やっぱり数学的ってステキ!

09/16/2007 にアップした文章です。

 

今、通訳をしているのは、IT関連ではありますが、大したIT知識が必要なわけでもなく、むしろ行き違いについての説明をしている感があります。たまに「多大なる迷惑を掛けているのかなぁ・・・」と思うこともあるのですが、それほどトンチンカンではないような・・・。拘束時間としては、地獄のスケジュールなのですが、仕事の内容は至ってマイルドです。こんなにゆるやかでいいのか?と思えるほどで、やはり私は貧乏性なのでしょう。実際、7時間拘束(+お昼ごはん1時間)のうち、ミーティングは2・3回しかありません。が、暇になると眠くなるというのが、母そっくりでイヤですなぁ(笑)。

何をしていても待ち時間は自由です。翻訳も直接、担当者のノートPCに打ち込む形式です。それもこれも、システムの引継ぎ作業なので、案投射が細分化された、受け持ちを消化する形になっており、俯瞰する役割が3人ほどで、あとはみんなものすごーく細かいことをしているわけです。大手に任せていた業務を、今の私の依頼者であるインド系IT会社に引継ぎで、いわゆる引越し状態・・・。ちゃかちゃかいろいろできればいいのですが、実際、机からはなれず、読む・書く・等しかできないので、眠くなるんですよね・・・。

その中でも驚いたのが、少なくとも今働いているところにいる(他にも、工場や他の支社などにもいるらしい)、インド人たちの賢さ。すごいです・・・。たとえば、滞日5ヶ月、インドでの日本語学習が2ヶ月で、通訳の私は「ただの辞書代わり」という人が二人居ます。たとえば、「売り掛け」「売り上げ」の違いをチェックしたあとに、すでに日本語のボキャブラリーとして、即座に使える。彼らは、聞いてそれを積極的に自分たちで使ってみるだけではなく、敬語を駆使し、英和をバンバン聞いて取り入れます。1時間のミーティングで、私が通訳せねばならぬことは、わずか10センテンスほどということもあります。合計7ヶ月の学習なのですが、そもそも彼らは、公用語の英語やヒンズー語のほか、30いくつのうちのインドで使われている言葉のうちの2・3個以上はできる。多い人は、親戚が散らばっていたりするので、5個+ヒンズー+英語だったりする・・・。センスというか、学習のコツというのはすでに身についている模様・・・。

私に当てはめて考えてみると、2ヶ月ではなく、3年+3年+?年(大学教養課程。が、大して出席せず)と、6年以上の月日が準備されていたのだから、やはり、1988年4月26日の5ヵ月後の9月26日と比較するのは、やはり無理があるかもしれないです。私はそれまで日本語しか話して暮らしてはいないし・・・。けれども、それだけの歳月の下地があったから、その頃はDebateまでできていたのかもしれず・・・。ただし、仕事に積極的に使えたなどとはとても思えない。社会に出る準備ができた程度です。

しかも、彼らがすごいのは、漢字がかなりたくさん読める。プログラムの画面が半分日本語なので、イヤが応でも読まねばならず・・・。数にしたら100は軽く超えています。中国人でもないのだし、韓国人でもないのだから、やっぱりこれに関してはすごい・・・。

母国語が英語ではない国でのTOEFLスコアが高い国は、オランダが1位なのですが、アジアでは圧倒的にインドです。日本人のTOEIC・TOEFLスコアの平均点が低いのは、ネコも杓子も受けておこうという「気軽に参加型」の人が多く、受験をするのにお高い感が、国それぞれの事情で違うことがあります。英語のニーズがどのくらいなのか、仕事で英語が必要な人々にどのくらい公的補助があるのか、教育に組み込まれているのか、などという事情が違うのです。受験者の数が圧倒的多い日本では、個人単位で申し込み、受験している人々が多いので、特に優秀ではないとは言い切れませんが、「生活に必要」ではないことは確かなようです。インドでは、公用語がなければ、同じ国の人間でもコミュニケーションが取れませんから。

語学習得というのは、私個人の見解では、こうした文化的背景の他、理数系マインドのセットアップにも要員があるのではないかと思えているのです。文化的要因は、たくさんの人々がいろいろなところで、すでに写真・ドキュメンタリー・映画・著書・ブログ・などで触れているような、ニーズや露出度の多さなどですが、ちとReview>インド関連。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88 カースト制度
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC ガンジー

これらの他に、最近モテはやされているインド式数術があるように思います。
http://d.hatena.ne.jp/nobusada/20070830

やはり彼らにインタビューすると、2桁の九九はやった模様ですが、多い数になると大人になって忘れたそうです(爆)。キリのいい数字に関しては使うので憶えているそうです>たとえば、25X25とか。

日本人の暗算も私はかなりいいセン行っていると信じており、算数・数学が苦手だったはずの私(そう回りに言われ続けてきたわけです)が、24歳を過ぎて理数系が得意だったことに気づくので、基礎学習はそこそこできていたように思うわけです。理数系マインドってやっぱりステキだ・・・。10代の頃はそんなことはカケラも思えなかったのだけれども、お金を稼ぐようになってからは、自分が追いかけられるだけの桁数だけには魅惑されるようになったし(笑)、ノット計算などができるようになると、映画でミグやトムキャットを見ても、やたらと親近感(爆)。

別にみんなが数学者や商人や会計士に必要な数的センスを持つ必要はないのですが、コミュニケーションには、数字に置き換えられるという簡単な公式や距離感や空間区切りやその他の、数的センスが必須だということを強調したいわけですよ。
数学とは>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6

世の中に無造作に転がっているものを整理整頓するというのは、数学的マインドで、しかも、それを自分以外の他人に対して表現するというのは、とても数学的だと思えるわけなのです。共通言語として有効なのは、どんな美や感性を追求する言葉ではなく、理路整然と並べられているブロックだったり、グラフだったりすることはないでしょうか?私はそう感じる瞬間がとても多いのです。料理にしたって、量や盛りのバランスや配分は多分に数学的センスだったりします。絵にしたって、絵の具の分量だったりするし、楽器ですら吹いたり押したりの加減だったりする・・・。大工も、書道も、ほぼあらゆる作業というのは、数的なことに左右されることが多い・・・。

ここのところ、自分のOCD(Obsessive-Compulsive Disorder)について考えることもあり、観察訓練(洞察力の養い)も進み、「法則性」を見出すのが上手になったせいなのか、この数学的センスは、なかなか使えるぞ、としみじみ感じているのです。

今回の仕事が終わるまでは、日々インド人たちに学べることになります。他にも生活の中でのヒントは山ほど。わーい!というわけで、あんまり数学を身近に感じていない方々は、もうちょっと近づいて距離を狭めてほしいな、と願うわけなのでした。

 

Business man using cell phone, smiling

09/16/2007 にアップした文章です。

 

今、通訳をしているのは、IT関連ではありますが、大したIT知識が必要なわけでもなく、むしろ行き違いについての説明をしている感があります。たまに「多大なる迷惑を掛けているのかなぁ・・・」と思うこともあるのですが、それほどトンチンカンではないような・・・。拘束時間としては、地獄のスケジュールなのですが、仕事の内容は至ってマイルドです。こんなにゆるやかでいいのか?と思えるほどで、やはり私は貧乏性なのでしょう。実際、7時間拘束(+お昼ごはん1時間)のうち、ミーティングは2・3回しかありません。が、暇になると眠くなるというのが、母そっくりでイヤですなぁ(笑)。

何をしていても待ち時間は自由です。翻訳も直接、担当者のノートPCに打ち込む形式です。それもこれも、システムの引継ぎ作業なので、案投射が細分化された、受け持ちを消化する形になっており、俯瞰する役割が3人ほどで、あとはみんなものすごーく細かいことをしているわけです。大手に任せていた業務を、今の私の依頼者であるインド系IT会社に引継ぎで、いわゆる引越し状態・・・。ちゃかちゃかいろいろできればいいのですが、実際、机からはなれず、読む・書く・等しかできないので、眠くなるんですよね・・・。

その中でも驚いたのが、少なくとも今働いているところにいる(他にも、工場や他の支社などにもいるらしい)、インド人たちの賢さ。すごいです・・・。たとえば、滞日5ヶ月、インドでの日本語学習が2ヶ月で、通訳の私は「ただの辞書代わり」という人が二人居ます。たとえば、「売り掛け」「売り上げ」の違いをチェックしたあとに、すでに日本語のボキャブラリーとして、即座に使える。彼らは、聞いてそれを積極的に自分たちで使ってみるだけではなく、敬語を駆使し、英和をバンバン聞いて取り入れます。1時間のミーティングで、私が通訳せねばならぬことは、わずか10センテンスほどということもあります。合計7ヶ月の学習なのですが、そもそも彼らは、公用語の英語やヒンズー語のほか、30いくつのうちのインドで使われている言葉のうちの2・3個以上はできる。多い人は、親戚が散らばっていたりするので、5個+ヒンズー+英語だったりする・・・。センスというか、学習のコツというのはすでに身についている模様・・・。

私に当てはめて考えてみると、2ヶ月ではなく、3年+3年+?年(大学教養課程。が、大して出席せず)と、6年以上の月日が準備されていたのだから、やはり、1988年4月26日の5ヵ月後の9月26日と比較するのは、やはり無理があるかもしれないです。私はそれまで日本語しか話して暮らしてはいないし・・・。けれども、それだけの歳月の下地があったから、その頃はDebateまでできていたのかもしれず・・・。ただし、仕事に積極的に使えたなどとはとても思えない。社会に出る準備ができた程度です。

しかも、彼らがすごいのは、漢字がかなりたくさん読める。プログラムの画面が半分日本語なので、イヤが応でも読まねばならず・・・。数にしたら100は軽く超えています。中国人でもないのだし、韓国人でもないのだから、やっぱりこれに関してはすごい・・・。

母国語が英語ではない国でのTOEFLスコアが高い国は、オランダが1位なのですが、アジアでは圧倒的にインドです。日本人のTOEIC・TOEFLスコアの平均点が低いのは、ネコも杓子も受けておこうという「気軽に参加型」の人が多く、受験をするのにお高い感が、国それぞれの事情で違うことがあります。英語のニーズがどのくらいなのか、仕事で英語が必要な人々にどのくらい公的補助があるのか、教育に組み込まれているのか、などという事情が違うのです。受験者の数が圧倒的多い日本では、個人単位で申し込み、受験している人々が多いので、特に優秀ではないとは言い切れませんが、「生活に必要」ではないことは確かなようです。インドでは、公用語がなければ、同じ国の人間でもコミュニケーションが取れませんから。

語学習得というのは、私個人の見解では、こうした文化的背景の他、理数系マインドのセットアップにも要員があるのではないかと思えているのです。文化的要因は、たくさんの人々がいろいろなところで、すでに写真・ドキュメンタリー・映画・著書・ブログ・などで触れているような、ニーズや露出度の多さなどですが、ちとReview>インド関連。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88 カースト制度
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC ガンジー

これらの他に、最近モテはやされているインド式数術があるように思います。
http://d.hatena.ne.jp/nobusada/20070830

やはり彼らにインタビューすると、2桁の九九はやった模様ですが、多い数になると大人になって忘れたそうです(爆)。キリのいい数字に関しては使うので憶えているそうです>たとえば、25X25とか。

日本人の暗算も私はかなりいいセン行っていると信じており、算数・数学が苦手だったはずの私(そう回りに言われ続けてきたわけです)が、24歳を過ぎて理数系が得意だったことに気づくので、基礎学習はそこそこできていたように思うわけです。理数系マインドってやっぱりステキだ・・・。10代の頃はそんなことはカケラも思えなかったのだけれども、お金を稼ぐようになってからは、自分が追いかけられるだけの桁数だけには魅惑されるようになったし(笑)、ノット計算などができるようになると、映画でミグやトムキャットを見ても、やたらと親近感(爆)。

別にみんなが数学者や商人や会計士に必要な数的センスを持つ必要はないのですが、コミュニケーションには、数字に置き換えられるという簡単な公式や距離感や空間区切りやその他の、数的センスが必須だということを強調したいわけですよ。
数学とは>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6

世の中に無造作に転がっているものを整理整頓するというのは、数学的マインドで、しかも、それを自分以外の他人に対して表現するというのは、とても数学的だと思えるわけなのです。共通言語として有効なのは、どんな美や感性を追求する言葉ではなく、理路整然と並べられているブロックだったり、グラフだったりすることはないでしょうか?私はそう感じる瞬間がとても多いのです。料理にしたって、量や盛りのバランスや配分は多分に数学的センスだったりします。絵にしたって、絵の具の分量だったりするし、楽器ですら吹いたり押したりの加減だったりする・・・。大工も、書道も、ほぼあらゆる作業というのは、数的なことに左右されることが多い・・・。

ここのところ、自分のOCD(Obsessive-Compulsive Disorder)について考えることもあり、観察訓練(洞察力の養い)も進み、「法則性」を見出すのが上手になったせいなのか、この数学的センスは、なかなか使えるぞ、としみじみ感じているのです。

今回の仕事が終わるまでは、日々インド人たちに学べることになります。他にも生活の中でのヒントは山ほど。わーい!というわけで、あんまり数学を身近に感じていない方々は、もうちょっと近づいて距離を狭めてほしいな、と願うわけなのでした。

 

Business man using cell phone, smiling

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