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ひたむきな労働

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04/13/2007 にアップした文章です。

 

「日本人は勤勉である」というステレオタイプは、真実なのか?それともかけ離れてしまっているのか?最近、ものすごい勢いで働き続けている私は、遊んでいるよりずっとリズムがあっていいな、などと満悦しています。でも、私の自覚は、「人間としては相当にだらしない・いい加減な部類に入るやつ」なので、どうも自分を形容するのに、「勤勉」だとか「努力家」などというものは、おこがましすぎて使えない・・・。勉強や労働するときと、惚けて遊ぶときのギャップがひどく、平均値を出して相殺しても、私は相当にだらしない人間なのよ(汗)。

これを考え始めたきっかけがこの記事。私などは、キリギリスになっている時間が多くて、どうも反省しきり・・・。アリになれている時間は、効率よく働くことばかり考えているので、きっとキリギリス習性が抜けないんだろうなぁ・・・。
http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/wadai/news/20070412k0000m020079000c.html 

ほら、独楽鼠のようにクルクル働く、西さんや母といっしょに暮らしているではないですか・・・。彼らは生粋のアリなのよね・・・。そうなると、こんな記事を心配する必要もないような気もするのだけれども、「労働は尊い」という確固たる強い意志は、どのくらい人間の社会的DNAの中に組み込まれているのかなぁ、と心配にもなったのが事実。

太平洋戦争の敗戦後の日本は、みんなで「収入を倍に!」という野心を抱いていたかのような、モーレツな働きぶりで、世界史史上でも稀なほどの経済的発展を遂げました。260年ものあいだ、戦争を起こさなかったという江戸幕府の功績と同じくらいに、すごいことなのではないかと、私は評価しています。そんな祖父母や親の代の日本人たちを見てきて、このあと、日本人がみんなキリギリスになってしまうだろうか?と、どうも私は信じがたいところなのですが、「もしかしたらあるかもしれない・・・」と、自分の直感ばかりに頼るのはいけないということは、経験則として理解しているところ。しかも、これについては、たくさんの人々の意思が行動になり、混濁したのちに中途な結果となるので、私のコントロールには1億4千万分の1くらいしか影響がないことだしなぁ(笑)。その上、私はキリギリスな傾向が大有りだし・・・。

英語の先生をしていて感じることなのですが、「そもそも好きなことをやれば上達は早い」というのは真実で、その小さな積み重ねが、人の人格や意志や顕れになるのがすごいパワーだなぁ、というもの。英語を教えるにしても、「だって、無理やり教えられたのだもの、好きではなかったのだもの。好きになれるようにお膳立てしてもらえなかったんだもの。しょうがないわね・・・。好きになってほしいのね」というところから始めています。しかも、そこで自己尊敬心(Self-Esteem)を効果的に使う。自分がやったことに対しての結果がしっかり見えるように出れば、ますますやる気を起こし、自分がさらに好きになれて、自分の選択肢に自信が持てるようになる。小さい積み重ねですが、コレはボタンがしっかりした位置で留められているということで、後々、辻褄が合わないような矛盾を生じさせないためにも、肝心要なことなのです。他人に課されたTask(課題・仕事・問題解決など)ではなく、あくまで自分で選ぶこと。できるようになれば、また目標を一回りか二回り大きくすること。こうした小さい積み重ねが、労働にも生かされてくるはずなわけです。キリギリス回避の鍵はここにあり。

なので、尾身財務相が言っている懸念もわかる気がしないでもない・・・。
:「働きたいのに残業時間を半減しなければとか、働かないことがいいことだという考え方は自由主義に反する。国家の方向として決めることは、わが国が衰退する原因になる」

私が違ったのは、ひとつの場所で働くのではなく、今もその初志は貫徹されているのですが、数箇所で働くというもの。どうなんだろう?考え方が柔軟だったり、いい加減だったりするので、私はいくつもの場所で何人もの人たちと触れ合って仕事をするのが、億劫ではなく、むしろいつも新鮮味を満喫できて楽しくもある。移動時間がもったいないことだけを除けば、その移動時間で稼げない時給以外、利点も多い。残業という考えは、私は好きではなく、「仕事の時間内に自分が計画した仕事ができなければ、望みはないよ」とかなりあっさりした考えなのです。無謀な要求はたとえ上司に突きつけられても断れなければ、能力が高いとは言えず・・・。成功の鍵の8割は、大げさではなく、計画によって導かれるわけですし・・・。

しかも、数箇所で働く利点の中で大きなものは、私が大好きな「水鳥のように水面下でひたすら努力する」という理想的な図柄が体現できてしまうということ。わざわざ公言することなく、苦労自慢をすることもなく、息苦しいほど密着してかなり私的な物事を誰かに把握されることもなく、けっこうノビノビと働けるのよね♪人とのおつきあいが希薄になるからこそ、成立するたくさんの関係たち。これは、きっとイマドキの若い人にも通ずるようなところがあり、懸念の対象にもなるのかもしれません。が、私は、あらゆる人とのおつきあいを希薄にしているわけではなく、「引っ掛った大切なもの」はうんと大事にしているつもりです。10年ほどになりますか、AOLで知り合った初期メンバーで、ごはんを食べたり、電話で話すくらいのお友だちも残っていますし、仕事の相談をする人も残っています。校長センセともまだ3年弱ほどのおつきあいではありますが、こうして毎日いろいろとお世話を焼いていただいております。アメリカでの知り合いも同じことで、日本に来るだけではなく、香港で待ち合わせをしようよ、と今誘われており(笑)、誘惑に勝てるかどうか・・・。パチンコやさんでもおなじみさんがたくさんいて、ジュースやコーヒーのお返杯だらけです(笑)。母が見つけたスナックなどでも同じ。

それでいて不思議なのは、私はそういった希薄に見える人々から、核心に近い話をしていただけるという、誠に以ってありがたい性格を備えているのかもしれません。あるいは、「心理学をやっていた」という情報が利いているのか、「在米18年半」が効いているのか・・・。いや、それでもなかよしでもない人から相談まがいのことをされるのは、たいへんに迷惑なのですけれどもね・・・←冷たい(笑)。

そして、そういうことを数々聞いてしまうと、さらに私の労働意欲はそそられるので、しっかりせねば、という引き締まった気持ちにもなる、という相乗効果もあります。なぁなぁな関係の密接な人からの繰り返される核心に近い話よりは、やはり意外に思えるような関係だった人からの話のほうに、私も神仏ではないので気が行くのでしょうか・・・。

私の中の基本形として、「働くことは尊い」という考えは揺るがないものです。なので、自分のだらしなさにたいへんに恥じ入っており、労働をクリアに評価してくれる貨幣での価値を、最も簡単なので尊ぶところもあります。そこのところがあまり行き過ぎにならぬよう、精神的付加価値も最近は教師をやって身につきつつあり(笑)、まだまだ労働者としての覚悟が練れていないことに気づいてしまうわけですな・・・。

仕事のほうは、さまざまなプロジェクトが交錯しており、通訳の仕事も請けることにしてしまい、翻訳もちょこちょこやっており、気晴らしにパチンコまで復活してしまいました(笑)。昨日はパチンコ生涯で最もすごい確率変動25回というのに当たってしまいましたよ・・・>京樂のウルトラマンで。72000円の儲けでした♪でも腰が限界だなぁとつくづく思いましたね。パチンコでこんなに儲かっても、私はやはり労働のヨロコビを選ぶのだろうと思うのです。遊びのヨロコビと労働のヨロコビは質が違う。どうしてなのか?ここは心理学で習ったところなので、次回への持ち越しに・・・。ひたむきな労働というのは、絶滅することはない!と、私は堅く信じていたいと思います。