタンスで、いい歌はいいということにしています。
I swear by John Michael Montgomery
I swear by All 4 in one

この歌は、大御所になってしまったKenny Rogersなども歌っているし、カントリーシンガーだけではなく、アカペラなどでもあるのですが、邦題ではどうなっているのかもわからず、ここが私の弱みである・・・。もしかすると渡っていないのかもしれない・・・。

すごい歌詞ですよ・・・。「間違うことはあるけれど、決して君のハートは壊さない。空に架かる月と星に誓って死ぬまで君のそばにいるよ。倖せなときも不幸なときも、死がふたりを分かつまで、この心臓のひとつひとつの鼓動で、君を愛すことを誓うよ」などとささやける男・・・。うーん、日本人の男でこれをさらっと言える人はいないだろう・・・。が、しかし、アメリカ人はけっこう言える人が多いんだよなぁ。私も何度か口説かれていますが、最初のうちは、ころっと行きそうだったところを、やっぱり警戒心で抑えていた感があります。言動一致できる人だってもちろんいるんですが、やはり恋という感情は一時的な狂騒です。「生涯愛するよ」などと言うのは、男の沽券に関わるので、日本男児はなかなか言えないのでしょうね・・・。やっぱりそれは一時の迷いであることのほうが、ずっとずっと確率的には大きいわけで・・・。

日本人でもけっこう甘ったるいことを書いていた作家に、片岡義男がいるのですが、私はバイク乗りでもあったために、彼の作品にはどっぷり浸かったクチです。そのせいで慣れており、免疫もあるんだろうなぁ。言葉だけなのか、言動一致しているのか、観察する能力は持つに至ったらしいのです←倖せなことだ。それに、20代最初に、けっこうダンスなどもしたので(ディスコ・今で言うところのクラブではないですよ)、密着したキチガイなドキドキの瞬間なども、現(うつつ)と夢の境目であることが身に染みてわかってしまっているようなところがあり、相手との一体感は瞬時であればありえるけれども、生涯を賭けるほどのすごい地響きは、めったにあるもんじゃないってことは、哀しいけれどわかっていたのでしょう。

私は、ネコが来てから、改めてよく自分を笑っているのですが、それは母がいちいち「ん?」「何?」と反応するのでわかることでもあるのですが、ネコたちには、英語で思いっきり甘ったるいことを言っている・・・。名前のほかに、Honey, sweetie, hone, baby, cutie, preciousは連発しているし、とにかく触る触る(笑)。暑いんだから触らなければいいんだけれども、触るのよね・・・。ぴったり肌にくっついて寝ようとして競争するネコたちを、口では、Quit it already!とか言いつつ、顔はトロトロに溶けているんですが・・・(笑)。

そこで、私はロマンチックなことが言われたいのかどうか?男の人の口から聞きたいのかどうか?と、私個人のことを考えてみたのですが、実際、別に聞きたくはないらしいのですな・・・(爆)。やはり、小説や歌だけでいいようです。毎日がドラマじゃ、ちょっと疲れてしまうというか、私の人生の中心は恋や性であってはちょっとつまらないというか・・・。ほれ、私は男気のある女なので、一時的な目くるめく狂騒は楽しめないこともないのだろうけれども、それよりも、ちとつまらないことに、言動一致した確信に溢れた信念や心意気や知性のほうによりエクスタシーを感じるようなのだよねぇ・・・。

いわゆるストライクゾーンが、ちょっとやっぱり違うのだね・・・。昔からちとそれは感じていたのだけれども、笑いのツボと同様、ロマンのツボってぇのも、やっぱりズレているのかもしれない。

たとえばユーミンの歌のなかでイチバン好きなのが、『埠頭を渡る風』なのだけれども、いいと認めてくれる人は多いとは思うのだけれども、イチバンだとはなかなか言いづらいんじゃないだろか?私には、放置してくれる人がどうしてもロマンなのだ(笑)。
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/futoowo_wataru_kaze.htm このサイト、聴けます♪でも、自分で歌わないとカラオケです(笑)。

人と人というのはかなり距離があり、そのプライベートなところを必死ではなく、無理やりではなく、偶然に埋めていくようなドライな関係が好きなんだろう・・・。どうしようもないことに、悪あがきしたくないっていうのが、とても私の冷たいところなのかもしれない。車という密室の中でふたりっきりなのに、途轍もなく遠くにいるような、そんな10代を過ごしすぎたのか、私はこの歌がイチバン好きですな。

ということで、私はロマンチックなことを言える人が好きでもないことが判明したのですが、言えたらそりゃいいだろね。世の中の女の人はいつもロマンを求めているに違いない。私は好きでもないのだけれども、ロマンチックなことがどんなことなのかはよくわかる気がしています。うーん、小娘の頃は、きっといくばくかは好きだったのかもしれない。たくさんのロマンチックなことが言えない男の人に鍛えられて、諦めてしまったとしたならば、それはちと哀しいことなのだけれども、私の場合はそうではなく、自分が恋や性には到底生きられないことを、おのずから悟ったからなのでしょう。

でも、これぞ!というときに、やっぱり男性諸氏は、ロマンチックなことが言えたほうがいいよね・・・。どう?マニュアルではなくて、決め台詞ではなくて、ロマンチックなことが言えますか?私は、黄色いバラの花を20本もらったことがあるのですが、そのときに聴いた台詞はここでは公開しません(笑)。海辺で愛を叫ばれたこともあるのですが、それもここでは公開しません(笑)。あー、やっぱりうれしかったことはうれしかったよなぁ・・・。いろいろ思い出してにやけているくらいだから、うれしかったのだろうとは思うのだけれども、常に求めているわけでもなく、今の私に足りないものでもなく、「非常にうれしいオマケ」なんだろうなぁ。

けれども!やっぱり女の人はロマンチックなささやきを求めていると思うのです。気の利いたことが仕事では言えても、家庭や恋人に言えないのはなぜなのか?これは考えてみる価値ありかもしれない・・・。私は、ネコにしか言えないのはなぜなのか?考えてみる価値ありかもしれないです(笑)。

 

7月の無料体験レッスン日程

無料体験レッスンの日程を追加しましたので、これに合わせてお選びください!

昼間が多いですが、多少夜もあります。土日もありますので、ぜひともご活用ください!

 

7月17日(火)14-16時

7月18日(水)13-15時

7月19日(木)15-17時

7月20日(金)14-16時 

7月21日(土)14-16時

7月24日(火)14-16時

7月25日(水)18-20時

7月27日(金)14-16時 

7月28日(土)14-16時

7月29日(日)14-16時

7月30日(月)15-17時

この他の時間帯もご相談ください。調整できる範囲でご希望にお応えいたします!

人生を豊かにするエッセンスって?

06/23/2007 にアップした文章です。

 

 

最近、メキメキと暑くなっており、ダラダラモードがどうも芽生える・・・。ネコたちがエアコン嫌いだと予測しており、そのせいで私も我慢をしているせいなのだ。うどちゃんだけがエアコン経験者(日本の夏を経験している;が、一軒家だったのでマンションの酷暑とはちと違う。エアコンは15年前には今ほど必要なかったとも思う・・・。アスファルト率の問題です)。ごまかすために、侍ジャイアンツの歌を歌ってみたり、アイスホッケーのリンクに行ったことを瞑想してみるのだけれども、やっぱり汗は出るのだわ・・・。暑さに弱っちい私は、砂糖水が欲しいカブトムシのような状態に、すぐへたれてしまうのだった・・・。そこで、私は人生を豊かにするエッセンスを探しているのだけれども、今回、食べ物はパス。

そこで、添削していてよかったなぁと思ったのが、「イチバン泣けた映画」というのを宿題にしておいてよかった。30分ほど、映画の世界に浸り、ちょっと豊かな気持ちになった。汗は相変わらずタラタラ垂れていたのだけれども、ちょっと忘れた・・・。書いてもらえたのが、The Pianist, The Professional, Titanic, と、まぁ、悲劇をモチーフにしたものだったので、自分の今の状態などかなりどうでもよいことになってしまったのだった・・・。

そして、採点はいつも通り、あっという間に終わってしまい(7人分をだいたい1時間以内で終わってしまう)。心理学講座のお題になる、坂東眞理子氏の『女性の品格』を読んだのだけれども、これもわずか1時間で読書完了。いかんなぁ・・・。あまりに凡庸なことを、正統的に書かれておられるので、すいすい入ってきてしまい、読みこなす必要性が生じずに、立ち止まることがないのよ・・・。

そして、さらに、陽さんから前にオススメされていた京極夏彦の本を手に取るのだけれども、文庫本ではなく、図書館で借りた単行本なので、汗が垂れることがどうも気になり、中止。私は、本に対する敬意が高いようで、汚したり、Dog-ear(栞を使わず、ページの隅を折る)をすることにたいへんに抵抗があるのだ。書き込みなんてゼッタイにしません。教科書はするのだけれども、できるだけマーキング程度にして、自分でまとめたものに書き込むようにしています。時には、マーキングしたくないほどの絶品教科書だと、丸々タイプして手元に残します(笑)。ちなみに、『覘き小平次』というタイトルです。

そこで、さらに、この暑さをごまかして、人生の豊かなエッセンスになることを探してみようと思い、いきなり立命館大学院に行ったとしたら、という妄想プランを決行。オンラインで、まずは京都の大きな市内地図を引っ張り出して、ネコOKの1LDK以上の住宅を探してみることに・・・。でも、それほど京都の市中に詳しいわけではなく、観光知識程度なので、どうもイメージがつかず、写真やその他を引っ張り出してくると、これがかなり時間がかかる・・・。しかも、ジョルダンやその他を駆使して、通勤・通学等のことを考えてみると、さらに時間がかかるので、これだけで1時間半ほども遊んでしまったのだった。でも、結果オーライで、駅から徒歩10分以内で、学校まで40分ほどで行けるペット可の住宅は、6万から賃貸できて、上は22万まで、という家賃だということが判明。

ついでに、その妄想プランが実現したときの仕事についても検索(笑)。大阪・京都・滋賀あたりで、添削や英語講師や翻訳・通訳の需要を調べてみたら、けっこうあるんだなぁ・・・。バイトレベルから、仕事まで。ただし、首都圏よりも時給は200から500円くらい下がるようです。在宅の翻訳であれば、あまり差のない能力給ではあるのですが・・・。

そこで、私はそもそも何をしたかったのか、と立ち戻り、暑さをすっかり忘れていたことに気づき、「ちっとも人生を豊かにするエッセンスに直接的じゃないじゃん。住居や仕事は生きる手段みたいなもんだ」と自省しつつ、扇風機で「あああああああああああ」と自分の声を震わせる遊びをしてみる40代(笑)。ネコを触ると、彼らには悪いんだけれども、体温がヒトより高いから暑いのよぉぉぉぉ。もちろん、毛だらけの彼ら自身もとっても暑いのだろうけれども、寝そべっている彼らは、フローリングやタイルの冷たいところを移動してゴロンゴロンしているので、それなりに避暑をしているようなのです。

人生を豊かにするエッセンスというのは、私にとっては明日を信じることで、いくつになってもこの気持ちを継続させていけるのかどうか、を、コノ前の授業のときにも、生徒さんたちと話していたのです。60代後半の生徒さんもいらっしゃるのですが、私はやっぱり彼女たちに教えられることが多く、私が言った通りの勉強法を、不平不満を漏らすことなく、信じてやってくれています。彼女たち自身には、それほどの進歩は感じられないのでしょうが、2週間に一度、彼女たちが書いた文章を読んだり、指したときに答えを聞いたりしてみると、私には、すごい進歩が感じられる・・・。だから、もっと彼女たちが自分について自信を持ってくれるために、何か貢献しないとなぁと思い、授業準備をするのである。

私は家事がまったく得意ではなく、料理だけが気分転換にはもってこいで、その理由がたいへんに明らかで、「結果がかなり短時間で得られるから」なのです。そして、今日も、暑いので料理はやめて、気分転換をしたいと思い、洗濯機が廻っているのを眺めようと思ったのですが、うがー!全自動の洗濯機って、日本のやつは蓋を開けると止まっちゃうのね・・・。アメリカのは選べるのだよ・・・。私は売り場で選んだんだ(爆)。スピンサイクルのときは危険防止のために止まっちゃうんだけれども、あの渦をじーっと見て人生を考えることができないのは残念・・・。ちょっとした挫折感を持って、今度は食器洗いをしたのだけれども、母に「へたくそ」と言われてかなりがっかりした・・・。どうも丁寧ではないということらしい・・・。私は洗剤も水も最小限で、きれいに洗うことが美徳だと思っているので、彼女のスタンダードからすると、どうも「テキトー」らしいのです。でも、水遊びちっくで少し涼しい気分にはなった・・・。

このあいだにも、仕事をしたり、在宅翻訳の応募のためのサンプルを翻訳したり、仕事メールをやっつけたりしていたのですが、やっぱり集中力がすぐに途切れてしまう。

うーん、おそるべし、日本の夏・・・。明日から雨が降るそうなので、少しうれしい気分なのですが、母は湿気のほうが暑いよりイヤだとノタマウのだった・・・。私は雨がかなり好きなので、しかもカリフォルニアでは傘を差さなかったので、わざわざ外に出て濡れてもいいくらいに思っているのになぁ・・・。

こうして、苦し紛れに1日暑さと闘ってみて、人生を豊かにするエッセンスは、適温敵湿がまずイチバンだということがわかり、その次に充分な水分と、おいしいと感じる少量の食事だと実感したのだった。話しかければ応えてくれるネコたちと母がいて、メールを出せば返事をくれる誰かがいて(西さんは台湾で忙しく、来週は中国にも行くのだ。そして日本に戻ってきて、3日くらい居てまた台湾)、仕事があって、明日を信じる気持ちさえあれば、何とかなっちゃうんだなぁ、と思いながら、夜の涼しさを迎えたわけです。校長センセは、「熱帯夜に気をつけて」とおっしゃっていたのだけれども、まだ熱帯夜じゃないような・・・・。いつ本格的なやつを体験できることやら・・・。そのときは一晩中、快適除湿にして眠ることになるんだろな・・・。

今日の体験で身に染みてわかったことは、やっぱり暑いところでのほうが犯罪は多いだろうということ。こんなに気持ちが落ち着かず、集中力が持続しないのは、やっぱり気候によるもののほうが、性格より大きいと思うのだ。しかも、私はまともな日本の夏を15年ほど体験しておらず、耐性がないせいもあり・・・。明日はプレゼンを作成しなければならず、効率が悪ければエアコンを頼ろうと思っているのですが、雨が降るのできっと過ごしやすくなるだろうな、とも思っているところ。母は、「湿気のほうが怖いわよ」と、あくまで湿気大敵説を唱えているのですが、あの彼女の黴(カビ)や湿気に対する憎悪にも近い嫌悪感は何なんだろうか?(笑)

暑いから眠れず、ここのところ眠るのが2時くらいになっています。いかんなぁ。もっとまともなお題が頭に浮かぶようによく寝るようにしまーす!おやすみなさーい♪

 

紀久美先生へのQ&A~心理学講座編~その40

Q40.

先生の小さい頃の夢は何でしたか?

 

A40.

こんなこと言うと罰当たりなんですけれども、私は小さい頃貧乏に育ったので具体的な形となる夢はさほどなかったんです。むしろ「いつもお腹いっぱい食べたい」という気持ちが先行していて、少しずつ大きくなっていた時に「あー!稼ぐ人になればいいんだな」ということが分かってきたんです(笑)。

小学校6年生の時に文集に書いたんですが、学校の先生か獣医になりたい、と残っているそうです。身長がたったの146 CM しかなかった私はそれでもやはりまだまだ先が長いことはわかっていたんでしょうね(笑)。特に大好きな学校の先生がいたわけでもないのに、なぜ学校の先生になりたいと思ったのか今としては不思議です。獣医には心当たりがあります。とにかく手当たりしだい動物を拾ってきてしまって、その上育ててしまってたんです(笑)。

そうした意味では動物がいない家に住んでいた期間というのはとても短いかもしれません。私が赤ちゃんの頃には犬がいましたし、私もたくさんの動物を拾ってきては育て、今も猫がいます。アメリカの19年間の暮らしの中でも、動物がいなかったの最初の2年だけだと思います。

子供の頃、スポーツの選手になりたいだとかいう発想はなかったですね。運動はとてもできたんですが、運動するにもお金がかかるというのは父親によく言われており、あー無理だなと思ってました(笑)。やたらと醒めてますよねぇ(苦笑)。

10代になってからは、何になりたいというよりはこれだけは避けたい、というリストをたくさん作ったような気がします。大学に入って教職もとってみたので、やはり学ぶということの大切さについてはブレずに持っていたような気がします。小中高大と学校ではさほど 勉強はせず、学校にはとてもたくさんの不平不満があったにも関わらず、どうして教師になってみたいと思ったのか、今は本当に不思議で不思議でなりません。

特に勉強がすごくできたわけでもなかったので、15、6歳になってからは父の仕事だった運転手になってみてもいいかなあと思うようになりました。バイクに一生懸命乗って上手になり、車も尋常ではないぐらい乗れるようになり、いや運転手はまずいぞ、体が疲れるぞ、人といっぱい話せなければならないぞ、 と思った記憶があります。レーサーになれるとは思っていませんでしたから、 realisticに小型飛行機のパイロットにならなれるかもしれないと思い、その後、リサージにリサーチを重ねて、ヘリコプターのパイロットという夢に落ち着きました。 個人ライセンスを取った後、業務用ライセンスを取り、その後インストラクターのライセンスも取得しました。そしてやはり大学に戻ることになります。そこでは本格的にとてもよく勉強した記憶がみっしり詰まっています。

形はうんと変わってしまいましたが、今英語スクールを運営していて毎日がとても楽しい日々になっています。ということは子供の頃の夢を叶えたということでしょうか?

 

アメリカの有名人

06/22/2007 06:00:00にアップした文章です。

 

 

日本に戻ってきてアゼンとしているのが、アメリカで売っている商品のバカ高さ。日本に戻ってくると、価格差をそのまま受け容れなければならないとは思えないので、ますます消極的消費者になってしまうところ。今日も、Billy Blanksがテレビで例のBoot Campをやっていたのですが、彼のおなかはなぜか出ていた(笑)。8ヶ月前に見たときはあんなじゃなかったんだけどなぁ・・・。DVDを持っている人も気づいたか?

さて、そのオドロキの価格差ですが、オフィシャルサイトでは、$39.95なので、日本円に今日のレートで直すと、だいたい5000円。ところが、日本で売っているサイトだと、14700円なんだね・・・。もちろん5枚セットくらいのDVDなんだろうけれども、日本語字幕がついていること以外に、記録用のシートやその他が日本語になっているだけ、なんだよね?3倍ってすごいなぁ・・・。私はやはり商売人に向かないことがここでもわかる。うーん、実感だ・・・。

そもそも、BillyはアメリカでこのBoot Campの前に、TAEBOという格闘技ちっくなエクササイズプログラムを出したのですが、こちらは自費できちんとサイトも作り、けっこうな数が売れたのではないかと思うのです。これ>http://www.billyblanks.com/ ね?ドメインも彼の名前でしょ?彼が売れ始めたのは、今、アメリカンアイドルの審査員をやっているが、元売れっ子ポップスターのPaula Abdul が劇的に痩せたから。そのあと、口コミでたくさんのハリウッド系のトレーナーになり、そこで彼自身も俳優になったり、トークショーに出たりと、小銭をたくさん稼いでいたのです。

私が思い出すのは、サマースクール(普段は夏休みは学生は旅行に出たり、郷里に戻ったりする、が、私はこのサマースクールがやたらと好きだった)で、休憩時間にTae Boを見せてくれる教員がいたこと。アメリカの教員ライセンスは更新制度なので、何年かごとに取らなければならないコースがあり、そのためにテキサスだったかアーカンソーだったかから、カリフォルニアに来ていたのです。

いろいろネットで調べてみたところ、彼が売れた原因は、やはりマーケティングの勝利だということがわかりますね。このhttp://www.asseenontv.com/prod-pages/billys_bootcamp.html サイトには、日本に上陸しているものがいくつあるか、時間がある人が見てみるとよーくわかるのですが、私もこのサイトで売れるものがきっとあるといつも考えていたのですが、やはり大きな資本を持ち、中国やカンボジアやベトナムで安く作らせ、海外に流通させるには、それなりの広告力や知名度が必要。不動産を持っていても、テナントをひとりひとり自分で募集して探して歩くよりは、不動産やさんに任せてしまうのと同じで、こうしたでっかい既存の組織に丸抱えしてもらう委託のほうが儲かるのです。自分の手間隙もぐーんと減りますし・・・。

Tae Boのときには自分のドメインで販売をしていたし、TVでインフォマーシャルも自分の事務所でやっていたのですが、この会社に委託して以来、彼の商品販売の伸び率はすごいものです。もちろん、自社サイトでも販売はしているのでしょうが、ここではBoot campシリーズは、$29.99という格安になっています。これが委託料を払う差なんだよね・・・。http://www.billyblanks.com/blanks/ecs/main/store.html まぁ、ノリなんだけども、Dog Tagsまで売っているところが、すばらしい商売人センスなんだろうなぁ・・・。

片や、今日、Mixiのニュースで、Oprah Winfreyって誰?というニュースがあり、けっこうアゼンとした・・・。今日はアゼンとしてばかりだ(笑)。Chicagoのテレビ局でアンカーウーマン前にレポーターを勤め、メキメキと実力を発揮し、10年くらい前から、全米で最も裕福な芸能人になったはずなのに、知らないのか・・・。日本に渡っている分野では、俳優としてSteven Spilberg監督作品の Color Purpleに出ており、そのときの役のだんなの名前が、Harpoと偶然にもOprahの逆読みなのだ。残念ながらアカデミー賞は獲れなかったのですが、彼女もノミネートはされていたのよ・・・。あ、日本語でもあったぞ、情報♪
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC

彼女がどれくらい裕福かというと、自分の番組のスペシャルで、会場に見に来てくれた人全員に、新車を一台ずつプレゼントしてくれた、というすごいことがあり、見ていた人たちは会場で泣く喚く(笑)。たまたまニュースになったその日の夜、そのニュースを見ていた私は、彼女の資産を想像して、空恐ろしいものがあったわけです。彼女の慈善事業に対する情熱は、企業家のそれとはスケールが違う・・・。彼女の持っているトークショーでは、本当にそのへんに生活している人々の夢がどんどんかなってしまうし、彼女といっしょにニューヨークマラソンなどを走った人は、全米で数百人から1000人くらいいるのだろうと思う。しかも、彼女の政治的ポジションも相当にしっかりしたものに裏打ちされており、彼女の悪口を言う人々というのは、私は公的には見ていません。もちろん、嫉妬や羨望などの悪口はあるのでしょうが、そんなもの、ただの感情のぶつかりで、沈思に値するものではないのだろうね。

しかも、彼女のヨーヨーダイエット(ダイエットをするのだがすぐにリバウンドする)は、遍歴として有名で、もう20回くらい特集されているし、長い春だった婚約者とも20年くらい婚約したまま、去年あたり正式に婚約を解消したのだ。婚約者も成功者で実業家なのだけれども、彼女は彼の10倍くらい資産を持っていたことが、結婚に踏み切れなかった理由なのではないかと言われているのだけれど、それは本人たちにしかわからないよね・・・。

私がお鮨やさんでたまたま話した、常連客のお父様とお母様は、東海岸に土地を持っており、島になっている小さい地域の、その土地の半分ほどをOprahが別荘として所有しており、私は彼女たちには、Oprahスタッフたちに気に入られるために、スパを経営したらいいかも、と助言しておいた・・・(笑)。アジア・ヨーロッパ・アフリカと、いろいろな種類のマッサージや部屋をこじんまり作っておいて、上流階級の単価が高いお客さんだけを相手にすりゃいいんだよ、と・・・。相当乗り気だったので、きっとわずかであろうけれども、手がけているかもしれない。

Billyはともかく、Oprahを知らない日本人のほうが多いというのが、おそらく、日本が輸入している偏った情報を象徴しているような気がしてなりません。TV番組にしろ、流行にしろ、商品にしろ、本当のアメリカンスピリッツがもたらすものを、どうも輸入していないようだ・・・。私は、Oprahと同じ時代に生まれて育ったことは、相当感謝しています。彼女のすがすがしさやスケールのでかさには、本当に学ぶところがたくさんあり、日本人が好きで読むハウツー本などを読むより、ずっと学ぶものが多いと思っています。ただし、彼女が気の毒なのは、来る者は拒めないのだろうな、ということ。どうでもいいような俳優でも、他人の望みを汲みしてトークショーに招いて話を聞いているし、それがニュースに使われていたりする・・・。

日本人は、Larry King, Barbara Walters, Al Gore, Jesse Jackson, その他たくさんたくさん、いろいろな知ったほうがいい人たちのことは、きっと輸入してないだろうなぁ・・・。気づいたので、折があったらぜひ書こうと思った次第です。うんうん・・・・。

 

7月14日(土)14-16時 無料体験レッスン

7月14日(土)14-16時に、無料体験レッスンします!

この時間帯のグループレッスンが日曜日に移動になったので、急遽空きましたので、告知が短くてごめんなさい <(_ _)>

お申込みいただけるとたいへんうれしいですが、Walk-in でふらりと来ていただいてもOKです。

当日は、以下の質問のディスカッションから始めますので、考えてきていただけると深く展開していけます!

1.なぜこれまで英語をマスターすることができなかったのか考え、箇条書きにしてください。

2.あなたの日本語力はどの程度か見極めて、査定してください。

3.英語学習をするのに順番があります。どんなふうに分けて考え、どんな順番をつけますか?

4.Vocabularyについてのあなたの考えを教えてください。「語彙がなければそもそも聴けないし、話せない」など。

5.インターネットでの英語学習教材や英語学校の広告を見て、どんな勉強法を採用しているか、どうなることが英語を使えるようになることと書いてあるか、ピックアップしてください。それについてあなたがどう受け止め、どう考えるか教えてください。

土曜日の無料体験レッスンが開催できるのは、久々なので、たいへんにワクワクしていますが、いかんせん、告知が短いのでどうなることやら (・・;) いらしてくださいませ!

 

さらに日程と時間追加!

7月15日(日) 12-14時、14-16時

7月16日(月) 14-16時

ご予約はこちらから