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アメリカンマインドとジャパニーズマインド その2

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04/29/2007 にアップした文章です。

昨日は途中で終わってしまい、論旨がないままのように感じられた方、ごめんなさい。続きをしつこくやらせていただきます。今朝も、西さんと母に同じ質問を投げかけてみたのですが、くっきりはっきり分かれました。やはり西さんは、効率を考えて仕事をしており、母は能率を考えて仕事をしている。さらに、西さんは会社全体のことに眼を行き届かせており、母は自分スケールでの仕事範疇や自己成長を考えている、という答えをもらったのです。西さんは、日本・アメリカ・台湾・中国で、どちらかというと国際的に雑多なところで仕事をしてきました。母は、内職やパートなどを続けてきて、日本から出たことはありません。質問はコレです;

自分が管理者になった場合、自分でもできる仕事ではあるが、自分には山ほどやらねばならぬ仕事がある。秘書がいますが、どのくらいまでのことを仕事として依頼しますか?それについて抵抗感はありますか?

というもの。いわゆる、社長付や役員付のアシスタント(秘書という呼び方は差別だという人たちがいるようですが、私は個人的には秘書という語彙の意味はステキだと思います。秘した事柄を、責任を以って管理してさしあげる仕事ですので)が、ベビーシッターや生活介護のような範疇までをも仕事とみなさねばならぬことが、ままあるようです。

私は、秘書業務はどうあってもできません。細やかな人間ではないし、「自分で自分の面倒をみられない人間」について、いい評価がどうもできないのです。たとえ理屈では効率優先というのがわかっているにしろ、純然たる効率追求なのか、それとも甘えなのか、という境界線が引けないから、余計に始末が悪いと思えるのです。

しかも、この話は、アメリカンマインドとジャパニーズマインドについて、なのかどうかも怪しいのですが・・・(笑)。年間500億円を超える企業では、ほぼ99%の割合で、社長には秘書がついています。では、どんな仕事をしているのか?私はやったことがないので、垣間見てきただけなので、さらに会社によっていろいろなケースがあると思うので、一概には言い切れないのですが、なぜ、瑣末なことまでアシスタントの仕事範疇になるのか?を考えるのが肝要かと思うのです。

母の解釈は、古い人間であるせいもあるのですが、「できるところまで自分でやり、それでもダメならば依頼するのがいいのでは?」というもの。たとえば、PCや携帯、Palmなど管理用の私生活と公生活がごっちゃになるようなものの設定は、本人がやるべきなのか、アシスタントに一切合財任せていいのか?という質問には、母は、「きっちり分けるのは無理だろうけれども、謙虚さがあっていいと思う。自分のことは自分でやったほうがいいに決まっている」というもの。たとえば、お葬式の花や結婚式の祝電などは、社長クラスの人であれば、私人として出しているのか、公人として出しているのか、そこまで把握していなければ、アシスタントは仕事を引き受けないのか?

私は、成長を伴う下積み中・修行中には、「自分のことは何でも自分で面倒みようよ」に賛成なのですが、一角の人間として社会的に評価され、特に仕事での効率が求められる場合が多い人間には、大いに甘いのです。その人に特に「代替」がなかなか見つからない場合、丸投げをしてしまっていいに1票なのだ。それほど才能があり、人脈があり、大きな仕事をする可能性がある人であれば、公人部分で私人になれず苦しんでいることも大いにあり、それくらいのおまけはあってもいいではないの・・・と、私は甘いのです。

これは、西さんも同じ意見。ただし、「自分が一角の人間として社会に評価され、仕事での効率が求められていない」人でも、むやみやたらと、パワーを使うことが多いのは事実。目も当てられないほどのパワーハラスメントは、確かに横行しているのでしょう。だからこそ、そんなネガティブな話に喘いでいる人々が多い、と、母が慮っているのも理解できるのです。確かに、人間は生涯修行の身。学習は死ぬまで続きます。社長クラスの人間で、自分でやろうと思えばバンバンこなせることを、効率を追い求めて誰かに代替わりしてもらうことに、私は何の抵抗もないのですが、母はあるらしい・・・。わかる気がする。

では、ここで、アメリカンマインドは、偉くなればなるほど自分の面倒をみなくなるのか?ジャパニーズマインドはどうなのか?というと、昨日も力説したように、それは一概には言えず、むしろ、会社の大きさや会社の理念、人々を取り巻く要因たちや、人々のそれぞれの考えに左右されています。アメリカも格差社会です。格差が大きな社会では、Segregation(分離)が進みます。日本もコレを追っているようなところがままあり、どの分野にしろ、注意が必要です、特に教育や住宅は。物事を分類化し、相互性や同類点を見出して、行き来をするよりは、分離させておいて、レベルや環境要因などに合わせて対処したほうがラクだというのは、行政やパワーを持っている側の言い分です。そこでのリスクは、分類がそもそも致命的に間違っていたら、たくさんの人材やたくさんの美徳やたくさんの素材が世に出ることなく、その範囲に留まることになり、生かされず殺されてしまうことになる、ということ。

(結局ここでは、アメリカンマインドもジャパニーズマインドも、効率を考えれば、そんなもんあるわけないんだよ、ということが言いたいのだよね・・・)

これからも自分が使っていく、住居の整理整頓は自分でゼロから始めたほうがいい。住居が今後も変わっていくにしろ、それは身につくことだから。けれども、転職が多くヘッドハンティングの対象になるような仕事をする人が、オフィスのレイアウトを自分のいいようにする時間がないのは事実な傾向はある。町工場の社長では、ヘッドハンティングはなかなかないだろうから、やはり奥様か自分で自分らしい空間を作るのが効率だとは思います。数百億円もの売り上げを誇る会社では、社長は広告も同然で、パワーゲームの王将なのだ。オフィスのレイアウトも、企業における作戦のひとつ。どんな人と逢って握手をする間柄なのか、という写真を飾るのも、やはり見る人にとっては驚異的なツールなのでしょう。だから、アメリカだけではなく、日本も広告業界はこんなにも伸びてきている。

もちろん、社長を引退し、花道後に、自分のことが何ひとつできない人間じゃー困ります。そうなるのがわかっているのに、アシスタントとして甘やかしたというのは、悔いにもなることでしょう。が、でっかい仕事をするために、瑣末な仕事を引き受けるのは影な仕事としても楽しそうではあります。

とはいえ、私はできないんだけれどもね・・・(汗)。しかも、瑣末なことをしなくてよくなった時間に、秀でたものをさらに伸ばすためプラスSegregation(分離)を解放するための仕事ができるなら、なおさらいい。ところが、世の中の男性たちは、奥様たちに、自分もそれくらいのスケールの仕事をしているのだと誇示しすぎる傾向があったことで、女性は外での仕事ができなかったということなのでしょう。先にアメリカが変わった。女性たちは1970年代からどんどん外に出るようになった。日本では、男女共同参画について、総務省がいろいろなことをしている最中です。なんだか、複雑怪奇な説明にはなったのだけれども、まぁ、何が言いたかったのかはわかってもらえることを祈ります・・・←依頼心はいかんのだけれども・・・。

ただし、このようなすばらしい仕事をしている人々が、いつもその有能な人のそばについていることは、誰も忘れてはいけないことだと、私は考えています。特に、時代小説を読むと、歴史の教科書などにはかすりもせぬような有能な人物がいたからこそ、この世は今、このようなことになっているのだ、ということになる。そうそう、『真田太平記』は、忍び(草の者という呼び方)が活躍する小説なのよ・・・。彼らが肉体の生理を超えた能力を発揮したがゆえに、勝ち抜いたりもぎとったりした平和があったのだ、ということは、ちょろっとわかってきたのです(現在、半分のちょい手前)。

ということは、途中、( )で書いてしまったように、アメリカンマインドもジャパニーズマインドも、実際問題としては存在しないのだが、そう分類したほうがあまりに簡単なので、便宜的に使っているとしか思えず・・・、というのが、この2日間の結論。アメリカ人で、ひどく桜が好きな人に、ここのところ立て続けに数人逢っているということも付け加えておきます。私と同じような静謐な気持ちを楽しむアメリカ人はたくさんいますぞよ・・・。