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09/29/2007 にアップした文章です。

 

Gyao動画の映画を週末に見ていたら、『 完全なる飼育 』という映画の1・2が無料で配信されていました。このタイトルそのものが攻撃的なのはもちろん、人が人を飼育するという考え方は、平常の私の概念からは最も遠いところにあるので、余計に気になったというところ(笑)。特にクリーンイメージをキープしたいという気持ちはないものの、性的な話は、医学的・心理的な切り口でない限り、個人的な領域だと信じているので、それほど取上げないのですが、コレは心理的な話。ストックホルムシンドロームの典型です。PTSD以来、この手の画像はさらに苦手になっていたのですが、内容を開けてみて、まったくのレイプではなく、心理操作を見て、それにどうしても避けられない性描写があった感じです。母は心配そうにしていましたが、まぁ、大丈夫でした。

心理学的なストックホルムシンドロームの説明リンク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%A0%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

確かにねぇ、この2人の誘拐犯の男性二人は、事情があって哀れだと思えるところはあるのだろうと思います。だからこそ、ライフラインすら他者から与えてもらう情況に置かれた場合には、心が傾いてしまう状態が作られる。そもそも、極限状態に置かれなければ、彼らとの交わりが生じるはずもないわけです。なので、誘拐が発生したことそのものが悲劇なのですが、起きてしまった事実を否定することもできず・・・。

竹中直人が演じる誘拐者のほうは、工場を持つ自営業の職についていたときに、婚約者がいる女性に横恋慕して、工場内でレイプし、婚約者と親に翌日怒鳴り込まれ、傷物になった彼女には子どもができたものの、やはりうまく行かなくなり、子どもを連れて出て行かれて、家業からも追い出され、という過去を、被害者に語るのです。その結果、「心も身体もひとつになる完全な愛」を求めたいと、クダクダと語るわけですね。しかも、自分が誘拐した、18歳の少女に。「だからレイプはしない」と。レイプをした相手から心がもらえなかったから、今度は誘拐、というのは、あまりに短絡的。どれくらい考えたのか、ちょっとわからない。想像がつかない精神構造で、間にどんな問答があったのか、インタビューしてみたいくらいの気持ちになります。誰の手もつけられていないまっさらな白いハンカチのような少女がよかったとしても、18歳以上であれば、恋愛する機会というのは持てたはず。風俗や水商売でなくとも、習い事や趣味などの繋がりでの出逢いの場の可能性はゼロではなく、世間にはいくらでもそんな例はあります。どうしても本人の意志を無視せねばならぬ状況で、コレしかチョイスがなかったとは言えません。最初のボタンの掛け違えが、やはり重要です。

続編の誘拐犯も似たようなもので、恋人もできず、結婚もせず、母親とふたりで暮らしてきて、41歳になって母に死なれて、17歳の女の子を誘拐するのです。彼のほうも性格的なものなのか、彼女からの許可が出るまでは性交はしません。

なので、誘拐罪は成立しても、レイプはなかったということで、世間では確率的に少ない状況になります。しかも、2件とも犯人逮捕後、被害者の少女たちが犯人を庇うんですね。

そこで、平凡な私が彼女たちの立場に立つと、やはりわかる。サバイバル機能が全開になれば、やはり彼女たちの反応は自然です。新潟で少女が9歳だったときから9年以上、監禁された事件がありましたが、そのときの一般人の反応は、「なぜ逃げなかったのか?」でした。何よりも優先されるべき反応は、「生き延びること」です。生き延びるチャンスが減る行動は、何度も恐怖を味わうと避けるようになります。

特に誘拐されずとも、恋愛や普段の生活で、ストックホルムシンドローム兆候を示している人々もいます。マイルドではあれども、DVも似たような心的依存症ではあるし、ダメな男ばかり繰り返し好きになるようなことも同様です。自分にとって不利になるあらゆる要素を持っている誰かになぜか魅了されてしまうのは、「学習してしまった体験から来る選択肢への価値観」にあります。ダメな男、原体験としては父親や兄などが多いのですが、「たくさんの欠点を持っている相手に嫌いな感情に嫌気が指しているにも拘らず、その人に依存していなければサバイバルが困難になる状態」を体験すると、男選びがどうもその傾向にシフトしてしまう。なので、そこで自分(の心持ち)を変えたほうがラクだということになる・・・。どんなに欠点があろうとも、どんなに邪険にされても、どんなにひどい目に遭おうとも、親や年長者に対して尊敬や感謝を刷り込まれているので、幼年時代に自分から親や年長者を嫌いになったら、ますます愛されなくなり、大切にされなくなるので、サバイバルに影響が出ます。なので、無理やり好きになり、好かれてもらうための行動に出る。それがうまく行ったら「ひどい目に遭っているのは自分が悪かったから」と、論理がシフトしていくわけです。恐怖と背中合わせの中、あまりにつらいので、相手が愛する価値のある存在だと全面的に肯定していき、いつしか、「愛情はこのプロセスで獲得できるもの」と決めてしまうわけですね。

親や兄や他の年長者に叱られずに育った人は稀なので、多少なりとも誰でもこの傾向はあるのでしょうが、基準値を超えたら要注意です。その基準値は、ダメ男を肯定し続ける傾向で、自分の生活にそんな男たちを登場させたままでいること、蒙った被害を甘んじて受け容れることが多くなること。その質がエスカレートすることです。

誘拐されることはかなりな非日常ですが、マイルドな脅迫はそこここに転がっています。不倫はその点でとても危ない。プライベートな部分を見せてしまったあとに、それを「バラすぞ」というだけのことならば、この世にはそんな話はたくさん転がっています。一度屈服してしまうと、その力関係に徹してしまうのはとても容易くなるので、100年前からこうなる運命だったのね、とすら思い込んでしまうのは理解できます。が、第三者にはわからない。

彼らがいなくなっても、また次に同じようなことを繰り返してしまう。体験してしまったことは、不可逆性が多く、自身(self)を大切にしたい心的機能が働いて、自分の行為を肯定する。だからまたその価値観がUnlearn(学習したことの正当性を否定する)ことは難しい。悲しいサイクルなのです。

DVがその典型ですが、実際にいいパートナーにめぐり合えないのは、こんな心的作用があるのだよ、ということをちょっとだけ意識してもらえるとうれしいです。お友だちの中にも、「私はダメな男が好きなのよね」と誇らしげなほどに言う人はいると思います。「他の人が理解できない彼のよさ」は、Self-esteem(自己尊敬心)を充足させますから。

男の人が、「オレの妻は、家を守り、子どもを育てるしか能のないやつ」と平然と言いのけるのも、このような心理作用が働いていることに気づいたあなたはすばらしい♪自分をいっしょになって貶めていることもわからず、女性の社会進出を阻止している人々は、マイルドな心的依存をしていることをぜひぜひ認めていただきたいものです。

というわけで、映画はヘヴィですが、学ぶことがあればいいな、と思います。