リハビリの経過~赤ちゃんになる

1999年頃の文章です

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今回で3回目です、私がほぼ無力に近いような赤ちゃんにならせてもらえたのは。健康だけが取り柄であった私には、ベッドにヒトデのように張り付いている状態というのは共感できても、実感できる事柄のひとつではありませんでした。

名実ともに赤ちゃんだった頃の話を聞くと、私は弟の出現まで(18ヶ月違い)はたいへん手のかからない赤ちゃんで、気が強いけれども、よく食べよく遊びよく寝て、新米であった母親をわずらわせたことはないようです。彼女には世間一般の常識を取り入れる術はテレビとラジオくらいしかなかったので、私のハイハイもつかまり歩きも歩行もおしめも、すべて私が好きにさせてもらったようです←だからこういうわがままな娘が育ったと主張する人多数決で勝っている…(汗)。

そのときは生きていく意味などを真剣に考える間もなく、ただただ本能に頼り、目に見えるモノを頼り、触れるモノを頼り、自分をどんどん前に進ませていっていただけです。母は生命に危険がなければ、取り返しのつかない結果にならなければ、私をいつも放置していた人でした。玄関は靴置きとの段差が15cmほどありましたが、少なくとも1ダースくらいは落ちていることでしょう。それも私が学ばなかったせいです。母は柵を張りましたがそれでも突進して落ちた私の学習能力は低かった…。その次には鏡を置いたようです。私は自分の顔を眺めて不思議がり、もう落ちることはなかったようです。

ぬくもりがほしいときには、家には生まれたときには犬がいたし、母だけでなく、父・祖母・祖母の内縁のだんなさん・叔父が立ち代わり入れ替わりいました。「とにかく疲れさせて遊ばせて寝かせよう」「腹一杯にして寝かせよう」という動機であったらしいけれども、私はそんなことわからなかったし、それに満足してきゃきゃきゃきゃ遊び、コロっと寝る手のかからない子でした。弟もおもちゃだったし、犬もおもちゃだったし、廻りにあるものすべてで遊んで、おなかがすいたら火がついたように要求して、ちゃぶ台の上に置いてあるものを片っ端から食べてまずければ「ぺっぺ」と吐き出し、冬眠に入るクマのような念入りさもなく、ただただコロンと次の瞬間には寝る子でありました。

今は核家族が多く、24時間母と子だけの密着状態が続くのでたいへんだろうなぁと思います。小さな赤ちゃんが遊べるところも少ないし、家の中にも危険なモノがたくさんあるし、音は不自然な音が増えたし、テレビも子どもに見せては困るモノも増えました。だから子どもの本能だけに頼れた時代とはまったく違うから子育てたいへんです←これはまた別の話。

次に赤ちゃんになったのは渡米したときです。コミュニケーションの手段として言語というのは90%(これも人によってさまざまな分析から引き出した意見があるけれど)以上を占めます。たとえば世界共通であろう、と現在認めても安全だろうといわれる顔の表情はたったの6個くらいしかないわけです(詳しく知りたい方はメールで連絡ください。但し、私は英語文献しか知らないので、日本語はそれを手がかりにご自分で探してね♪)。その顔の表情を他人に伝えるためには同じ顔をするか、言葉で話して説明するか、絵に描くか、うーん、他にはどんな方法があるだろう?けれどもとにかく、言葉はそれくらい大切なのです。

渡米して思い知らされたのは、「あああああああああ、私と相手に目と手があってよかった♪」ということ。とりあえずわからないときには、絵に描く(私は絵が描けないのだけれども、何とか鳥なら鳥と判別でき得る程度なら…)、写真や本や看板を指さすなんてことができました。第一次逃避はここで問題解決への光を見ます。けれどもやっぱりアメリカに来て英語話せないのは、ものすごく失礼だな、社会に出る準備さえできてないよな、赤ちゃんだよな、と思いました。

「うがっ、通じない…」その次に感謝したのは「あああああああああ、私には耳があってよかった♪」ということ。新しい単語を覚えると使いたくてしょうがなくなり、無理に文章を作って覚えて口にして、生っ粋のアメリカ人に試してみるわけです。でも耳があるから何度でも何度でも同じテープだって聴けるし、同じテレビを反復して見て聴けるわけです。私は LとRの発音が自分で「完璧ぃぃぃ!」と思えるようになるまでに5年かかりました。今は帰ってしまった留学生の集中英語学校で、「日本人はLとRの区別がつかない」ということさえわかってないのか?どうして教えないんだ?と思って腹が立ったこともあります。

挨拶もパーティーも食事のメニューも、私が24年半かけてきたことなんか、ほぼ役には立たないことがわかりました。よしんば同じ習慣があったとしても、それは長い時間かけてきていて、Connotation(含蓄)が違うからです。だから私も赤ちゃんになったつもりで、最初から由来やら便宜やら顕れ方の違いやら、いろいろと学ぶことにしました。だからいいところ取りができます。

我が家は使っていない部屋のドアは開けっ放しにします。トイレもです。わざわざノックして確かめる必要がない。いいじゃないですか♪ドアの木も減らないし、座っている人が手を伸ばしてノックし返す必要もなければ、「入ってるぅぅ!」と気まずく返事しなくてもいいしさ。ネコが便器に落ちるなんてことはないし、取り入れました。あ、トイレの話で思い出したけど、トイレットペーパーの向きも反対なのです>日本とアメリカ←理由がわかる人!?

あ、話はずれたけれども、社会性ではなくて、本能に拠るところをふんだんに使って赤ちゃんのときのように成功したと思います、英語も。アメリカ人ってさぁ、って文句もたれなかったし、ただただ今できることを飽きもせずに繰り返して、日々は過ぎていきました。ただちょっと賢かったな、と思うのは、Association(関連させる)技があったことと、大人になっていたので移動ができて手段がたくさんあったこと。これも自分のおかげではなくて、大人だったからです。

でも英語ができない留学生の多くはやっぱり自分を棄ててゼロからやり直すってことはできないみたいです。本当の意味で赤ちゃんに戻るっていうのか、能書きやめてただただ邁進する情熱がない。あ、またこれも別の話かも…(汗)。

そして今です。本屋さんの棚から墜落してヘルニアになったときにはまだよかったのです。歩けたし、フツーの暮らしは営めました。術後はもうすごい無力でしたね。腕も上げられないし、トイレも行けないくらいで。こういうのは私、経験あります。障害者ですからそういう状態にはなったりします。けれど今回ものすごくおもしろいのは、「筋力がほぼない…」な状態。別にオリンピックの選手や他の人に比べているわけでなくて、赤ちゃんがハイハイできるようになるための、胸筋や腹筋やその他の筋力が必要なように、今回立って歩くのに必要な筋力、日常ではそこにあったはずの筋力がまったく使い物にならないくらいなくなってた、ってことです。赤ちゃんは寝返り打ったり、ごろりんしたり、前や後ろに進もうとして筋力を鍛えるのだなぁと、まぁ、すごい実感させてもらいました。楽しい♪

退院するときには、車椅子に乗って涙が勝手に出てしまうくらい痛かったわけですね、まだ。点滴での痛み止めが切れちゃってて(その後は【痛みの経過】参照)。できる体勢は平ぺったい枕を傷口に敷いた仰向けとうつぶせと横向きなんだけれども、ひとつの体勢からもうひとつに替えるときの痛み。痛み止めはきっちり10日で止めました。筋力がなくなることを恐れたわけでなく、依存症の方を恐れて。けれども大正解でしたね。こんなに筋力なくなっていたのは、私は去年の11月末から痛みのために姿勢が悪くなったり、運動をぴたっと止めていたりして、筋力ぼろぼろ落ちていたわけです。その間、杖を使ったり、無理をして偏り筋肉がついたり、バランスぼろぼろだったでしょう。長いって9ヶ月。いろんなことができる時間だぁ!

リハビリでは赤ちゃんと同じように、せめて立てるようになるまで体勢替えの練習や、病院でもらってきた肺活量練習機、着替えやタイプや本を拾ったりごはんを食べるだけでも、姿勢や筋肉の進歩が見られるわけです。わくわくどきどきな私は「こんなチャンスを逃してなるものかぁ!」とシャワー自立までの道のりを10段階に分けたりします。今はまだ背中と足が洗えません(爆)。でも時間は延びました。夕べは自分ひとりで助けなしに、45分かけて夜ご飯を作りました(普段なら30分のメニューなんだが…)。それを2回に分けて、一度休憩入れて。靴下も不自然に見える形ではけるようになったし、なんか毎日わくわくです。歯磨きしているだけで、どこまで筋力が回復したかわかります。腕と腹筋と背筋。こんなに楽しい赤ちゃん体験はめったにあるもんじゃありません。大切にしないと♪

そして私は一昨日やっと、健康なときと同様に、続けて夜に7時間眠ることができるようになりました。くたくたになるくらい何かをやれるっていいなぁと感謝。どんよりした疲れではなくて、くたくたがいいよね☆ゼロになるには勇気が要ります。今回のはアクシデントでしたが、どうしてあんなにめそめそうじうじしていたんだろう?と思えるほど、今の変化は楽しいです。

ということでみなさん心配しないでね。メールが遅れたのは寝ているせいですので、あとから叱ってください・…(汗)。

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