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マンガ・アニメ

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Jan 28, 2006に書いた文章です   

ここ数ヶ月、USのケーブルで、ルパン三世とブラックジャックを見ることができています。世界でも、日本のアニメは高い評価を受けており、宮崎駿夫監督作品は、上映館はごく少ないものの、ちょっとだけ無理をすれば、都会でも見ることができるようになりました。

日本の長者番付は、納税金額により査定されていますが、その上位には漫画家がたくさんいるのは、私は昔から不思議でした。一度描いてしまえば、あとはコピーであり、「薄利多売」の論理なのでしょう。さらに、爆発的に売れれば、肖像権もあり、その著作権は原作のコピーだけではなく、キャラクターグッズなどに大きく反映されていくからですね。私は子どもの頃からマンガやアニメへの露出はごく少なく育ちました。字が読めるようになってから、読むスピードがとても速かったせいと、貧乏だったせいがあり、充足度では、すぐに終わってしまうマンガはあまり価値が高いものではなかったのです。本に比べてやはりマンガは、文字数が圧倒的に少なく、私にとっては「贅沢品」でした。アルバイトを始めた弟が、男性向けのモーニングを毎週買っていましたが、私はそれらが放置してあったら読む、という程度で、自分で買ったのは、1年少しほど別冊少女マーガレットを買っていたくらいです。確かきっかけは、アイススケートで、槙村さとるのスケートのストーリーを読みたかったからなのだと思います。あとは、誰かに借りて読んだものに、『生徒諸君!』があり、歯医者や医者の待合室で読んだものに、『おれは直角』と『がんばれ元気』がある程度で、あまり詳しくはありません。大人になってから、『ブッダ』と『火の鳥』を買って、こちらに持って帰って来て読んだくらいです。羅列できてしまうほど、私のマンガ遍歴は少ないのです。

日本人であることで、アニメオタクな米人に近づかれたことはありますが、私にはいかんせん知識がなく、相手に歓んでもらえた試しは一度とてありません。USの映画化されているアニメの原作も、一度もまともに読んだことはありません。当然、映画が原作を超えることはありえないのですが、どうも手に取る気にならないのです。

特にもう貧乏ではないのですが、おそらく、私の脳の働き方に関係しているのではないかと思います。絵画や映画の場合は、ある一定の時間で、原作者の世界を共有すればいいし、かなり抽象的であるので、自分の脳が解析できる余地がたくさんあるわけです。が、マンガやアニメは、かなり細かい時間軸を会話を主として、風景設定や状況など、「想像」が許されない場合が多いのです。映画を見るにしても、私は自分の「想像」をとても大切にします。描ききれていないだろう余地もしつこく追求します。与えられたものが「確実に正しい」とはさらさら思わないので、まんまを受け止めないわけです。その出発点は、やはり読書ばかりしてきたことにあります。

字面を読んでいても、書かれている内容を頭の中でプロセスし、自然と映像化しているので、そこで原作者との誤差が出てきますが、それはそれでいいと思うのです。その誤差がごくごく少ないことを目指して、原作者は醍醐味を味わいながら筆を執っているのであろうし、まったく共感・支持されずに想像の域が狭い場合には、その書物は時代に受け容れられないわけです。たとえば、Mendelの植物交配についての書物がそうでした。DNA前の大きなターニングポイントであったあの書物は、メンデルの死後、100年近く放置されており、時代がDarwinを迎えたときに、注目を浴びることになります。牧師だったメンデルの書物は、修道院の貯蔵室から引き出されることになりました。ダーウィンの進化論は、彼の天賦の才能がゆえの産物ではなく、彼以前の人類の英知の上に成り立っています。

逆に、SF (Science Fiction)などは、小説では、想像力が少ない人にはつらいものでしょう。まったくのところ、映像化ができないので、その原作が映画やアニメの映像になっているだからこそ理解できる、ということになります。

私は絵本の次に、読書から始めてしまい、マンガやアニメへの露出が少なかったために、どんどん読書ばかりが進み、その後、どうも、マンガやアニメが押し付けがましいと感じるようになります。脳の部分で、ですね。が、育っていく途中で、TVで放映されているアニメは何個も何度も見ました。それでも、夢中になることができなかったのは、やはりすでに温床ができてしまった、読書の脳のせいでしょう。

私の友人で、ルパン三世が理想の男性という女の子が中学のときにいたのですが、どうも不思議でした。私としては、「かっこいいじゃん」とは思っていても、やはり『虚構』がプンプンしており、現実の世界にいる男の人たちと同じ土俵に並べるなどということができなかったからです。

マンガやアニメの悪影響は、かなり昔から叫ばれているようですが、私は特に悪いとは思いません。一点だけ気をつけたほうがいいのが、上記の「虚構」と「現実」のラインをしっかり引けるようになるように気をつけていくことだけだと思います。一言で言ってしまうのは簡単ですが、けっこう難しいからこそ、論議になっていくのでしょう。暴力が多い内容になっていると、さらに話は複雑になります。これはマンガやアニメだけではなく、ビデオゲームやコンピューターゲームでも同じことです。ストーリー性があるがゆえに、ゲーム関連も同じことが言えます。

悲しいことに、この注意点は、子どもだけが晒されていることではなく、大人も日々晒されています。習慣化というのは恐ろしいもので、過度の露出がフツーとなり、どんどんエスカレートしていき、さらに考え方や行動にも大いなる影響を与えていくわけです。このHabituation(馴化)の仕組みと、個体としての自分や子どもたちの資質を組み合わせて考え、ただの「いい・悪い」ではない判断が求められます。

ちょっとロコツな話ですが、男性で、マスターベーションだけを繰り返していると、外部の刺激がAVや過激な雑誌だけとなり、想像力が必要なくなるところで、どんどんエスカレートしていきます。当然、アクセスが簡単なので、内容もエスカレートし、マスターベーションの回数も簡単に増やしていけてしまいます。そうなると、女性の膣の筋力よりも、自分の手の力のほうがずっと強く、ナマミの女性とセックスしてもオーガズムまで達せないという現象が増えてきます。それは、とても悲しいことです。セックスは、愛情があるふたりにとっては、ある意味、究極の愛情表現にもなりえるわけですから。

いひー、マンガやアニメの話なはずなのに、すごいことになってしまった・・・。想像力を奪わない程度に、マンガやアニメ、ビデオやゲームはお楽しみください。せっかくの脳を使わないのは、やっぱり私にとっては、切ないことです。