オープンな関係

10/05/2006 にアップした文章です。

 

人々は密閉した機密性の高いところに安住の地を求めているような気がしてならないところです。江戸っ子でもなく、田舎の子でもなく育った私ですが、プライバシーとオープンネスのメリハリはしっかり利かせて暮らしています。ネットが進むに従い、秘密の多い、人付き合いの回数や質の方向性が問われていますが、みなさんは大丈夫でしょうか?

江原さんの本で(前出『オーラの泉』参照)『スピリチュアル・ジャッジ』という本を、さとみちゃんとけっこう楽しく読んでいます。読み進めるに従い、ますます自分の魂の方向性がわかり、いいなぁ、と思っているところです。うーん、コレも御幣がある。江原さんと似た意見・同意見だからと言って、本当に魂の純化か?と問わねばなりません。さとみちゃんにも話したのですが、私は特に悩んでいることはありません。命題については相変わらず難しいな、と悩んでいますが、自分個人のことではありません。『人はどうして生まれてきたのか』『人はどういうものに誇りを賭けるべきか』などなどです。

その中にこういうくだりがあります;

・          つきあう相手の周囲の人間関係を知ることが何より重要。友人や家族など、かかわりのある人を見れば、その人自身のありのままの姿がわかります。友人にも家族にも会わないままで、プロポーズを受けたりしては絶対にいけません。

・          家族に会いたいと言ったときの相手の反応は、その人を判断するひとつのバロメーター。しぶる相手は要注意です。

ここでもやはりふたりきりの密閉度について話をしています。私が最近読み進めている森村誠一の本の中にも、必ず「他人から隔離されたふたりだけの関係、特に男女」がてんこ盛りで登場します。その中には犯人がいたり、相手を殺したいという殺人動機に繋がるさまざまな男女それぞれの身勝手さがあったり、なんだか考えさせられてしまうのです。

(が、このエッセイを就業時間中に書いている今、さとみちゃんは横で『今日の猫村さん』を読んで、声を出して笑っていますです・・・。けっこうシリアスに殺意までに繋がる密度の濃い狭いふたりだけの関係を考えている横で、猫村さんのほのぼの笑いを聞いていると萎えます・・・笑)

それに比べて、江原さんの男女を見る目はとても清廉潔白で明快です。が、その理想的な答え、いわゆる王道を歩むことがなかなかできない。なぜならば、その影に昨日書いた『保身』があり、最初からボタンを掛け違っている地位や名誉があり、「人はこうあるべき」という個々人が他人に対して持ち続けるイメージや押し付けがあるからだと思うのです。さらに、失敗をしてもいいと思えなかったり、失敗をしたらそれをひた隠すことに心を奪われたり・・・。

そもそも、愛する人ができたときに、世界中に見せびらかしたいと思わずにいられるような相手の心持ちをどう捉えるか?不倫はそういう意味でも心理的にものすごい圧迫感です。隠しておきたい存在を、ボロをなるべく見せないまま、温室やガラスハウスに入れるような段取りを、不思議に思わないのは、見る側の落ち度とも言えます。失敗をしてもいいのです。ずっと同じループにはまり込んだまま、同じことを繰り返さねばいいのです。

ここで私の今までの文言に語弊が出ると思うのですが、結婚式をしたからと言って、しないからと言って、この法則性にはあまり関係がありません。招待客を最小限、保身部分だけで固めれば過去の秘密をバラさずに世渡りすることは可能です。しないからと言って世界中に相手のことを見せびらかしたいと思わないわけでもありません。結婚式についての考え方と、いろいろな結婚の形と、ふたりとふたりを取り巻く周囲の人々との関係は、密閉した関係とはあまり直接的な関係はありません。ご存知の通り、頭数を増やすためだけに、普段の希薄なつきあいにも拘わらず結婚式に招待するお客様はいます。それが政治だったり、保身だったり、対面や狡猾さだったりもするわけです。森村誠一の小説の中にはてんこ盛りで出てきます・・・。やはり結婚式をやらなくてよかったなぁ、などと思っている私は単純です(爆)。

そしてさとみちゃんが引っ張り出してきた、江原さんの言葉の中に次のようなものがあります;

・  裏切られたと思っても、相手を恨み続けてはいけません。いちはやく気持ちを切り替えること。自分のつきあうべき相手ではなかった、と思って、その事実を静かに受け入れることが大切です。

・『カルマの法則』で、自分のしたことは必ず自分に返ってきます。バチが当たるということではなく、必ずどこかで学ばされるようにできているのです。

秘密の多い、それによりふれあいの基盤がしっかりしない男女の仲は、いずれ終焉を迎えます。そのときの準備のための文言です。私もPTSDで人を一時期恨んだことがありましたが、長く続けられませんでした。が、この2番目の『カルマの法則』については、時間軸について考えることがあります。輪廻転生を信じたい私としては、「この生において学ばされるものなのか?」という疑いがあるわけです。その人が生きているうちに学ぶことがなければ、やはりどうしても気が済まないという心の狭さがあるわけです。私個人の気が済まないというわけではなく、他にも被害者ができたら・・・多少は私の責任だ、と思うのでしょう。アメリカのアパートの中庭で、女性が惨殺される事件が起こり、18戸もあったアパートの住人のひとりも助けることもなければ、119番をすることもありませんでした。カーテンやブラインドの陰から目撃した惨劇は、語られぬまま、ニュースになったあとも、ひとりひとりの無責任さや不人情さは希釈していったのです。みんな引っ越しちゃいましたからね・・・。そのような人間でいたくないというのが私の中にあり、コレについては考え続けているわけです。

でも、私が制裁者ではないことは、しっかり理解しているつもりなので、コレについてもまだまだ考え続けることになるのでしょう。

「因果応報」などはないのです。もしも因果応報がきちんとあるのであれば、森村誠一ひとりの本の数々の中でも殺人は起きません。バカな留学生でもロクに英語を話せるようにならずとも、なんちゃって留学を1年した後、有名な企業に勤めてエリートぶることもできるわけです。さらに、逆の面から見れば、彼女が誘っていたからレイプをされた、などという二次的被害も減るわけです。どんなにセクシーでも魅惑的でも、レイプはしたほうが悪いのですから。何が「因果」なのかはっきりしっかり考えていただきたい。しかも、彼らは密室化された秘密裏にコトを起こす卑劣さを持ちます。

レイプ犯ほどではないにしろ、その要素がある人間たちが多くなることは、社会全体のためにならぬのです。マンションであれスーパーであれ、挨拶をしたり、気配りをするのは、閉ざされた世界を減らすのにいいことです。その監視制度があるからこそ、ひとりっきりのプライバシーとの差が生まれて、貴重なものに思え、大切にしていくこともできるわけです。

さて、今日は私のキャットシッターのまやさんがアイダホから車で到着しました。電話でいきなり15分ほど話したのですが、うどちゃんの顔立ちと目を褒めていただきました。他の4匹についてもいろいろ褒めていただいたのですが、やはり寅次郎は隠れていた(爆)。幸先のいい出足になりました。これから安心して180日が経過しそうです。仕事がんばるぞぉ♪そして、密室化していたネココミュニティも、新しい人間を迎えてスクランブルすることとなります。よかった・・・。

Just world phenomenon. The tendency of people to believe the world is just and that people therefore get what they deserve and deserve what they get. Chapter 18 social psychology.

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