ダメージの大きい訃報

06/02/2008にアップした文章です。

 

たくさんの生命が生まれるように、近しい人でなくとも、著名人であれば、亡くなったときに訃報が入ります。ニュースであったり、ネットであったり、新聞であったり、と媒体はさまざまですが、そのわびしさやさみしさは、その相手に持っていた距離感によって違うものですが、同じ世代をシェアした者としては、ネガティブな気持ちになるわけです。日本に戻って来てから、見なければいいのに、私は訃報を習慣のように見ているんですね。なぜならば、私は結婚式に出るよりも、お葬式に出るほうが、自分にとっては価値のあることだと信じているからです。たとえ、遠い方がなくなってお葬式に出ることができないとしても、心の中で手を合わせる人品は持ちたいと思っているのです。

 

が、昨日の夜の訃報は少しダメージが大きかったのです。ウガンダ・トラさんという、お笑いやバンド活動をしていた芸人さんで、巨漢で「食べ物系タレント」の元祖と言われていた人なのです。来歴はこれ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A9 

私は直接、彼が食べ物をおいしそうに食べているところは、あまり見たことがなく、おそらく、大昔に『オレたちひょうきん族』で見たことがあるのかもしれませんが、記憶にないです。が、帰国してきて、石塚英彦さんという食べ物系タレントの番組をいくつか見るようになり、そんなジャンルがあるんだなぁと思いながら、好感が明らかにあったのが強烈に残っており、その石ちゃんがウガンダ・トラさんのことを「元祖」と言っていたのを思い出したわけです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%A1%9A%E8%8B%B1%E5%BD%A6 

「カレーライスは飲み物」というのが、ウガンダ・トラ氏から出た名言のようで、私はその単刀直入な言葉にも、不快感よりは、むしろかなりな好感を持ったのです。

 

いろいろな方がいろいろな人生を歩んできて、結果的には亡くなっていくのですが、生活習慣病に部類されるような死因を、ネガティブに捉える報道があり、残された人々への警鐘とする扱いをしていることに関しては、不快な気分になりました。まだ、死因がはっきりしておらず、糖尿病と肝臓障害があったということや、症状をパネルにまでして、その危険性などを語っていることには、かなり腹立たしさを感じてしまいました。

 

食べたり飲んだり眠ったりという、ヒトが最も快楽を感じることを節制して制限してまで、長く健康に暮らすことが必要だと思う人もいるかもしれませんが、私は生きているあいだ、楽しくて他人様に迷惑を掛けなければいいではないか、というスタンスなのです。これって極論なのかなぁ・・・。生命というのは、長さも確かにあったらうれしいけれども、短いから「早すぎた死」でもなく、大往生だったから「よく生きた」わけではないことを知っていながらも、なぜか、短絡にジャッジしてしまうような風潮には、あえて抗いたいんだなぁ・・・。

 

私個人に対して、今回の訃報が特記したいほど大きなダメージだったのは、西さんが毎日飲むという事実が、なんとなく、影響を与えており、肝機能障害などが出たりしたらどうしよう・・・と、むしろ不安になっただけで、警鐘などにはなっていない、ということ。彼はアルコールはやめませんから。やめろと思ったこともなければ、減らせと命令したいと思ったこともなく、減らしたほうがいいんじゃないの?と口にするのも憚れるほどです。マラソンやボートや登山など、日ごろ、つらくて苦しい要素ばかりが多いスポーツをやる彼が、仕事でもヨロコビを大して感じるわけでもなく、アルコールを飲んで好きな本を読む至福の時間を、どうして私が制限できるものか、と思うわけです。

 

同時に、私も疲れてしまうと、最近では夜中にビールを飲んでおり(笑)、母のアイスクリーム攻撃もあり、アメリカに居た頃より食生活がよくなるはずの条件が揃っている日本で、実際は、内容的にネガティブな食生活を送っているのかもしれないという疑いあり・・・。最近、運動も週2回くらい(3回とは言い切れないなぁ・・・)やっているので、やはり意識的にまずいと思っているからに違いなく・・・。あまり前向きでもなく、切羽詰っている状態なのではないのか?と思うのです。

 

確かに健康に越したことはないのだろうけれども、他人のチョイスというのを尊重できない風潮というのはどうなのよ?リスクを充分わかっていて、それでもやっている人というのは確かにいると思うわけです。ホームレスでもわずかばかりの比率なのかもしれませんが、チョイスとして捉えて選んだ人はいるはずです。

 

鬱病で広く知られている回りの人の態度で、「がんばって」と言ってはいけないというもの。健康に害があるとしても、喫煙をして90歳まで生きた人などザラにいるわけだし、めちゃくちゃな食生活をしても楽しく暮らした人というのは山ほどいます。その人たちは、聞き流す性格を持っていたのかもしれませんが、持っていない人にとっては、この過干渉というのはたいへんに迷惑なのではないかと思われるのです。

 

私は、自分の決定意志に茶々が入ることはたいへんに不愉快です。もちろん、喫煙もやめたいと思っていますが、まだ時期ではないと感じており、自分の動機付けを改良したり、生活そのもののリズムを変えようとしています。飲酒にしても同様で、最近、ビールを飲みすぎている傾向はわかっていますが、ビールではなく、焼酎や日本酒やワインだと、もっと飲んでしまうので、ビールのロング缶が2・3本というのがいいわけです。ただし、プリン体が気になったりもするので、その代わり、医者には定期的に行くことを決意し、励行しているわけですね。だから、とやかく誰かから言われると、苛立ちを覚える。まぁ、イチバン腹が立つのは、私と似たような生活習慣を持っていて、私よりも飲み食いする母親に言われることなんですけどね(爆)。

 

楽しく生きたんだから、とLet Goさせてあげる気持ちがもてないのか?と思ったので、なんだかあまりまとまりはなかったのですが、勢いと感情に任せて書いてしまいました。私は今後も西さんの飲酒を制限するつもりは、毛頭ないですし、自分に関しても無理をしたり、強制力を掛けられるのが疾病やプロからの助言以外は、本当に腹を立て続けていくと思います。

 

しかも、人生の最終段階での評価を、「もっと節制したらよかったのに」などと言われることで、残された家族の責任感や罪悪感は数倍になることでしょう。なんで、こういうことするのかなぁ・・・と不思議でなりません。まぁ、そんなコメントをしていないメディアもあるので、あまり悪口ばかり言ってはいかんのですが、人がひとり、人生を閉じたときに、ダメージを与えるような側に、自分がいないことだけは確認してみてください。「明日は我が身」と思うことはやっぱりここでも大切です。自分が当事者だったらやられたくないことは、決して他人にもしないでいただきたい。そんなことどもは、本当に幼稚園のお砂場で学んだはずのことなんですから。

 

ここのところ2日連続で飲んでしまったのは、西さんが帰国しているせいだと、西さんのせいにしてしまいがちな私ですが、やはりしっかり意志が働かないこともあるんだよな・・・。それについてぐちゃぐちゃ言われると、本当に落ちるわ・・・(笑)。

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