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『剣客商売』完了

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03/28/2007 にアップした文章です。

 

池波正太郎の大成本をまだ読み続けています。『鬼平犯科帳』『仕掛人梅安』の次に、この『剣客商売』が終わり、次の長編はもう『真田太平記』しか残っていないのだ。なので、短編をあと19冊読み続けるか、先に『真田太平記』を読むか、思案しているところ。他の作家でもいいのだけれども、あとから「読んでいなかった」と臍を噛むのは嫌なので、一気にまとめて終えてしまいたい気持ちではある。講談社の【完本】シリーズは、http://www.kodansha.co.jp/book/literature-novel-essay.html こんなふうにジャンルの代表作にも取り上げられているのである。

昨日の『同じ事象を違って捉える』で書いた通り、田沼意次について考えさせられたため、その合間に山本周五郎の『栄花物語』まで読んでしまいましたが、無事、全4冊、文庫本に直して18冊読み終えました。なんとTVドラマにもなっていたのね、知らなかった・・・。こんなところが、情報です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%A3%E5%AE%A2%E5%95%86%E5%A3%B2 

どうして記憶にないのかわからないのですが、山形勲主演でやっていたではないですか・・・。うーん、小柄な小兵衛とはまったくのところ、イメージがかけ離れていると思うのだけれども、息子の大治郎役の加藤剛はかなりいいセンかもしれない。しかも、私がアメリカに行っているあいだに、藤田まこと主演でまたシリーズ化しているではないですか・・・。藤田まことも小男ではないので、どうも違う気がする・・・。うーん、両方とも見なくてよかったかもしれない・・・。小柄であり、それでも天狗のように強い、というのが売りなはずなので、どうもコレは違うよね・・・。他の配役についても、かなりの疑問を呈している私のセンスは悪いのだろうか?うんにゃ、そうでもないと思うんだけどなぁ・・・。

ここで、私が西さんにしつこく質問していたのが、『かわいい子には旅をさせろ』という格言は、真理かどうか?では、実践できている親はいかほどいるのか?ということ。自分が剣客であった主人公の秋山小兵衛は、恩師が引退し田舎に引きこもったあと、江戸に残り、自分の道場は開くも、無外流を受け継ぐことなく、気ままに過ごすのです。「余計なことが好きな爺さん」なので、しがらみや興味をきっかけにどんどんと事件にクビを突っ込むことになるのですが、最後には、93歳まで生きたと書かれており、読者としてはたいへんにほっとするわけです。その小兵衛は、自分の息子である大治郎に、15歳まで自分の手で剣の手ほどきをしますが、その後、自分の師匠の元にたったひとりで旅をさせます。高齢だった恩師が亡くなったあとも、大治郎は23歳までずっと諸国修行の旅を続けていくのです。そのあいだ、小兵衛は42歳も若いおはるという自分の家の女中に手を出し、結婚することになるわけですが、それは別の話。

かわいい子には旅をさせろ:子供が本当にかわいかったら、甘やかさずに世の中の苦しみやつらさを経験させた方が将来のためによい。思う子に旅をさせよ。

私は、常々「過干渉・過保護」が子どもの成長を妨げるものだと、「不足・放任」よりも悪いポジションだと考えていることは、何度も書いています。さらに、勉強にしても詰め込みや自意識の伴わない学習に、不快なだけではなく、成果が上がらないことや、ヨロコビを感じないことについても触れています。なので、私はこの格言は相当に好きで、「愛という名の下に」何かをするならば、これができるかどうか?とにじり寄りたい気分なわけです。

これには、基本としての素地、ヒトとして生まれたわが子に対する無条件の信頼感の裏打ちが必要です。愛するがために見失いがちな親バカは、笑える範囲の話であれば微笑ましいのですが、自分の思い通りや親の理想通りにさせようとするコントロールを、一切断ち切ることができるか?と問われるのが、この『かわいい子には旅をさせろ』だと心底信じているわけなのですよ。これは、わが子だから、愛があるから、というところからすでにもっと基礎的な、「生命体の力を信じられるかどうか?」を問われていることでもあると思うのです。大人になればわかりますが、全知全能な人間はどこにもおらず、この世のどこに居ても事故は必ず少ない可能性であっても起き、生き方や選択肢は何百万何億もの道に分かれており、最終的に己を持たねば、何をしても何を目指しても誰といっしょに居てもどこに居ても、充実度は左右されるのだと気づけます。

では、自分がすでにそれをわかっていながらも、未来のある血を分けた子どもを、自分がしてきた旅路に笑顔で出してあげることができるのか?これが世界観の基礎になるのだろうと、私は考えています。なので、私は西さんのような男の人を、自分の人生のパートナーに選んでいます。過干渉しない、提案はするけれども命令はしない、応援はするけれども強制はしない、つきあってはくれるけれども無理して私と同様にエンジョイしているように見せかけない、などなど、この世界観があるかどうかで、回りの人間の成長度は確実に変化すると考えます。

たとえば、自分の息子・娘の能力の限界を、悲しいけれども見極めてしまった親は、自分の力が及ぶ範囲で何とかしてやろうと思い、お金を与えたり、塾に行かせたり、家庭教師を雇ったり、ファーストクラスに乗せてまでも海外旅行に連れて行ったり、学費も充分に出しバイトもさせず、遊びのお金も充分に与える、という現象は、かなりあちこちで見られます。たとえ、お金持ちでなくとも、お金にゆとりがなくとも、子どもに習い事くらいはさせてあげたい、と無理をする親御さんは多いのではないでしょうか?たったひとつの習い事であれば、期待を掛けているとも言えず、ただの修練・生きる道の手助け・もうひとつの学校、ともみなせます。が、生活レベルが格段にズレているほどに、子どもを大切に扱う親は多い。親の大人としてのリソースに左右されるにしろ、「子どもが獲得したものではないものを、先に与える」ことについては、私はかなりの不思議を覚えるわけです。

私は、accomplish, acquire, inspire(達成する・獲得する・刺激する)などという言葉が好きなのですが、これは旅に出た人間には味わいの深い言葉となります。

そういった意味で、私はコネで会社に入る20代には少しがっかりします。失敗してからすがるのがいいんじゃないかと・・・。まぁ、それも自分の向き不向きや分際がわかっていてやるならば納得ですが、トライもしないで与えられたものに満足する癖がついているのは、一体どうなのか?と思えるのです。

本田宗一郎は、あそこまで築き上げた自分の会社を、エンジニアの友人と共にさっさと引退してしまいました。親族血族縁故での採用は、一切禁止だったそうです。私が知る限りにおいては、日本の多くの会社がまだまだ縁故採用の枠を設けていたり、紹介に頼るビジネスが多かったり、と閉鎖的な部分があることは否めないなと感じています。

ところで、旅に出た大治郎は大きな人間になり、同時に凄腕の剣客になり江戸に戻ってきます。そのすごさというのは、まだまだ親である小兵衛には敵うまいというところですが、結婚したり、子どもができたり、旅先で出会った人たちの事件を片付けるおつきあいをしたり、剣客としての商売をしっかり築いたり、と、どんどんと成長するのです。小兵衛は生命が危うい場面でしか、息子に助け舟を出すことはせず(とはいえ、剣客なので想像より頻繁に起きるのではありますが・・・)、息子を信じ、黙って「自分の真剣勝負」をしているところを見ています。手出ししたいことがたくさんあっても、耐えるというのもやはり親の務めです。

私はかわいいネコたちにも旅をさせていますが、それは彼らが「放置させておいてくれ」なネコだから、というのもあるのでしょうか?(笑)が、西さんにも過干渉はせず、それでいて無関心でもなく、持つべきであろう情熱は17年以上経った今でも変わらずにいます。子どもがいないので簡単にまたこんなことを書いてお叱りを受けるやもしれませんが、やはり、私は自分の両親に感謝しています。無教養だったとはいえ、彼らは私をどんどん旅に出してくれた。最初はバス代も持たせずに多摩川や田んぼやプールへ。そしていつしかアメリカに行かせてくれたし、いつのまにかこんなところまで来られた、という想いです。「はじめてのおつかい」という番組がありますが、あのようなステキな成功を日々できる子どもたちは倖せでしょう。そしていつか、その旅はずっとずっと果てしなく続いていくのだ、ということがわかるようになったら最高です。