アリアの多い人物

05/14/2007 にアップした文章です。

独り舞台・独唱が多い人のことを、なんとなく隠語めいているのだけれども、私はこう定義しているのだった。でも、ひとりで決めたことだから、あんまり誰にも理解してもらえず、しかも悪意があるように取られてしまうことが多いので、説明できるかどうか躊躇していたところあり・・・。私のオペラ愛好度はたいへんに低いほうに属すのだろうと思うのだけれども、それは聴いている人の中で、という意味で、イマドキの素人さんたちはオペラを解するのかどうか、そこも疑問・・・。

アリア:(1)オペラなどの劇音楽や宗教声楽曲で歌われる器楽伴奏つきの旋律的な独唱歌。多く技巧的。状況説明的なレチタティーボに対する。両者の中間的性格のものはアリオーソと呼ばれる。詠唱。(2)演奏会用に作曲された抒情的な小歌曲や器楽曲。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%A2 

私が好きなアリアの女王は、言わずと知れたMaria Callas;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B9

小娘だった10代の頃から好きだったのですが、アメリカに渡り、容易に彼女についての知識にアクセスできるようになり、彼女について描いた映画や本を読めるようになり、さらに好きになったというところ・・・。私にはあの真似はとてもできないし、私との共通点は少ないのではありますが、がゆえに好きだというのだろうか・・・。映画Philadelphia で主人公のAndyが彼女のアリアに聞き入る姿は圧巻でした。”La mamma morta”(from the opera “Andrea Chénier”) Composed by Umberto Giordano Performed by Maria Callas With Tullio Serafin Conducting The Philharmonic Orchestra タイトルは日本語に直すと『私の死んだ母が』となるのでしょうか・・・。Andyは死にゆくところでしたから。

そうなのですよ、私が「アリアの多い人」というときには、褒め言葉です。独り舞台や独唱ができるという実力が前提にあってのことなのです。できもしないのに、ただ長々とタラタラと、という悪口に使うのではありません。

そもそも、西さんいわく、アリアという語源そのものが、クラシックの中では、バッハの『G線上のアリア』から来ているはずだということで、楽曲の中の一部に過ぎないことは注目しなくちゃ、と思うのです。ここまで精密な表現をしようと努力することもないのでしょうが、私は自分が考えた表現というのは、今までことごとく誰かに先に使われてきたし、コレだってきっとそうなのだろうけれども、やっぱり理解してくれる人がいてうれしいな、と思うのです。英語をやり始めてマスターしてなおさら思うことは、英語には同じ表現でも合理的な意味が分かれているBingo!な単語も多く、形容詞や動詞など、日本語に直すときに個人差が多く出るようです。日本語力により、その差がでかい、ということですね。

さて、本題ですが、私はヒーローとかカリスマ性のある人々のそばには、実際には侍(はべ)りません。なぜならば、やはり本人が求めていようがいまいが、パワーゲームのサークルであることには違いなく、できることであれば、私はそんな円からは遠く離れて暮らしていきたいからです。宗教を全面否定するつもりもなく、どんな宗教・宗派・分派であっても、納得できることはたくさんあるし、それを受け継いでいる人たちでも目を瞠るほどのすごい人たちはやはり古今東西実在しました。けれども、私までがちやほやせずとも、みんなが代わりにやってくれているし・・・←ぎゃはは、無責任。私は自分で自分に力を持っていることで立身出世したり、誇示したいわけではなく、とにかくできたら自分の望みが叶い、しかもその望みの理由や動機ははっきりしており、それほど大望で他人様に迷惑をかけることでもないので、最小限のパワー表示で生き延びていこうとしています。そうそう、大学に通い続けたいということ。お金の心配をせずに、という条件が入ります。

ところが、遠巻きであれば、そういった「アリアの多い人」を見続けていくのは嫌いではなく、むしろ、相当に好きなのです。たとえば、最近知り合った社長。彼はすごい人で、尊敬に値します。もう20年ほど怒ったことがないようで、新しい環境への順応が早いし、能力も高く、しきたりにはうるさくなく、フォーマルなことが嫌いで、部下にも気軽に話しかけるツアーを夕方決行します。思いついたらその社員に宿題を出し、提出するように言い、あわてた社員が社長秘書にアポを取るわけです。そうやって、人を大切にすることを心がけている。彼のアリアは聞いていて心地よいし、胸を打つし、脳を刺激する。だから、アリアなのです。

他にも、昔むかし、ステッキガールとしていっしょにいろいろなところへ連れて行ってもらった紳士たちも、もちろん欠点がなかったとは言いませんが、そういった人々でした。私が年上が好きだと言い放ってしまうのは、やはり自分が経験していない物事をすでにしており、それでもゆとりがあって私などにおすそわけをしてくれる寛大さがあるから、だったのでしょう。逆に、私はゆとりがないので、年下の友だちに評判が悪いのだろうか?あるいは、評判は思ったほど悪くないのか?(笑)

年下が嫌いなわけではなく、私は生き急いできたので、どうもぼーんと丸渡しされる状態はけっこう好きなのでしょう。年下の人で丸渡ししてもらっても、「あ、それ知ってる」と未知ではないことが頻出すると、どうも時間が効率的ではなく感じてしまうのかもしれません。もちろん、人間というのは哀しい哉、そういったマニュアルでしかできないような手間暇がかかる面倒な課題に囲まれており、それを日々やっている方々を尊敬したほうがいいのはわかっているのですが、本当にまだゆとりがないのでしょう。

今日はフリーマーケットの隣の隣に出店していた男の子(とはいえ、二十歳以下ではなかったと思う。特に恋愛対象ではないので、細かい年齢など気にしなかった・・・←正直でしょ?爆)が、弊社のウォークフィットを購入してくださり、彼のすごいところは、検証がとても細かかったところ。そののち、さらにシートソリューションというクッションを買いたいらしく、いろいろ調べていたのですが、自分のお店もあり、売れた結果により帰りの荷物の量が違うので、買うかどうかそれまで考えさせてほしい、と言う・・・。こちらは、売り上げの目標をすでに達成しており、ゆとりがあったので、見本にしたシートソリューションを進呈してきました。名刺も差し上げてしまうあたりが、私の色気なのか、それとも余計なおせっかいなのか・・・。

でも、コレは明らかにアリアの多い人物に対する身構えや情とは違うものです。私は、個人のモニターはしないのですが(自分に危険が及ぶかもしれない項目を除いて)、事実としてそこにあるものに関してはやはり眼は瞑れない。すごい人はやはりすごいのだ。アリアをバンバン歌っても心地いいのだった。

そして私は、英語教師としては、1時間15分のアリアを歌っているのだろうか?と考えるに、やはり学習というのはそういう本質ではなく、参加型で生徒中心でなくてはならぬので、所詮私には生涯アリアなどは歌えないのだ、と自覚するのでした。

器のでかさはいろいろと表現できますが、歌を歌えるという才能で喩えてみるのもオツなもんです♪

腹が減っては戦ができぬ

05/13/2007 にアップした文章です。

規則正しい生活を強いられるようになってから、私のおなかは時間通りに空くようになってきた。シメシメ♪この前の睡眠習慣のときもそうだったのだけれども、行動修正というのは、「できるっ!」と大声を上げた人が率先してやらねばならぬのだ。そうして、Behaviorismに貢献しているのですが、心理学の大先生たちも、私が日本でこのようにひそやかに活動していることは知らぬであろう←どうでもいいことだし(爆)。しかし、私はこの学派だけを強く信じているわけではなく、いろいろな学派をコンバインして、いいところ取りをするやつなので、どこかに所属することができないでいます。

そうそう、おなかが空くってステキだよねぇ。以前は、誰も私を管理してくれなかったし、せいぜいネコにごはんを上げるだとか、友だちとごはんの約束をしているというのがCue(合図)だった。強いて言えば、好きな映画の予約をしており、初めて見るものであれば、そのときにいっしょにごはんを食べるように段取るとかいう程度。ハイパー生活が身についている私は、勉強をしていようが、仕事をしていようが、読書をしていようが、いくつかの行動を同時にやっており、「集中力が切れたときにおなかが空いていることに気づく→だから食べる」というパターンだったのです。なので、回数も気づくと24時間ほど食べていない、ということは、年に2・3回はあった(笑)。それに、完全休日をわざわざ作ったときには、なぜか3食食べるのに、そうでないと1回だけや2回だけというのがあって、たいへんマチマチだったので、身体も相当に順応するのに負担をかけさせられていたに違いないのである・・・。

いやー、それじゃー、太るよね(笑)。しかも、アメリカではバターとマーガリンの値段がわずか120円ほどしか違わず、なのだ。「だったらバター買うよ、ウキウキして♪」という習慣が身についたのは、幼い頃、なぜかバターのことを、母が『本バター』などと呼んでいたからで、とってもありがたい気がしていたし、マーガリンと味も違うからだい。牛肉(中レベル)と豚肉が同じような値段だから、アメリカに行った頃は、一生懸命に牛肉を食べたものなのです。そして太った(笑)。こんな例は枚挙に暇がなく、お菓子を食べない私でも、食生活では豊潤なアメリカに溢れる食材に、こー、食材の大海を泳いでいるかのように満喫しちゃったんだよね・・・←すごい喩えなんだけれども(笑)。ただ、唯一の救いは、私が甘味が得意ではないこと。嫌いというよりは、体質的に受け付けず、食べるとどうも眉間のあいだがジュクジュクしてくる感じで不愉快だし、口腔すべてがどうも陵辱されたくらいのセンセーションを受けるのである。だから、あんまりにも酔っ払ったとき以外には、私はチョコレートもケーキもアイスクリームも食べないということになっています。法則的なのだ。

西さんには一度も言われたことはないですが、私個人は『詐欺』だと思っています。えっと・・・、おそらく渡米してから今までの通年で、20キロ弱くらい太ったんですよ。もー、信じがたいことですが、身長も4cmは伸びたのです。が、この割合というのはまったくもって話にならん(笑)。そして、体重だけでお話させていただければ、日本に戻ってきてから、6キロほど減りましたので、順調に最初の1ヶ月はアメリカ生活が名残っており、その後1ヶ月に1キロずつ落ちた、という計算になります。実際は、2007年に入ってから落ちたのですが、やはりそれは、一重に定期的な暮らしを始めたから、というのに尽きると思うのです。

そして無理やり2番目の原因を考えると、アルコール摂取量の激減。20代の頃は毎日、ウォッカやテキーラをボトルで2本は飲んでいましたし、その前にビールにカクテル数種から手をつけていたので、若い頃太り始めたのは、不規則な生活(アルバイトでいつ起きていつ寝るかはまったく数日前にわかることだった)とアルコールのせい、とこの2つに尽きるのです。カロリーだけを単純に計算しても、もちろん体内機構が計算上辻褄が合うわけもないにしろ、6000キロカロリーは軽く超えていた日々だったと思うよ・・・(汗)。

そして、アメリカに渡ってから勉強を開始して、勉強をするためには酔っ払っていたり二日酔いだったりする時間が多いと、ちょっとお話にならない。なので週末だけに限られたり、お祝いや社交的なものに限られたりするようになったのです。ところが、その回数が多い(爆)。それまで完全週休2日制など味わったこともなく、hたすら馬車馬のように働いてきており、金・土・日、少なくとも金・土曜日の夜にはアルコール。さらに、日本では当時手に入らなかったか、手に入ったとしてもたいへんに高価なものをいくらでも食べられるときちゃー・・・・(汗)。

西さんといっしょに暮らすようになってからは、毎晩晩酌が開始され、私も翌日のフライトが早くなければやはり飲んでいました。それは本当に加速度をつけて体重を増やしていったのです。それでも西さんは、体重増加について一言も当時は言わなかった・・・。なぜなんだろう?

そして、西さんが台湾に単身赴任をしてからというもの、私はアルコールよりもタバコのほうが止めにくいということがわかったわけです。学校に通うとやはり宿題や課題が多くて、アルコールを飲んでいると、物理的な時間がまったく足りなくなるわけで、意地で通っている学校だったので、やはりアルコールは減りました。その代わり、行き着けのお鮨やさんに必ず通い、そこでまとめて飲むことになったりしたのです。

私はアル中だということを自認しているので、ひとりではゼッタイ!に飲まない。キリがないのです。誰といっしょに飲んでいても、酔いつぶれるまで飲まないと気がすまない。それだけ飲めてしまう内臓を持ったことを、いいとするか、運が悪いとするか・・・。

そして最終的には、おそらく週に3回飲むというが習慣として定着していたあと、日本に戻ってきたわけです。最初のうちは、日本酒も安いし、焼酎も安いし、と歓んで飲んでいたのですが、当然飽きてきた・・・。なぜならば勉強という足かせがなく、張り合いもなく、さみしい虚しい気持ちが増えていくわけです。しかも、アル中なんだから、という罪悪感も増える・・・。そこで、新年からは飲んだ日数を数えるようになりました。ここのところ、小さくいいことが続いているので、ビール1・2本を飲んでいる日々が7日ほど増えましたが、本格的に座って飲んだのは、まだ5回です。もう5月の13日なので、アル中としては優秀なのだ。Alcohol Anonymous などでは「一切止める」ということを目標に、12 Stepsを推奨するのですが、私はかなり意志が強いところもあるので、社交的なものやお祝いで止める必要もなかんべ、と、まだ自分を甘やかしている最中です。

そこで、日本に戻ってきて、体重がうんと減ったのは、その毎回6000キロカロリーが減ったわけで、1ヶ月換算するとけっこうになるわけです。その代わり、3食を母がしっかりと食べさせようとするので、内臓は喜んでいるようなのだ。なので、空虚な炭水化物であるアルコールよりも、お米やパンから摂る炭水化物であれば、それほど太らないし、やはり歳を食うと、それほどには食べられるものでもなく、限りがあるようで・・・。

そして、今日、フリーマーケットを味の素スタジアムでやってきたのですが、午前中はほどよい心地よい天候だったのに、午後からは陽がうんと刺してきて、最後は耐えられず、3時には上がってしまいました。しかし、売り上げは歴代記録の1位。やはり、この季節なのでお客様の数そのものが違ったようです。そこで、『腹が減っては戦はできぬ』と、コンビニのお弁当を食べたのですが、やっぱり母のお弁当やごはんに慣れているのでおいしくはなかった・・・。けっこうな売り上げだったので、今日はこれから焼肉やさんに3人で行って来ます。明日からの戦に備えるのだ!

さて、私はこれからますます体重が減らせるのだろうか?戦はますます激しくなるのだろうか?

紀久美先生へのQ&A~心理学講座編~その24~25

Q24.
アメリカに行こうと思ったのはなぜですか?

A24.
大学に行き始めて、バブルの中たくさんの人たちが、 時代に陶酔したように日々を暮らしている中、私はやはりまだまだ貧乏でした(笑)。年間40万円ほどの学費を払い、 自分のオートバイと車のローンを払い保険を払い、ガソリンを入れ、ツーリングに行き、 たまにはサーキットランをしたり、とにかくお金がかかりました。

教職を取ろうとしてたんですが、 こんなやさぐれた私が、 中高生に何かを教えることなどできるのか?と考えた挙句、大学を休学し、 好きなことでスキルをつけていこうと思い始めたわけです。

色々調べてみた結果、子供の頃の読書の習慣が仇となり、裸眼でもNG、矯正視力でもNG、パイロットになることが日本ではできないことがわかりました。なぜパイロットか?父が、ハイヤーの運転手だったため、 運転手になってみたいと思ったわけです。元々車の運転やバイクの運転が好きだったので、 これでなんとか食べていけないのかなーと。

海でもいいじゃないか?とも言われたんですが、宇宙や海のことを考えると、 あの果てしなさに畏怖を覚え、ロケットや船の狭さには耐えられないけれども、なぜか、ヘリコプターならいいんじゃないかと思ったんです(笑)。飛行機ではなくヘリコプターにした理由は、 機内が広く感じたからですね。ここ全く論理はないです(笑)。

英語すらできない私がその時に、 道はただ一つ!アメリカに行ってライセンスを取るべきだという結論に達しました。 JAL や ANA が、 が女性をパイロット枠で採用してくれる理由も無い時代です。なんなら整備工でもよかったんですが、それすら募集しておりませんでした (・・;)

その時全く知らなかったんですが、 当時、アメリカでヘリコプターのライセンス事業用を取った人は、日本人女性ではたった一人しかいなかったんです。私が無事に事業用のライセンスを取った時、どこから聞きつけたのか、 NEWS weekの取材が来ました。小さい記事でしたけど、取り上げられるぐらいなんだと思いました。その時に、 記者さんに教えていただいたんですね、私が日本人女性で二人目になったことを。

アメリカに入って最初の8か月は英語だけをひたすら学びました。話せて聞けて状況が理解できないと、死んでしまいますので(笑)。他の人に比べるとダントツで早かった気がします。命がかかってるというモチベーションは、 やはりとても強いんですね(笑)。

この歳になって人生を振り返ってみて、たとえ論理がなかったとしても、あの決断は最高に良かったと思います。あれがなかったら今の私はいないわけですし、色々なスキルもついていませんでした。人生そのものが空虚だったという可能性もあります。本当にアメリカに渡ってよかったです♬

Q25.
自分の好きなところを教えてください。

A25.
うーーーん、難しいですね。

一番の宝物は両親からもらった DNA です。ローメンテナンス:Low maintenance neededですし、大変に健康です。10年か20年に1回ぐらいしか風邪はひきませんし、虫歯ももう30年ほどありません。子供の頃は貧乏だったので、歯医者さんに行けなかったんですけれども、 アメリカに行って以降、本当に好きな歯医者にバリバリ入ってます。はい、私は歯医者が大好きです(笑)。子供の頃は大変に運動したんですが、昨今全くできておらず、それでも運動能力は割と高い方だと思います。ただ健康貯金は、それなりに目減りしているはずなので、 ここ過信せず、もうちょっと運動頑張らなきゃいけないと思います。

他に好きなところは振幅の差ですね。情熱的な時・冷めている時、一生懸命な時・怠惰な時、疲れ知らずな時・くたくたなとき、その差があることがある意味とても好きです。なんと言うんですかね-。人生をエンジョイできてると言うか(笑)。

他にも、 非常に複雑で高度なことがわかる時もあるんですが、なんでこんなことがわからないの?とびっくりするとこもあり、 そうした意味ではいつも死んでいられるという、 お得なコンディションがキープできています。人に教えるという仕事をしていると、 やたらと高慢ちきになってしまう傾向がありますよね?そこをセーブするためにも、 自分がまだまだなところがいっぱいあるということを、意識できることがとても好きです。

それに、 自分の持つ美意識が割と好きですね。ファッションや絵画ではなくて、人としてこあらねばならぬと自分を諌めている部分の美意識が、かなりいい感じじゃないかと思っています(笑)。

子供の頃は、父は私を溺愛してくれてたんですが、母は大変に困っていた様子です。私自身、 もしも私に瓜二つの子供ができていたとしたならば、山に捨てに行ってるところです(笑)。育てるのはさぞかし大変だったことだろうと思います。そんな私が、ちゃんとまともに生きてこれたのは、健康だったことや、他人と違うことをあえてできる勇気があったことだろうと思います 。 やらない後悔よりは、行ってからやり方が間違ってたことや自分の考えが浅かったことに後悔したほうがいいなと、小さい頃から思ってましたね。それは今でも変わらないです。

結構な歳になったので、 もういつ死んでもいいなと思うぐらいにはなってきましたけど、 スクールを運営している間は、綺麗に終わらせられる時期をちゃんと選ばなきゃいけませんよね。という意味でもまだまだテキストを書いていて、 まだまだ動画を作成しています。きりが良いところで終わらせる、 ということも常に考えています。

本当に美しいものは何か?というのはいつまでも突き詰めて考えていきたいですね。

犯罪と心理学

05/12/2007 にアップした文章

犯罪心理学と銘打つほど、私はこれについてのトレーニングを受けていません。ただし、心理学のベースを網羅はしたはずなので、Layman(素人)よりは何とか理解が深まっているはず。今日オススメするのは、映画です。実は、本から、しかも英語という原書で呼んでいただきたいシロモノなのですが、英語を強制するのもよくないですし、翻訳本を読んだことがないのでその違和感やよさはわからないでいます。だったら、地上波でちょうどやったようだから、今日はこの話題。

http://en.wikipedia.org/wiki/Along_Came_a_Spider これはプロット全体が英語で書いてあるので、バレバレなので、英語が理解できる方は誘惑に抗ってください。見てからだとか読んでからのほうがいいかもしれない。サマリーってもんはなんだか味気ないものです。

http://www.stv.ne.jp/tv/friday/search?idno=20070416093800 金曜ロードショーの宣伝用
http://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=3777 レビュー

私は、映画を先に見て、原作を読んだのだけれども、James Pattersonの本はいくつか読んでいたので、「映画で体現しきれるわけねーよ」とは思っていた・・・。

コレが彼の公式ウェブサイト:http://www.jamespatterson.com/ 
http://www.jamespatterson.com/about.html 彼個人はこんな人>写真見てね。ここで注目なのは、彼は売れっ子すぎるので、生年月日も住所も何もインフォなし。たとえば、Robert DeNiroなどは、自分の宗教なども一切インタビューされても明かさない(事実と合致した役柄しか来なくなるから、見る側に定着イメージを与えるのを極力避ける。とはいえ、けっこう定着しているとは思うのだ・爆)。有名人というのはたいへんだ、といういい例なのだ。でもなぁ、巨万の富を持っているStephen Kingはでたがりだったりするし、わからない・・・。個性なのか・・・。

Dr. Alex Crossシリーズは12作。2作(これとKiss the Girls;コレについては前にエッセイを書いた)がハリウッド映画化しており、ミニシリーズ他でも画像化はしています。続作も出そうなところ(2006年の冬の新作が最後だった)。

基本情報だけでてんこ盛りになってしまった・・・(汗)。

私は法学や行政と心理学は切っても切れないはずなのに、活用されている場面がまだまだ少ないと考えています。アメリカでは、ベトナム戦争のときに、風船爆弾を使った影に心理学者がいました(好奇心を捉えて被害者の数を増やしたり、猜疑心を消したり、などの役割について解説したらしい)。FBIには相当にたくさんの心理学バックグラウンドを持った捜査官がいます。これはMUSTな知識で、さらに、たくさんの分野に細分化し、特化したものをそれぞれが追いかけているのでしょう。

が、映画やイメージでは、そんなふうには捉えられてはおらず、適度に「人を読む」「占いくらいインチキ」と考える人も少なくはないでしょう。サスペンスやサイコスリラーなどは、限られた時間の中で、焦点を合わせていかねばならず、日常ほぼすべてに解説できたり、おもしろみがあったりする心理学的面を出せなかったりします。が、原作であれば、かなり満足がいくわけです。もう一度言いますが、私はJames Pattersonの日本語翻訳者の仕事は知りません。が、いい仕事をしていてくれることを祈っています。やはり活字のほうがずっとずっと満足度は高いと思うのです。

今日は久しぶりに、Jonathan Kellerman, Rageを読みつつ電車に揺られました。お友だちになった方にプレゼントするためです>って、お古かよ、と言われそうですが・・・(汗)。そして感じたのはやはり、これを映像化しても、原作を読んだことのない人には不満なんだろうな、と。主人公がどんな人となりを持っているのか?がわからぬままに話を進めるには、アクションがやっぱりイチバンだもんなぁ・・・。だからRamboは世界中で爆発的に売れたし、Sylvester Stalloneは Rocky Seriesをずっと続けてこられたわけです>今度こそ本当におしまいだろね?とは思うんだけど・・・(笑)。ああいった画像に比べれば、丹念に細かいところまで注意が行く人とそうではない人とは、欲しいものも見ているものも大いに違う。

ここが心理学がらみのサスペンスやプロットの醍醐味だと私は思うのだけれども、そうでない人がいるのは認めねばならぬ・・・。人々は昨今二極化してきてしまい、「お手軽大好き・わかりやすいほうがラクじゃん」という極と、「苦労大好き・複雑でわかりにくいことを理解するのがいいんじゃん」という極に分かれているのですね。私は、物事によってどっちにも属しますが、コト人がらみのことになると後者です。スポーツだってアクションだって好きなんですよ。でも、ただの復讐だけに人殺しをバンバンする映画は意味はないので、やはりアクション映画にも複雑な過去を持ち、葛藤があり、得手不得手をはっきりさせ、恋愛要素もわりと明確なものにして絡め、心理学要素も内包されているんだけどなぁ。でも、わかりやすいっちゃーわかりやすいよね・・・。

たとえば掃除とかお洗濯とか、やってもやっても次から次に似たような作業を要求されるものが、湧いて出てくるようなTaskってあるじゃーないですか・・・。ああいうことは「お手軽大好き・わかりやすいほうがラクじゃん」なので、秘技だとか秘訣だとかあれば、わかりやすいことに越したことはないです。簡素化できて効率がよければ、もー、うれしくてたまらない。けれども、コト人に関しては「積み重ね」であり、あるひとつの部分をケーキのように切って盛っても意味がないと思うんですよね。たとえそのピースがちゃんと層を持っていたにしろ、味は万遍ないにしろ、フルーツもちゃんときれいにディスプレイできているにしろ、です。たとえば料理もこの範疇だと捉える人はいるのでしょうが、私は前者である「お手軽大好き・わかりやすいほうがラクじゃん」であれば、本当にうれしい(笑)。「苦労大好き・複雑でわかりにくいことを理解するのがいいんじゃん」という観点でいかねば、表現しない人々については深く理解できないと思うし、深くなくても見落としだらけだと思うんだよな・・・。

犯罪を「悪い!」というだけなら簡単すぎる。そんなのはみのもんたに任せておけばいいのだ。そこに心理学を取り入れて、多角面から見てみるゆとりがある自分には、けっこう今は満足しています。いつか疲れるのかもしれないんだけれども>Alex Crossが途中ヘタレたように・・・。それにねぇ、犯罪に手を染めないと自分のことを他人に保証できる人間なんて、本当はゼロに近いのです。たとえば明日死ぬかもしれない疾病にかかっていて意識がないのであれば可能性としてはなくはない。でも脳が動いており、コミュニケーション手段があれば、「依頼殺人」だって犯罪だからね・・・。早く死にたいからって尊厳死にそばに居る人を巻き込むのだって「幇助教唆」だからね・・・。赤ちゃんではなくとも、人間先のことを保証しきってしまうというのは、ちょっとありえないわけです。見込みだとかいう意味でならばまだしも・・・。なので、犯罪に心理学を絡めるのはとってもおもしろい。そういった映画をつまらないと思う人たちは、まだまだ裏や行間が読めないのだよ・・・。もちろん映像化や脚本のはしょりなど、残念なことはたくさんありますが、もうちょっと寛大になって見てね♪

日本での2時間ドラマの犯人当てですが、私はこの7ヶ月外れたことは一度もありません。アメリカでMonkに鍛えられていたせいなのだと思います。エヘヘ。母と西さんにはちょろっと威張っています(爆)。

条件付の愛

05/11/2007にアップした文章です。

このタイトルは大昔使ったことがあるかもしれない、と、普段は記憶力のいい私がコレについて定かではないのです。これまで書いてきた駄文は、いつのまにか1000近くなっているので、きっと酷似タイトルも多いと思うのではあります。なんたって同じニンゲンがやっていることですから・・・。しかも、プロでパーソナルアシスタント(秘書というのは失礼なのかもしれない・・・でもこの漢字はステキだ・・・)がついているわけでもないし・・・。条件をつけて愛するというのは、脳が発達しているがゆえの悲しさでもあります。なぜならば、その条件が多様だからです。

条件:(1)物事を決定したり約束したりするときに、前提あるいは制約となる事柄。(2)物事の成立あるいは実現に必要な事柄。ある事態を引き起こす原因。(3)〔法〕 法律行為の効力の発生を制約する、実現が不確実な将来の事実。(4)箇条。項目。
前提:(1)ある事が成り立つためのもとになる条件。(2)〔論〕〔premise〕推理において結論が導き出される理由ないし根拠となる命題。
制約:(1)制限や条件をつけて、自由に活動させないこと。(2)物事の成立に必要な条件や規定。

ネコたちが私を無条件に愛してくれていることを、日々実感しながら生きてきたので、さらに、ここ7ヶ月離れて暮らしているので、その無償で無条件に限りなく近い愛には、私はもうメロメロなのである。そして、私が西さんといっしょに人生を歩むことになって、はや18年だかいっしょにいるのも、きっと彼が私に対しての条件の数が少なかったり、私が納得できうるものだったり、ということなのでしょう。

悲しいかな、親に対してはコレが選べない・・・。イヤイヤ、母を取り替えたいなどといまさら言っているわけじゃーないんですよ(汗)。ただ、彼女は西さんに比べると条件をキツメに出してくるなぁ、と苦笑してしまうのです。そんな母を見て育ったのに、私は条件を他人にキツメに出さない。が、弟のほうはキツメに出す。これはまたもやおもしろいな、と。弟と私は、同じ親とその親や周りの大人が与えた環境とその中での要因たち、近所や他の人々や教育や生物学的要因(空気のきれいさや樹木の多さや水や食べ物など含め)、も同じなのに、なんだか結果はとても違っています。男女の違いというのがひとつと、生まれた順番の違いというのが、大きな違いのふたつでしょうか・・・。

幼い頃は、番長(って、この言い方も相当に古ぼけた言い方だ・・・)めいたところがあり、自分より能力が低い子たちに対して、面倒を見ていた反面、命令や指示をしていた傾向は強かった。けれども、間違えないでほしいのは、私がそれをしていたのは「徹底的に遊びのルールのため、遊びがスムーズに行くため」であり、他になんの野心もなかったのです。家では仕事がありました。それは手伝いなどではなく、真剣な労働で、その八つ当たりをみんなにしていた、ということはありません。それじゃー、6・7・8歳から、ガード下や居酒屋で愚痴ったり、弱い部下に仕事を押し付けるなどのサラリーマンメンタリティじゃーないですか(笑)。おそらく、私がそうしていたのは、ただただ遊ぶことそのものに享楽していたからでしょう。なんであんなに楽しかったのか、今となっては謎なのですが、でも楽しかったなぁ。

その後、成長するにつれ、私が姑息なのは、「他人に命令されたくない、指示されたくないから、こっちも出さない」というもの(爆)。16歳でアルバイトを開始したときは、マニュアルを教えてくれる社員や古いアルバイトさんがいたから、それに従順であればよかったので、それほど命令や指示に不愉快などはなかったのです。家でも相変わらず封建制度を敷いていたい父もいましたし、それに年々似てくる弟もいましたし・・・。ただ、どうなんだろう?「鵜呑みに聞き入れていていいのか?」というのはいつも不安感として持っており、気づくと19歳で契約社員になり、オープン店舗を廻ることになって、指示が多くなりましたが、命令はしていなかったつもりなのだが・・・(でもしていたかもしれない・爆)。

ただし、私は年上の友人が多かった。別に同い年や年下に偏見があったわけではなく、性格的にも生物学的にも、なぜか「生き急いで」いたので、たくさんの知識や経験や縄張りやその他を、どうしても知りたかったし、できることであれば私自らも習得し、経験したかったのだろうと思うのです。なので、特に指示も命令もできない環境を、わざわざ選び取っていた、というのが実際なのかもしれない・・・。

たまにある「同じくらいの立場」という意識がある人々とのお付き合いや、私のことをえらいだのすごいだのと言ってくれる引っ込み立場の方とのお付き合いなどに、やはり「他人に命令されたくない、指示されたくないから、こっちも出さない」というルールは使い始めました。駐在員の妻たちと腹を割ったおつきあいができなかったのは、おそらく、こうした立場を最後まで振り捨てるようなステージまで行かなかった、いわゆる、「知り合う前に別れる状態」だったからなのだろうと思うのです。けれども、私は指示も命令もせずにつきあうことを癖としています。依頼はするんですが・・・←ここが微妙なのかしらね?(苦笑)そして、それを徹底していたら、いつのまにか本当に誰かに対して条件など出すことは必要としなくなってしまったのであった・・・。習慣って本当に怖いわね・・・。

関係が成り立つための条件というのは、なんだか空しいけれども、やはり瑣末であれ、いくばくかないと果てしないので、誰しもやっていることなのです。私が今ぱっと思い浮かぶ前提は;

・ 自分で自分の面倒をみられること>でも効率を追いかけたときに依頼や分業はあっていいと思う
・ 大義を自分なりに持っていること 大義:人間として踏み行うべき最も大切な道。特に、国家・君主に対して国民のとるべき道をいうことが多い。
・ 生きているモノはすべて死ぬまで学習・発達を続けていくのだということがわかっていること
・ 有言実行を心がけていること

くらいがざらっと思い浮かびます。ということはまだいっぱいあんのか?量はないと思うんだよなぁ・・・。こういう大きな前提がかなりの範疇をカバーする仕組みになっており(言葉遊びじゃないよ・・・)、うまく要約できていると思うのね。だからそれ以上に求めることはあんまりないと思うんだけど・・・。とはいえ、わかんないか・・・(汗)。

男だって料理や育児や掃除はできたほうがいいと思うけれども、それは「おまけ」をエンジョイしていないんだよ、という意味で、オトクか損かという話をしているだけに過ぎず、やらない男の人は大嫌いっ!ってことじゃーないしな。禿げでも別に何でもないし、詐欺師でもOcean’s 11(シリーズ)に出てくる人たちは嫌いじゃないしな・・・。シリアルキラーもみんな人殺しだからって憎んでいるわけでもないし・・・。

私は無条件の愛をくれるうどちゃん・タンゴ・ハイジ・さくら・寅次郎には無条件の愛を返していますが(というか、使われてる!?)、条件付の愛をくれる人には徹底的な無条件の愛を返していません。認めますし、むしろ、無条件の愛を人間が与えるというのは人生に一度きりだとか稀にしかない、でいいと思うのです。だからドラマなのだし・・・。西さんだけではなく、全おつきあいする方々にも「自分の面倒は自分で見てね」が基本です。

ただ、無条件の愛ちっくに限りなく無条件だと思っていると、やっぱりコミュニケーションの誤解が出てくるかもしれません。なので、私は西さんと母に今晩、私の条件と彼らの条件の合致度をチェックしてみるつもりです。相互通行なので彼らの条件も再チェックしてみます。みなさんもぜひ愛する人たちにチェックしてみてね♪

暑くなってくると不安・・・

05/10/2007 にアップした文章です。

最近の私は何が怖いかって、暑さ・・・。恐怖心の対象がおかしいのでは?という方は、冷房なんてアテにならぬことや健康への害を考えていないのだ。ホラー映画より、寝起きの化粧なしの彼女より、パチンコで1000回転以上出ないことより、ずっと独身でいることより、東京の夏というのは本当に怖いのだ。心底震えて涼しくなればいいのだけれども、まだ早いか・・・。

子どもの頃は夏が好きで好きで、いつまでも夏休みが終わらないでほしいと、真剣に跪いて、夕焼けや星や山や田んぼやでっかい古い樹などにまで祈ったもんなんだけれども、それが叶わなかったから夏が嫌いになったわけではなく、やはり、カリフォルニア暮らし18年半の賜物だわ・・・。

この過去19回の夏のうち、父が死んだ翌年に1回・ワインバーを出した2005年に1回経験しているのですが、去年は避けた(笑)。父の死んだ年には丸々夏を経験したのですが、2005年は13年後にわずか2週間で、そのあと台湾の夏(亜熱帯なのでもっとひどいかと思ったけれども、東京の夏のほうがひどい)を合計で3週間くらい。

そして、今年、短い期間であろうとも、通訳や教師などに通うために電車に乗る私としては、東京の夏は非常に怖いのだった・・・。当然、8月は緩やかになるとはいうものの、5月からこんな暑いんじゃーどうしてくれるんだか・・・。しかも、6月には梅雨がきて、寒かったり蒸したり忙しいらしい・・・。私の身体は、合計で17年半のカリフォルニアの地中海性気候に甘やかされすぎているので、暑さにはめっぽう弱い。さらに性格上、微妙な気温の変化に対して、集中しているときは相当に鈍感なので、日ごろ言っている防御だとか防衛なんてものがまったく機能しなくなってしまうのだった・・・。

すでに、一昨日あたりからのこの気候のよさのせいで、満員電車で人2倍近くぐったりして、汗まで久々にかいて(運動をしない限り、シリコンバレーで汗をかくなんてことはないと思うのだ。あるいは、日当たりがよすぎるところに強制的に居続けない限り・・・野球とかで?あとは、そうねぇ、ワイナリーなどに行ってすごい盆地で車の中が駐車中に記録的に上がってエアコンが効かないとか?)、そのあと新宿からビル街まで歩いて、空気調節を季節に合わせているので、当然、掻いた汗が引いたら涼しくて、くしゃみばかりしています。そして帰りもそれは同じで、夢中になって読書をして、家に戻って裸に近いくらいの状態になってごはんを食べて、やっぱりくしゃみをしているのだった(自嘲)。

けれども、私には、鼻水は本当に水と同じで、無色透明で流れるだけなので、特に苦しいわけでもないようだ・・・。今朝ちょっと兆候があったのだけれども、もう治った←基本的にとっても丈夫。

そして、東京の夏の何が怖いって、あのビルとビルのあいだやそばを通ったときの、エアコンの空気孔から出る熱気。あれはLethal Weapon(殺人凶器)と呼んでもいいですか?(真剣)洗顔についてのところで書いたのですが、私は熱いお湯で顔が洗えません。温泉は熱いお湯に徐々に慣れていくプロセスがやたらと好きなのですが、極端に熱い温泉はダメです。死ぬほど熱い温泉や激辛や豪勢や吝嗇などは、あまり意味のないこと、と私の頭には組み込まれており、それに身体も納得しているようです。なので、あの暑い夏に我慢しつつ、うんざりしつつ、アスファルトからの陽炎を見つめつつ(ごく近いのに)、汗を流し押さえ、不快度がもう限界にかなり近いぞと思っているときにあの空気、エアガンちっくなものを浴びると、その場で倒れそうですね・・・。いやいや、冗談じゃーなくてね・・・。

私は調布の深大寺という田舎に育ったので、エアコンは中学校2年まで家にはありませんでした。家と家の感覚がちょっとは空いており、今のように敷地に目いっぱいギリギリな建て方はしておらず、隣のエアコンで死にそうになったことはありません。

ところが、今、町中を歩くとけっこうどこでもエアガンが銃撃される可能性があるじゃーないですか…。アレは恐怖です。アレがイチバン怖いのだということを明言しておきます。

その次に不安なのが、人々の体臭ですか・・・。なにしろProximity(個人空間)が広いところにいたので、日本の、特に東京の個人空間の狭さには、まだまだ慣れているところです。気温上昇に連れて、ヒトが温度調節を行い、さらに毛穴からの匂いも増加することになります。化粧品の匂いも増えていくし、整髪料の匂いも増えていく。汗だけじゃーないのだ。それが混ざったものが曲者なのだ。喫煙者なのでそれほど匂いに敏感ではないと思ってきたのですが、実際はこの個人空間のせいだったのだろうと思うのです。日本に居た頃でも、オフィス勤めをしたことがなかったせいで満員電車にも乗らなかったし、移動は車はバイクという贅沢を貫き通したせいで(実際は終電が終わっても働いていた、という現状だったんですが)、私はこれに喘いだことがなく、ウェイトレスをしている頃は食べ物の匂いを感じるのは当たり前だと思っていたようなところがある。

昨今、電車通勤をするようになり、自分の胸元から立ち上ってくる匂いに気づいてしまうくらいですから、他人のものを「異臭」と認める度合いにも、「気づかぬうちに認識してしまい、けっこう敏感なんじゃん・・・」と呆れている状態なのだった・・・(汗)。

これもきっとつらいことでしょう・・・。第2の難点。

けれども、考えてみるに、その代償として、かき氷が食べられるんだなぁ、とか、冷やし中華が選べるほどに贅沢できるんだなぁ、とか、夏祭りも見れるんだなぁ、などと思って、自分を激励することに発想転換できるところが、私の取り柄でしょう。もう金魚すくいはできないにしろ、夏祭りはやはり秋祭りとは違う風情があるので、また楽しめます。盆踊りなんて、日系人主催のもの以外は、もう25年くらい見ていないかもしれないし・・・。いまさら炭坑節の歌詞を憶えているのだろうか?(きっと憶えているんだよね・・・汗)

日本に戻って住んでいいところは、この四季折々感です。地中海性気候では2種(乾季と雨季)だったので、微妙な筆舌に尽くしがたい差があったにしろ、やはりなつかしい。東京が変わったことで、ビルが増えたことや、緑が減ったことで、喘ぐことはあるにしろ、やはり四季というのはいいものです。

不安はあるにしろ、西さんが夕べ、「やっぱり夏が好きだ!」と力強く言ったことを支えにして、夏を迎えようと思います。うどちゃんたちも来ることになるし、いっしょにならばきっと過ごせることでしょう。ただし、マンションは暑くなるのでエアコンをもう一台買う予定になっています・・・。24時間稼動せねばならぬことになるのでしょう。ちなみに彼らはエアコンが大嫌いです。エアコンがついていることを気づかれぬくらいな微調整を要求されることになりますが、それは母にやってもらう予定。

6月には彼らが慣れる前に、京都に行きますが、それが今の最大の楽しみです。大学院入学の誘惑はまだまだ続いているのでした。稼ぐ道にもバラエティができて、かなりうれしいところです。

Summer heat, business man use fans to cool down

子どもの使い

05/09/2007 にアップした文章です。

ダウンタウンが相当前からやっている『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』という番組、帰国してもまだやっていたので感動いたしました・・・。私が父の看病のために帰国したときに、「へぇ、ダウンタウンも冠番組持っているんだな」と思っていたのですが、深夜だったので、「そうか、欽ちゃん(萩本欽一)のようにはいかないんだなぁ(8時台や9時台に毎日すべてのチャンネルを網羅してやっていた)」などと思っていたのです。が、今回戻ってきたら、なんだか大御所の次くらいのランクまで上がっている感があり、(大御所の上は文化遺産のようにもう枯れていて出ていない人たちということで・・・)。

今日はあれから発想をもらったのかどうか、まだちょっとわかっていません。ただ、ふと心に思い浮かんだ言葉がコレだったので、書きながら繋げてみます>もっと計画的な文章書けよな、と言われても、返す言葉もございません・・・(汗)。今、たいへんにイライラしていることがあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%AC%E3%82%AD%E3%81%AE%E4%BD%BF%E3%81%84%E3%82%84%E3%81%82%E3%82%89%E3%81%B8%E3%82%93%E3%81%A7!! 長いのだけれども、客観的な情報です。
http://www.ntv.co.jp/gaki/

使い:(1)使うこと。使う人。他の語と複合して用いる。(2)用足しのために外出すること。(3)用足しのために人をさしむけること。また、その人。使者。(4)神仏の使者とされる動物。つかわしめ。(5)召し使い。そばめ。妾。

今日も申込書やら銀行口座うんぬんやら予約やらも含め、英語でビシバシといろいろやっていたのですが、元の情報を日本語で、社内の部署から調達せねばならぬ・・・。そこが曲者なのよ・・・。

(あ、曲者って人だけを指すのかしら?うーん、やはりほぼ人を指すみたいだ・・・。
曲者:(1)賊・敵などあやしい者。(2)一筋縄ではいかない人。ひとくせある人。(3)油断のならないもの。気の許せないもの。えたいの知れないもの。(4)なみではない人。(5)妙手。異能の人。(6)ばけもの。怪物。)

別に対象が人じゃなくたっていいじゃないか!とコレにも抗議したくもあるのですが・・・。でもここからは離れるよ・・・。

「○×ができるだけ早く欲しいのですが、いつになりますでしょうか?お願いいたします」と質問および依頼した場合、「もう相手方(よそ業者など)に出してはあるんですけれども」だとかいう答えはまったく的確じゃないでしょ・・・。子どもじゃないんだから、そういう答えはないでしょ、と、思うのです。英語であれば、Whenを聞いているのに、明後日の方向に向いた答えなのだよね・・・。責任回避なのかい・・・、と。さらに、依頼したことについて、当然のごとく触れてくれない・・・。いったん受けたことについても逃げているわけです。で、二度目のやりとりが、「2週間くらいかかりそうです」と、これもまたガキの使い第二弾なのですよ。「では、あなたの部署はいつ!依頼したの?」「2週間というのは全工程に2週間なの?それとも今から2週間なの?」そして、今度こそはちゃんと受けてくれるのだろうか?と、不安は拭えないまま、「こうしてコーポレートライフは営まれているのね・・・・・・・・・・・・・・」などと実感しているわけなのです。

こういう社内のメールや電話のやり取りって、仕事をとても遅らせているのは歴然です。しかも同じところに、海外送金の際のインフォメーションを聞いたのですが、どうしてすぐ出てこないのだろう?町工場でもなければ、父ちゃん母ちゃんビジネスレベルではなく、摩天楼の中の大きなビルのワンフロアを占領している規模の会社が、どうしてSWIFT Codeも出してこられないのかが不思議だし、正式な英語の会社名や口座名なども、言われずともつけてこないのかが不思議・・・。

西さんは、私をとっ捕まえて「絶対のないこの世で、きくみはゼッタイにひとつの会社で他人にこき使われて働くことはできない」と言い切ります。特に、今もこき使われているとは思っていないですし、この程度の理不尽など当たり前だと思っていますが、「この状態を改善する前向きさ」は失ってはいかんと思うので、不平・不満レベルではなく、抵抗はするのだけれども、それが繰り返されていくと、他人の目からはどうも「反抗分子」だとか「従順から何マイルも離れたところにいる面倒なやつ」と思われてしまうのだろうか?

今朝の新聞に、子どもたちは小学校高学年になっても「支持」という漢字が書けない割合が多すぎるなどとありましたが、いくつまでに何を、というのは目安であって、絶対値ではありません。いろいろな人がこれもBlogに感想を書いていますが、文句が多いし、嘆きが多い。私もついこのあいだ日本語力について書いたばかりなので、このお題をメインにするのは避けたのだった…。(ちなみにコレ:
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070508k0000m040091000c.html これと朝日を比べてみて♪わかりやすさが同じニュースなのに違う…。http://www.asahi.com/national/update/0507/TKY200705070281.html
しかも、彼らはまだ子どもだからいいのよぉ。小学校6年で漢字がロクに書けずとも、義務教育だってあと3年もあるし、高校まで行く気があれば6年あるし、大学まで終わらせる気持ちがあれば、10年あるじゃーないですか。学校に通い続けている限りは、日本語で他の教科を習うにしろ、漢字を含めた日本語ができなければスムーズには理解へと繋がらない。なので、気づく。

けれども大人なんだよね、問題は。「任天堂DSやってるんですよ!」って言いつつ、クイズ番組で間違えている人たちいるよね(笑)。なぜDSやってもダメなのか考えてみたほうがいいかもしれない。ある程度のボキャブラリーもなく、漢字の象形文字の仕組みや法則性などを知らない人が、自分の手で書き取りをしないまま、時間をあまりかけずに目だけで脳に直結させようと甘いことを考えていると、やっぱり案の定記憶に留まらない。効率もその後よくない。

そういうステップを万事で踏んでいると、何かをやるのに(特に仕事で)、「子どもの使い」になっちゃう確率が高いのではないかと思うのだ。そして、それはたいへんに周囲にいる大人をイライラさせることである。しかも生産性を低くすることだし・・・。いつまでも子どもでいたい気持ちはわかるけどさぁ・・・。ChildlikeとChildishの違いはここに出るのだ。

やっぱり西さんは大当たりだよね・・・。私はコーポレートライフに埋もれて生き続けてはいけない・・・。

紀久美先生へのQ&A~心理学講座編~その22~23

Q22.
好きな食べ物・嫌いな食べ物を教えてください。

A22.
好きな食べ物は 、きのこ全般・たけのこ・カニ・山菜・おせんべ・きゅうり・ BlackBerry・ ラズベリー・うなぎ・エビ・ホタテ・ご飯・ お餅・鮭・アジ・納豆・・・・・・・・・・

きりがないのでこの辺でやめときます(笑)。野菜はほとんど全般的に好きですが、お芋類があまり得意ではありませんね。食べられないということではなくて、 ご飯を食べたいので穀類はとりたくないという気持ちが強く、あのボソボソした感じが好きではないんでしょうね。 でも山芋は大好きです。ただ、 麦とろ飯は食べたくないです (・・;)

海藻類も大好きで、 一日一回は必ず食べてますね。麺類も嫌いではないんですが、 最近では品目数が少ないくなるのであえて避けるようにしています。

嫌いな食べ物は、甘いもの全般です。チョコレートやアイスクリームなどは、酔っ払わない限りは食べません(笑)。いや、食べれないんですね (・・;) 甘いものを食べると眉間のところが、うにゅうにゅグニュ グニュと、とても緩くなってしまっている感じがするんです。前頭葉に来たなぁという(笑)。そして歯が浮いてきて、 なんだかとても辛いので食べてないです。避けてます。

糖分は、アルコールとご飯でめいっぱい取ってますので全く問題ないかと思います(笑)。

さらに、 高価なもので好きなものがあまりないんですね(笑)。フカヒレ・カニぐらいです。とっても安くできています(笑)。いくら・ウニ・フォアグラ・ キャビアなど、皆さんが大好きだと言う高価なものは、 ほぼ食べないので「一緒にご飯に入って割り勘にしましょう♬」と誘われます(笑)。

医学ジャーナルで最近では日本の1975年くらいの食事が、最も健康に「有益性」が高いと発表されました。私はその当時小学生。とても健康に健やかに育ったと思います!おかずの種類が多くドーンとメインのものが鎮座していたというよりは、 細かにたくさんのものがあった気がしますね。なので昨今もそれに合わせ、品目数を多く食べようとしています。

私は健康に良いものが好きで、美味しいけれどもさほど健康にカウントしないものを好きではない、という傾向にあるようです。 全く計算したわけではないので、なんという絶妙な偶然の産物なんだろうと、自分のことを時々、 びっくりします(笑)。

Q23.
子供の時に得意だった科目は何ですか?

A23.
子供の頃は全く勉強しなかったので、得意も不得意もあまりないんですよ(笑)。ただ昭和40年代小学生だった私は、 女の子は「八百屋魚屋に騙されない程度に算数ができればいい」と言われていたので、騙されない程度にはやったつもりでいます(笑)。その意味は中学生ぐらいまでわからなかったんですが、 特に中学生になっても勉強したわけではないので、まぁ、無視です(笑)。

全般的な傾向で女性は文系が得意男性は理系が得意、という傾向があったので、私もご多分に漏れず 文系が得意と思っていたように思います。

大学も浪人して入ったんですが、文学部国文科に入りました。特に文学が好きだったわけではなく、 小さい頃から本を読むことだけは苦じゃなかったので、それならば続けられるかもしれないと思ったからです。勉強することが嫌いなのになぜ大学に入ったのか?という質問があるかもしれません 。両親が学歴がなかったので貧乏なのだと思い込んでいて、大学に行かないとご飯が食べれないかもしれないと恐れたからです(笑)。

ところが、高校を卒業して一年浪人し、 やっと大学に入っても、時代はバブルなので、かなりお金がかかったんですよね(笑)。学費も自分で払って、奨学金などもらえるはずもなく、 働くだけで大学を休学することにしました。単位が取れなかったからです(笑)。

振り返って考えると、この時は私の「 勉強のし時ではなかった」ということですね。アメリカに行ってからまた大学に戻ることになります。

子供の頃、本を読むこと、文字を書くこと、は嫌いではありませんでした。ですので、 クラスで授業を受けた記憶は全くないんですが、教科書は一通り読んだ記憶がバッチリあります。テスト勉強をした記憶も、ほぼないんですが(笑)、テスト前に本だけを読んでいた記憶はありますね。勉強していないのでテストの点数が取れないと思っていたんですが、 今考えてみると、あの程度しか勉強しなくて、 よくも小学校中学校高校卒業できたものだと思います(笑)。

けれども、 特別理系が嫌いだったわけでもありません。勉強が嫌いだったんです(笑)。あ!嫌いな科目がありました。美術が大嫌いでした(笑)。今も私の人様並みにできないものに、 絵を描くということがあります。チューリップと向日葵ぐらいしか、人様にご理解いただけない模様です(笑)。

とにかく子供の頃は勉強はしないで遊んでばかりました。アルバイトができるようになってからは働いてばかりました。 勉強はアメリカに行ってから始まります。


 

救いがたいエラー;希望

05/08/2007 にアップした文章です。

私がここのところ考えているのは、致命的な間違いについて。「やり直せる間違い」については、私はとっても寛大なのだ。自分が間違いばかり繰り返している正当防衛なのか?(笑)何度か書いていますが、学習の基本的成り立ちは、Trial&Error(試行錯誤で、間違いから成果が得られる)なので、失敗を恐れていたら何も生まれません。

私が通訳としてついている社長も、日本支社に赴任して26日めです。が、日本在住は12年が経過しています。アメリカで弁護士だったバックグラウンドのせいで、理詰めなのかと思いきや、実際はフランクでスケールがでかく、やはり実績が残せた人なのだ、と納得することばかり。尊敬に値する人ですが、彼の社員に対する質問の中に、「長いあいだ働いていていろいろな変化を見てきていると思うのだけれども、成功ではなくて、失敗やこの会社の悪いと思うところを教えて」というのがあります。その根底にあるのは、「成功は誰でも褒めるし尊ぶが、失敗や悪いところ(まだ改善されていないもの)こそが、チャンスなのだから」という論理。然りです。

夫婦間や恋人間、果ては友人や親子で、こじれすぎてしまってもう修復不可能だと言われる関係があるのですが、実際には本当なのだろうか?会社にしろ、運営や経営が悪いからと立ち直ることは不可能なのだろうか?などと、私は常々考えており、答えは、この「致命的で救いがたいエラー」にあると考えています。そのエラーとは、物事を修復できると思うか思わないか、の違いとでも表現すればいいのだろうか?手を替え品を変え、それを「希望」だとか「楽観」だとか表現してきましたが、それさえあれば、物事はどうにでも変化するのだろうと信じて疑っていません。

いい歳こいていても希望は持てるいい例です(笑)。

ただし、関係などにおいては、どちらかが逃げ腰では修復はありえないし、改善点についての無視や認識や受け入れがなければ、修復はありえない。だからこそ、問われる救いがたいエラーというのは、時と場合によって、「頑固である」「自分がゼッタイに正しいと思い込んでいる」「もうこの先には何もないと見切る」などがあるがゆえに、修復不可能になるのでしょう。

さらに、人間関係の定員問題があります。恋人であれば、常識的には2人。三角関係で3人。愛人をそれぞれ持っていても4人プラス。ところが、会社などになるとその規模は増えていきます。どのくらいの人々にどのくらいの発言権利があるのか?コミュニケーションの密度や質や量は?などを考えていくと、とんでもなく果てしないことになり、修復不可能という結論に至るまでには無理もないことがままあります。

弊社のように小さい会社ですら、修復不可能だと考えてしまえば、もうおしまいなわけです。ところが、私たちの場合は、外で稼げると思えば特に会社を閉める必要もなく、ネット販売もやれば、仲買もやるし、コンサルティングもやり、紹介業もあり、会社の語学派遣やら、カルチャーセンターやらいろいろに手出しができ、修復不可能だとはまったく思わないでいます。台湾にも会社があるので、日本の業績が上がらないのであれば、台湾に負担してもらうというネゴの技術が必要ではあるのですが、西さんが相手なのが幸いしており、特に不可能な領域ではありません。

しかし、大企業になると、やはりそれはわかる気がする・・・。複雑すぎて、もう気力そのものが萎えてしまうのでしょう。なので、やはり社長や重役クラスの力量というのは、実務も大切ですが、人間性が大切なのだということがここでわかり、ダイヤモンド社などが出している雑誌がビジネスマンに売れるのも、人を歴史上の人物にたとえたりすることも止まないのでしょう。

そして、校長センセはビジネスを教える先生なのですが、やはり奥が深く、経験を生かした上でのビジネスの実務面だけでは立ち行かず、心理学を学び、ライセンスをしっかりお持ちになり、教えてらして、さらにたくさんの人々を知ることにより、余計に奥が深いことを知っていらっしゃるのでしょう。だから、簡単に物事を決めることはおっしゃらず、著書にもあるように、「もっと考えましょう」ということを推奨なさっておられます。心の声を聞くだけでは、感情に振り回されることになり、実務の利益を考えると効率ばかり考える論理ばかりになる。このバランスをよく考えねばならぬことにお気づきになり、道しるべを残しつつ歩いてらしたのは、やはり校長センセの見極めの賜物です。

私は、実務がまったくできないと西さんにドヤされていますが、実際にその通り。考えてはいるのですが、たいへんに抽象的なことを確固たるものにして他人に渡せないという難点があります。他人がプレゼンしたものについて、「もっとこう」「これがたりない」「ここが華美」「ここが無駄」ということはできるのです。自分が絵も描けないのに、批評家にはなれるというまったくひどい根性だ・・・(汗)。けれども、それは救いがたいエラーではなく、日々いろいろなことに興味を持ち、自分以外の考えが正しいであろうことを前提とし、人々の意見を聞くこと・さらに検証することで、補ってきています。これがなければ、救いがたいエラーの悪循環をグルグルと廻っていることに気づかず、やはり無為に近い空虚な人生になりそうです。

よく「コレだけは言ってはいけない言葉」などというのを目にしたり耳にしますが、私は率直なので(謙虚ではないのだ・・・)、ある人にとってそんな言葉をよく口にしていることでしょうし、ここにも書き残していると思われます。ただし、それが救いがたいエラーだと考えるかどうかは、やはり受け手に反映されます。私は、それを正しいと思っているようにここでは見えているでしょうが、ある人には言ってほしくないという言葉にきっと感情と論理に支えられた裏づけがあるはずです。それがないのであれば、私は多少厳しくても敢えて言わせていただきますが(あるいは書かせて)、あれば尊重してきました。

私は身体的な欠点はどうでもいいことで、欠点などとは思っていません。自分がこんな疾病持ちなので、そう思いたくないわけです。与えられた機能を持つ肉体で、人は念じた通りになるべく近いように自己を実現していける、と信じたいわけです。ここで、「そうではない」と否定することは、容姿や身体的機能は絶対的である!とするのは、救いがたいエラーのひとつである「希望を持たない」「先を信じない」なのではないかと思っているのです。だから、禿げていようが背が低かろうが体臭が強かろうが、私はそれをマイナス要素だとは思っていませんし、それについて「コレだけは言ってはいけない言葉」だとも思わないがゆえに、それに対する対策をしっかり話せる間柄でいたいと、近い人間には思うのです(知らない人に「あなた臭いますね・・・」とは私も言いませんし・爆))。

英語の先生をやっており、みんなが宿題やクラスの中で間違いをするたびに、私は「将来が楽しみ」とほくそ笑むのです。がっかりはまったくしない。この間違いが明日を生む、と思えば愛しくてたまらなくなるわけです。私もそのようにして英語を学んだし、その前には他のことも間違いだらけから始まったのです。今もそれはまったく変わっておらず、自分にできないことはできないとはっきり言えて、できるようになったほうがいいことはいい歳をこいても、果敢にやっていこうと思うのです。ええ、まだ大学院受験は諦めていませんよ(笑)。むしろ、日々強い気持ちになっています・・・。

パチンコですら、「出ないよ、この台」と思っていたらやる必要はないのです。人生だって、「つまんない」「お先真っ暗」と思っていたら、相当に致命的で救いがたいエラーなのではないのでしょうか?人間関係については、自分に見切りをつけるのではなく、相手をそう査定し、相手を決め付ける傲慢な行為です。ぜひぜひ、ご一考を。