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アメリカンマインドとジャパニーズマインド その1

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04/28/2007 にアップした文章です。

どうもここのところ、コレを考えているところ・・・。昨日の、能率&効率という言葉も取り巻かれている環境のせいで思いついたに違いないのだけれども、やはりヒトは「刺激」に「反応」するのよね・・・。なんだか、私もヒトの端くれとして、大きなScheme(絵柄)に組み込まれている実感をひしと受け止めています←そんなに大げさなことじゃーないのか?(笑)

http://www.sciammind.com/ アメリカで発行されている科学雑誌。
http://www.aamprogram.org/index2.aspx アメリカの先生と先生になる人たちのための協会
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Closing_of_the_American_Mind 『アメリカンマインドの終焉』の英語版 http://diary.jp.aol.com/b2rpmeyzkchp/312.html 別に知り合いではないのですが、冒頭にズバリ書いてあったので貼らせていただきます>タイトルは誤解を与えるよ、と・・・。

先に定義から;
Mind:記憶(力); 意見, 考え; 意志; (理性的な)心; 精神; 気質; 知力, 理性; 気分; 気持ち; (心の持ち主としての)人; (M-) (クリスチャン・サイエンスで)心 (Divine Mind) ((神のこと))
心: 人間の体の中にあって、広く精神活動をつかさどるもとになると考えられるもの。(1)人間の精神活動を知・情・意に分けた時、知を除いた情・意をつかさどる能力。喜怒哀楽・快不快・美醜・善悪などを判断し、その人の人格を決定すると考えられるもの。(2)気持ち。また、その状態。感情。(3)思慮分別。判断力。(4)相手を思いやる気持ち。また、誠意。(5)本当の気持ち。表面には出さない思い。本心。(6)芸術的な興趣を解する感性。(7)人に背こうとする気持ち。二心。
物事の奥底にある事柄。(1)深く考え、味わって初めて分かる、物の本質。神髄。(2)事の事情。内情。わけ。(3)言葉・歌・文などの意味・内容。(4)事柄の訳・根拠などの説明。また謎(なぞ)で、答えの説明。
気質:(1)言動に表れる、その人の身に備わった性質。気だて。かたぎ。(2)中国で、万物を構成する物質である気の集散運動によって形成される個体をいう語。特に、宋学では、人間の肉体および肉体に固有の心理的・生理的素質のこと。(3)〔心〕 人の性格の基礎をなす感情的反応の特徴。遺伝的・生理的規定が強いとされる。多血質・憂鬱質・胆汁質・粘液質の四分類のほか、心理学・生理学などに基づく種々の分類がある。
知力:知恵のはたらき。知的な能力。

では、ところが変わったらヒトであっても心は変わるのか?これには種々の意見があることでしょう。が、社会科学として、文化心理学を学んだ私としては、場所に特有なのではなく、場所に特有の環境が包含する文化全般・生活習慣・食物・人間関係などなど、すべてのものごとは、まずヒトという生物の基礎に積み重ねられる、と申し上げておきます。ここは大切な理解です。

アメリカ人はアメリカ人として生まれ、日本人は日本人として生まれたか?生物学的なアメリカ人や日本人という分け方が明解にできるようになるには、数百年以上、おそらく数万年くらいの歳月が必要でしょう。今でも、腸の長さや肌や目の色素など、いろいろな分け方がなされていますが、それはヒトという種が持つものの「誤差」でしかありえません。それを、「ささやかだけれども大きな違い」にするかどうかは、受け手の考えやモノの見方に反映されます。

そしてコレを突き詰めていくと、日本人同士での、血縁の違いなどは、たとえば一卵性双生児のようにDNAが100%同じである場合の生物学的なものは、塵芥(ちりあくた)ほどにしか目に見えないスケールの「誤差」となります。

これを踏まえて・・・、環境がもたらすものの大きさは、「ささやかだけれども重要な違い」に値するのかもしれません。なぜならば、一卵性双生児であっても、マインドは同じではない。同じであったらむしろ困るよね・・・。ただ、これについてはいろいろな学者の学界で、Nature vs. Nurture;先天と後天、という論議は、ずっと続いています。どんな分野にて、どのくらいのミックス(程度)なのかをいろいろと論議し続けて、今に至っていますが、分野はもっと細分化されているところを見ると、いい傾向なのか悪い傾向なのか、ただただ複雑になってしまったのか・・・。

そして、Temp(Temporary Worker)として働き始めて、アメリカ人がいるオフィス近辺でのいろいろな出来事を目にして、この違いはどこから来るのか?を考えたときに、「○×人だから」で簡単に片付けるのは、やっぱり違うと、何百回目か、何千何百何十何回目かに思っているのです。

つい最近引っかかったのが、あまりに小さい出来事なので、お笑いぐさなのですが・・・。Implementという単語。これをアメリカ人が動詞で使っているところを、私が通訳したと思ってください(こういう言い回しを、横溝正史が、『半七捕物帳』のなかでよく使っていた。実際にそうしたんだけれども、仮定形のように話すのね・・・)。私は、この単語に関して、「道具を与える」「準備の末に実行に移す」「手先を使う」という解釈をしているので(なぜならば、名詞が【道具・手段・用具・手先】だから)、たいへんに迷いつつ、準備の大切さが話の中で前出していたので、それが1割、あとの9割は「それ(道具や準備したこと)を」実行することだと訳したかったわけです。が、横から英語のできる日本人に単純に、「実行する!」と少し大きな声を出されてしまい、恥を掻いたのです。どうして迷っていたかというと、「(会社関係者の)人々を手先に使う、道具として使う」ということになってしまうから、戸惑っていたのですね・・・。

英語ができる日本人も、そこまで考えて実感しているわけでもなく、私のAgony(痛み、苦しみ)がわかったのだろうか?それを踏まえて角を立てないように、「(ただ)実行する」と、時間がかかった私に対してイライラを見せたのだろうか?←好意的解釈。それとも、implement=実行するというのが、その人の中の単語だったのだろうか?ならば、なぜcarry out, practice, enforce, executeなどを使わなかったのか、わかるのだろうか?

こうしたギャップの中で生きていくのは、けっこうつらい・・・と思い、殊、私が無能だと言われることだけは避けなければならないと思っているのです。今後、教師や通訳としての評価があるわけですから・・・。ただ、通訳というのは、メイン・主流で行われている会議の本質内容を進ませるためにあり、なるべく短時間での効率を図らねばならぬものです。だから、イライラしたのだろうけれども、間違っていていいのか?と、やはり私は思うのだ・・・。

直接のボスはアメリカ人なのだけれども、周囲にいるアメリカ人(複数)はもう長年日本に居て(長い人は10年以上で、日本語が上手だ)、彼らも日本に影響されている。直接のボスも日本に10年以上いて、日本語を7・8割聴けるけれども、話さない。ボスに対しての話しかけは2・3割。だから、私が「仕事してないじゃないか」と見えること多し・・・(汗)。細かい語彙のチェックなどだけなのだ。ボスが話していることを日本語に直すので、しまった!と思ったのは、Implementだけなのだけれども、どの人がどのくらいの通訳を欲しているのか、まったくわからず・・・。前情報なしだったし、のべ50人ほどの人に3日ほどで、たいへん短い時間ずつ会った中、それぞれの人たちの通訳必要度をわかれ、と言われても無理だよ・・・。名前と顔くらいがせいぜいです。あ、ちなみに、ボスには特に何も言われていません。アメリカンマインドは健在なのだ。

横田基地はよかったよ♪みんな似たような程度で通訳が必要だったので、現場も10人ほどだったので。がっくり疲れているのかなぁ、この週が終わったら・・・。

というわけで、また明日続きを・・・。