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信じられないけどできるようになったこと

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12/18/2006 にアップした文章です。

 

小さい頃から、「大人になってもゼッタイにできないっ!」と深刻に悩んでいたことがいくつかあったのだった。たぶん、男の子だと、ある時期「女の子と口を利くくらいだったら死ぬ」だとか、「大人になってキスするなんて汚い」などと言っていたかもしれない・・・。そういう、心理学的発達については、私は毛ほども心配することはなく、祖母や母が言っていた「まぁ、図体だけは大人になるし、動物みたいな本能だけなら誰だって大丈夫だよ」と、安心させようとしていたのか、恐怖のどん底に陥れようとしていたのかはわからぬ、その母娘の会話を聞くThe third generationな4・5歳な孫であったのだった・・・。私は小さい頃、図体はデカくなかったのだ・・・。真ん中より前だったので、けっこうソレも心配はしていたように思う・・・。

小さい頃から仕込まれたので、布団を畳んだり、掃除をしたり、などというのは「できるっ!」と安心していたのだけれども、料理だけはどうもできるようになる気がしなかったのです。「料理ができるようになったら、死んでもいい」くらいに思ったのですが、それは24歳半まで続きました。母のことを料理に関しては天才だと思っていたし、16歳でウェイトレスのバイトに出て、キッチンでヘルパーの仕事をしている男の子やサラダやその他を準備している女子にも、ただただそれだけでものすごーい敬意を持っていたのだった。どうも、自分が作ったものが誰かの体内に入るということが、とてつもなく信じがたいことに思われて、この世の中にある「食材」となるモノの品目数を数えては、150くらいで挫けたりしており、その性質やら味つけなど、憶えられるわけもないと思い込んでいたわけです。そのせいか、野菜や穀物などの名前を挙げるのは、今でも相当得意で、その頃の名残なのでしょう・・・。実際に、家庭科実習でも、卵の扱いの種類について考えるだけで、眉間にしわが寄っていたし、食べられるように調理するということが、どうもイメージできなく、「なぜ卵はみんなで卵かけごはんで食うようにしないんだろう?」などと、思いつめたりもしたわけです。

ところが、びっくりだよぉ。できるようになったじゃんねぇ・・・・。必要に迫られるって大切ね♪今では、天才だと思っていた母をなじったり(ありがたく思えよっ!と反省するのですが)、外食しても「まずいっ!」などと批判してみたり、本当にひどい有様です。あんなに「どうしよう・・・。生きていけないかもしれない・・・」と落ち込んでいた24年半がウソのようです。

そして2個目は、九九。小学校の1年の3学期の最後に九九が出てきたときには、ちびまる子ちゃんのように、顔色が変わりましたよ・・・。1の段はいいとしても、2の段から9の段まで、果たして人間技なのか?などと思うほど、ものすごいとてつもない苦労だと思っていました。実際に、7の段と9の段は、小学校5年くらいまで時々間違えることがあるほどに、けっこう躓いていたように思う・・・。それを見ていた祖父が(全盲だったのですが)、お風呂で九九を辛抱強く聞いてくれて、そのおかげで茹でダコになるまでお風呂に浸かっている羽目になって、仕方なく覚えた感じでした・・・。それがぁ、ものすごくタイミングの悪いことに、当時、先駆けな母親たちは、私の近所では、子どもたちを珠算塾に入れることが流行しており、私が九九に苦労している傍で、ものすごい暗算がメキメキできるようになって、ドッヂボールをしながら、手でそろばんを弾いているジェスチャーをしながら、ものすごいスピードで練習している軍団がいたのよ・・・。アレは脅威でした。笑い話ではなく、彼らは私にとっての北朝鮮だった・・・。家に帰って、叔父や父や母や祖母に「算数って生きていくのにどうしても必要?九九ってできないと人間としてダメなの?」などと、相当に思いつめていた模様です。わずか8歳(爆)。たまに、母親が笑いながら話すんだよなぁ。そんな私を知っている母親が、私がFAAのライセンスを持っており空を飛べることや、英語が話せることや、入りづらい名門大学を出ているとは、到底信じられないのかもしれない・・・。いやー、それくらい本当に悩んでたんだよなぁ。そこで、母のアドバイスを汲み入れ、通学路で石を拾い、1段ずつクリアしていったらその石を投げていい、という遊びをしたり(9個持ってるとそれなりに重いのよ、ランドセルもしょってるしさ・・・)、1から9の段をクリアするまでは、ずっと走り続ける特訓などをしたのでした・・・。苦しいからかなり逆効果だったとも言えるんだけど(爆)。いやー、冷たい大人は、「うん、九九はできないと大人になってから生きていけないよ。人として重大な欠点だね」と、笑いながら平然と言っていたので、そりゃー、ものすごいプレッシャーだったのよ・・・。

漢字を書くことについては、なんら負荷はかからなかったのが不思議で、あのキリのない果てしない数の漢字については、むしろ楽しみながらできたのです。縄跳びもマラソンも水泳も、級をどんどん進み、小学校の特級まで獲れたのですが、暗算大会に出られず、そろばん塾に通っていた子たちには、精神的にも完敗でしたね。かと言って、ボロボロだったわけではないので、とりあえず「基本は押さえているし、勉強も比較的よくできる子」と誤解されていたのが、さらなる恐怖を生みました。仮面を被らされているような気分でしたね。本当に私は「計算がちゃちゃっとできるまともな大人になれるのか?」と、不安に押しつぶされそうでした。

この料理と九九以外にも、できるようになるのか?と不安だったものは数知れずあります。幼稚園の年商組のときには、ちょうちょ結びは死ぬまでできないと思っていたのです。私の時代はまだいいのですよ。大人の紐靴はとても少なく、皮靴くらいにしかシューレースはついていませんでした。あとは、本当のプロ用のスポーツシューズで、スパイクやバスケットの選手用のハイカット。ところが、私が小学校に入ると、高校生くらいからスニーカーを履く特権が流行りはじめ、次に中学生にまで流行りだし、私は小学生のうちに、ちょうちょ結びをマスターしなければいけないのか、と、たいへんに憂鬱になりました。アメリカでは、うさぎの耳にちなんだ練習するための歌があり、最初に聴いたときには、「うひー、私もコレ欲しかったよぉぉぉぉ」と思ったのでした(笑)。結局、まともにちょうちょ結びができるようになったのは、小学校3年でしたが、中学1年くらいまではその実用的価値はありませんでした。現在でも、ギフトラッピングは自分ではしないので、スニーカーの紐にしか活用していません(笑)。他の人たちは、ちょうちょ結びを何に役立てているのでしょうか?

自転車も乗れるようになるとは、ちょっと最初のうちは思えなかったしなぁ>わずか3週間で補助輪を取ってしまったんですけどね。

実は、大人になっても、小さい頃からできなかったことで、まだできないことがあります(笑)。コレすごいや・・・。ドライヤーを自分の髪にかけること。コレができませんね・・・。前髪部分は強めにパーマをかけて、伸ばすのですが、それはできます。が、しかし、全体的に乾かす技術というのを持っていない・・・。しかも、私が前髪わずか15cm幅のところ、長さ10cmほどを伸ばしているのを、他人が見ると「基本がなっちゃーないっ!」とお怒りを賜ります(爆)。どうやら、ドライヤーを掛けるには、髪の表面から離さなければならぬらしいのですが、私は極度にくっつけてます・・・。だって、乾くのが速いんだもん・・・。いけないことらしいです。しかも、後ろや横や端末のほうは、どうやって乾かすというのだ?私の髪は、ブラジャーラインの下より長いので、けっこう時間がかかるんじゃないかと思うのです。しかも、髪がすんごい傷むだろうに、どうしてみんな乾かすのだろう?と、コレについては未だに不思議です・・・。おかげさまで、私は髪を乾かさずとも風邪ひとつ引いたことがないですし、そのせいなのか、スタイリングもしなくていい髪型ばかりを選んできたようです。コレ、覚えたほうがいいんでしょうか?どう思いますか?遅すぎる?

ま、他にも、折り紙や刺繍や裁縫など、基準点よりもダメだろう、という分野は多々ありますが、生きていくために必要な技術は持っています。今、振り返ってみると、信じられないです。弟などは、雨靴の中にわざとではないのに、歩くとどうしても水が入ってしまうような歩き方をしていたし、傘もまともにさせなかったのに、ちゃんと大人になっており、3人の娘を養い育てている・・・。人間ってすごいわね♪

今度、ボーイスカウトのボランティアをやってみようかと思っています。そうすれば、私がサバイバルに必要なのにできないこと、が見つかるかもしれない。火は熾せそうな気がするのですよ。キャンプに行ったときにやったのですが、回りの人に「おなかすいたー」と言われてやめてしまったのですが、そのへんにある道具で熾すアクションだけはやってみたので・・・。こう思うと、やっぱり長く生きてきてよかったなぁ、とつくづくありがたく思うのです。