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10/23/2007 にアップした文章です。

 

大いなる矛盾ではあるのですが、二度とない瞬間を求める気持ちは誰しもあると思うのです。その対象が何なのか?が人によって違うということ。子どもの頃から、私の軸は、「達成感」「獲得」でしたが、同じ軸を持つ人は多く、それがどんな分野で発揮されるか?が人によって多様なのもおもしろいところ。二度とない瞬間を求めすぎて、「さっきのに似ている近い瞬間たち」がたくさん貯まりすぎて、ここのところ、あまりおもしろくない感じ。何贅沢こいているんだ!と父親が生きていたら怒鳴られて、ポカンと一発殴られそうですが、わずか数ミリだとかミクロン単位での違いではあれ、「達成した瞬間の気持ちよさ」と「達成に近い瞬間の気持ちよさ」は、もー、驚くほど違う。運動や技術系のことでは、たいへんにありがちなのですが、子どもの頃と違い、職人の道を選ばなかった私は、この繰り返し作業をあまりしないにも拘らず、他にも反復作業というのはけっこうあるんだなぁ、と、不完全燃焼な気持ちなのよ・・・。

たとえば、私にとっては読書。速読は一時期考えたことはあるのですが、カメラ読法をすると味わいもないし、映像化するよりは文字を写真に撮っているようなもので、瞬間的に差異が付き難い。私のようにページ数をこなす人間にとっては、映像化のほうがずっと速いことになります。そうなると、同じ作家を総なめしていくやり方だと、風景も似たようなものになり、混乱が混乱を呼び、頭の中のファイルが整理しきれなくなる(爆)。そこで、このファイルが整理されると、やたらと気持ちがいいのですよ。NHK大河ドラマを見たことは無駄ではなく、高校時代の日本史の先生に「時代劇のあんなことは本当であればありえない」などというトリビアをもらったことなど、けっこう役立っているわけです。池波正太郎をはじめ、時代小説は続いており、時折他のジャンルも入れるのですが、かなり頭の中は時代劇化していて、ありえないことに対してはちゃんと疑問視しなければと思っています。が、映像化は楽しい。ファイルにきちんと入れ込むのも楽しい。が、どうしてなのだろうか?実生活でのモノを整理整頓するのが大嫌いというのは・・・(汗)。

アインシュタインは、E = mc2 を考え出したときに、このエクスタシーに似た「二度とない瞬間」の達成感を得たと語っています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3 アインシュタインについて

私にもそんな瞬間を持ったことがあり、それはあまりに凡人なので、数学でした。航空学校に行っていた頃、マッハという想像世界の、ノットからマッハ計算をしていたときの話です。私はそれまで数学は苦手だと思い込んでいたので、解けるわけないし、つまらないと思ってやり続けていたのですが、実際はその問題が解けたあと、不思議とスラスラ、他の物理的公式を使った問題をやるのがやたらと好きになった・・・。想像できなかった音速が、私に想像できたがゆえに、どうも解けるようになったのだ、とわかるまでには、まだ時間がかかるのですが・・・(ここが天才でもないゆえんなわけよね・・・)。おかげで、大学に戻ってからも、数学はとても成績がよかったのです。アインシュタインほどの天才レベルではないにしろ、あのときの快感というのは、とても表現しきれないです。

そうなると、ダヴィンチなどは何度このような体験をしているのか?と不思議に思えてくるわけです。すごいですなぁ・・・←想像しているだけなのに、やたらとすごいことだと思っている。もしかすると、そんな達成感での快楽はなかったかもしれないのに(爆)。彼には日常的すぎて・・・。

これまで試験と名のつくものを山ほど受けてきた私ですが、おそらくその総計は1000を超えているのではないかと思うのです。自分でも自分に問題を見繕ったりするところがおかしい(笑)。エッセイを書いている最中、何かの調べ物をしていて、クイズや問題サイトに行くと、エッセイを書いている最中だということを忘れて、問題を解いている始末です。ただ、記憶力がいいので、同じサイトを何度も使えないところがみじめです。答えを暗記しちゃってるんだよね・・・。ただ、100点というのは、小学校の頃を除いて、わずか2・3回しか取れたことがなく、たいてい90点以上であれば満足するというのが悲しかったですか・・・。大人になってからの話で、中学・高校・日本での大学では、テストすら休むほどにまともな生徒ではなかったのですが・・・(汗)。その100点を取れた問題にぶち当たったときも、アレに似た達成感みたいなものがあるわけです。いわゆる、本当の頭のよさが試されているわけではなく、勉強法や山かけの論理が当たったという気持ちよさなんです(爆)。

買い物にしても、同じ商品をものすごい破格で買えたときには、同じくらいの快感があるのかもしれません。私の場合は、不動産の値が上がったときに売る決意をして計算をしてもらったときですか・・・。1軒を2年3ヵ月後に査定してもらったところ、13万ドル(1500万)も上がっていたことがあり、本当にジャンプして歓んだほどだったのです(爆)。

こうして、振り返ってみると、私はどうも時間がかかる努力な達成に歓ぶ傾向があるらしい・・・。リサーチをしっかりして、いろいろな角度から検討した揚句、獲得して表現して、結果を待つという醍醐味なのか?

母に意見を聞いてみると、「凡人は、朝、目が醒めたときに快感を実感することが多いんじゃないのかな。最近、歳をとってきたから爽快な気分でよく寝たってのがないもん」と、とても個人的なことを語るのであった・・・。そういえば、私は日本に戻ってくるまでは、PTSDに悩まされた3年間を抜かして、たいていの場合は睡眠が直接的快感であったのだけれども、在って当たり前と思ってきた感がある・・・。今でも眠ることがイチバン好きだから、コレが失われたら、本当にきついかもしれない。けれども、この歳になっても7時間半も毎日眠らないとうまく生きていけないので(たまに6時間しか眠れないと、相当活動力が落ちる)、悩まされる年齢になるまでにはまだまだ時間がありそうです。確かにそうかもしれない・・・。この場合、母は「二度とない瞬間を求めて」をしているようだ・・・。すぐに眠るんだけれども、深くもなさそうだし、すぐに起きてしまうし、時間も短いからなぁ・・・。

さらに凡人はきっと、セックスで「二度とない瞬間を求めて」をしているのかもしれません。私はないですが、もしも丸まる健全であれば、せっせとしていたかもしれず・・・。

とはいえ、私は、子どもの頃のブランコやドッヂボールやかけっこからして、「二度とない瞬間を求めて」をやりすぎてきたような帰来があり、今、このエッセイを毎日書いていても、自分で何度も惚れ直して読み直してしまうような一本が書けないものかなぁ・・・と日々足掻いているわけです。いや、ないんだよねぇ・・・。トホホ。成長したからもっと理想が高くなったのか、もう書きすぎてネタがないからなのか、原因はいくつかあると思うのですが、どうもいいのが書けない。でも、チャレンジは続く・・・。

英語の授業にしても「二度とない瞬間にごく近い似ている瞬間たち」ばかりです。まったく悪くないのだけれども、生徒さんも私もいっしょに高揚感を得られるほどでもなく、マジカルなモーメントはない感じ。そんなにしょっちゅうあったら、私は何かの新興宗教の教祖になっているかもしれないのだが・・・(爆)。こうして死ぬまで、「二度とない瞬間を求めて」を続けていくんでしょうねぇ。果てしない旅路ではあるんですが、ため息をつくほど疲れてしまっているわけではなく、なんだか歓んでやっているようですね・・・。すごいひらめきがあるといいのだけれども、どうも凡夫にはそれなりのひらめきしかなく、コツコツとやるしかないようで・・・。

ただ、私にはサンフランシスコの坂道を登りきったあとに見た、エメラルドグリーンの海の風景があるので、これを二度とない瞬間だという基準にしています。アメリカに初めて行ったときに、ケーブルカーを使わず、苦労をして登ったあとに見えた風景。「私はこの先もがんばれる」と確信した瞬間でしたから。あれくらい、すっきりきっぱり「私はこの先もがんばれる」と思えるようになるには、やっぱり日ごろの充電が大切なのかもしれないなぁ・・・・。