「怒る」と「叱る」の違い その2

02/22/2008 にアップした文章です。

昨日は、叱るに終始してしまい、怒る(おこるといかる)について触れずじまいでした。私は喜怒哀楽が激しいですから、よく怒りもするんですよ。でも、対象をかなり決めて怒っています。そんな器用なことがなぜできるんだって?(笑)おそらく、長年のトライアル&エラーで、自然とこういう形になったんでしょうねぇ・・・。怒っている対象物や人がわからないのって、かなり苦痛なんですよ。しかも、根本解決へと導かれることがないので、またもや同じようなことがあると、同じくらいな気持ちになっていくわけです。あんまり建設的でもなく、自分だけがやたらと苦しい羽目に陥っていることに気づかず、怒っている人はよく見かけますねぇ。

 

重複するんですが、昨日のサイトをまた見てもらうのも気が引けるので・・・。

 

怒る:(1)腹を立てる。立腹する。いかる。(2)しかる。

叱る:(1)(目下の者に対して)相手のよくない言動をとがめて、強い態度で責める。(2)怒る。(3)陰で悪口を言う。

怒る(いかる):(1)腹を立てる。おこる。(2)ごつごつした形をする。角張る。(3)荒々しく動く。

責める:(1)言葉で追いつめる。(ア)落ち度がある、お前の責任だといって相手をとがめる。非難する。(イ)しきりに言い立てて自分の思いどおりにさせる。するように求める。せがむ。(2)苦しめる。悩ます。(3)目的を達するために、積極的にはたらきかける。(4)拷問する。(5)ある動作を一心に行う。(6)馬を乗り慣らす。

 

そもそも、感情というのは、他者との関わりから生じること、と思い込んでいる人がさぞかし多いことでしょう。実際は、自分というヒトとの関わりで生じており、その視点から他人をかなり決め付けており(日ごろの観察などから、かなり正確に物事を見ていると誤解しているところから、まず反省したほうがいいかもしれない)、そのせいで怒ってしまうわけです。

 

ヒントとしては、こうです。その目の前にいる人物が嫌いなのかどうか?を考える。

 

私は、全般に嫌いな人というのが極端に少ないかもしれません。嫌いになる前に、「関わらない人」というジャンルを作っているせいなのでしょう。子どもの頃からアルバイトを開始したティーン時代に身についたことです。バイトで出入りが激しいと、いろいろな人に出会いますが、挨拶以外に関わらない人というジャンルを作ったことは、悪いことではなかったように思うのです。その中には、私個人が生理的にダメな人を入れています。たとえば、匂いや衛生観、安全という考え方があからさまに違うことは観察くらいに詳細に見ることでわかることがよくあります。バイト先では、ごはんが1食無料で出たのですが(たぶんそうだったと思う。100円だった時代もあったのかもしれない・・・)、たまたまいっしょにごはんを食べていると、衛生観や倹約観念などは、仔細に見ているとわかることがあります。私は食べ物を横柄な態度で残す人が生理的にダメですね。生きていくことに関しての謙虚さや感謝がない気がして、もう受け付けません。口にものがたくさん詰まったままで話したりする人とも、将来的にはうまく行かなくなることがわかっているので、「関わらない人」のジャンルに入れてしまいます。TVを見ていても同じことで、「好き嫌いのジャンル対象にもならない人」というのが、おそらくほとんどなのではないかと・・・。嫌いになるというのは、情熱が必要なことです。

 

私は、自分が生き延びることがまず大切なので、私が生き延びていくチャンスを減らすような人とは、関わらないことに決めているわけです。もちろん、High Risk, High Returnの法則はわかっていますから、そんなに厳しいものではないんですよ。ただ、私の鼻が曲がってしまうほどの香水をジャバジャバつけている人や、お風呂に入らない人などは、生理的にダメなので、「一度何かのチャンスがあった場合には口にしてみる努力」はして、そこでの気づきがあればその後もおつきあいはできるのですが、故意にそうである場合には、「関わらない人」のジャンルに入ります。フケや歯磨きをしないなどもそうですね・・・。

 

そうなると怒る必要すらないので、限られたエナジーを節約することができる・・・。姑息な考え方なのでしょうが、私もスーパーマンではないので・・・。暴走族が集団で走ってきたときに、逃げるのと同じようなものです。卑怯なのか?うーん、私は己を知っていると思っています。

 

「関わる人」の中とのおつきあいで、私の嫌いなところがその人の行動の半分以上になれば、その人は「嫌いな人」に降格していき、おつきあい解消となります。そうでなければ、私は人そのものを嫌いになることはなく、そういった珍しい人は、今までそれほどはいませんでした。ええ、本当に少なかったですよ。「イヤだからやらないで」と何度もお願いしても、やった人が何人かいましたが、そうなるともう嫌いになるしかないです・・・。当時はなかった語彙ですが、いわゆるストーカーですね・・・。女性でも、時間が守れないなどのことが何度かあったら、その人とは、待ち合わせをしなければよく、それが不便すぎることになると、自然と「関わらない人」になる場合が多くなり、何も嫌いになる必要はなかった、というのが事実なのでしょう。そういう意味では、私は心情的に嫌いではないので、こちらから去ったわけではなく、「去られてしまった感」が残るんですが。

 

このようにしていると、人を嫌いになることはなく、人がした行動ひとつひとつを見ていけるようになるわけです。私の場合、特に好きな容姿の造作(鼻や目や眉毛など)はありますが、嫌いなものは特にないので、容姿のせいで人を嫌いになることはないです。見せる表情が、半分以上が受け付けないものであれば、「嫌いな人」に降格する可能性はあるのですが、それほど死んだ表情ばかりを見せるほうが、きっと至難の業でしょう・・・。

 

とりあえず、私が高校を卒業してから出没している行動範囲内で、それほど不思議な人はいなかった・・・。少なくともネットを介して人と知り合うまでは、と付け加えておいたほうがいいかもしれません(笑)。

 

そのせいで、怒ることなど特になく、国のシステムや、行政の成り立ちやプロセスなどにはたいへんに怒り、家の中をクマのように歩いてしまうこともありますが、個人に対してものすごい怒りを感じることは少ないです。私はその人のすべてを知っているわけではないですから。家族は、歳月を共に過ごしてきており、嫌いだったらいっしょにいるわけもないですし・・・。

 

生徒さんたちの中で、これまでイチバン長いところが、もうすぐ7ヶ月になるのですが、特に嫌いな生徒さんはいませんでした。まぁ、プライベートでふたりっきりになって、嫌いになれるわけもなく、みんなのことをそれぞれ好きになってしまい、「愛情というのはキリがないもんだ・・・」とむしろ感心するくらいです。いや、相手がどのように感じているかはまた別問題で、私は人を嫌いにはならないので、怒ることもありません。

 

怒る前に、「どうして?」と聞いていることのほうがずっと多い・・・。今日などは、母が「洋裁の先生から餃子の皮をもらってきた」という話をしていたので、実際に冷蔵庫の中を覗いたら、その餃子の皮が、四角かったので、「これ、シュウマイの皮じゃない?」と聞いたら、餃子とシュウマイの皮の違いを話し始めたのですが、いつのまにか、形から色の話へと変わっており、話を挿げ替えていた(爆)。「シュウマイの皮は黄色いんだよ」と(爆)。「ダメじゃん。どうして四角いのがシュウマイだって言っている私に、いきなり四角くても白かったら餃子の皮なんていう、わかんない説明すんのよ・・・」という不思議な会話をしていたのですが、怒ったりはしてませんねぇ。いつものことです(爆)。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E5%A3%B2 ちなみに、澱粉が入っているのがシュウマイの皮だそうで、やはり四角いようである(例外はあるらしいが)。

 

特定の個人に対して、怒ることがそれほどないので、私は叱ることもしないんでしょうねぇ・・・。そもそも、ネコたちは叱るようなことはしませんし・・・>とはいえ、母はゲロを吐いただけで怒っているので、無駄な労力を使ってるなぁと思うんですが・・・>毛玉が溜まったら吐くよ・・・と(笑)。週に1回くらいの割合でみんながやっているんで、そりゃ相当な量ですけどねぇ・・・。自然の摂理だもんなぁ。西さんにも私はもう怒るようなことはないですね。最後がいつだったのだろうか?と、不思議ですらあります。

 

この前図書館で、「本を返却していないから貸し出し停止になっています」という不名誉なことを言われて、少しむっとしたのですが、何に関しても完璧というのはないので、家に戻ってもう一度確かめた揚句、電話をして「同じ著者のものだったので、同じ日に返却しました」との旨を告げたら、その場で停止解除してくれました。怒るようなものではなく、アノ場では「面倒くさーい!」と思っただけのことです(笑)。

 

私ごときが、何かの基準を設けて他人に押し付けることはしかねます。私が誰かに何かを押し付けられたら不愉快極まりなく、反抗しまくるので、他人様には到底できません。叱るってそういう行為だと思うなぁ。大人であれば話し合いしましょうよ・・・と思うんですが・・・。

 

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