マニュアル辞書と電子辞書

01/15/2008 にアップした文章です。

なにやらすごいことになっているようで、トランジスタラジオからここまでの道のりは、想定していたよりもずっと短かったようである。辞書を自分の手で引くことすら面倒くさくなってしまった日本人に、私は一体何が言えるのだろうか?と、ふと考え込んでしまった・・・。しかも曲りなりとも教える立場にいるわけで、マニュアル作業がどのくらい、今後に生きてくるのかを、どうやって実感してもらったらいいんだろうか?と途方に暮れているところです。私個人からして、「面倒くさい」と「押し付けられたくない」の2つの大きな基準で生きており、それを軽減するための処世術を身につけて、うまく泳いでいるわけで・・・。面目ないなぁ(笑)。

マニュアル:(1)手引き書。取扱(操作)説明書。手順書。(2)自動車で、手動の変速装置。
手動:機械などを手で動かして操作すること。⇔自動
自動:(1)他からの力によらず、自分の力で動くこと。(2)機械などで、定められた操作を行うと、動作が機械自身により行われること。オートマチック。⇔手動 (3)特別な手続きなどをしなくても、効力や権利などが自然になくなったり生じたりすること。(4)「自動詞」の略。

こうして私が貼り付けている辞書も、オンラインの電子辞書のようなものなのです。三省堂を使っているのですが、それほどのブレがないので使っていますが、希望としては「広辞苑」を使いたいところです。ただし、タイプするのにコピー&ペーストができるという利点があって、こちらを使っていることと、証拠としての有効性があるので、出典がはっきりしているものを使っているわけです。h

ところが、自分が生活していく上では、どうしても私はマニュアル女で、電子辞書は日本に戻って来て1年4ヶ月経とうとしている今も、まだ購入していません。翻訳や通訳の仕事を引き受けている最中でも、必要性がなかったせいもあるのですが(同時や逐次の通訳で、辞書なんて使っている暇はない・・・。翻訳の場合はタイプをするので、オンライン辞書が使える。が、専門用語でなければ私は辞書の必要性はほぼ感じない)、やはり「肌に合わない」というのが第一の理由なのかもしれません。

繰り返しになりますが、私は小さい頃は貧乏だったので、図書館通いをする日々だったのです。そんな中でも、両親が私に買い与えてくれた書物は、百科事典全10巻と岩波の国語辞典でした。私は生涯で国語辞典を2回半読んだことがありますが、1回目はその岩波の国語辞典で、2回目は父がどこかからもらってきてくれた広辞苑でした(確か第4版だったように思う)。3回目のトライは、途中、英和辞典(研究社)が入っていたので、スムーズに行かなかったことと、課題が多かったためにそんな優雅なことをしていられなかったこともあり、途中で終わってしまったのですが、広辞苑の第5版でした。でも半分以上は読んだなぁ・・・。

もちろん、記憶するために読んだのではなく、「読み物」として活字中毒を満足させるために文字通り読んでいただけで、どのくらいを吸収したのかは定かではありません。当然、その中で「語彙を引く」という行為を訓練したわけではなく、五十音でやっていたので、本当に読み物でした。

が、渡米した当時は、旺文社のシニア英和辞典というのを使っており、電子辞書の導入はその4年後、父が死んだあとの初めての通訳・翻訳の仕事で、だったわけです。私が買ったのは、Sonyの電子ブックプレーヤーで、当時4万弱したと思います。1990年で6万。1993年で4万弱というのは、ずいぶん下がったもんですなぁ・・・。

電子辞書とは>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E8%BE%9E%E6%9B%B8 
電子辞書の歴史はこちら>http://sekky.tripod.com/edichist.html 1979年のシャープのものが第一号!2001年作成なので、途中までしかありません。

英語学校の生徒さんがいろいろな機種を持っているので、たまに見せてもらうのですが、やはり搭載辞書の選択からして、私はどうも好きではないのかもしれません。私は国語は広辞苑。英語は研究社、英英はWebsterが好きなのです。初心者にはLongmanを推薦しますが、私はWebsterと同じ誕生日に生まれたせいもあることと、渡米して初めて買った大きな辞書がWebsterだからなのですね。でなければ、Oxfordがやっぱりいいんじゃないかと思っています。

で、比較サイトで見てみると、リーダーズ(研究社)とOxfordの組み合わせならば見つかる。でも、ジーニアスが圧倒的に多いんだよなぁと思える。ジーニアス搭載の英英辞典は、Longmanが多いようです。提携なのかな。

なんでこんなに辞書に関してこだわらねばならぬのか?(笑)

私は言語学には積極的には進まなかったのですが、言葉の紡ぐ・醸しだす含蓄に大いなる魅了を感じ続けています。その基礎となり、歴史を受け継いできた意味を教えてくれる辞書については、やっぱりこだわりたいと思っているようです。

しかも、手でマニュアルに自分で引くことで、やはり道具が自分の一部へと変化していくことをエンジョイできる、というのが、紙の辞書のいいところなのですよね・・・。電子辞書は到達までの時間が短いことで、ありがたみも薄れれば、記憶する時間や動機も低くなります。渡米したあと、たくさんの色の蛍光ペンを使って、何度も引いてしまった単語については、本当にたくさんの色を塗りこみましたが、あれがあったからこそ、今、私はものすごいスピードで辞書が引けるのだろうと感謝しているし、たくさんの語彙が身についたのだろうと思うのです。たとえ、私と同じだけ、あるいは私以上の歳月を英語圏で過ごしていても、少ない語彙で生きている人々はたくさんいます。だって、日本語だってそうですよね?

私がほとほと感心する外国人に、Donald Keeneがいますが、彼は私の倍くらいは日本語の語彙を持っているに違いない(笑)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%B3 (日本語)
http://en.wikipedia.org/wiki/Donald_Keene (英語)

友だちが多いよりも、語彙が多いよりも、私は正確な言葉を少ない親愛なる人々に伝えたいと、常々考えています。が、ぴったりとした言葉を持たなかったときに、ぴったりした言葉に出会ったときには、言いようのないほどの震えが起きるほどのヨロコビを得られる。これは不思議なことです。なので、やっぱり私は、自分の手を使って、頭と心に意味を刻んでいくのだろうと思うのです。

賛否両論なのでしょうが、やっぱり手は使ったほうがいいよ・・・。

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