ボーッと歩いていると・・・

07/29/2008 にアップした文章です。

 

通り魔について、以前、コメント欄で陽さんに調べ物をしてください、などと図々しく頼んでおいたのですが、やっぱりお忙しかったようです。あまりに図々しいこともあり、通り魔事件が多発していることもあり、自分で調べてみる気になりました。やはりニンゲンやる気が大切ですね。なんだか怖いなぁと思うのは、人心がこれで不安に陥れられるということ。それまではただの確率論でしかなかったものが、身近になってきているような気がします。私も、二宮金次郎のように本を読みながら歩いている場合じゃないらしい・・・。うーん・・・。

 

私が最初に思い浮かべたのは、年齢のせいなのか、これ>深川通り魔事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E5%B7%9D%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%AD%94%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6 

4人を刃物で殺傷後、人質を取って立て篭もったケース。覚せい剤のせいと、そもそもの犯人の傷害歴があったためや、転職をしようとしていて世間に背かれたという怒りなども浮かび上がり、ドラマにもなり、理由は「なんとなくわかる」ケース。

 

が、これより古いものはあるんですね。>新宿西口バス放火事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E8%A5%BF%E5%8F%A3%E3%83%90%E3%82%B9%E6%94%BE%E7%81%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6 

この犯人の場合は、精神病歴があり、入院までしていて、人生の歪に位置していたこともあり、追い詰められていたことはわかるのだけれども、「ではなぜまったく知らない他人を害するために放火」ということは、当時よく語られていました。私は高校生でした。バイトで忙しかった夏のことです。

 

http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news2/torima/index.html このページでは、犯罪心理学を扱っており、通り魔について語られています。http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news2/torima/tairyo.html このページでは、統計を淡々と述べているに留まっています。

 

が、このサイトでは、統計学的数値を評しています。昭和60年が最も多かったのですが、今年はそのペースで来ている、という見解。が、それについての報道への批判も併せて読めます。やはりメディアが発達したことは、人々の生活や心理的作用には大きく影響しているわけです。

http://shibuken.seesaa.net/article/103572555.html 

 

長い時間を掛けず、すぐに散ってしまい、犠牲者を出して自分も逮捕される覚悟があるものが多いのが、通り魔ですが、その心理の大きな一部には、劇場型犯罪心理があります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%87%E5%A0%B4%E5%9E%8B%E7%8A%AF%E7%BD%AA 

ここにあるように、シリアルキラーやらその他の犯罪で、マスコミや世間や捜査側を巻き込み、自分が徹底的に主役になり、時間を長くエンジョイしたあと、捕まらないようにする犯罪者もいます。

 

そういった意味では、通り魔事件を起こす人々というのは、計画性はあったものの不備が多かったり、低かったり、捨て鉢である態度は感じます。そうした捨て鉢な人々がやる行為に、確率の問題で巻き込まれる無関係な人々は、本当にたまったものではないです。

 

どんな犯罪でも、正当化していいわけはありませんが、その追い詰められた心理においては、「共感できる部分もある」と思えるものがあります。たとえば、私が哀しいなと思ったのは、アメリカはテキサスであまりに身勝手な夫をベンツでひき殺した歯医者の妻。コロンビアから出てきた移民であるにもかかわらず猛勉強をして、歯医者になったあと、彼に嫁ぎ、前妻の子どもを引き取り、彼に望まれるまま子どもを産み、浮気をされ、その理由が胸の大きさがタイプではなく、離婚したくないのであれば豊胸をしろと求められたから、という稚拙な男のわがままで・・・。その浮気現場に、引き取った長女を連れていき、コトを済ませただんなをベンツでひき殺してしまったのですが、そのときの記憶はほぼないのでした。もちろん、途中で我に返って、犯罪などしないに越したことはありません。が、追い詰められてしまったことについては、わからないでもないのです。これなどは、明日は我が身かもしれない事柄です。いや、私は嫉妬そのものをほぼしないのですけども・・・(汗)。

 

が、追い詰められたとき、被害者になってしまったかのようなときの心理はわかる。

 

通り魔にしても、そこまでの心理の中で、何度も何度も振り返るチャンスの数はあったのだろうけれども、どうして選ぶ被害者が、まったくの他人なんだ?というところが、共感できるかもしれない気持ちが、ゼロ、いえいえ、マイナス値まで落ちるところ・・・。

 

それじゃー、最後の最期まで弱者のままで終わるだろうに・・・。かりそめに暴力によって誰かを制したとして、何が残るのかというのが惜しすぎます。しかも、不可逆の生命を奪ったことは汲み汲みとずっと続いていくのです。すぐに死刑にしてあげた法務大臣もいましたが(池田小事件)、そののちの生き方や学びで、後悔してもしきれないようになってしまったら・・・。

 

かりそめの勝者になることで、何が充たされると思って行動に移すのか?というのは、日々の生き方や信念や考え方の問題なので、その基礎を固めてあげつつ、自分を裏切らないように生きていくのが、ヒトに生まれた使命なのです。そして、そのステップの最中、他人のせいにはせず、なるべくいつもIn controlで居たいと望み、生命力漲(みなぎ)ったヒトでいることが大前提だと、私は信じています。

 

昨日は、フライ級世界チャンピオンの内藤大助選手のドラマをやっていましたが、彼はいじめられっこだったんですね。彼のメッセージはよく伝わりました。こうして人生を変えた人間もいるのだ、というメッセージを、たくさんの人が受け止めてくれているといいなと思いました。特に、今いじめられている子どもたちにとって、大きな支えになるといいな、と。

 

私もストレスと暑さに苛まれて、つい先日、ブログを休むという失態を呈してしまいましたが、たまに生命力バロメータ(ウルトラマンのカラータイマーみたいなやつ・笑)が低くなるときがあります。そんなときはじっと充電するに限るのですが、そのときに悪循環に嵌まらないように気をつけています。私は、ゼッタイがないこの世の中で、99%の確率で、通り魔にはなりませんね。ヒトに当たることはあっても、それが暴力で出ることはありません。子どもがいないのもよかったのかもしれず、ネコたちを叩くこともありませんね>彼らの健康や生命が脅かされるような場合は除く。

 

ボーッと歩いていて、知らないあいだに通り魔に遭遇してしまうことはないと思うのです。が、ゼッタイとは、これも言い切れない。なので、少しだけ考えてみました。もしも、廻りに苦しんでいるヒトがいたら、声を掛けてあげるゆとりが持てると尚よしです。

 

 

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