何を期待して・・・

02/10/2008 にアップした文章です。

倖田來未嬢の羊水発言で、世の中は経済効果も含めて、いろいろと揉めていますが、同日近辺に起きた、餃子問題や力士暴行死での逮捕劇のほうが、ずっと大きな問題ではないかと思っているのは、私だけではないはず、と思いつつ、ネットで検索すると、取り沙汰されており、ワイドショーでは、「ネットで火がついて大げさなことになってしまっている」とコメントする人たちも多い。そりゃぁねぇ、物理的にそれほど限られた空間でもないため、ひとつ数個も書けるわけだし、アンケート形式のものであれば、ただクリックするだけだし・・・。しかし、何を期待しているんだろうか?と不思議が多いこの世を見つめています。

羊水発言で、腹を立てている女性は多いらしく、その筆頭が35ぴったりの西川史子女史らしいのですが、私にとっては、どんぐりの背比べなお話で、知識くらいは、これだけネットが情報をたくさん与えてくれるのだから、それにどうこう言う問題ではなく、切磋琢磨・弱肉強食していけばいいだけで、何をそんなに騒いで、貴重な広告料をたくさん消費者の懐(ふところ)から取っているオンエアタイムを無駄遣いするのか?と、思うわけです。

非常に醒めている?(笑)

生きている胎内での羊水が腐るという発言は、どう考えても、並みの常識があれば出る言葉ではないでしょう。細胞壊死について、実際に目にしたことがあれば、どうして?とそのメカニズムを探るのでしょうが、そうしたこともしていないような、大金持ちのアーティストが言ったことに対して、なぜにそれほど騒ぐのだ?掻き終わっていなかったので、また検索してみたら、今度は削除記事がたくさんだった・・・。少しは、マスコミのネット担当者も考えてはいるんだな・・・。その動機は、経済効果だったり、自社のイメージだったり、と、それぞれの思惑があるのだろうけれども・・・。が、Mixiでは自分の日記に引用付きで書いている人たちが、750件以上。そんなに関心があったり、一言言いたいのかなぁ、と。とはいえ、私もこうして書いているわけで、同じ穴の狢なんですが・・・。

世の中が、自分が見ているだけのものではないことは、大人であれば、わかってきた瞬間がたくさんあると思うのです。それでも、どうしても自分を基準にして世界は廻っていくように考えてしまうことが多いのはなぜなんでしょうか?

私のイメージで極端におかしいものは、ヒトが進化してきて、このまま視力ばかりを多く使う進化をさらに続けていくと、あと数百万年くらい経ったときには、エイリアンやコミックによく出てくるような、眼が別添えになっている形になってしまわないのか?というもの(笑)。やっぱり私の大脳はこれくらいが限度なのだろうけれども、ヒトが視力ばかりに脳を使いすぎるというのは、果たしていいことなのか?という警告でもあるわけです。そのおかげで進化したんだろう、と言われても、やっぱりなぁ、バランスがあるしなぁ、と、今現在における常識に囚われているのだろうけれど・・・。

そのくせ、朝食も摂れず、食育を誰かから教えてもらわねばならず、まともに給食費が払えなかったり、他人が作ってくれている食べ物を安全だと思って食べ続けてきていたり、と、なんだかコミカルな想像なんですよ。ヒトは一体どこへ行こうとしているのか?と。

一体何を期待しているのか?というのは、私にも向けて話しているのですが、何かを期待してしまうのは、前に進みたいと願ってしまうのは抗いようがないのです。ただし、他人に期待をしてもしょうもないじゃないか、ということを、常々言ってきているのですが、時として、私も自分の期待値と違うことがあると、どうも揺さぶられてしまう。ここのところ、日本社会を読む目がだんだん正確になってきて、落胆することが少なくなってきていますが、この1年4ヶ月、かなりの数と質の「裏切り」「期待ハズレ」に遭遇したんでしょうね。私の基準は、20年前もしくは、父が死んだ年の15年前の記憶なわけですから。理屈では、頭では、「そうではない。変化しているのだ」とわかっていても、心がノスタルジーを追い求めることを断固として止めることは、いつもいつもできるわけではないのです。そのたびに、自分を「バカっ!」と叱り、けなげにまた前を向いて生きていこうとしてきたわけなんですよねぇ。

倖田來未嬢の羊水発言で、私が「はっ!」としたのは、私はいつしか、この日本社会がプレゼンする状態に慣れてしまったのだということ。「またやってるよ」という学習が、ちゃんとできてしまったんだ・・・、と気づいたんですよねぇ。一昨日あたりのエッセイの「何かが違うと思う・・・」と思ったときには、固まった考えにはなっていなかったのですが、肌身で感じた学習が、形を成してきたのだということがわかってしまった。

おそらく、アメリカの友だちが今、東京に来たとして、私が案内したとしたら、彼や彼女が違和感を持つのは、「この人はやっぱり東京生まれの東京育ちなんだな・・・」と思ってしまうことなんじゃないだろうか・・・というくらいの、自覚がある(笑)。めでたいことなのか?それとも切なく悲しいことなのか?

そこで私が新たに目標とするのが、日本社会 vs アメリカ社会の構図のどちらかに寄るのではなく、まったくの第三者的に、地球の外側から物事が見られるようにしよう、というもの。大きなプロジェクトだし、日本生まれで日本育ちで、アメリカに18年半暮したことは否めない事実ではあるのですが、やってやれないことはない!と、ちょっと気合を入れてみようと思うのです。サイドを取る、選択肢を狭めるというのは、私の性に元々合うことではないのに、どうしてか無意識のうちにやってしまっていた・・・。少し、体力的にも、社会的にも、ゆとりが出てきた今、感謝の気持ちを込めて、完璧に中立なレフェリーのような第三者的見方を、よくよく実践していくよう、心がけようと思うのです。大統領選でも、希望があったとしても、静観する態度を固めていたのになぁ、と苦笑してしまいます。

どうです?このプロジェクト・・・。

私は生涯学生が目標なだけに、どうしても学びがないとダメなようで、停まると死んでしまうお魚のように、こうして日々、次々といろいろなことを課していきます。決して安定はしていないのですが、漂流者としてはこれがイチバンかと・・・。

何を期待するかというと、自分がまだまだ未知数であるということ。いい歳をこいて、と言う方もおられると思うんですが、箱を空けたら何が出てくるかわからない楽しみは、いつまでも取っておきたいと思います。やはり元気な母の遺伝子もらってるなぁ(笑)。

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