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アフリカの時代

10/01/2006 にアップした文章です。

中国の時代が来たあと、アフリカの時代が来ると堅く信じている私なのですが、自分の死後のことなどどうでもいい人は多いことでしょう。私にとってはあまりどうでもいいことではなく、真剣に考え抜いていることのひとつでもあります。私には子どもがおらず、未来に繋ぐ夢は人類の英知の存続と発展なのです。

ソビエトユニオンという巨大なコミュニズム実験もわずか100年で終焉を遂げました。ナチスなどは歴史の長さとイベントの大きさにしてみれば、スキャンダラスで思想的な偏りが大きかったものの、フットノート程度のものなのでしょう。ギリシャ神話の神々を信じていた大昔には、知恵と戦争が同じように括られて女神像なども作られました。知恵があったら戦争しないだろ、と思うのは、現代人の私たちのような人々で、当時は勝ち抜くことにより生き延びていたのですから、批判などできません。

長生きをし、したいだけの勉強を終えたら、タンザニアかあのへんに行き、おサルさんを日がな1日眺めて観察して暮らして生涯を終えるのも悪くないな、と思っていた時期があります。きっかけは、Physical Anthropology (物理人類学)で、1988年、渡米した年ののち、昔に見ていた映画Gorillas in the Mist Gorillas in the mist なのだと思います。実際の人物をどれくらい描いているのか、まったくわからなかったことが、授業で習ったせいで実感を持てたことにあります。さらに、ゴリラのDian Fosseyだけではなく、チンパンジーのJane Goodall などなど、ケンブリッジのひとりの男性学者の下に集められた、素人軍団だった女性猿学者たちのことに興味を持ったわけです。女性は観察に向いている。私にもきっと気長なところがあるかもしれない、と疑ったことがきっかけです。今はそうは思っていません。アフリカの厳しい気候はきっと私には無理だ・・・。

ガーナ人の友だちができたことで、私のアフリカは近いものになりました。彼は日本人のあらゆる留学生から、いつもおみやげにガーナチョコレートをもらうのです(爆)。時間が遅く流れる彼の所作を見ていて、実際にアフリカに行ってみたいと願うようになって、早18年以上が経ちましたが、まだ訪ねていません。彼もなぜか紆余曲折ののち、アメリカ連邦政府で働くお役人学者となりました。筑波大学の医学部を出たのちのことです。娘さんは日本語も流暢に話します。お母さんが看護婦さんでしっかりと躾けて教えているせいでしょう。

実際問題として、私は中国の時代を見たくない、というのがあるのだと思います。どんなに強い憎しみを持てたとしても、ある国の国旗を燃やせたり足で踏みつけたりすることができる人々の感性に、たいへんな恐怖を持つのです。私が戦争下、虐待される側にいたとして、憎しみをどれほど長く強く持ち続けられるのか?を何度も想像しているのですが、PTSDを体験した今、それはかなりの実感を持ち再現されます。他人にネガティブな心を持ち続けるのは、たいへんにきつい。消耗しきってしまう。私には長くはできないことです。自分の存在意義そのものを見失いがちになり、日常生活にマイナスが染み付いてしまう。そんな心持でネコや犬や子どもや花や大自然の前に対峙できるとは、私には到底思えないでいます。人生のある時期、思想転換の実験として、国や人やシステムを憎むことはあるかもしれないです。が、本当に長続きしないのは、たくさんの割合の団塊の世代が証明しています。彼らが安保の頃、ゲバ棒を振りかざして校舎その他を占拠していたことは、もう雑誌や古い映像でしか見ることはできません。あのときの情熱を形を変えてでも持ち続けており、憎悪を胸の中にしまい続けているとしたら、恐ろしいことです。ある有名な方が、昔安保の頃に公安に追い掛け回されていた英雄物語をするのが大好きだった場面に何度か出くわしたことがあります。あの頃の情熱を持ってはいないが、持っていると主張し続けたいのだな、と解釈しました。

ネガティブエナジーを撒きつづける人々は、私にはたいへんヤバイ存在です。呼応したくなくてもさせられてしまうような気分になってしまいます。

台湾に行っても、つい先日の香港に行っても思うのですが、中国圏というのはものすごい可能性を秘めた場所です。あの文化と貪欲さと労働意欲と食欲には、見ているだけで疲労感を覚えることがあります。台湾に最初に行ったときには、数人乗りで原付バイクを操る軍団にびっくりさせられましたし、夜の屋台での食欲にもびっくりしました。香港の無機質に見える華やかな都会さと、その裏通りにある人々の営みの差にもびっくりしました。

西がたいへんに愛している中国圏ではありますが、彼が嫌がっているのは、胎児を食べる習慣やその他の残酷な文化がまだ踏襲されている部分でしょう。たとえば、死刑のアンフェアさとその速さ。「お前は死刑だ」と言われたら即刻、頭を撃たれて死刑です。控訴などありません。頭を撃つのは、「臓器提供」のためです。西は自分の臓器を死後提供することは決めていますが、自分は臓器提供を受けないと言い張っています。そうした気の毒な人々の臓器であった場合を考えると、その後の人生は影だらけになるからなのだそうです。他にも、西が新聞をしっかり読んでいるために聞かされたニュースで、野犬だけではなく、飼い犬までもを、中国のある地方で、たったの3日で50万頭も殺したそうなのです。犬に蔓延する病気のせいだったらしいのですが、家族としてかわいがって飼っていた犬までをも、外に引きずり出し、棒で殴って殺したそうなのです。注射代も掛けない。犬を棒で殴って殺せる。想像しただけで身の毛がよだちます。

もちろん、日本人であれ、フランス人であれ、スペイン人であれ、国の代表選手ではありません。どのくらいの割合で、そういった心持の人が存在するのか、をしっかり見極めなければ、ただの論拠のない決め付けです。私は中国人全員を否定したいわけでもないですし、憎んでいるわけでもなく、残虐さや残酷さを根絶やしにすることが難しいということを考えこんでいます。

そしてアフリカ。民族や部族同士のトラブルがまだ起きてはいるものの、いつかアフリカの時代が来ると夢見ながら、私はやはりアフリカの大地の未来に賭けたい気分でいるのです。アジア人ならアジアを応援しろ、という意見があるかもしれません。が、昔、歴史の授業で習った世界初の大学の話や、NHKで翻訳と通訳の派遣社員の仕事をしていたときに知り合ったケニアとスワジーランドの人々の顔を思い浮かべてしまいます。アメリカに留学したときに、Oaklandの個人宅でものすごい大きなアフリカンパーティーがありました。ナイジェリアやアルジェリア、エジプト、マリ、タンザニア、ザイールなどなど、本当にいろいろなところからの人々が集まってきて、民族衣装を着ている人たちまでいたのです。人々は気さくで踊りが上手で、とても楽しかったことを憶えています。さらに、ここのところAngelina Jolieのせいでまたアフリカがクロースアップされてきています。映画の題材としてだけではなく、赤ちゃんをアフリカで産んだこともあるし、養女を迎えたこともあります。

あの大地にも数十年後、無限の可能性があるのだと、極東で考える人間がいてもいいではないか、と思いながら、いつか、Douglasがガーナに戻るときに、介護用のバスを3台、ちゃんと寄付することができますように、と祈り続けるのでした。そして、Douglasのお嬢さんがきっとアフリカの時代をあの目で見ることができることを願い続けるのでした。

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