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お盆休みの過ごし方

08/16/2008にアップした文章です。

小さい頃は、ナスときゅうりをおがらで脚をつける細工をして、盆の入りにはワクワクしながらお線香を焚いたものなのですが、我が家には、小さい位牌があるだけで、おがらを燃やして、「おいでおいで!」をできるような場所もありません。ベランダで火を使ったら、さすがに怒られるよなぁ・・・(汗)。ふとした疑問なのですが、屋上があるヒトはいいのかなぁ?花火は屋上でしていいわけなの?というか、子どもたちは、どこで花火をして遊んでいるのだろうか?近所の公園?川原?どこなのだろうか・・・・。ここは駅前なので見かけないのですよ。



私にはお盆休みがないので、何をどうして過ごしたらいいか?という画期的提案や夢や希望などはないのですが、たいていの人が実家に帰るのでしょう。終戦記念日を挟んで、日本は民族的な大移動をします。これがアメリカになると、Thanks Giving(感謝祭)とChristmasなんですが、子どもの頃、父が生きていた盆暮れどきには、その大移動戦線に加わって、車で大移動をした記憶が強烈です。田舎の子になって、野山を駆け回って育ち、終戦記念日は消え去ったような夏を過ごしていました。小学校1年から6年までは、ほぼ丸1ヶ月は長野にいましたから。その後もお盆は父の田舎で過ごし、16歳以降は、それがバイト三昧の稼ぎ時に変わるんですが(爆)。シフトがやたらと長くなり、人手不足なので、稼ぎ時なのです。東京に残っている人も多いので、それなりに需要はあり・・・。

 

私はすかいらーくで初めてのアルバイトをしたのですが、今度の新社長の記者会見の写真を見てびっくり!私が高校1年のときか2年のときに、いっしょにフロアで働いた谷さんだった・・・(汗)。えらくなったんだなぁ・・・・。ほぼ27年くらい前の話なのですが、彼はその時からかなり老けて見えたので、今もそれほど変わりがないことに、こんなに長い歳月が流れたことが嘘のように思えた瞬間でした。当時のすかいらーくは、キッチン3人、フロア3人の社員体制で、あとはすべてアルバイト。アルバイトの階級が3つほどあり、私は最もペーペーなところから始めたのです。ハイパーだった私は、決まった時間帯に同時に数卓の責任を持つという仕事が大好きで、楽しかったですねぇ。料理提供時間などをチェックしたり、前回来店のときに食べたものなどまで記憶しており、これでバイト代がもらえるのはすごいと思っていました。さらに、ヒトがたくさんいるということで、私の存在が掠(かす)れてしまうというのがよかった。

 

アメリカには当然お盆はなく、終戦記念日について、いろいろと考える時期でした。今年で、終戦63年。ということは、終戦時、母は7歳だったことになります。強烈に記憶していることは、疎開先が静岡だったので、安全についてはそれほど怯えてはいなかったものの、やはりひもじかったことらしいです。あれほど、海と山に恵まれた土地ですら、社会階級はあるものの、ひもじかったのか、と驚かされます。

 

今日なども、冷蔵庫にお餅があることを発見してしまい、いくら冷蔵庫を買ってうれしいからと言っても、こんな季節はずれのものを冷蔵庫に大事に入れておくことはないだろう・・・などと思ってしまうのです。さらに、彼女はタッパーの女王で、ものすごい数のタッパーを持っています。たぶん、100個はあると思う・・・。それにシールやその他でラベリングをしつつ、いろいろなものを小分けして壮観に入れておくのですが、それでも傷ませてしまうことがある・・・・。でも、大事にしておいてなかなか高いものをいっぺんに出さないのです。やっぱり戦中派だからなのかなぁと思ってしまうのですよ。いつもであれば、バカだなぁと笑えるのですが、あまりに自分のことを棚に挙げて、私のことだけを攻め続けることが続いたり、言い訳がましいことをくどくどと並べ立てたりしたあとは、粗い口調でいろいろなことを責めてしまうのです、私・・・。いい歳こいてとは思うんですが(爆)。が、怒っているわけではなく、ポイントを示すためにどうして合理性がないのか?ということを説明しているだけなんですが、彼女にとっては宇宙語にも近いようなことらしく・・・(汗)。

 

年老いたから向上しなくていい、というような気持ちは持って欲しくもなく、できる限りのトライをしてもらいたいという願いがあり、それは伝えようと思うんですね。せっかく生き延びたのだから。生き延びることができなかった人々がいたにも拘らず、彼女は生き延びることができたことは、やはり幸運のうちのひとつですし。

 

やはり昨日は、オリンピックだらけのTVの合間に見た、終戦記念日式典に関するニュースで、少しほろっと泣いていました。自分の小さい頃のことを思い出していたのでしょう。

 

私は今、コンビニで売っていたあやしげな本を読んでいます。『連合艦隊のすべて』双葉社というやつなんですが、昭和16年から終戦までにかけての海軍が闘った連合艦隊を使っての主要海戦が30ほど載っています。基本的に、連合艦隊は非常時に編成されるものだということすら知らなかったので、まぁ、500円はいい勉強代になっています。

 

他にも日本にいれば、戦争意義そのものについての番組や媒体を見ることがたくさんあったのだろうか?と、去年から考えているのですが、どうやらそうでもなく、今年は特にオリンピックにお茶を濁されていて、それどころの話でもないような・・・。むしろ、アメリカに居て、カジノで出会ったフィリピン人に責めとがめられたり、各国の人々に折に触れて質問されたり、世界平和そのものについて考えさせられたり、というようなチャンスが多かったことで、平和へのありがたみは感じてきたような気もします。が、比較できないのです。日本にその期間いなかったので。ネットができるようになってからは、いろいろな人がかなり好き勝手に、世界平和についていろいろなことを書いていたりするのを見ていました。私は世界平和に関して、誰かと論議しようとは思っておらず、日本が平和ボケならボケで、幸せだということだけは実感してもらいたいと思います。そんな中、右翼の書き込みが増えたような気もしていたり、戻って来て安倍内閣のときに国防に一気に偏りを見せようとしていた憲法第9条問題やら、『美しい日本』というテーマやら、ちょっとびっくりしたものでした。

 

政治的動きはどうでもいいですから(私は昨日の主義で言うところの、古典的自由主義を信じているところがあるので・・・>なので、独立宣言の文章が好きで、哲学的な経験主義は基本として信じており、だからこそ心理学も学んでこられたのです。この古典的自由主義がどうした経路で、日本に利己主義を運んでくることになってしまったのかとても遺憾です)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9 、ひとりひとりが、心の中と頭と身体全部で、平和に対するありがたみを噛み締めるためには、体験しなかったことについても、想像し、共感できる能力を身につけてほしいなと願っているところです。

 

ここ20年くらいお盆休みはないのですが、いつも戦争というのは心に留め置いており、世界のどこかで今も常に戦争が起きていることにも、無関心ではおられず・・・。この時期は特に、見てもいないのに、玉音放送を聴いた疲れきってしまった日本人の姿が、陽炎の向こうに木造建築や畑や焼け野原を背景に見えるようなのです。その幻想が見えてしまう中、レジャーやオリンピックに湧いている人々を見るのは、少しキツイ。なので、お休みがあったほうがいい時期なのかもしれないですねぇ・・・。

 

が、今日も朝10時から夜8時まで働きますよ!

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