ゆるやか vs. せっかち

06/16/2008にアップした文章です。

 

昨日も飲みながら肌身に感じていたのですが、どうして私はこんなにせっかちに生きているのだ?と。どうしても先に先に頭が進んでしまい、ゆったりゆっくりゆるやかに物事を傍観することが、たまに苦痛になるわけです。他人様がやっていることなのだから、気にしなければいいのですが、私に直接に影響がなければ放置しておけばいいのですが、どうしても気になることはやめにくい。ゆうべは新宿のビル街にある階上レストランのひとつに行ったのですが、トイレが共同になっており、いったん廊下に出てからではないとアクセスできないというもの。『おまえは世界でいちばんトイレの速い女だな』とのべにして200回くらいは言われてきた私は、やっぱりこれは、せっかちなところから来るのだろうと・・・。こんなもの、役に立っているのだろうか?と考えてみる・・・。

 

せっかち:〔「せきかち(急き勝ち)」の転か〕落ち着きがなく、先へ先へと急ぐ・こと(さま)。また、そのような性質の人。性急。

落ち着き:(1)安定した状態になること。平静な状態になること。(2)態度や言動が穏やかで安定していること。(3)おさまりぐあい。安定。(4)調和がとれて、安心した感じを与えること。(5)住居・職業などが決まって、生活が安定すること。(6)移り動いていたものがとどまること。また、その場所。行く先。(7)宿に着いてまず飲食すること。また、その飲食物。

 

急いだほうが勝ちという、またもあまり訳のわからない場合によるようなことに関連しているのか・・・。私には、他人に安心感や安定感を与えるということは、能力としてとても低いのだということは、小さい頃から感じてきており、それは躁鬱病のせいだということも、10代の終わりにわかってきました。私の持っているスピードメーターと、他人の持っているスピードメーターは大きく違うということがわかったのは、バイクや車を運転するようになって、さらに実感したと言えます。

 

勉強をしていても思うのですが、理解が深いときほど、同じ時間を与えられているというのに、時間が止まったようにコマ送りになる瞬間が増えるのですが、そういう経験でよく言われるのは、死や事故などに直面しているときで、ほんの1・2秒が数分にも感じられるような、想い出が走馬灯のように現れてびっくりするというもの。私は、かなり日常的にコレを感じており、1日2・3回はあるんだろうなぁ・・・。あまり多すぎると、自分がぐったりしてしまうのだけれども・・・。

 

英語を教えていてたまに聞いてみるのがこの質問で、この「コマ送り感覚」を体験したことがある人には、すーっとした理解感をうまく説明することができるのです。以前にも「耳が抜ける感覚」を説明しようとして、ボロボロな不完全で「出さなければよかった・・・」と思うことが多かったのですが、「時間よ、止まれ!」という呪文が利いてしまったような、時間が遅くなる瞬間が多いと、理解はどんどん進む・・・。Listeningでいくと、すべての単語が千切れて別々に聴こえて、発音が明瞭に聴こえて、頭の中で場面がしっかりわかります。パズルがすべてぴっちり嵌まったようになる、とでも言えばいいのか?

 

残念ながらこの感覚がわかる人でも、たいていの場合は、「転んだとき」「緊張している最中の発言をするとき」「交通事故」「運動しているときの失敗の動き」などでの体験が多いようで、マイナスのときにはよく体験しているのですが、それがどうやってプラスになるのか、実感しきれないことがあるようです。

 

いつもはせっかちな私ですが、この理解度を深くできる、時間が止まったような感覚を体験するときには、とても平和で、ゆるやかで、ゆったりで、ゆとりのある、静寂やおごそかさすら感じることができるので、いつものせっかちさというのが、まるで消えていることで解放されている気持ちになります。

 

学習の観点から第三者になりきって語ってみると、この時間が止まってしまうような不思議な感覚を、プラスの体験の最中にすることが繰り返しできていると、その体験でのExcel(秀でる)が可能になってきます。脳が歓んでいる状態で、多くの脳内ケミカルが分泌されており、たとえその体験が終わっても、「もっと!もっと!」と叫ぶようなコンディションを作ってあげることになるからです。しかも、その脳内ケミカルは、他の記憶や体験からの邪魔を介在させないような、かなり高度?なヨロコビをもたらしてくれており、脳の持ち主にとっては、心のネガティブな不安がこの体験をしている最中はない、と信じることができてしまうからです。

 

ヒトの身体は不思議すぎるくらいによくできており、その恒常性(Homeostasis)や免疫性には、驚くべきものがあり、それは環境から受ける刺激(何でも刺激にはなるんですが・・・)に左右されることは書いてきました。だったら、どんな刺激を自分が受ける環境にしていくか?自らそういった環境を作ってあげることが早道なのだろうと思うのです。

 

(茂木健一郎氏よりもうまく説明したいと思っているが、できていない・・・爆)

 

だから、私は心理学の中でもドラマチックにヒトが変わっていける、学習という場にいられる仕事を選び続けているのかもしれません。もしかすると、ジムのトレーナーなどと同じヨロコビなのか?(笑)>自分だけではなく、クライアントさんやメンバーさんの体型が驚くほど変わることを見るのが楽しいのではないかと(笑)。かと言って他人のことなので、押し付けは利かず、上から目線も利かず、本人の動機付けや変わっていくことで得たヨロコビなどを、じっくりゆっくりゆったり見ていかなければならず、私の日々にもいいリハビリになっている、ということなのでしょう。

 

とはいえ、ここのところの忙しさは、結果を求めてしまう英検やらいろいろのニーズに応えてしまったために、睡眠時間が確保できない曜日が週に3日も発生するというオソマツさで、私の脳がしっかり働いていなければ、目撃してもしゃーないだろう・・・と、反省しきり。しかも、致命的な誤解を与えるような教え方があってはいかんだろう・・・と、少しゆるやかな自分に偏りたいぞ、と思っているところです。

 

自分に関してはせっかちなままで驀進していけばいいのですが、他人まで巻き込んでしまってはいけません・・・(汗)。さらに、自分で決めたこと(このブログを書き続けることなんですが・・・)をできないようでは、情けないですしねぇ・・・。世間では、『癒し』というキーワードを前面に出していろいろな流行が台頭していますが、私も思わず乗ってしまいそうなくらい忙しいと、何が始まりで何が目的で自分はどうしたいのか、まったく混沌としたことになってしまいます。

 

今日はおかげさまで、夜だけしか仕事がないので、昼間はゆっくり過ごします。せっかちな自分を鎮めるのには、有効な方法がいくつかあるので、それも思い出しつつ、整理してやってみます。英検が終わったのでひと段落ですので(まぁ、次の10月までただ時間があるだけなんですが・・・汗)、自分のワークロードも含め、いろいろ考えてみたいと思います。

 

あ、私のことばかり書いてしまいましたが、ぜひぜひ、「時間よ、止まれ!」なコマ送り体験については、思い返してみてくださいね。脳にいいですよ♪

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