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11/03/2007 にアップした文章です。

 

私が常日頃公言して憚らないことに、「個人こじんは知性も高く、多くの場合信頼できる人々だけれども、そこに人間関係が絡んだり、違う状況を与えると、人間は予測できないほどバカになる。特に、集団の母体が大きくなるとバカ度は高くなる」という法則があります。これは、いくつかの心理学の実験で部分ぶぶんは証明済みですので、これをどうやってコンバインして証明するか?そんなにお金を掛けて実験する人間がいるか?と、いくつかの「やっても価値がないかもしれない」「弊害も大きいかもしれない」というのがあり、まさか、政府の基金をもらってまでの実験に及んだ学者は、まだ見ていません。

なぜ今日はこのお題を出しているか?というと、昨日、2ヵ月半ぶりくらいに怒り心頭に達したことがあり、ちょっとまた整理しておこうかと・・・。私はそもそも寛大で怒りっぽくはないはずなので(自分で言うか?との疑問もありましょうが、リーズナブルな人間だと自覚しています。笑)、怒ってしまったあと、その根本的問題について追求するのは、ねちっこい遡及傾向だとしても、必要だと思っているわけです。二度と同じようなことで引っ掛らないために・・・。

馬鹿:〔梵 moha(愚の意)の転か。もと僧侶の隠語。「馬鹿」は当て字〕
(名・形動)[文]ナリ(1)知能の働きがにぶい・こと(さま)。そのような人をもいう。⇔利口 (2)道理・常識からはずれていること。常軌を逸していること。また、そのさま。(3)程度が並はずれているさま。度はずれているさま。→馬鹿に (4)役に立たないさま。機能を果たさないさま。(5)特定の物事に熱中するあまり、社会常識などに欠けること。(6)名詞・形容動詞・形容詞の上に付いて、接頭語的に用い、度はずれているさまの意を表す。
(感)相手をののしったり、制止したりするとき発する言葉。

私の個人的感覚なのですが、馬鹿という漢字はどうも馬と鹿に気の毒なので使っていません。当て字と書いてあるように、どうも正確さに欠くような気がしています。ばかとひらがなで書くときには、この辞書の中の(3)(5)をやった人に向って発することが多い。日常的に、誰かに発する言葉として「ばか!」と言うときにもこのニュアンスで言っています。が、バカとカタカナで書く場合には、(1)(2)(4)のネガティブ要素を含むことが多く、バカにはそれほどの非難めいた私情が入るわけではないようです。

もっとネガティブで直接的に相手を罵るときには、私は「ねぇ、これまでどうやって生きてきたの?」と、存在意義の次を攻撃してしまいます・・・。本当に徹底なのです・・・(汗)。やはりこんな私でも、生まれてきたことや存在意義だけは、罵ったり疑問を持ったりしないことにしています。その人の持って生まれた知性と、培ってきた知性をそこそこ把握したのちに、おつきあいをさせてもらっているので(英語を教えるに当たっては、私は日本語の作文もしてもらうし、インタビューをしっかりしているので)、誰かに対して私が「これまでどうやって生きてきたの?」と罵るということは、「あなたは持っている宝物を使ってないよ」という呆れなのです。

西さんと知り合って、いっしょに住み始めて、最初の数年は、この罵詈雑言をよく使ったものです・・・。よくあのときに、別れなかったなぁ、と今ではなつかしくさえ思います。彼のオマヌケなところと、疲れ果てていて何も考えられないところと、彼の脳の働きについて把握した今、私は気づくと、彼にはこの罵詈雑言を10年以上使っていないことに気づきますね。ということは・・・、私はかなり理路整然とした言動ができるようだ・・・。

今日のタイトルの投げかけは、実際に冒頭で否定しています。「バカは本当に多いわけではない」が、条件が揃うと、誰でもバカになる、ということが言いたいわけですね。
1. 人間関係が複雑になり、登場人物が多く、それらの人々の意見の違いがまとまらない場合。
2. 平常とは違うことが起きる場合。

心理学部に行ってよかったなと思うのは、これはまさしく、入門のNature vs. Nurture(生まれ持った資質対後天的学習や環境要因)論争で、私のスタンスは、先天性よりも後天性に大きく余地を持っており、生命体、特に大きな脳を持てるように進化した哺乳類等は、生まれたのちの学習により、いくらでも変われる、さらに脳を使って生き延びていけるのだ、という強いスタンスを顕しているわけです。が、そうでない学者もまだけっこうな数いますよ・・・。

私は、むしろ、心理学部で学ぶ前は、後天的要素を重過ぎて見ていたところがあり、少し、先天的な要因について注意を向ける癖がつきました。たとえば、性犯罪者のどうしようもないくらいのテスタストロン(男性ホルモン)による支配について、など、私には到底思いつくことすらなかった・・・。XYYという染色体の存在すら知らなかった。そういうことを、日々の生活に取り入れていくことは、かなり大切なのだ。

そこで、上記の「誰でもバカになりうる条件」について、私は知っていたのに怒っていたという、かなり無為な感情エナジーの消耗があったことに気づくわけです・・・。そこで、その登場人物や問題の先にある目標や達成した後の報酬や価値について考えて、その問題解決を積極的にするかどうか決めていくのですが、今回の場合(私の昨日の個人的な摩擦)、「けっ!捨て置きだい!」となるわけですね(爆)。

企業派遣の企業から、英語学校に対して私に関する苦情が来たわけです。私がその「英語学校の学習方法論が嫌いなようだ」∴社風に合わない人間からは学びたくない。ということらしい。

最初の一言は、「ばっかじゃないのっ!」でした。ある教材を宿題として使っている生徒さんが、私のクラスに代講に来たのですが、私はそれを宿題にしておらず、なぜか?ということを説明したらそれを承服できずに、担当窓口にわざわざ提起し、私が学習方法論を嫌いだということで結論が出たらしい。私のクラスの生徒さんは、そのとき、私の意見に賛成したという状況がまずく作用している・・・。しかも、その生徒さんは代講なので、私の授業には二度と出る必要もないわけです。私の生徒さんたちからの苦情が出たことはないし、抵抗や質問にはその場で答えるようにしています。それをなぜか他の人間を巻き込むか・・・(汗)。

本当にばっかじゃないのっ!と言うしかないわけです。忙しい会社員には、少ない時間で効率を考えるように宿題を出しているのですが、英語学校で義務化していること+αを取り入れてもいけない、という結論に企業は達したらしい。その教材を宿題とする義務はなし、暗記の宿題を出すつもりもない、という私を、どういう論理から「その英語学校の学習方法論が嫌いだ」と結論に達したのかわかりませんが、そもそもベストな学習方法があるわけもなく(爆)。「そりゃ、個人によって違うだろうよ」と思えないで、企業人をやっている雁首揃えた大きな会社の社員たちが、バカすぎると思ったわけです。

いわゆるトカゲの尻尾きりなのですが、これは企業の未来にとって、騒ぐほどの問題なのか?という大きなヴィジョンを持っていないことについても、たいへん呆れてしまいました。そもそも、企業派遣の英語講師に、それほどの徹底した愛社精神が求められているとは、私のほうも露知らず(爆)。

まぁ、みなさんもこれごときの悶着は日々経験なさっているのでしょう。私はこういう歴然としたバカな問題に対処せねばならぬのがイヤなので、OLの道はまったく選択せず、帰国してからもこうして働いているわけですが・・・(私としては摩擦が起き難いと思ったのだけれども、こんな穴があったとはね・・・)。とはいえ、状況的にはラッキーだったのです。木曜日がフリーになると、前から頼まれていた他の仕事が請けられる。しかも、ギャラはそっちのほうがいいし、ロケーションが近い、と(爆)。

自尊心の為せる業ではなく、本当にどうしたら根本的問題解決で、二度とこのようなことが起きぬのか?ということを考えてみて、私なりに結論を出した昨日であったのですが、気が済むように書いてみました。戯言に聴こえたらごめんなさーい!いや、その会社がでっかい企業なのでびっくりしているわけなのよ・・・。