いい想い出がない

12/18/2007 にアップした文章です。


どん底映画などでよくあることなのですが、「生まれてきてこれまでいいことなんて何もなかったし・・・」というつぶやき。気持ちの持ちように関して、誰か他人がとやかく言えることではないですし、変えようと躍起になっても無理やりでは何も変わりません。ただ、その回想をいっしょになぞってみることで、もしかしたらいい想い出にぶちあたるかもしれないし、このあと思い出すとそのなぞってみてくれた人がいっしょにいてくれた、ということがいい想い出そのものになるかもしれない。この楽観と悲観は、人生の岐路に当たるのかもしれないなぁと考えています。

想い出:(1)前にあった出来事や体験を心に浮かべること。また、その内容。追憶。追想。(2)昔を思い浮かべる材料となる事柄。

回想:過ぎ去ったことを振り返り、思いをめぐらすこと。

私は至って厳しくて冷たい人間なのです。鬱病の人たちのそばにいると、彼らのためにはよくはないことでしょう。ただし、カウンセラーやセラピストとしてであれば、決められた時間で効果を上げることはできるのではないかと思います。私という人間は、健常者のみなさますら、長い時間いっしょに居るとイライラさせるわけです(笑)。なので、長時間はいけませんや・・・。

書いたように、まずは他人の話に耳を傾ける人間が実際に存在するということは、それだけで実際はBlessing(恵み)です。このクソ忙しい師走に、人々には人々それぞれの人生がある中、距離感をぐーんと縮めた話ができる人がそこに居てくれるということはとてもステキなことです。

核家族になったことで、老若男女が交流する機会の回数が減ったことにより、その質も落ちたことは事実です。うちの姪っ子なども、私が母に2年半前にマンションに移動してもらったがゆえに、その機会を減らしてしまいました。が、母が同居することは孫たちにはいいことだったかもしれませんが、母自身が老け込んだり、だるいゆるゆるな生活をすることになったり、それを防ごうとする彼女は他の家族との足並みを揃えない小社会での異色モノになる可能性が多く、ボーイフレンドの家に泊まりに行くことすら、理解を得られないような年齢に、孫がなってきたというのもあり、いい選択だったと思っています。母は自分の都合と孫たちのスケジュールを考えて、電話や赴いて交流は続けていますが、回数は以前よりぐんと減っています。質はどうなのか?これも下がったのかもしれないし、本人ではないので、私が冷静にカウンセラーのように分析しようとは思っていません。母にとってだけ考えると、以前より今の暮らしのほうが倖せな気持ちになることは多いです。質も格段といいです。ただ、姪っ子たちのことを考えると「未来への希望」という意味ではよくないことは多いかもしれません。

母の場合は、ネコたち相手でも会話をしますから、孫たち相手でも会話をしていたのですが、ネコたちの場合は目や足や身体全体などでそれを聞くのに対し、孫たちはジャッジメントをするわけです。それにお嫁さんが加わったりすることで、息子であるパパやだんなにも入る話や入ってほしくない話や進んで言ってほしい話など、もうぐちゃぐちゃになるわけですね(笑)。フツーの人間の暮らしの中では、『判断・評価をしない』でとりあえず100%受け止めて根に持たない、などということは、かなり理想的すぎてハードルの高い状況なのです。

私のほうがまだ「まし」だというだけで、私もまさかその理想的な『判断・評価をしないで、100%受け止めて根に持たない』というのからは、程遠い。ただし、彼女は弟の家にいるときとは違い、家事全般を仕切るという仕事があり、私の衣食住の実際(経済ではなく)を支配しており、私はそれについて頭が上がらないという点が違い、威張れるのですね(笑)。それを与えられているかいないかで、彼女のSelf-esteem(自己尊敬心)は大きく違う。元々家事全般が大好きだったけれども、お嫁さんが来たことで、「女ふたりは台所に要らない」ということで、彼女が引いたわけです。キッチンをふたつ持つこともできず、孫たちができた手前、まったく別個の食事形態にすることもできず、ましてや不和じゃありませんしね・・・。身体も不自由なわけでもないですし。

もしも、身体が老化のために不自由を感じるようになったり、能力が発揮できない場面が増えた上に、経済的負担になったらますます、高齢者の方々は「これまでだって何もいいことはなかった」と思ってしまう傾向になることでしょう。それを考えると胸が痛みます。同居でもうまく人生は進んでいかない。

けれども、高齢者だけの宅構えや一人暮らしもまた経済的に、立ち行かないし、不安が多くて大きいことになり、それもやっぱり社会が高齢者をなきものにしている、足を向けて寝ているような状態だと思えるわけです。

昔むかしお世話になったお店の経営者が、「夢は孤児院をやること。だってさ、老人ホームは夢がないじゃない」と言っていたのですが、20数年前の話ではありますが、私はそのときに非常に不愉快だったことを思い出しています。「この人とはやっぱり根本的な世の中の見方が違う」とそのときに思って、やっぱりことごとくいろいろなことで衝突していました。今考えても、私はその人に迎合しなくてよかったと思っています。

私のおじいちゃんは魔法使いでした。私が生まれて物心ついた頃には全盲でしたから、その目が見えない世界でも健常者に限りなく近く、健常者よりもずっと上手にいろいろなことをこなすことに、私は畏怖すら感じていたわけです。そのおじいちゃんが教えてくれたことに対して、今でもやはり背くことはできないし、老人の暮らしは夢がない、老後の人生には華がない、などとは到底思えないわけです。私はこうした祖父を持っていたからこそ、「好きな季節はいつ?」と訊かれても、子どもらしく「春」「夏」などと答えず、10代の頃には「冬」と答えており、アメリカに行ってからは自分の生まれ月を含む「秋」と答えるようになりました。人の人生を春夏秋冬に喩えたとして、私は冬に凄み・畏怖を感じていたということなのでしょう。

今も確かに時間に追われて毎日を過ごしているのですが、つい一昨日も、父の実家から電話がかかってきました。向こうからかかってきた電話だというのに、ずいぶんと長電話をしてしまいました。おじさんも73歳になるので、やっぱり行かないといけません。相変わらず毎晩飲んでいるというので、安心はしましたが、話をすることがお宝なのだから、と思ったわけです。それは、彼ら高齢者に施すということなどではなく、むしろ、恩恵をこちらが受けるという教えを請う気持です。叔父には、神仏稀釈や日本書記のほか、田んぼでのスケートやりんごの花粉つけやもぎりなど、本当にいろいろなことを教えてもらいました。おじいちゃんのときと同じです。いっしょに住んだのは、夏休みの短い1ヶ月を数年なのですが、私はそんな時間を持てて、いい想い出がたくさんあって、「つまらない人生だった」とは、老いても金輪際思うわけがないという自信があるわけです。

若い人たちが「いい想い出がない」というのは、あまりに能動的さがなくて、楽観性がなくて、甘えを見ている気がします。私は至って冷たくて厳しいのだ(笑)。障害者であろうとも、高齢者であろうとも、明日を信じて夢を見続ける人々は確実にいるというのに、もったいないと思えてしまうのです。

まずは生まれてきたという奇跡については、彼らはどう思っているのかなぁと。3億個もあった精子が、1個かアクシデントで2個しか出ていない卵子と遭遇し、流れてしまうこともなく、細胞分裂を繰り返して9ヶ月のあいだに、お母さんのおなかの中で大きくなって、まともに今のように喋れて聴けて動けるようになるまで、少なくとも育んでもらったということ。それもまた奇跡です。私は、「どうして私が歩けるようになったときの、父や母の顔を記憶していないのかなぁ」と残念でなりません・・・←無理な注文なんだけども(笑)。

いい想い出は必ずあるはずです。今思い出せない人には、いっしょに回想する時間を持つだけで、本当に暖かい時間が持てて、そのままそれがいい想い出になります。年末が来て、家族や親戚やお友だちと過ごす時間が多くなったら、ぜひぜひ、いい想い出の話をしてみてくださいね。

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