人と知り合うプロセス

04/07/2008 にアップした文章です。

 

人を知るというのは、それほど難しいことではないが、自分について伝えることはものすごく難しいと感じている人は割合的に多いのではないか?と思うのです。そして、他人の意外な部分を知ると、かなり感動するのではありますが、自分がどういう人間なのかを第3者の新鮮な眼で見た感想を、どう受け止めるかで、今後の人生というのは変わってくるのかもしれません。それが「出会い」の妙なのでしょう。ええ、昨日は、産業カウンセラー講座の初日で、私はクタクタに疲れてしまいました。驚くほど、エネルギーが必要なことを、実感してしまったのです。その説明をぜひぜひ・・・←説明じゃなくて、言い訳だろうって!?(爆)

 

日曜日の都内の教室に集まった人数は、70人ほどだったと思います(今、冷静に椅子と机の数とグループの数で考えている・・・)。その70人が5グループに分かれて、実技講座を受ける仲間になります。20回の講習中、8回が座学で、大きな教室で講義形式で行われるのですが、12回は昨日の1回も含めて、そのグループでの実践になり、カウンセリングノウハウをやるわけです。校長センセはすでに昔?に経験なされており、私の説明を読むのはなつかしいのかどうかわからないですが・・・。

 

お決まりのような自己紹介があり、「どうしてこの講座に参加したか」という志望動機を語るのから開始し、一体どのくらい話したんだろうか?というほど、話したし聴きましたね。聴くことはまったく苦ではないのに、どうしても話すことは苦痛だった。いや、私はTalkativeな先天性があるので、実際はそれほど苦痛ではないはずなのです。条件の問題です。その条件の最たるものが、「初対面で相手を知らない」ということ。

 

このエッセイも、実際は不特定多数の人をAudience(観客)としているはずなのですが、オンライン上にこれだけ(いわゆる星の数ほど)のブログがある中、私のブログを読んでくれている方々というのは、実際は「共通項」があり、私のエッセイというのは、その共通項に「共感できる」方々のみが再来するような要素が強くなっています。私のような思考回路を持たぬ方でも、概ねの意見が共通しているところが多いがゆえに、何度も訪れてくださっているわけです。でなければ耐えられないし、もう読んではいただけない。校長センセと陽さん以外で、リアルの友人にはほとんど言っておらず、西さんも多忙のため読むこともたまにしかなく、英語学校の生徒さんにも4人にしか教えていないわりには、アクセス数は毎日コンスタントに100は超えており、多い日にはなぜか300を超えます。

 

そのせいで、書いている私のほうも態度や内容について、調整ができており、知らないあいだにコミュニケーションが取れている状態になっています。コメントも、校長センセや陽さん以外の方に、ごくごくたまにはいただけますしね・・・。統計というのは、かなり読めば読めるものなのです。

 

ところが、昨日のメンツは、それぞれがみなユニークで特別ですばらしい方々なのでしょうが、「知り合うプロセス」で疲れてしまっている(笑)。これが、Selfの妙なのですが、私のハードルがいかに低く、「別段他人になど好かれたくはない」と思っていても、どこかでやはり常識的な「他人に迷惑を掛けない矜持」があるので、自分をどこまで出していいものやら調整をつけるのに、ものすごい努力を要するわけです。そして、この産業カウンセリング講座というのは、話し手であるクライアントさんに「そのようなストレスをかけずに話をじっくり詳細に聴く」というのが目的なので、ハナから問題にぶつかってしまうわけなのですね(爆)。

 

他人の話を聴く側というのは、「どんな情報がどれほど漏れているか」ということがわからない。ここが問題です。何度も繰り返すようですが、この世で自分の言いたいこと・頭と心に詰まっていることを、決められた限りのある時間で表現できた人というのには、今までお目にかかったことはありません。ピカソにしろ、モジリアーニにしろ、次々と作品にトライできたのは、「まだまだ表現したいことがあったから」なのでしょう。彼らがいかに天才でも、絵でもすべては描けない。料理人も同じことで、どんなに至高の逸品が作れたと満足しても、そこでは終われない。やはりそれは完璧ではなかったし、同じものを繰り返し表現できないだろうと、謙虚だからなのですね。どうも、Outputに関しては関心が高いのだけれども、Inputに関しては関心が低いのは、どんな人でも同じようです。

 

私も、講師をしていて、他人のことを「知りたい」という気持ちは、他人様に負けぬほど強いと思っているのですが、記憶力も書き留めなくともかなりのことを憶えていると自負しているのですが、相手が13人にもなると(さらに講師がふたりなので、合わせて15人)、相当に負荷がかかります。私がこれまで持ったグループの生徒さんたちは10人が最高で、それ以上はいなかったですし、範囲をある程度決めた情報を収集しているので、「そもそも全部は無理なので、ここだけを詳細に収集する」と、ハナからあきらめた態度を持つことができるわけです。しかも、何回も続くであろうレッスンの中、少しずつ分かっていけばいいとも選択できます。

 

13人の新しいクラスメイトに関しても、実際は「あと11回で知り合っていけばいい」という選択肢を選べればいいのですが、カウンセリングの授業なので、「初対面からできるだけ理解する」の「できるだけ」のハードルをあげてしまうがゆえに、私はかなり疲れたんだろうなぁ・・・。あ、なんだか字面で整理できていません・・・。

 

聴く側としては、「ささやかだけれども重要な違い」についてにアンテナを立ててよく考え、相手が話し易いような状況を提供していく。

 

話す側としては、「他人に迷惑をかけず、威圧感を与えず、聴きたいことを察知しつつ、シグナルを見逃さない」というのが、結論なのですが・・・。

 

そして、ここに捻りが入るのが、「初対面でまったく情報がなく、見た目の印象や、すでに持っている偏見や経験則で物事を測っている」ということ。

 

私は昨日の最初の自己紹介で、「19年弱アメリカに住んだので日本には心理学のカウンセリングシステムがしっかりと確立しておらず、どの資格を取ればいいかわからなかった。この講座が日本で認知されているので参加した」と言ったので、それにすぐに食いついてもらい、話す内容はそれほど心配せずともよかったのです。私に関することではなく、アメリカとの違いについては、山ほど語れる・・・(爆)。迷惑を掛けるほど、Me!Me!Me!を連呼しなくて済んだのです。

 

でも疲れた・・・。これがあと11回続くのだと思うと、しかも途中で「印象」という容姿のプレゼンが出てくると思うと、なんだか憂鬱です。背は縮められないし、スーツもあまり着たくないしなぁ・・・。長時間なんですもん(爆)。

 

というわけで、人と知り合うプロセスというメカニズムを、もう少しよく考えてみると、「最高の出会い」をもしかしたら、ここまでで喪失してきたかもしれないことに気づけて、今後はそんなことがないようにできるかもしれません。自分をどのようにプレゼンするかについても、けっこういろいろなことが考えられるかもしれません。疲れますけどね(爆)。

 

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