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アリアの多い人物

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05/14/2007 にアップした文章です。

独り舞台・独唱が多い人のことを、なんとなく隠語めいているのだけれども、私はこう定義しているのだった。でも、ひとりで決めたことだから、あんまり誰にも理解してもらえず、しかも悪意があるように取られてしまうことが多いので、説明できるかどうか躊躇していたところあり・・・。私のオペラ愛好度はたいへんに低いほうに属すのだろうと思うのだけれども、それは聴いている人の中で、という意味で、イマドキの素人さんたちはオペラを解するのかどうか、そこも疑問・・・。

アリア:(1)オペラなどの劇音楽や宗教声楽曲で歌われる器楽伴奏つきの旋律的な独唱歌。多く技巧的。状況説明的なレチタティーボに対する。両者の中間的性格のものはアリオーソと呼ばれる。詠唱。(2)演奏会用に作曲された抒情的な小歌曲や器楽曲。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%A2 

私が好きなアリアの女王は、言わずと知れたMaria Callas;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B9

小娘だった10代の頃から好きだったのですが、アメリカに渡り、容易に彼女についての知識にアクセスできるようになり、彼女について描いた映画や本を読めるようになり、さらに好きになったというところ・・・。私にはあの真似はとてもできないし、私との共通点は少ないのではありますが、がゆえに好きだというのだろうか・・・。映画Philadelphia で主人公のAndyが彼女のアリアに聞き入る姿は圧巻でした。”La mamma morta”(from the opera “Andrea Chénier”) Composed by Umberto Giordano Performed by Maria Callas With Tullio Serafin Conducting The Philharmonic Orchestra タイトルは日本語に直すと『私の死んだ母が』となるのでしょうか・・・。Andyは死にゆくところでしたから。

そうなのですよ、私が「アリアの多い人」というときには、褒め言葉です。独り舞台や独唱ができるという実力が前提にあってのことなのです。できもしないのに、ただ長々とタラタラと、という悪口に使うのではありません。

そもそも、西さんいわく、アリアという語源そのものが、クラシックの中では、バッハの『G線上のアリア』から来ているはずだということで、楽曲の中の一部に過ぎないことは注目しなくちゃ、と思うのです。ここまで精密な表現をしようと努力することもないのでしょうが、私は自分が考えた表現というのは、今までことごとく誰かに先に使われてきたし、コレだってきっとそうなのだろうけれども、やっぱり理解してくれる人がいてうれしいな、と思うのです。英語をやり始めてマスターしてなおさら思うことは、英語には同じ表現でも合理的な意味が分かれているBingo!な単語も多く、形容詞や動詞など、日本語に直すときに個人差が多く出るようです。日本語力により、その差がでかい、ということですね。

さて、本題ですが、私はヒーローとかカリスマ性のある人々のそばには、実際には侍(はべ)りません。なぜならば、やはり本人が求めていようがいまいが、パワーゲームのサークルであることには違いなく、できることであれば、私はそんな円からは遠く離れて暮らしていきたいからです。宗教を全面否定するつもりもなく、どんな宗教・宗派・分派であっても、納得できることはたくさんあるし、それを受け継いでいる人たちでも目を瞠るほどのすごい人たちはやはり古今東西実在しました。けれども、私までがちやほやせずとも、みんなが代わりにやってくれているし・・・←ぎゃはは、無責任。私は自分で自分に力を持っていることで立身出世したり、誇示したいわけではなく、とにかくできたら自分の望みが叶い、しかもその望みの理由や動機ははっきりしており、それほど大望で他人様に迷惑をかけることでもないので、最小限のパワー表示で生き延びていこうとしています。そうそう、大学に通い続けたいということ。お金の心配をせずに、という条件が入ります。

ところが、遠巻きであれば、そういった「アリアの多い人」を見続けていくのは嫌いではなく、むしろ、相当に好きなのです。たとえば、最近知り合った社長。彼はすごい人で、尊敬に値します。もう20年ほど怒ったことがないようで、新しい環境への順応が早いし、能力も高く、しきたりにはうるさくなく、フォーマルなことが嫌いで、部下にも気軽に話しかけるツアーを夕方決行します。思いついたらその社員に宿題を出し、提出するように言い、あわてた社員が社長秘書にアポを取るわけです。そうやって、人を大切にすることを心がけている。彼のアリアは聞いていて心地よいし、胸を打つし、脳を刺激する。だから、アリアなのです。

他にも、昔むかし、ステッキガールとしていっしょにいろいろなところへ連れて行ってもらった紳士たちも、もちろん欠点がなかったとは言いませんが、そういった人々でした。私が年上が好きだと言い放ってしまうのは、やはり自分が経験していない物事をすでにしており、それでもゆとりがあって私などにおすそわけをしてくれる寛大さがあるから、だったのでしょう。逆に、私はゆとりがないので、年下の友だちに評判が悪いのだろうか?あるいは、評判は思ったほど悪くないのか?(笑)

年下が嫌いなわけではなく、私は生き急いできたので、どうもぼーんと丸渡しされる状態はけっこう好きなのでしょう。年下の人で丸渡ししてもらっても、「あ、それ知ってる」と未知ではないことが頻出すると、どうも時間が効率的ではなく感じてしまうのかもしれません。もちろん、人間というのは哀しい哉、そういったマニュアルでしかできないような手間暇がかかる面倒な課題に囲まれており、それを日々やっている方々を尊敬したほうがいいのはわかっているのですが、本当にまだゆとりがないのでしょう。

今日はフリーマーケットの隣の隣に出店していた男の子(とはいえ、二十歳以下ではなかったと思う。特に恋愛対象ではないので、細かい年齢など気にしなかった・・・←正直でしょ?爆)が、弊社のウォークフィットを購入してくださり、彼のすごいところは、検証がとても細かかったところ。そののち、さらにシートソリューションというクッションを買いたいらしく、いろいろ調べていたのですが、自分のお店もあり、売れた結果により帰りの荷物の量が違うので、買うかどうかそれまで考えさせてほしい、と言う・・・。こちらは、売り上げの目標をすでに達成しており、ゆとりがあったので、見本にしたシートソリューションを進呈してきました。名刺も差し上げてしまうあたりが、私の色気なのか、それとも余計なおせっかいなのか・・・。

でも、コレは明らかにアリアの多い人物に対する身構えや情とは違うものです。私は、個人のモニターはしないのですが(自分に危険が及ぶかもしれない項目を除いて)、事実としてそこにあるものに関してはやはり眼は瞑れない。すごい人はやはりすごいのだ。アリアをバンバン歌っても心地いいのだった。

そして私は、英語教師としては、1時間15分のアリアを歌っているのだろうか?と考えるに、やはり学習というのはそういう本質ではなく、参加型で生徒中心でなくてはならぬので、所詮私には生涯アリアなどは歌えないのだ、と自覚するのでした。

器のでかさはいろいろと表現できますが、歌を歌えるという才能で喩えてみるのもオツなもんです♪